第六回 アフタヌーン・ティーパーティー
窓から見上げる雲間の青が日に増して濃くなってきた。休日前の晩だからと、中途半端に読み進めたままになっていた小説をつい読み耽ってしまい、朝食を終えてもまだ醒めきらぬ頭でただぼうっと景色を眺めていた。夜更かしのせいでまたいつもの頭痛が出るのではと、ひやひやしていたところへノックの音がした。
「奏」
ドアのむこうでシュワルラリカが本とノートを抱えてもじもじしながら立っている。
「あらどうしたの、シュワルラリカ?」
「数学の宿題でわからないところがある。教えて欲しい」
上目遣いにわたしを見る。
「もちろん、いいわよ。さあどうぞ」
この子は、なんて可愛いらしいのだろう、と、思わずこぼれた笑いを隠すこともせず、わたしは彼女を部屋に招き入れた。
シュワルラリカといるのはうれしい。このところわたし自身、彼女の影響を受けてばかりいる。
彼女はわたしが思っていた以上に聡明な女の子だった。おどろくべきスピードでこちらの言葉づかいにも馴染んで、今ではふつうの高校生として少しも違和感なく生活できている。好奇心旺盛で、勉強に限らずあらゆることにつねにアンテナをはりめぐらしている姿勢には頭が下がる。頭の回転が速く、柔軟性も理解力もあり、一たび説明したことはけっして忘れない。しかも熱心な努力家であることが何よりも彼女の向上を支えていた。今は新しいことを学べる機会をえられたことが彼女にとって楽しくてたまらないらしい。そんな彼女を見ていると、数か月もしたらわたしなど学力の面でも追い越されてしまうに違いないと焦りさえ覚えてしまう。
ワーズワースの部屋は基本的にフローリングの洋室だが、その一隅が三畳敷きの小上がりになっていて、わたしがこの部屋に入ったときからすでに、立派な欅の一枚板のテーブルがしつらえられていた。わたしたちはその小上がりの畳の上でテーブルに向き合って座り、小一時間ほど勉強をした。
シュワルラリカは、彼女が生まれ育ったエルフのキダートン領で、かつてこちらにもいたことがあるという養育係から予備知識を得ていたこともあって、いきなりの高等学校レベルの勉強にもついてこられている。ただこちらの世界には当然ならがら疎いので、社会や地理といった教科についてはまだまだ理解を深める必要がありそうだ。
ふと気になって、わたしは聞いてみた。
「常々不思議に思っていたのだけど」
「なあに。奏」
形のよい瞳がわたしを見る。
「大したことじゃないのだけど」とわたしは前置きをして、「シュワルラリカは勉強にとても一所懸命だけれど、こっちの学問――例えば数学とか歴史とか地理なんて、エルフの世界ではどんな役に立つのかなと思って」
すると彼女は「あっ、そういうこと言う?」と拗ねたような態度をする。「やっぱり奏もエルフの国では何か魔法の呪文でも唱えたら立派な館が一晩で建つんじゃないかって思ってるんだ?」
「あ、いや、そんなことは……」
思いもよらない反応をされ、わたしは慌てて否定した。
「こっちの書物をいろいろ読んでみると、わたしたちのことはずいぶん誤解されているみたいね。エルフにだって建築家はいるし、学者だっているわ。それは、やりかたはこっちとは少し違うかもしれないけど、ちゃんと計算だってするんだから。数学を知っていれば役に立つし、他の土地の歴史を学ぶのは自分たちの歴史や未来を考えるのにとても参考になるわ。地理だって、広く世界のなりたちを知るという意味では……」
シュワルラリカはいつになく自分が真剣な態度で主張を重ねていることに気づいたのか、そこで少し躊躇したように、言葉を止めた。
「ごめんなさい。わたしったら何も知らなくて……」
わたしがすまなそうに言うと彼女は、
「ううん。わたしこそつい興奮してしまってごめんなさい。奏があっちのことを知らないのは解っていたはずなのに」
シュワルラリカが見聞を広めたいというのは、こういった認識の隔たりをきらってのことなのだ、とそこではじめて気づいた。彼女はものを知らないわたしを責めない。けれど彼女の中には無知に対する確たる嫌悪があって、それはとりもなおさず自身に対して向けられている。
わたしはあちらの世界のことを何も知らない。シュワルラリカは両方の世界のことを知っている。おのずと見識は広くなるだろうし、考え方だって深くなるだろう。わたしが自分の無知に対して無頓着であるということは、気持ちにおいてもわたしとシュワルラリカの間には雲泥の差があるということ。わたしは忸怩たる思いに囚われた。
「ねえ、あちらの世界、ってどんなところ?」
「うーん……これはわたしの考えなのだけれど」漠然とわたしから聞かれて、シュワルラリカは返答につまりながらも答えてくれた。「あちらもこちらも根本的にそうは変わらないと思うわ。いくぶん自然がおおくて、ものの考え方はおおらかかもしれない。でも考え方って、結局それぞれだから。そもそも本当いうなら、『あちら』も『こちら』もないのよ。同じひとつながりの世界なんだから」
「そうなの? あなたの話を聞いていると、物理法則もなにもかも違う異世界のようにわたしには思えるわ。あなたが壁の中から出てきたとき、わたしはあなたが何かとくべつな出入口を通って、まったく別の世界からやってきたんじゃないかって思ったのだけど」
「あれはただの現象。ふたつの場所はつねに安定して緩くつながっているの。それが人間には分らないだけ。まあ、あっち――と敢えて言うけれど、いつかあなたが、あっちに行くことがあったら、そのときに自分の目で確かめてみるのがいいんじゃないかしら?」
そう言って彼女は少し悪戯っぽく微笑む。
「そうか、そうね……」
「わたしが思うに、もっとも大きな認識の違いは、この世界の人たちがこの場所を『惑星』――つまりひとつの丸い天体、『地球』という認識をしているのと同じように、あちらでは世界をどこまでも平坦で果てのない大地と考えているというところかしら」
「果てのない……大地……」
「それをわたしたちは『アヴレイルズ』と呼んでいるわ」
「アヴレイルズ?」
「言葉通り『平らな土地』という意味よ。あ、もちろんあちらにも山や川はあるんだけどね」
アヴレイルズ。その不思議な響きは、なぜだかわたしの中にあったとても懐かしい気持ちを呼び覚ました。わたしは自分の想像世界のアヴレイルズ――そのどこまでも平坦で自然の多い、美しい土地に心をはせた。
「奏?」
「あ、ああ、ごめんなさい」
「想像していたのね?」
「ええ。いつか行ってみたいわ。シュワルラリカの生まれ育ったところへ」
「うん。奏ならいつでも歓迎するわ。ぜひ!」
彼女はあちらもこちらもたいして変わらないと言うが、それはあくまで彼女の感じ方にすぎない。あらかじめこちらの世界に対する知識を持っていたシュワルラリカでさえ、こちらに来たばかりのときはぎくしゃくしていたのだ。彼女よりもものを知らないわたしがいきなりあちらに行ったって戸惑うばかりだろう。
シュワルラリカが大きく伸びをする。そういうところは人間と変わらないのか、と微笑ましくもある。すると、彼女は片肘をつきながらわたしに呼びかける。
「ねえ、奏……」
声色の変化から察すると、どうも他の話題らしい。
「なに? シュワルラリカ」
「この前の晩のこと」
「この前の晩……ああ、柳の丘の」
わたしが寮をこっそり抜け出してしまったせいで、みなに迷惑をかけてしまった、あの晩のことを言っているのだろう。
「あのときは……ごめんなさい」
「いいのよ。そんなことは」と彼女はややぶっきらぼうに言うと、「ただ……あそこへは、よく行くの?」と聞いた。
「え? まあ……たまにだけど」
「最初から?」
「最初……って?」
シュワルラリカの問いかけの意味を、わたしは量りかねた。何と答えたものかと困惑していると、
「最初からすんなりとあの場所を発見できたのか、っていうことよ」
と、彼女が眉をひそめる。
あの場所にはわたしたち寮生の立ち入りをも拒む、特殊な結界が張りめぐらされていた。そしてそれは、おそらく学園長先生が施した強力なものだ。だとすればこのわたしがあの場所をすんなりと発見できたのは不思議といえば不思議なことだ。
「ここに来たばかりのとき、寮のまわりを散歩していたら、たまたまあの場所を見つけたのだけど……」
おそるおそる言うとシュワルラリカは口を尖らせた。
「あの時も言ったけれど、あそこは本当に特殊な場所なのよ。ふつうの人間はもちろんだけど、わたしたちにも簡単には近づけないようになっていたわ。このわたしでさえ、あの場所に踏み入るのにはかなりの力を使ったのよ。男の子たちはただわたしについてきただけだから、何も感じていないと思うけれど」
「やっぱり危険な場所なの?」
わたしはやや不安になる。累くんたちが話していた例のハープのことを思い出していた。あの音を耳にしたら、二度と帰れなくなる、という……。
「危険、というのとは少し違うわね。何て言ったらいいのか……そう、かなり『重い』場所と言ったらいいのか……」
「重い……場所」
彼女は自分の『力』――それはエルフとしての力のことだ――について相当な自信があるようだ。その彼女をして足を踏み入れるに『重い』と感じさせる結界の中に、わたしがすんなり入ることができたのなら、わたしの力はエルフのそれよりも強いことになってしまわないだろうか。この、自分が何者かもまだわからないわたしの力が? それをシュワルラリカが不審に思っていたのは間違いない。だからこその問いかけなのだろう。
わたしにはあの場所がただの心地よい場所にしか感じられなかった。そんな場所に入ることができたのは不思議ではあるけれど、逆をいうと、やはり妖精としてのわたしの感性は愚鈍で、シュワルラリカに遠く及ばないのだといえなくもない。
「あなたはまだ自分が何ものなのか、判っていないのね?」
「え、ええ……学園長先生からは、わたしが今まで不思議な目に遭ってきたのは、わたしがどうも妖精のたぐいの力を宿しているからだろう、って言われたわ」
するとシュワルラリカは目を丸くして、「それだけ?」と呆れたような表情をした。
「ええ……それで朝乃さんや寮のみんなは、わたしのことをたまに『妖精擬き』なんて呼んだりするのだけど」
「ふーん……」
シュワルラリカの視線に射貫かれてわたしはどぎまぎした。
「な、なにかおかしなことなの?」
「いえ……ただその年齢で、自分が何なのか判らないというのは……」
わたしは反論した。
「だって、累くんだってそうじゃないの? 自分がなんなのか判らないという人はわりとふつうにいるのかと思っていたわ」
シュワルラリカは一瞬視線を落として深く考えに沈みながら、「いえ、そういうこともあるかもしれない……人間界で育った妖精のことはわたしも知らないし」
「そ、そう……」
それきりその話は打ち切りになり、わたしたちはふたたび勉強に戻った。
ふたりで勉強をしているうち、わたしは喉の渇きを覚えたので、「お水を貰ってくるわ」といって食堂に下りていくと、厨房の中でロロ先輩が何やら懸命に洗い物をしている。
「何をしているの? ロロ先輩」
「あ、奏ちゃん。僕こういうの好きなんだよね」と、取り繕ったように言うが、ロロ先輩のそんな姿はかつて見たこともない。あきらかに誰かに何かを調理した後の片付けをやらされている――そんな雰囲気だった。
「スコーンをさ」よく見ると鼻の頭に白っぽい粉がついたままになっている。「焼いたんだよね」
「えっ、ロロ先輩が?」
食べたかったのだろうか。
「いや、
「
悠記さんがスコーンを食べたがり、ロロ先輩が焼いてあげた、というのだろうか。
ロロ先輩と同学年の二年生、珂白悠記先輩は柏葉学園高等学校の生徒会役員、副会長だ。聡明で竹を割ったような性格の彼女は、エルフィン寮の中でもみなに一目置かれる存在だ。
そして彼女は『シルフィード』という風の精である。
「いや、何でもないよ」と、思い直したように首を振る。
きっと悠記さんがスコーンを焼いて、その後片付けをやらされたのだ、とわたしは思った。
「手伝いましょうか」
「えーっ、いいよ。奏ちゃんに手伝わせたなんてバレたらまた珂白にぶっとばさ……」
そこまで言って慌てて口をつぐむロロ先輩。どうせ言ってしまうなら最後まで言えばいいのに。
「それで、悠記さんはどこなんですか?」
「外」と言ってテラスのほうを恨めしげに見る。横庭のほうだろうか、と窓際まで行って覗き込むと芝生の上にいつものテーブルが設えられている。二日月の晩に角くんがいつもテントを張るあたりだ。
「あら」
あれはお茶会の準備ではないか。すると間もなくわたしたちにもお声がかかるのだろうか。
悠記さんは大の紅茶好きで、エルフィン寮でたまに開かれるお茶会は悠記さんが言い出し、指揮をとるのが常だ。
しかし、いつもなら前日あたりに知らせがあって、手の空いている者がみなで準備を手伝うのに。
「シュワルラリカの歓迎会をまだしていなかったろ、だから今日の午後は、歓迎のお茶会にするんだってさ」
「言ってくれたらお手伝いしたのに……」
そこへちょうど、悠記さんがテラスから戻ってきた。わたしたちの会話が耳に入ったらしく、「今日はご招待だから、こっちで準備するわよ」と言う。「主にこいつがね」と笑いながらロロ先輩を指す。
「……」
ロロ先輩は何も言い返せないまま、むすっとした表情で悠記さんを睨み返す。
「だってシュワルラリカの歓迎会なんでしょう? だったらわたしもお手伝いを……」
言いかけると、
「奏はどうせ今日もずっとシュワルラリカと一緒なんでしょ」
「ええ……まあ……」
「だったらサプライズにはならないじゃない。ほら、早く彼女のところに戻って、せいぜい悟られないように相手していて」
なるほど。シュワルラリカには内緒、というわけだったのだ。
午後、突然の招待を受けたシュワルラリカが喜んだのは言うまでもない。
午後のお茶会には、数名の寮生たちが集い、語らった。
風のない、穏やかな、屋外でのお茶会には絶好の日和だった。
珂白悠記先輩、ロロ先輩、角、累、シュワルラリカ、わたしとほかに二年生、三年生の先輩たちが数人ずつ参加した。ただ三年の先輩たちは、お付き合い程度で部屋に戻っていってしまった。柏葉学園高校は一応進学校なので先輩たちはすでに受験体制に入っているのだ。
「あーあ。お茶会もだんだん寂しくなっていくわね」
悠記さんがふと漏らしたひとことに、わたしも寂しさを感じてしまう。どうにかしてその先も、来年も、ずっと続いて欲しい。願うだけでなく、わたしもできる限りのことをしていきたいと思った。
屋外の横庭に設えられたお茶会の席には、ロロ先輩が焼いたというスコーンの他にも、サンドウィッチやクッキー、ケーキ、フルーツといったものがテーブルの上に並べられ、それでも、いつも催されているお茶会よりもいくぶんか豪華なメニューとなった。
「ローズティーもいいけど、僕はアールグレイが好きだな」
などと嘯きながら、ロロ先輩はさきほどからひっきりなしにあれこれ頬張っている。悠記さんに働かされた分の駄賃を取り返さんという勢いである。あんなに食べたらお腹いっぱいで夕食が入らなくなりそうだ。
「ほう、お前が紅茶を語るのか」
悠記さんがロロ先輩の言葉をとがめ、嘲笑を込めて言うと、先輩は肩をすくめて黙りこむ。それも予定調和で、いままで何度も繰り返されてきた場面だった。そういえばこの前のお茶会では、ロロ先輩は紅茶はダージリンに限るとか言っていなかったっけ。
「シュワルラリカは、ずいぶんとこちらに慣れたようね」
悠記さんがころっと表情を変え、シュワルラリカに話を振る。エルフィン寮に寮長はいないけれど、悠記さんは事実上その役割を自然にこなしているところがある。シュワルラリカはティーカップを置いてわたしのほうにやわらかな視線を向ける。姿勢も、立ち居振る舞いも本当に綺麗で、見ているだけで惚れ惚れしてしまう。育ちの良さとはこういうところに現れるんだなあ、と憧れを抱かざるをえない。
「ええ。奏にいろいろ教えてもらっているおかげです」
それも夕食の折にほかの寮生とも幾度か交わされた会話で、毎度なんだかくすぐったいなあ、と思いながらわたしは空を仰ぐ。
もうそろそろ梅雨が開けるのだろう、青空に浮かぶ雲のかたちが夏らしいものになってきている。
悠記さんはこのところ留守がちで、こうしてゆっくりシュワルラリカと会話するのはたぶん初めてだろう。悠記さんはいつも何処かへ出かけていて、寮に帰ってこない日もしばしばだ。何処へ行っていたのか聞くと、「風にさらわれちゃって」などと平気でいう。彼女はシルフだから仕方ない、と朝乃さんは当たり前のように説明する。だからわたしたちは多くを聞かず、そのまま納得するしかない。
シュワルラリカはそのまま悠記さんにつかまってしまったようで、二人で何か話しこんでいる。『学園はどうだ』とか『部屋はどうだ』とか他愛のない会話が漏れ聞こえてきたけれど、人の話にあまり聞き耳を立てるのも良くないと思ってそしらぬふりをしていた。けれどたまに聞こえてしまう言葉の端に『アヴレイルズ』とか『キダートン』といった語句がちりばめられているところから察するに、どうやら『あちらの世界』についての話もしているらしい。悠記さんはあちらの世界に行ったことがあるのかもしれない。
ふたりが話し込んでいるので、わたしひとりだけになってしまい、結局いつものメンバーで固まる結果となってしまった。
「ねえ、奏ちゃん」
隣の累くんがひっそりと声を掛けてきた。
「なに?」
わたしが顔を向けると累くんは、
「あの晩のこと。ぼくいまだに気になっているんだけど、どうしてあんな夜中に、あの場所へ行こうとしたのさ?」
その表情は真剣だ。わたしが人に言えない秘密でも持っているかのように、大袈裟な口ぶりで質問してくるけれど、何と答えたものか躊躇してしまう。大した理由がないからだ。ただあの柳の木に会いたかったからと言ったところで理解してもらえないと思う。
累くんにしてみればわたしの悩みを聞き出して相談に乗ってくれるつもりなのかもしれない。みなに迷惑をかけておいて不遜ではあるけれど、正直なところ放っておいて欲しいと思う。それともせめてもの理由としてつい夜にふらふらと歩き回ってしまうわたしの悪癖について説明しておいた方が良いだろうか。
逡巡していると、角くんが助け船を出してくれた。
「まあ、奏ちゃんだっていろいろあるんだよ」
こういう点では角くんがいちばんデリカシーがある。おかげで話は有耶無耶になりそうだった。
「と、ところで」わたしは話題を無理矢理累くんのほうに向けようとして、「ペリウィンクルは相変わらず?」と取って付けたように質問した。累くんもそれについては躊躇なく答えてくれた。
「そう言えばここ何日か見ないな。そろそろ花の時期も終わりなんじゃない?」
彼はお茶を一口飲んでから何気なく言った。
自分に対する問いかけを拒絶しておいて相手に質問している後ろめたさを感じながらも、あえて累くんに対する問いをかさねた。
わたしの興味は、累くんもわたしと同類なのかどうか、という一点だった。
「ペリウィンクルとは、どんな話をするの」
「他愛ないことだよ。天気の話とか」
「そうね、植物にとってお天気は重要だから」
わたしは植物と交感できるという自分の性質がかなり特殊なものなのではないかと常々考えていた。だからずっと以前からペリウィンクルと会話をしているという累くんの話を聞いて、少しほっとしたのだ。わたしの妖精としての力がさほど珍しくないものなのであれば、あの柳の丘で体験したおかしな感覚についてことさら怯えなくてすむ。
世の中には
わたしの性質はむしろ霊性に関することではないかと思う。わたしには植物の『意思』のようなものがわかってしまう。動物と植物の霊性にはそれぞれの『相』があって、ふつうは交わらない。わたしは動物の相にいながら植物の相が知覚できてしまう。わたしの場合、意思疎通できる植物は限られていて、特に霊性の高い植物に限定されるようだ。
わたしのこの性質は困りもので、例えば土壌汚染や排気ガスなどにさらされている植物たちのことを思うとき、また食物として植物を摂取するとき、いたたまれない苦痛と罪悪感に苛まれてしまうことだ。だからといって食事をとらなければわたしが死んでしまう。
累くんもわたしと同じ性質をもっているのか確かめたい――というのがわたしの本心だった。しかし話してみると、累くんとわたしは根本的に何かが違う気がする。あのとき累くんのペリウィンクルは朝乃さんにも見えていた。よく考えてみるとわたしに話しかけてきた柳やクレマチスは『植物そのもの』だったのに対してペリウィンクルは『花の精』だったのだ。それがどういう違いなのかは、今のわたしには答えが出せない。あの晩、シュワルラリカはわたしの性質について何か気づいているような口ぶりではあった。彼女にもあらためて確かめてみる必要がある。
「また何か、難しいこと考えてるね」
傍らで角くんがまたもわたしのことを見透かしてにやっと笑う。わたしはけんめいに首を横に振ったが、それは否定の意味でなく、自分の狭小な考えを振り払おうとする仕草だった。
「ペリウィンクルが現れなくなったそのかわりに」累くんは言葉を続けた。「津田君と最近よく話すようになったな」
「えっ、津田くん?」
意外な名前が出てドキリとした。
駅前の喫茶店でちづるとの一件があり、さらにクレマチスのことで彼に霊能者呼ばわりされて以来、津田くんと聞くと何となく身構えてしまう。
それに、津田くんと累くんは全然タイプが合いそうにないと思っていたのだけれど。
「……意外だな」
傍らでそう言ったのは角くんだった。わたしと同じ意見を持ったようだ。
「そう? 彼、みんなが思っているほど悪いやつじゃないよ。ちょっと……いや、かなり大雑把だけど」
それについては異論はない。津田くんは根は繊細で気遣いのできる人ではないかと思う。ただ、言葉遣いと態度のせいでずいぶん損をしている、というのはわたしも以前から思っていたことだった。
「彼、駅前の喫茶店でバイトしているらしいんだ。こんど行ってみようかなあ」
「そのお店なら知ってるわ」
わたしがちづるとすでに行ったことを告げると、ふたりとも驚いた。
「シフォンケーキがとっても美味しいのよ。お茶も美味しかったし」
「へえ……」
「じゃあ今度さ、みんなで行かない?」
「いいけど」
累くんの提案に角くんも頷き返した。
結局のところ、みな変化のない日常に厭いているのだ。
「話題は変わるけどさ」
角くんがひそひそ声で体を前倒しにする。
「あのさ、シュワルラリカなんだけど、どうしてこっちの学校なんか来てまで勉強したがるんだろう? 不思議だと思わない? 本人に聞いてみたいと思っていたけど、聞いても大丈夫かな?」
角くんもわたしとまったく同じ疑問を抱いたようだ。
「うーん。あまりそこには触れない方が良いと思うわ」
「やっぱりそうなの?」
「ううん。別の機会ならともかく、さっきわたしとさんざんその話をしていたからよ。わたしがかなりヒートアップさせてしまったから、少なくとも今日のところはやめておいたほうがいいかも……」
「へえ、そうなんだ。何て言ってた?」
「あちらもこちらも似たようなものだ、って。こちらで学ぶこともとても重要なのですってよ」
「そんなものかな」
個人的な会話を人にべらべら喋るのもマナー違反だと思って、ごく簡単に説明した。
「角くんはあっちの世界には行ったことがないの?」
「ないよ」
「行きたいと思う?」
「思わないね」
「どうして?」
「だってあっちでは一角獣なんてそう珍しくもないんでしょ。こっちなら僕は伝説の生き物さ。なんか格好いいじゃん」
なんだか子供っぽい理屈だなあ、と苦笑せざるを得ない。
そしてわたしは気になっていることを角くんに聞いてみることにした。
「この歳まで自分が何者か解らないって言うのは変なの?」
「シュワルラリカがそう言った?」
「ええ、まあ……」
「実は僕もその手の話、よく判らないんだよね。僕だって奏ちゃんと同じで『仲間』に出逢ったのはこの学園に来てからだからね」
「なんだ……そうだったの」
「うん。でも奏ちゃんと違うところは、両親がそんな僕のことを理解してくれていたっていうことなんだ。僕の両親はふつうの人間だけれど、最初からこの学園のことも、僕が何なのかってこともよく知っていたし、ゆくゆくは僕をここの寮へ入れるつもりだったみたいだね。ただ、どうして僕が一角獣なのかってことについては、何かを知っているふうだったけれど、深くは聞かなかったね。なんだか聞くのが怖くてさ」
「その気持ち、なんとなく判る気がするわ」
わたしだって亡くなった両親がわたしについて何かを知っていたかもしれないと思うと、勇気を出して聞いておかなかったのが悔やまれる。でも、所詮それは自分のこと。この学園に来てみんなに出会って、何かわかるかもしれないし、何もわからなければそれはそれでいいと思っている。それよりも両親が受けた不幸を思うと心は痛切に震える。自分が引く外れ籤については、わたしは耐性が高いのか無頓着なのか、たいていのことは我慢できてしまう。しかし、自分の身近な人が受ける苦しみについては、どうしても我慢ができない。
両親のことを思い出して、もう少しで涙があふれてしまいそうになったとき、
「そういえば今年もアレの時期ね……」
悠記さんが思い出したように呟いた。
わたしは慌てて気をとりなおす。
「ああ……アレか!」
ロロ先輩がわくわくしたような表情で拳で片方の掌を叩く。
「アレって何ですか?」
角くんをはじめ、一年のわたしたちにはもちろん理解できない。みなキョトンとしている。
するとロロ先輩が教えてくれた。
「毎年、催しが開かれるんだよ。全校あげての」
「何のです?」
「オリエンテーリング大会。ほら、この周辺って森ばっかりだろ。それを利用してコースを設定してさ」
「へえ、面白そうですね」と累くん。
オリエンテーリングといえば、地図とコンパスを頼りに山の中のポストを探してタイムを競うというあの競技のことだろう。たしかどこか北欧のほうの国が発祥の競技だと聞いたことがある。でも残念ながらわたしにはその程度の知識しかない。
「そうさ。そしてこの大会にはなんと、隠し競技があるのだ」
「隠し競技?」
「校内寮の、対抗戦さ」
「対抗戦? 校内寮どうしが戦うんですか?」
角くんがまだ腑に落ちないといった表情でロロ先輩に聞き返す。
悠記さんが角くんのその質問を受けて、
「毎年寮から一人、選手を出してね、裏競技を戦うのよ」
「えっ!? 裏競技?」
「うん。ちょっと変わったオリエンテーリングなんだけどね」
まだ要領を得ない。
「今年はやっぱり、珂白が出るんだろ。なんたって昨年の準優勝者だからな」
まるで自分のことのように自慢気に言うロロ先輩。
「惜しくもカメリア寮にやられたけどね。でも私は出ないわよ。生徒会側の実行委員なんだから」
「えーっ、そうなのか。じゃ誰を出すんだよ」
「んー。誰にしたらいいかなあ」
「
ロロ先輩と同じく二年の光嶋先輩は寮でも指折りのアスリートだ。陸上部に所属していて、数々の記録も持っているという。休日のこの日、今このお茶会の席にいないのも部活にいそしんでいるからだ。そんな光嶋先輩ならば、きっとオリエンテーリングも得意だろう。
「うーん、でも彼はちょっとどうかしらね」
悠記さんは難色を示した。もしかして、その裏競技というのは、相当ハードなのだろうか。
「なら、角は?」
ロロ先輩が角くんに視線を向ける。
まるでこの席での悠記さんとロロ先輩の話し合いでその出場選手とやらが決まってしまいそうな勢いである。
「えっ、僕?」
「だってお前、得意だろ? 山の中を走り回るの」
「そりゃまあ……」
と、角くんはまんざらでもなさそうな顔をする。たしかに彼なら山野をかけめぐるのは得意だろう。でも、先輩たちの話には何かほかに隠された選抜基準がありそうだ。とくに悠記さんは今ひとつ納得しきっていないような表情をする。
「何か難しい条件でもあるんですか?」
角くんが聞いた。
「人間のものとは少し違う能力を使うのよ。まあ、まだ時間があるから、ゆっくり考えるわ。そういえば、奏」
と、悠記さんがわたしを呼んだ。
「は、はい! 何でしょう!?」
「明日の放課後なんだけど、ちょっと時間ないかな?」
「え、ええ……特にこれといった用はないですけど」
「実は会長から呼ばれていてね、もし暇なら『お伴』を頼みたいのよ」
部活動に属してもいず、これといって趣味もないわたしは、毎日帰寮してもすることがないので、余った時間のほとんどを勉強に充てている。シュワルラリカが来てからはおかげで毎日の勉強時間も楽しく過ごさせてもらっているが、それまでは毎日が退屈といえばたいくつで、わたしも何か部活動に参加しようかしら、と思うこともあった。だから暇かと問われればたいていは暇である。けれど、悠記さんがわたしにおりいって『お伴』だなんて、一体なんのためだろう。
「お伴……ですか? わたしが?」
「うん。奏は
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