#3 離れられない夜
その日は、夕方で二人を住処に返し、カゲロウは自宅である寮へ戻る事にした。フウチョウ達の飼育担当になってからというもの、毎日が苦労の連続で、カゲロウの身体は既にクタクタになっていた。
「カゲロウ、大丈夫かお前、何か疲れてねェ?」
「私らで良かったら相談乗るから言ってよね」
寮に暮らす仲間たちが、カゲロウを心配して声をかけてくる。でも、今はそれもあまり必要ではなかった。とにかく、今は一人になって、休みたい気分だったのだ。
カゲロウは部屋に入ると、冷蔵庫から一本、缶ビールを取り出した。そして、勢いよく飲み干すと、そのままベッドに仰向けになって倒れ込んだ。
カゲロウは、ボンヤリと天井を見つめていた。疲労とアルコールの相乗効果で、思考が上手く働かない。やがて、徐々に瞼が重くなり、視界が暗くなっていくのを感じた。
「どうした?ウかないカオをしているな?」
突然、聞き覚えのある声が、カゲロウの耳に飛び込んできたので、カゲロウは目を開けた。ところが、目の前は真っ暗だった。
「どうしてそんなクラいカオをしているんだ?」
もう一つ、聞き覚えのある声がした。カゲロウはきょろきょろと、真っ暗な空間を見回した。
「まぁワレワレのクロほどではないがな」
「だぁっ!?」
正面に向き直ると、カゲロウは驚くあまり奇声をあげながらベッドから転がり落ちた。夕方別れたはずのフウチョウ達が、何故か今、自分の目の前にいる。
何故?何故コイツらがここにいるんだ?あまりも突然の事に、カゲロウの思考回路は混乱していた。一先ず、自分が二人と別れた後何をしたかを思い出すことから始めた。二人を住処に返した後、車で1時間ほど走って寮に辿り着き、仲間たちに声をかけられるも適当に返事を返して部屋に入り、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し飲み干して、そのままベッドに倒れ込んだ。その後の記憶が曖昧だ。だが、確かにフウチョウ達とは別れたのだから、今目の前にいることはおかしい。
「みろこのクロさを、ヒカリをもスいコむホンモノのクロだ」
「ちなみにグリーン車をアラワすキゴウもクロだ」
カゲロウが記憶を整理している間、フウチョウ達はなにやら訳の分からない会話をしていた。
「でもナマエはグリーンでクロではないな」
「そもそもグリーン車のキゴウがクロとはカギらないこともあるな」
「そうだな」
「ウカツだったな」
「マッタくだ」
「マのヌけたアイボウをモつとクロウする」
「クロだけにか?」
「ウマいな」
「うふふ」
「うふふ」
「おいおめーら、その、なんだ、あの、何でいるの?何してんの?ここ、俺んちなんだけど?」
カゲロウは、ひとまず訊くのが手っ取り早いと思い訊いてみることにした。ところが、フウチョウ達はカゲロウの事などまるで無視して話を続けていた。
「クロといえばな」
「なんだ」
「このマエクロスワードパズルというモノをやった」
「ナゼだ?」
「クロとイうコトバがハイっているだけでなんかキになる」
「それでどうだった」
「ベツにクロはカンケイなかった」
「そうだろうな」
「いや!だから!お前ら何しに来たんだよ!?」
カゲロウは、さっきよりも大きな声でフウチョウ達に言った。それでもなお、フウチョウ達は訳の分からない会話を続けている。
「ワタシもクロでオモいだした」
「なんだ?」
「サーバルのワザのナマエなんだったっけ」
「レップウのサバンナクロー」
「それだ」
「それがどうかしたか」
「クローとはどういうイミだ?」
「エイゴでツメというイミだ」
「クロはカンケイないな」
「だがモトモトのツメのイロはクロかもしれんぞ」
「だー!もう!クロクロうっせー!!そんなに黒が好きなら焼き鳥にして真っ黒にすっぞ!!」
「といったところでコンシュウはオヒラキ」
「またライシュウ」
「どうもアリガトウございましたー」
「バァイ」
ようやくカゲロウの言葉を拾ったかと思ったその瞬間、まるで漫才の締めのような事を言ったかと思うと、フウチョウ達は忽然と姿を消してしまった。カゲロウは、真っ暗な何もない空間に一人取り残された。
「……いや、結局何しに来たんだよ!!」
何もない、虚空に向かって、カゲロウは腹の底からそう叫んだ。その瞬間、カゲロウの視界が眩しい光で覆われた。次の瞬間、目の前には、見覚えのある天井があった。自分の部屋の天井と、そこにぶら下がっている照明だった。
時計を見る。丁度夜の12時だった。部屋に帰って来たのが夕方6時ごろだったので、いつの間にか眠ってしまっていたのだと、カゲロウは気づいた。
それと同時に、きっと、今さっき見た光景は夢に違いないと、カゲロウは思った。あの二人に振り回されるあまり、ついに夢の中でまで振り回されるようになってしまったのだと思った。が、そこまで考えて、なんだか急にバカバカしくなり、カゲロウは一つ小さく鼻で笑って、再びベッドに倒れ込んだ。
ところが、次の日も、その次の日の夜も、カゲロウの夢にフウチョウ達が現れては、何か訳の分からない会話を目の前でひたすら繰り広げては漫才の締めのような事をして消えていき、その後カゲロウが何か思ったことを言葉を口にしたところで目が覚めるという、こういったことが続いた。初めは夢だと思っていたのだが、繰り返し夢の中で二人と会ううちに、これが実は夢ではなく現実であるような気が、カゲロウはしてきた。夢の中で二人が繰り広げる訳の分からない会話にカゲロウがツッコミを入れることが常態化していたのだが、夢の中でツッコミを入れた後の喉の渇きや疲労感が、そのまま夢から覚めた後にも残っているのだった。単に夢とシンクロして、自分が寝言を言っているだけかもしれないと思い、カゲロウは隣の部屋に住む同期に訊いてみた。彼は、毎日夜中の2時くらいまで起きていてはゲームをしている上に、イヤホンやヘッドホンをしないので、自分が夢を見ている時に何か大きな声で寝言を言っていれば、聞こえているはずだと、カゲロウは考えていた。
ところが、その同期は、ここ数日、カゲロウが夢を見ていたであろう時間帯にはずっと自分の部屋にいたが、カゲロウの叫ぶ声が聞こえたことはなかったと言った。
結局、この夢なのか現実なのかがわからない夢のような何かを見るという現象が、カゲロウが自分の部屋に帰って眠りについた時に起こるという事が、この後何日も続いた。そして、夢で体感した疲労感はそのまま現実にも持ちこされるため、気がつけば、カゲロウはすっかりやつれてしまっていた。
でも、カゲロウは自分の仕事を休むことはしなかった。フウチョウ達の世話は、上司が自分を信頼して任せてくれた仕事であり、カゲロウ自身も、上司の事を信頼していた。上司は、カゲロウにしかこの仕事は頼めないと言った。でもカゲロウは、自分が特別優秀だとは思っていない。同じ部署の仲間たちにも、いいところを持った奴らが沢山いると思っていた。それでも、カゲロウにしか頼めないと言って来たのだ。期待と信頼を、裏切るわけにはいかない。
そして何より、なんだかんだ言っても、フウチョウ達と一緒にいるのが楽しいと思う自分がいた。カゲロウがこのジャパリパークにフレンズの飼育員として就職したのは、元々動物と触れ合うことが好きなのもあったが、動物と言葉を交わして、友達になって、暮らしを共にする。そんな、子供の頃絵本で見たような、夢のような生活を一度体験してみたかったからだ。楽しい事ばかりではない。苦しい時もある。ちょっとした擦れ違いから、フレンズと喧嘩してしまうことだってある。それでも、このジャパリパークで働きながら、フレンズ達と一緒にいることが、とにかく、楽しいのだ。
その日はまた、日差しが強く、気温の高い日だった。カゲロウは車を走らせて、フウチョウ達の住処に辿り着いた。そして、いつも待ち合わせている場所に向かって歩き始めた、はずだったのだが。
急に、脚の力が抜けるのを、カゲロウは感じた。そして、そのまま膝をついた。もう一度立ち上がろうとするが、脚に全く力が入らない。動けない。
次の瞬間、スイッチが切れたように、眩しい日差しに照らされていたはずの視界が一転して、真っ暗になった。
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