第十回 オリエンテーリング大会(三)

「地図だとこの辺りだと思うんだけどなー」

 朝霧さんが津田くんの広げた地図を覗き込んで首を傾げた。

 わたしたちは次のコントロールを探して山中をうろうろ歩き回っていた。タイムでいうなら必ずしも良いとは思えない成績だが、それでも精一杯健闘していると思う。

 朝霧さんと津田くんはいいコンビだった。疲れの出始める中盤にさしかかり、わたしと田中さんは二人の後ろにくっついていく形となった。朝霧さんは運動部に所属しているわけでもないのに、びっくりするくらいタフで身のこなしが軽かった。

 わたしはチームに十分貢献できない歯がゆさを感じながらも、ふたりが的確にコースを読むのでわたしの出る幕などほとんどなく終わってしまいそうだと思った。

 田中さんはわたしよりも疲れたようすで、息を荒くしていた。もう自分の意見を言うのをあきらめて、ふたりの後をついて行くことに徹すると決め、ただ足手まといにならないように、遅れないようにと、けんめいに足を前に進めている。

「お前らちょっと休んでな。俺ちょっとその辺、見てくっから」

 津田くんがわたしたちにそう言うと、ひょいと薮の中へと消えていった。

「あっ、待ちなさいよ帝!」

 朝霧さんがちらりと気まずそうにこちらを見て、その後を追う。

 本当はチームで行動しなければいけないのだけれど、わたしと田中さんではあのスピードについては行けない。津田くんにはわたしたちの遅さが我慢しきれなかったのかもしれない。しかし反面、疲れているわたしたちに気を使ってくれているのはわかるので、不本意ながらも言葉に甘えて、少しの間休むことにしたのだった。

「これ、ズルだよね……」

 倒木の端に腰をおろしながら、田中さんが不安そうにわたしのほうを見た。

「そ、そうなるのかな……」

 チームは同一行動が原則だと出発前にも説明があった。

 チームメイトとはぐれてしまったらむろん失格ということになるが、『原則』と言っていたところに多少は緩さがあるのかもしれない。それに、津田くんと朝霧さんがすぐにここへ戻ってきてくれれば、おそらく問題はないだろう。

 しばらくの間、立ったまま津田くんと朝霧さんが去った藪のほうを見ていたのだが、覚悟を決めて、わたしも少し休ませてもらおうと、田中さんの隣に腰をおろそうとして。

「きゃっ!」

 倒木に腰を下ろしたつもりがそのまま後ろに吸い込まれるように転倒してしまう。

 いや、闇に吸い込まれた。


 空の色、空気の匂いがさっきまでいた場所とは明らかに違う。わたしは枯葉の上に仰向けになって横たわっていた。なんだか血が頭にのぼると思ったらゆるやかな斜面に対して頭を下にして倒れていたのだった。一緒にいたはずの田中さんの気配が消えていた。

 ああこれは、裏競技のほうのイベントだ。さすがにもう驚きはしない。まもなくここに薬袋さん、忍野先輩、桜庭先輩もやってくるだろう。

 なんとか起き上がろうとするが、頭が下になっているためなかなか思うようにいかない。正直なところ疲れのため体が動かなかった。

「どうぞ、姫」

 そんなときに差し伸べられた手があった。

「は?」

 わたしの頭の先で声の主はわたしの顔を覗き込んで手を伸ばしていたのだった。逆光で表情は見えなかった。

「だ、誰?」

「僕ですよ」

 どこかで聞いたことのある声。

「さ、桜庭先輩?」

「はい、そうですよ」

 あくまで穏やかな応え。

「大丈夫です」

 わたしが無理をしてひとりの力で起き上がると、桜庭先輩はふ、と短い溜息をついた。まるで自分を嘲笑うような含みがあった。それが却ってわたしの心に何かを醸したのだろう、わたしは服についた朽葉を落としながら、反発した。

「変な呼び方、しないでください」

「これは失礼。しかしながら、僕がどんなふうに呼んだところで、あなたはあなたでしょう」

「それはそうですけど……」

 愚にもつかないやりとりをしているところへ、あとの二人がやってきた。ひとりは颯爽と、ひとりは這々の体でそれを追いかけるように。

「何かあったの?」

 薬袋さんがわたしに聞く。言葉はわたしに向けられたものなのに、その目は桜庭先輩を睨み据えている。

「い、いえ。たいしたことでは……」

 わたしがそう言うと、桜庭先輩はやれやれというように、少しだけ肩をすぼめた。それで、わたしと桜庭先輩のやりとりは有耶無耶になった。

「そ、それじゃあコントロールを探すとしようか」

 私と桜庭先輩の間に割って入ったのは、忍野先輩だった。少し声が上ずっていた。なんとなくだが、わたしたちのために桜庭先輩に対して精一杯予防線を張ってくれているようにも思えた。

 桜庭先輩はそんな忍野先輩にフフンと鼻を鳴らして、くるりと背を向けると勝手に辺りを探し回り始めた。

 わたしは忍野先輩に頭を下げてお礼の気持ちをあらわした。ロロ先輩は彼のことを馬鹿にしたような口ぶりで笑ったが、なかなか頼もしい人ではないだろうか。桜庭先輩の動きに触発されたのか、薬袋さんもコントロールを探して動き始めた。


「出たね」

 コントロールは呆気なく見つかった。またしても古びたイーゼルの上に真っ白なカンヴァスだけが載っていた。しかし前のイーゼルのときのように結界は施されていない。

 カンヴァスには何も描かれていないが、やがてすぐに網膜の奥で焦点を結ぶように像が浮かび上がる。

 浮かび上がった文字をわたしはオーと読んだ。こんどは声に出さなかった。皆も真剣に白いカンヴァスを矯めつ眇めつして隠された文字を暴こうと試みているようだ。

 Hに続いてO。そこまでくればこれらが最後にはひとつながりの「単語」になるのではと予想できる。

「さてと、僕は行くよ」

 桜庭先輩が身を翻して立ち去ろうとする。四人の選手が揃わないとコントロールは現れない。しかし一度出現したコントロールが消えることはない。桜庭先輩としては早くこの場から立ち去りたいというところであろう。

「何? お前もう解ったのか?」

 忍野先輩はまだカンヴァスの中の文字を認識できていないようだった。その問いに答えることのない背中が、遠ざかりながらせせら笑うように揺れた。

「おかしい……」

 薬袋さんが首を傾げたのは、たぶん桜庭先輩が何もせずにあっさり立ち去ったからだった。エルフの眠り薬を飲まされた最初のコントロールの時に、桜庭先輩はこれからもこのスタンスでいく、と大上段に宣言していたけれど、今回は私たちに何かを仕掛けてくるようなそぶりを見せなかった。

「君たち、まだ油断は禁物だぞ」

「わかってますよ、忍野先輩」

 薬袋さんがおよそ後輩らしからぬ態度で忍野先輩を睥睨する。

 それでわたしも、このままで終わるわけはないと言う思いを強くしたのだった。


「千代璃さん大丈夫?」

 ぱちぱちと目をしばたく。心配そうに問う声は薬袋さんのものでも忍野先輩のものでもなかった。同じチームの田中琴子さんがわたしを覗き込んで発したのものだった。

 今回はいきなり現実の世界へ引き戻されたらしい。わたしは倒木に腰を掛けようとして尻餅をつき倒れていたのだった。いったいどういう仕組みになっているのか、裏競技の場となる時間、空間との往復は人の目があったとしてもまったく問題ないらしい。大会前に聞いていた注意では、一般の生徒に気づかれないよう密かに行動しなくてはならない、ということだったが、たぶんそれは表競技を大きく逸脱する行為を窘めたもので、ふつうに参加している限りにおいては気を遣う必要などなかったのだ。

 降り積もった枯れ葉が柔らかいクッションとなって幸い怪我はなかったけれど、あまりにも強引に場面が切り替わった違和感は相当なものだった。わたしは二、三度頭を振った。

「だ、大丈夫っ!」

 田中さんの手を貸してもらい、なんとか起き上がって倒木に腰かける。田中さんがジャージに着いた枯れ葉を払い落としてくれた。

「ありがとう、田中さん」

「ううん。怪我がなくてよかったわ」

 ふたりでしばらく休んでいると、やがて朝霧さんが津田くんを伴い、戻ってきた。

「地図とよく似た地形的な特徴を見つけた。たぶん、あっちだ。もう少し頑張れ」

 津田くんが親指でいま来た方角を指す。

 わたしたちを置きざりにしてただふらふらと勝手に歩き回っているのかと思いきや、リーダーシップを発揮して私たちを引っ張ってくれようという気配りが見える。津田くんという人をわたしは誤解しているのかもしれない。

 津田くんの言うとおり、ほどなくして次のコントロールは発見できたのだった。


 裏競技の第三番目のコントロールは、美しい館があるのどかな風景から始まった。表競技の終盤にさしかかったころだった。遅れがちに歩いている田中さんを気遣ってちょっと振り向いた隙に場面転換が訪れたのだった。

 目の前にさっと霧がかかり、瞬間的にはれるような感じで視界がひらけると、わたしたちは揃ってある風景の前に立ち尽くしていた。

「完成されたビオトープだわ」と薬袋小柚子さんが感嘆をこめて囁いた。

 古めかしいが朽ち果ててはいない館。その館の前を蛇行するように流れる小川。その一帯だけが何百年もそのまま保持されていたかのような、湖沼地帯の一風景だった。小川の両岸にはみごとな水生植物の群れがあって、それが薬袋さんの感嘆となったのだ。

 ビオトープ――記憶の隅からその意味を引っ張り出す。うろ覚えだが、確か生物学か環境学かなにかの用語だった気がする。さまざまな動植物が共生する、環境としての最小単位、という意味だったように思う。

「あの世みたいな場所だな」と忍野先輩が辺りを眺め回した。

「あの世って……先輩見たことあるの?」すかさず薬袋さんが指摘する。

「あ、あるわけないだろ、言葉のアヤだよ!」

 目の前をたゆたう小川には、相当な水量があった。見た目穏やかそうに見えるが、実はけっこう深くて急な流れであることがわかる。その証拠に透き通った川の表面に浮いている植物の枝や葉がかなりの速さで流れ去っていく。

 川幅は五、六メートルだろうか。その小川の向こうに、あのイーゼルがたてられていた。

「全然見えないじゃん」薬袋さんが怒ったように言う。

 たしかにこちら岸からはカンヴァスがよく見えない。辺りを見回しても、対岸へ渡る橋などもない。

「仕方ない」

 と、忍野先輩がジャージの足元をめくり、川に足を踏み入れようとする。

「だめ!」

 わたしは慌てて忍野先輩を止めた。

「は?」

 先ほどからわたしには水辺の植物たちの声が聞こえていたのだ。

「入ってはだめ、入ってはだめ」と制止する植物たちの声が。その声は、どうやらわたしにしか聞こえないようだった。

 しかし忍野先輩は「大丈夫大丈夫」と、わたしの制止を無視して川に足を踏み入れた。

「危ない!」

 とたんに、忍野先輩は足元を掬われ、ざぶんと音をたててたちまち川に流されてしまった。

「きゃあっ!」

 わたしの目には、水の中から先輩を引きずり込む無数の手が見えていたのだった。

「薬袋さん!」

 続けて薬袋さんがジャージの上着をバッと脱ぎすて、鹿のように俊敏な動きで自分から川に飛び込んだ。

「二人とも!」

「くくく……彼にはアレが聞こえなかったみたいだね」

 振り返ると桜庭先輩が口に拳を当てて愉快そうに笑っている。

「あなたがやったんですか?」

「何を言うんだい失敬な。僕はこのとおり、さっきからずっとここに立っていただけだよ」


 わたしは薬袋さんの脱ぎ捨てたジャージをいそいで拾って、二人を追いかけて岸を走った。ふたりはあっという間にわたしの視界から消えた。二人とも溺れてしまったらどうしよう――動転して、二人の名前を呼びながら、岸づたいに下流へと走った。かなり下流まで行ったところで、なんとか岸に上がった忍野先輩がぜえぜえと息を吐きその場に寝転がっているのを発見した。隣には薬袋さんもいた。

「よかった!」

 わたしも息を弾ませて、二人のもとへと駆け寄った。

「やれやれ、酷い目にあった」と、忍野先輩。

「本当に、気をつけてくださいよ」と薬袋さん。

「助かったよ、どうもありがとう」

「どういたしまして」と薬袋さんはやや不満げな声で返した。

「ふたりとも大丈夫?」

 わたしはずぶ濡れの二人のところまで駆け寄って介抱した。

 ジャージの上着を薬袋さんにかけてあげようとすると「待って!」と彼女はまるで水浴び後の動物がするように体をぶるぶると振るって水を飛ばした。

「うわっ、飛ばすなよこっちに!」

「先輩はどうせ濡れてるんだから一緒でしょ」と、わたしの手から上着を受け取って、それから羽織る。その夥しい量のしぶきは容赦なくわたしにも飛んできていた。

「あら失礼!」

「あははー……」

 わたしと忍野先輩は同時に力なく笑った。

「ずいぶん下流まで流されたわね」

 薬袋さんが上流の方を仰ぎ見る。たぶん七、八百メートルは流されたろう。元の場所まで歩いて戻ると、桜庭先輩がそこに待っていて「お疲れさん」とおどけるように言うので、わたしは思わず睨み返してしまった。

「こわ……」誰にも聞こえないようにそう呟くのがわたしだけには聞こえた。

 ふたたび四人が揃って、対岸のカンヴァスを注視した。

「つまりこれはね、物理的に見ろってことではないんだよね」

 桜庭先輩が嘯くので、薬袋さんが苛ついた声で、

「解っているなら先に言っとけっつの」

 砕けた――というよりも明らかに失礼な口調。薬袋さんの中では二人の先輩はすでに先輩扱いではない。

「僕のスタンスは最初に言っておいたはずだよ」

 桜庭先輩も輪をかけて大したもので、薬袋さんが露骨に発した怒りを気にする様子など、おくびにも出さない。

 だが、ついうっかりなのか、わざとなのか、桜庭先輩はかなり重要なことをいまポロリと漏らしてしまったようだ。おかげでわたしはエルフィン寮の佐橋先輩から教えてもらった言葉を思い出すことができた。わたしは心を新たにして、対岸のイーゼルを見た。真っ白いカンヴァスが遠くから目の中に迫るように訴えかけてくる。

「そう……か……」

 わたしの目にはある文字がはっきりと見えていた。他の三人は――桜庭先輩も含めて――かなり長い時間、目を凝らしたり精神を集中させながらカンヴァスの文字を読みあぐねているようすだった。

「何かの絵? よね」薬袋さんはそれが絵画に見えるようだった。

「いや、文字だね。いや、違うな。絵だな」さすがの桜庭先輩も逡巡する。とっかかりが掴めなくて苛々してきたようだ。もっともこの人の場合、ただのぼやきでさえも、わたしたちを嵌める手管かもしれないのだ。

「サッパリわからん」忍野先輩は言いながらも、「今まで字だったんだから、字じゃないのか?」とほとんど推理でしかない自説をのべただけだった。

「絵で言葉を表したものかもしれないわ。江戸時代の判じ物的な、ああいった……」

 薬袋さんはそれきり黙ってしまった。これ以上は相手へのヒントになると思ったのだろう。わたしは終始無言を貫きとおした。わたしにはそれが文字であることが完全にわかっていたし、他の人の意見に迎合したとたんにその事実が崩壊してなくなってしまうような気がしたからだった。一度だけ薬袋さんがわたしに針のような視線を投げてきたが、それでもわたしは口を噤んだ。

 勝ちたいと思ったからではない。わたしは強情なのかもしれない。いや、薄情でさえあるのかもしれない。本当ならこういうとき、皆と意見を戦わせて議論するのは愉しみですらあるはずだ。答えは明言しないまでも、何か一言くらいはこの場で意見を述べてもいいのかもしれない。けれどこれは競技なのだ。言うべきことは言うべきだが、言ってはいけないことは言ってはいけない。わたしは目を瞑って耐えた。

 ちりちり、と胸が痛む。

 わたしの目の中に飛び込んできて、行き場を失いぐるぐる回転しているMという文字が、わたしの心を惑わせた。


  ――自分が傲慢になっていないかを徹底的に疑うんだ。

  ――自分が傲慢になっていないかを徹底的に疑うんだ。

  ――自分が傲慢になっていないかを徹底的に疑うんだ。


「違う!」わたしは叫んでいた。

「な、なによ突然?」薬袋さんがビクリと体をこわばらせる。

「ご、ごめんなさい」わたしはみなに謝罪して、そして「あれは文字です」

 次の瞬間、わたしは断言していたのだった。

 ヒュウ、と桜庭先輩がおどけたように口笛を吹いた。

「へえ……」と薬袋さんが目を見開く。

「なるほど」と、わかったのだかわからないのだか、忍野先輩が頷いた。

 あらためて、みなカンヴァスに視線を投じる。三人とも、納得したように頷きながら、ニヤリと自信ありげに笑ったのだった。


 大会はすでに終盤、表競技のわたしたちのチームは最後のコントロールを発見、あとはゴールを迎えるだけとなった。

「よし。お前ら、よく頑張ったな」

 津田くんがわたしと田中さんを褒めるので、

「ううん。津田くんのおかげよ」

 わたしは彼のことをすっかり見直していた。クラスではわりと短気でずぼらな人だと思っていたのに、こういう場面ではきちんと気を使ってくれるし、フォローもしてくれる。もっとも幼馴染の朝霧さんに対してはぶっきらぼうな態度でぽんぽん悪口雑言を発するので、少し慣れたらわたしもああいう風に扱われてしまうのではという疑いはぬぐい切れないのだが。


 裏競技の方についても、コントロールは残すところあと一つだそうだ。三つ目のコントロールのとき、今までの慣例から全部で四つだというのはわたし以外の寮代表のみなが周知のことだとわかった。なぜかわたしだけが、寮の先輩がたからこういう重要な情報をひとつも聞いていないのだった。寮に戻ったら先輩方に文句のひとつも言ってやりたい気分だった。


 最後のそれは、またも唐突にやってきた。コースも終盤にさしかかり、だんだんと平坦な道になってゆくはずなのに、前を歩く津田くんと朝霧さんがやけに視界の上方に見えている。

「あ、れ?」

 気づけばわたしたちは急峻な山肌をよじ登るように進んでいる。と同時に前を行くふたりと後ろの田中さんとの距離がまるで飴を延ばすようにどんどん開いてゆく――。

「えっ、ええっ!?」

 突然、足元が真っ暗になり、体が急降下をはじめた。まるで闇の穴に向かって落ちていくような――いや、実際落ちていた。

「きゃぁあああっ!!」

 その感覚が十秒ほど続いた後、体の落下は止まった。止まったけれども地に足が着いたという感覚がない。闇の中、体が宙に浮きながら止まっているのだ。

「ここは何処!? みんな! いないの!?」

 これが第四のコントロールならば、他の三人が絶対に現れるはずだ。

 しかし、いくら待ってもその気配がない。

 そのままの姿勢で五分ほどが経過したころ、闇の深奥、足元のもっと奥深くから声がした。

「姫……わが姫……」

「だ、誰?」

 わたしをそんなふうに呼ぶのは、あの人しかいない。

「桜庭先輩ね。その呼び方はやめてくださいと言ったはずです」

「これは失礼。しかし残念ですが、僕は桜庭ではありません」

「では誰なの?」

「今はまだ名乗れません」

「じゃ結構です。早くこの変な術を解いてください」

「解く? 僕は何もしていないですよ。あなたが自ら勝手に、蜘蛛の網にかかったようなものです」

「適当なことを言わないで」

「怖いですね。でも僕はあなたに危害を加えるつもりなんかさらさらないんです。信じてください」

「信じられません」

「本当ですよ。ただほんの少し、お話ししたかっただけです」

「そう言うからには、やっぱり故意にわたしを捕まえたということですよね」

「これは手厳しい。では一言だけ伝えさせてください。そうしたら、あなたを解放しますよ」

「何ですか?」

「シャングリ=ラにおいでなさい」

「行きません。そんな所。あなたシャングリ=ラの人なのね?」

「いいえ。あなたは来ます。やがてあなたはシャングリ=ラに移籍することになる。そしてあなたは僕たちの希望となるのです。ああ、その日が待ち遠しい……」

「そんなことは絶対にありません」

「どうかな……あなたはまだ何も知らないも同然なんですね。いいでしょう。僕たちはあなたの羽化を楽しみにお待ちしていますよ。今日のところはこれで。桜庭もあなたにいろいろ失礼をしたかもしれませんが、どうかご寛恕くださいますよう。それでは、また……」


 私を闇につなぎとめているものがふっ、と融けた。

 視界が戻ってくると、辺り一面に光がさす。そこは第一番目のコントロールの時と同じような、林の中だった。

 わたしを見つけて「遅かったわね」と薬袋さんが言う。

 他の三人も、その場にすでに揃っていた。

 黙ってわたしを見る桜庭先輩の唇が、やけに赤かった。

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