第四回 クレマチスとペリウィンクル

 幸郡有福町。わたしはこの小さな町が好きだ。

 最初にここを訪れたのは世話人のかたと柏葉学園高等学校を訪ねたとき。それなりに大きな地方都市で育ち暮らしていたわたしの目にはとても鄙びた町に映ったが、それは負の印象ではなかった。むしろこんなに落ち着いた町でのんびり暮らせることを心ひそかに喜んだ。学園へ向かうスクールバスからはじめて見た窓外の町並みにも他愛のない日本の原風景が感じられ、不安だらけだったわたしの心をいくぶん穏やかにした。

 実をいうとその後、入学してから市街地を訪れたことは数度しかない。その理由は学園と町を行き来する手段がないから、ということにつきる。平日の放課後は登校バスがもうないので、戻りはタクシーを利用するか、永楽というところまで行く町営バスに乗ってあとは四十分ほどの道を歩くかになってしまう。

 そんな事情から、遊びに誘われてもつい億劫になってしまうのだ。遊ぶといったって、ちづると行くのはどうせ量販店か大きなスーパーくらいなものだ。イートインコーナーでアイスクリームか何かを食べて戻るだけのために四十分歩くのもどうか、ましてや学生の身分で高いタクシー代を使うなんて勿体なくてとてもできない、と思ってしまう。思ってしまうからつい、ちづるの誘いを断ってしまうのだ。とはいえ、ちづるの誘い魔ぶりは筋金入りで、いくらわたしに断られても、めげずに毎回誘い続ける。それこそ雨の日だろうが、帰寮手段がなかろうが、お構いなし。すでに惰性と化している。駄目で元々、という姿勢が常態化しているのだ。この田舎町での学園と寮の往復をするだけの毎日が、ちづるにとっては退屈で退屈で堪らないらしい。それなら紅葉寮の誰かを誘えばいいのに、きまってわたしを引っ張り出したがる。彼女は校内寮で生活しているわたしのほうこそ、鬱憤が溜まっているのではないか、可哀想だ――と勝手に誤解しているふしがある。もっとも一番たちの悪いのはわたしだ。そんなちづるを疎ましいとも思わないのだから。どうしてなのかわたしにもよくわからないのだが、その誘いにのったり、断ったりする日々を楽しいとさえ思っている。


 それはシュワルラリカがまだ学園に登校する前のことだった。わたしはちづるの折角の誘いを断り続けるのもなんだか悪い気がして、

「こんど行こうか、例の、シフォンケーキのお店」

 そう言うと、ちづるは小躍りして喜んだ。

「じゃ、今日!」

「きょう?」

 まあいいか。シュワルラリカのことがすこし気になったが、伝言を角くんか累くんにでも頼めば良い。わたし自身このところ彼女とはべったりだったので、たまには息抜きがしたい気持ちもはたらいた。

「本当にいいの?」ちづるが聞く。

「うん。今まで行かれなくてごめんね」

「嬉しいー」


 放課後、ちょうど帰り支度をしていた累くんをつかまえて、きょうは町へ行くことと夕食の時間までには寮に戻ることを寮母の朝乃さんに伝えてもらうようにし、わたしたちはふたりでスクールバスに乗り、町へと向かった。

 町へ出るのはひと月ぶりだった。バスは学園を出るとすぐ、町内を流れる富成川とみなしがわ沿いを並行して走る。しばらくすると橋を渡って信号を折れ、国道に出てまもなくすると、市街地の町並が見えてくる。ちょっとしたバス旅行気分が楽しい。ちづると他愛もない話しをしているうちに、三十分なんてすぐに経ってしまった。

 ちづるは自他ともに認める『恋愛成分多めの夢見る乙女』である。他愛ない話の大部分はその方面に向かいがちだ。彼女はわたしがどんな男の子に興味があるのかを以前からとても知りたがっていて、どうなのよ、と詰め寄られるたびに辟易してしまうのだが、気持ちはなんとなく解らないでもない。彼女には、恋愛話にまったく興味を示さないわたしがどこか醒めているように見えるのだ。だからこそ、その裏にある真実を知りたい。人の好奇心とはそういうふうにはたらくものだ。

 バスは町に着くと、まず駅前のロータリーで少数の生徒たちを降ろす。わたしたちの目的地も駅前の喫茶店なので、駅へ向かう生徒たちと一緒にそこで下車した。このあとバスは駅から少し離れた所にある学園寮を経由して、車庫へと帰る。

 市街地のはずれにある柏葉学園の寮は、男子寮と女子寮に別れている。男子寮は『白雲寮』、女子寮は『紅葉寮』という名がついていて、ここにはと違って、一般の生徒たちが暮らしている。いずれも古くからある寮だというが、わたしは中へ入ったことはない。ちづるの話では部屋の中はとても狭くて『ボロ』だという。その話を聞くたび、わたしは自分があんなにぜいたくな部屋で毎日快適に暮らしていることをとても心苦しく思うのだった。

 駅で下車した生徒たちのほとんどはまっすぐ改札へと向かうが、周辺の商業施設へと向かう生徒たちも少なからずいた。わたしとちづるも目的の場所に向かった。店はすぐにわかった。小さな個人経営の喫茶店といったおもむきの店で、名前は、『銀猫』というらしい。表にはチョーク書きの看板が立っていて、可愛らしいイラストでシフォンケーキが描き込まれていた。赤いペンキで塗られたちいさなドアをくぐって、わたしたちは店内に入った。店内は明るくて感じの良いお店だった。わたしたちは外の見える窓際の奥の席に座った。わたしはカモミールのお茶とシフォンケーキのセットを頼んだ。以前、朝乃さんにもらったあのお茶が美味しかったことを思い出したからだった。


「ねえねえ」と、注文を終えるなりちづるが、「クラスの男子とかはどう? 奏は誰か気になる男の子、いないの?」などと、とうとつに言い出す。

「まさか。いないわよ」

 わたしはつい失笑してしまった。今日こそちづるはその話をぐいぐい押してくるのではないかと、実はひそかに予期していたのだった。ちづるの得意分野について話しを掘り下げられなくて誠に残念だが、そういう感情はにはあまりない。

 ただ、わたしは人が人を好きになる気持ちは理解しているつもりだ。そしてそんな人間に、わたしたちはとても興味を引かれてしまう。朝乃さんは、わたしが角くんのことを好きなのではないかと勘違いしているようだが、人ではないわたしがそんな気持ちを持て余しているように見えることがおかしく、また単純に興味深いのだろうと思う――と、そこまで考えてぴんときた。そういえばちづるは累くんのことがちょっと気になるとか言っていたっけ。わたしと同じ寮に入った累くんのことが、ちづるは聞きたいのに違いない、と。

 しかしちづるの話しはあらぬ方向へと展開した。

「あの人はどうなの?」ちづるが聞く。

「あの人って?」

「またまた、とぼけちゃって。この間、親しげに話していたじゃない。花壇のところで」

「ああ……」と、わたしはそのことにやっと心当たった。

 ちづるがいうあの人とは、津田くんのことだろう。津田つだていくんは、同じクラスの男子のひとりだ。わたしとは五十音順で姓の読みが近いという理由で入学当時から何かと縁がある人だ。会話じたいはほとんどしたことがないけれど、選択授業で隣の席だったり、何かで班組みをするたびに一緒になったりしている。『白雲寮』に属する彼は、ふつうの人間だ。そういえばクラスの女子の誰かが、津田くんはちょっと乱暴で苦手だと言っていたが、わたしは別の意味で彼に苦手意識を持っていた。

 それは、つい数日前のこと。わたしは『不思議』と接しているところを彼に見られてしまったのだ。


「明日は雨が降るよ」

 学園の花壇のあたりを歩いていると、誰かの声がした。何かしらと思って探すと、傍らに咲いているクレマチスの花だった。

「あら、どうもご親切に」

 わたしは立ち止まってお礼をのべた。

「あなた、私の言葉がわかるのね?」

「ええ、もちろん」

「ねえねえ」クレマチスがわたしを呼び、「それならちょっとお願いがあるのだけど。私の根元のほうを見てちょうだい」

「なあに? どうしたの?」

 わたしはクレマチスに近寄って、腰をかがめて根元のほうをさぐった。

「あら、これは?」

 そこにあったのは、金色に輝く小さな缶だった。

「缶詰?」

 缶は底の直径が五センチメートルくらい、高さもそれと同じくらいの円筒形をしていた。ラベルは貼ってなく、プルトップもない。今どき珍しい、缶切りを使わないと開けられないタイプの缶だった。持ち上げてみるとたいへん軽くて、ちょっと振ってみたけれど、中にものが入っているような手応えがない。

「これ、中身は入っているの?」

 開封したようには見えないので、きっと何かは入っているのだろう。

「知らない。きのう、あの子が落としていったのよ。大切なものらしいから、返しておいてくれない?」

「あの子って?」

「知らないの?」

 と言われても、わたしが知るわけがない。まあクレマチスが言うのだから、当然の誰かが落としたものには違いないのだろうが、とっさに思い浮かぶのはエルフィン寮の人だけだ。学内寮はほかにもあるので、それだけでは断定はできない。

「どんな子だったの?」わたしはクレマチスに尋ねた。

「……わかんない」

 せめて性別だけでも、と思って聞いてみるが、「わからない」の一点張り。それでは何の手がかりにもならない。わたしは困ってしまった。大切な物なら、落とし主はもっと困っているだろう。ここへ置いていくわけにもいかないし……。

「何してるんだ?」

 屈み込んだわたしの頭上からとつぜん声がして心臓が飛び出るほど驚いた。

「きゃぁっ!」

 それが津田くんだった。

「わ、悪い……驚かせたか? なんだそれ?」

「な、なんでもない!」

 わたしは缶を後ろ手に隠し、もう一方の手を胸の前で激しく振った。わたしは立ち上がって津田くんを見上げた。上背は角くんと同じか、少し高いくらい。ふだんの言動もわたしの知っている同世代の男の子たちよりどこか大人びている。その大人っぽさは彼の内面から滲み出たもののようにわたしには思われる。

「誰かいたのか?」と、花壇のかげを覗き込む津田くん。

「誰も! ひ、独り言、独り言……」

「そうか。いきなりしゃがみ込むから足でも挫いたのかと思った。大丈夫なら行くぜ」と、津田くんは「おーい」と待たせていた友達のところへ駆けていった。たぶん話の内容までは聞かれていなかったと思うが、わたしのことを変なやつだと思ったことだろう。


 そのときのことを、ちづるもどこかで見ていたのに違いない。

 喫茶店の向かいの席で、ちづるが言う。

「でもさ、津田くんはちょっと苦手だなあ。なんだか不良っぽい感じがして」

 ちづるもやっぱり津田くんのことをそう思っていたのか。

「別に、そんなでもないと思うけど」

 わたしはやんわりと反論する。また変に勘ぐられるかも、と少し思ったけれど、同意できかねた。彼はわたしのことを心配して声をかけてくれたのだ。内面はいい人だと思う。見栄えと態度で相当な損をしていることは否めない人だけれど。

「誰が不良だって?」

 わたしは声のしたほうに目を向ける。そこに立っていたのは、なんとエプロンをつけた津田くん本人だった。ちづるはというと、驚いて跳ね上がっていた。それはそうだろう、陰口を本人に聞かれてしまったのだから。

「あら津田くん。こんにちは」

「どうも」

「どどどどど……」

 ちづるはどうして津田くんがここにいるのかと聞きたいのかもしれないが、言葉になっていない。

「はいよ、お待ちどう様っ」

 ぶっきらぼうにお茶とシフォンケーキを置いて去って行く。

「き、聞かれた?」

「たぶんね……」

 ちづるは座席の陰から彼の去っていたほうを恐る恐る窺って、「な、なんで津田くんがここにいるのよ!?」

「エプロンをしていたから、たぶんここの店員さんだと思うけど。バイトかな?」

 わたしはいたって平静に答える。

「そんな……反則だよう」ちづるは涙目になっている。本気でまずいことを言ったと思っているようだ。がばっとテーブルの上に身を伏せて、「バイトって、うちの学校禁止じゃなかったっけ……」泣きそうな声で言った。

 本人にばれてそんなに青ざめるのなら、最初から言わなければいいのにと思う。

「反則でも禁止でもないわよ。届け出て許可されればオーケーだよ」

 しかし津田くんはいつも絶妙なタイミングでとつぜん現れる。そういう意味では要注意人物かもしれない。

 お会計のときに、津田くんがレジをしてくれたので、

「どうしてここにいるの」と聞くと、

「バイトだよ」と予想どおりの答えが返ってきた。ちづるはわたしの後ろに隠れて、早く立ち去ろうとばかりに、さかんに袖を引く。

「ああ、そうだ」

 お金を払い終えると、津田くんはわたしを呼び止めた。

「なに?」

「お前の同類、いるだろ」

「同類?」

 何のことを言われているのかわからなくてぽかんとした。

「やつに言っておけ。誰にも言わねーし大丈夫だから安心しろってな」

「やつ?」

「わからなければ、いい」とぷいっと奥へ引っ込んでしまった。

 津田くんは、まがりなりにもお店のスタッフさんなのだから、ありがとうの一言くらいあってもいいと思ったのだが、苦情をいう間もなく、ちづるに強引に手をひかれて、後ろを振り返りつつ店を出た。


 店を出るとわたしたちは駅前で別れた。ちづるは相当しょぼくれていた様子だったけれど、しかたがない。戻りのバスの時間が迫っていた。明日学校でフォローしてあげよう。わたしは町営バスにのり、学園内のエルフィン寮へと戻った。


 夕食を終えて部屋に戻るとすぐ、部屋のドアをノックする音がした。

「ちょっといいかしら、奏さん」現れたのは、朝乃さんだった。

「はい。どうぞ」

 わたしは朝乃さんを部屋に招き入れた。入室するなり朝乃さんはわたしが託した『例のもの』を取り出して、「寮母会のみなさんもご存知ないようでしたよ」と、それをテーブルの上に置いた。

 小さな、金色の缶。数日前にクレマチスからわたしに託されたものだ。困り果てたわたしは缶を寮に持ち帰るとすぐ朝乃さんに相談したのだった。朝乃さんはじめ各寮の寮母さんたちは横の連携を大変密にしていて、数日に一度、わたしたちが学校へ行っている時間に、皆で会合を開いている。それを通称『寮母会』というのだが、そこで誰か心当たりがないか聞いてくれるというので、預けてあったのだ。寮母さんたちは寮生たちの健康状態、精神状態にそれは細かく目を光らせてくれている。寮生たちの中に、大切なものを失くしておろおろしている者がいれば、すぐにわかるだろうという。たとえそれが秘密にしておきたいものだったとしても、寮母さんたちの目はごまかせない。だから寮母さんたちにも心当たりがないということになれば、それは寮生の誰かのものではない可能性も生じることになる。そうなると捜索範囲がいっそう広くなってしまう。こうなってはもうわたしの手には負えそうにない。

「そうですか……」

「ただ、椿が言うには……」椿、と朝乃さんが呼ぶのは『カメリア寮』の寮母さんのことだ。「持ち主が判るまでこれは拾い主が保管しておくべきではないか、というのよ」

「わたしが?」

「ええ。なんだか確信がありそうなふうにも見えたわ。あと、これのことはあまり人にふれ回らないほうがいいかもしれない、とも……」

「椿さんはこれについて何かご存知なのでしょうか」

「さあ……。ただ、彼女は森羅万象の命運を読みますからね。必要なこと以外は絶対に言わないですけど」

「なんだか、気分が重いです……」

 わたしはつぶやくと、しぶしぶその缶を受け取った。

「私も引き続き注意はしています。何か問題があったら遠慮なく言ってくださいな」

「はい、ありがとうございます」

「では、私はこれで……」

 朝乃さんが缶を置いて立ち去ろうとしたそのとき、またもノックの音がした。

 累くんだった。

「累くん、どうしたの?」

 累くんは朝乃さんの姿を認めてちょっとだけ躊躇したが、やがて決心したように切り出した。

「実は……相談があって」

「あら、では私は……」朝乃さんが言いかけると、

「あ」累くんが引き止めた。「朝乃さんも、むしろ一緒に」と思い直したように言うので、ふたりで累くんの話を聞くことにした。


「実は……」累くんは深く息をすると、決心したように、「前から、僕には憑きものが憑いているんです」藪から棒に何を何を言い出すのかと思ったが、黙って聞いていると、「いままで、他の人には見えないと思っていたけど、皆さんなら見えるのではないかと」そして、「出ておいで」と累くんは囁いた。

 何もない空間に、光の瞬きが発生し、何かが生まれ出た。8の字を描きながらきらきらと尾を引く。そして手のひらほどの大きさの妖精が現れた。シュワルラリカのような薄い、昆虫のものに似た翅がついている。髪は純白、眼は青。青紫のドレスを身に纏っている。ぱたぱたと器用に翅を動かして気持ちよさそうに滑空し、そして私達の目の前で浮遊したまま停止した。

「こんばんわ、ごきげんよう」とか細い声で、それが喋った。

「まあ、ペリウィンクルね。何て可愛らしい」

 朝乃さんが見ていきなりその正体を看破した。

「やはり、ご存知でしたか」

「ええ。ペリウィンクル。小さくて可愛い花ですよ。日本では蔓桔梗とか蔓日々草などと言いますね」

 さすが朝乃さん、花のことは詳しい。

「花?」

「ええ。この子は花の精です。ここの庭にもこの子のお仲間が、ちょうど咲いていますよ」

「ああ……それで」累くんは納得したように、「ちょうど今ごろの季節になると、いつも現れるんです」

「でも……人に憑くペリウィンクルというのは珍しいわね。ずっとですか?」

 朝乃さんはペリウィンクルをしげしてと観察する。小さな花の精は、にこにこしながら楽しそうに体を揺らしている。

「はい。ぼくが物心ついたときから、こいつは毎年、この時期になると現れてます」

「あなた、ずっとこの累さんに憑いているの?」

 朝乃さんが尋ねるとペリウィンクルはうんうんと首を縦に振って、「わたしはずっとルイとおんなじ」と眼をぱちぱちさせた。

「実は、こいつと話しているところを人に見られてしまって。それで、どうしたものかと」

「人って、ふつうの人ということよね? つまりわたしたちとは違う」

「うん」

「ということは、学校で話しをしていたの? この子と?」

 累くんは転校してきてからまだ学園の外へ出たことがないはず。累くんがふつうの人と接することのできる場所と言えば学校しかない。わたしも人のことはいえないが、累くんもぬかったな、と心で思う。

「こいつ、昔から所構わず出てくるから。人目があるときはいつも無視するんだけど、あの時はそうもいかなくて……」

「でもどうしてその相談を、わたしに?」

 この子のことは、累くんが今までずっと悩んできた『不思議』のひとつなのだろう。でもどうしてわたしなの、と素朴に感じてしまった。

「それで、その相談をわたしに?」

「なんだか、奏ちゃんがいちばん話をきいてくれそうだったから……」

「うふふ」と朝乃さんがわたしを見て笑う。

「なんですか」

「奏さん、すっかり転入生に頼られる存在だわね」

 わたしはふくれっ面をした。それでなくとも厄介な缶詰を預かったせいで気が重いというのに。しかし、それを表に出したところでどうにかなることではない。

「それで、いったい誰に見られたの?」

「同じクラスの津田くん」

「えっ!?」仰天して、つい大声を上げてしまった。

「どうかしましたか? 奏さん」

 どうしたも何も、わたしはそのひとにさっき会ってきたばかりだ。まったくあの津田くんという人は、どこまで要注意人物なのだろう。

「実はわたしも……」

 累くんの話で確信した。津田くんの言う同類、とは累くんのことだったんだ。わたしはふたりに、これまでのいきさつを話した。

「そんなことが……」

 わたしの話を聞いた累くんも納得顔でしきりに頷いた。

 わたしは朝乃さんに、「どうしたらいいでしょう?」と聞いた。

「放っておけばいいんじゃないですか? 誰にも言わないし大丈夫だと彼が言ったのでしょう?」

「それでいいんですか?」

 彼はわたしたちを『同類』と呼んだのだ。わたしたちの特殊性に気づいている。そんな危険な人を、このまま放置しておいてよいのだろうか。彼が黙っているつもりでも、彼の意思にかかわらず彼からわたしたちのことが漏れるとは考えられないだろうか。彼がきっかけで、もしわたしたちのことが公にでもなってしまったらどうする? 例えば学園長先生がこの学校全体に施したような秘術を使って、必要ならば彼のことをどうにかしなくてはならないのではないだろうかと思った。

 すると朝乃さんは、「よほどのことがない限りそんなことはしませんよ。それには学園長だって反対するでしょう」という。

「でも……」

「とにかく、この件は私から学園長の耳にだけは入れておきますから、あなたたちは安心して普段どおりにしていなさい」

「はい」わたしたちは頷いた。

「ところで累くん」わたしはその缶を見せて、「これがその缶なのだけど、あなたは心当たり、ない?」

「さあ……見たこともないな」

 ひょっとしたら累くんのものかもしれないと漠然と想像していたのだが、累くんが全く知らぬふうに、首をひねるのでわたしは少しがっかりした。


 翌日、わたしは教室で、平静を貫いた。累くんにはとくに意識して近づかないように気をつけていた。累くんもおそらくはそのつもりだったのだろう、あちらから話しかけてくることはなかった。

 何とか無事に一日が終わろうとしていた。放課後、鞄に教科書類をしまっていると、

「おい」と、ぶっきらぼうな声が背後からする。

 津田くんだった。ああ、やっぱりきたか、とわたしは覚悟を決めた。 

「少しいいか?」

「あ、うん」

 身構えて彼の言葉を待つ。

 すると彼は、「アレはどうにかなんねえのかな」と、決まり悪そうに切り出した。

「あれ……って?」

「なんつったっけ、お前と仲のいい……」

 てっきりこの前の花壇の件か、あるいは累くんのことかと思って聞いていると、何かようすが違う。

「い……なんか難しい読み方のやつ」

 わたしが当惑顔で首を傾げると、

「ほら、昨日お前と一緒に叔父貴の店に来てた女だよ」

「あ……ちづるのことか」

「そう、それ。ナントカちづる」

諌早いさはやね」

 言われて見れば彼女の苗字の読み方は知らない人には読み難いかもしれない。そういえばちづるも今日はわたしたち以上に津田くんのことを意識しまくっていた。彼女の場合はもう露骨にそれとわかるほどに。

「あいつが別にそれでいいっていうんなら俺は構わないけど、ずっとアレをやるのも疲れるだろ?」

 ちづるは昨日喫茶店で津田くんの悪口めいたことを言って、偶然本人に聞かれてしまったことを気にやんで、今日は彼とニアミスしないように、こそこそと逃げ隠れしてばかりいた。津田くんの言う通り、ずっとあれを続けるのは疲れるだろうなあと思う。

「たしかにね。見ているほうも疲れるわ」

「だろ? 俺、実はああいうこと言われるのは慣れてるんだ。中学ん時もそうだった。態度悪いからな」

「自覚は……あるんだ」

「あるよ」と、素直に認めた。「だから、あんなの気にすんなって伝えてやって欲しいんだが」

 そこは反省して直すよう努力する、とかではないのか。

「自分で言ってあげたら?」

「だから、言う機会がねえの。すぐ逃げるし」

 津田くんのほうも今日はそれで葛藤していたんだ、と思った。でもなんだか、こんなことに一所懸命な津田くんが可笑しくなってきて、くすりと声に出して笑ってしまう。

「な、何笑ってんだよ」

「ううん。わかったわ。彼女にはわたしから伝えておくね」

「ああ。よろしく頼むわ」

 こういう所は見た目や態度と違って意外に細やかな人だという気がする。

「そういえば、津田くんはどうしてあのお店で働いているの?」

「ああ……あの店は俺の叔父が開いた店なんだよ」

「へえ……そうなんだ」

 そういえばさっき、『叔父貴の店』と言っていた。

「昔からこの近くで畑をやっていたんだけど、やっぱり農業だけじゃ食っていけないって、持っていた土地を少し売って、その金で夢だった喫茶店を開いたんだ。まあ親戚うちじゃ道楽だってバカにされてるんだけどな」

「そうだったの。でもシフォンケーキはとても美味しかったわ」

「そうか。ならこれからも贔屓にしてくれると有り難い」と、津田くんはまるで昔の商人みたいなことを言う。

「わたしはあまり行かれないと思うけど……」

「ヒマとカネのある時でいいからさ。あ、そうだ。ついでにお前たちもあまり気にしなくていいぞ。俺、何も見てねえから」

 というのにはピンときた。きっとわたしと累くんのこと。クレマチスとわたし、そしてペリウィンクルと累くんのことだ。やはり彼はあの会話を聞いていたのだろう。

「うん」

「死んだうちのじーちゃんも妙なものを見る体質だったんだよ。だからそういうやつは慣れてる。霊感、っての? お前らもそうなんだろ? 霊能者とか」

「れ……」

 違うけれど。

 わたしはぽかんとして、それから思わず噴き出しそうになった。

「な、何か見えたの?」

「だから、見てねえっつってんだろーが」

「あははっ」

「な、何が可笑しい!」

「ううん。ごめんね」わたしは笑いをかみ殺して「まあ、似たようなものなのだけれど」

「ほら、ヤッパリそうじゃないか」

「うんうん」

「ニコニコすんな」

 ムキになった津田くんがなんだかとても可愛らしい男の子に見えてきてしまって、わたしはあとからあとからこみ上げてくる感情を落ち着かせるのにとても苦労した。

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