21

揺れる感覚に意識が覚醒する。

それなのに、視界は閉ざされていた。開けようと思っても開くことがない。

左右には暖かな感覚があり、耳を澄ませば声が聞こえる。


「…………てるね」

「…………るのよ。…………ましょ」


男女の声。途切れ途切れだが、聞き覚えがある。

ふと、瞳が勝手に開いた。


「ふわぁ」

(勝手に……いや、これが過去の体験……)


理解した。

そのまま体験するのだと。

薄く開かれた瞳が、楽しそうに話す後ろ姿をボーッと見つめた。


(おじさんとおばさん……)


懐かしい姿に、胸が熱くなる。

車の中。視線が動き、左右を往復する。

見た目が全く変わらない二人の女の子が、俺の腕に掴まって寝ていた。

六年生のアリスと双葉。

だが、なんで双葉が居るのだろうか?

双葉は風邪で寝込んで……いや、考えるのは後にしよう。

これは、過去に起きた光景なのだとしたら、記憶のほうが間違っている可能性が高い。

白兎の言っていた帽子屋。関係があるのかも……


「あら、起きたの?」

「暑かったかな?」

「いえ、大丈夫。です」


大きく欠伸しながら返事をする。

まだ事故が起こる前だ。穏やかな会話が心地よく感じられる。

この後に、事故が起こるとしても……


「あふっ」


固定されている腕を無理矢理に動かして出てくる涙を拭う。

まだ眠いと体は訴えていた。


「おはよう。わたしの白兎」

「双葉。起きたんだ」


右腕にくっついていた双葉が体を起こした。

そう。双葉だ。アリスじゃない。

自分の頭の中で一つの回答が生まれた。

双葉とアリスが入れ替わっているという回答だ。


「起こしたのはあなたよ? もう、強引なんだから」


艶かしく肩にかかる髪を払い、俺の肩に頭を乗せる。


「ちょっと、双葉?」

「嫌なの?」


唇を尖らせ、上目遣いで睨んでくる。

別に嫌ではない。でも……


「アリスやおじさん。おばさんが居るんだよ?」


アリスを起こさないように小声で話せば、キョトンと目を丸くし、すぐに肩を震わせる。


「大丈夫よ。アリスはちょっとやそっとじゃ起きないわ。父さんたちも、少しくらい見逃してくれるわよ。あなたのこと。気に入ってるもの」

「いや、でも……」


気恥ずかしさに、顔が赤くなる。

双葉はいつもこんな調子でくっついてきていた。

呼ぶときも「わたしの白兎」と呼んで自分のものだと周囲にアピールしていた。

懐かしい。そうだったではないか。

なんで、忘れていたのか。不思議でならないくらいだ。

特異能力であるならば、物凄い力だ。世界すら、狂わせそうだ。


「ほら、ほら、ほら」


胸元を撫で、お腹、さらに下の方まで手を下ろしていく。

右腕は封じられていて、止めるにはアリスを起こして左腕を使わないといけなかった。

でも、このタイミングで起こしたくない気持ちが強く、動くに動けない。


「我慢しちゃって。可愛いわね」


とても同い年とは思えない。

だが、双葉はずっとそうだった。俺の知らない知識をたくさん持っていて、ことあるごとに辱しめたり、からかったりしてきた。

この時は、ただただ迷惑でしかなかったが、今にして思えば不安だったのかもしれない。

お隣さんとはいえ、ずっと側に居られるわけでない。いつか別れる可能性もあるし、俺が他の子に恋する可能性もある。アリスの存在も大きかったはずだ。

いつも後ろに着いてきて、俺を兄のように慕っていた。邪険にすることが出来ずに甘やかす姿を幾度も目撃されている。

危機感が、双葉を行動的にさせたのだろう。

今の双葉。いや、アリスだって、積極的になったのはあの手紙からだった。


少しの変化が、大きな岐路になることがあるのだろう。


まあ、冷静で居られるのは当事者ではなく。見てるだけだからなんだけどな。実際に体験していたら、顔が真っ赤になって下を向き、思考どころではないはずだ。


「双葉……」

「いいじゃない。少しくらい」

「駄目だって」

「もう。ケチね」

「はぁ」


ようやく撫でる手が離れる。

ちらりと、アリスを盗み見ると……


「っ!!」


睨まれていた。

ジッと薄く目を開けて、親の敵のように睨まれている。


「もう、いいですよね?」


アリスが体で隠した右手を開く。

そこに仮面が、どこからともなく現れる。

ゆったりとした動きでその仮面を顔につける。


世界は、色を変えた。



気がつくと、ワンダーランドに放り出されていた。

高速道路であることは確かだが、車は一台も居ない。道路にそのまま投げられ、動揺して動くことが出来ない。


「なっなにが?」

「あなた」

「あっああ。双葉。アリス。白兎。大丈夫か」


おじさんとおばさんの方が冷静であった。

唐突な出来事にも関わらず、真っ先に俺たちの心配をする。不安もあるだろうに表に出そうとはしない。


「アリスが居ないわ」

「どこに行ったんだろう!?」


腕に抱きついたままの双葉。反対側に居たはずのアリスが忽然と姿を消している。


「探さないと。だが、ここはどこだ?」

「分からないけど、不気味なところね」


今ほど荒廃はしていない。

高速道路で、周囲にあるのが山ばかりだからかもしれない。近くに人の気配はなく。

ここに居るのは俺たちのようだった。

空には、赤い星と黒い太陽。紫の雲が禍々しく俺たちを見下ろしている。


「さっきまでたくさん走っていた車もない。どうするべきか……」

「ゲームや漫画ならステータスとかあるかもしれないわよ?」

「現実にはそんなもの。無いよ。あったら嬉しいけど……しかし、アリスはどこに、困ったな」


おじさんとおばさんが互いに言葉を投げ合っているけれど、その中になかなか入れずにいた。

双葉は、不安そうに体を揺らしながらギュッと腕に抱きついてくる。

女の子特有の柔らかさにドキドキし、不思議な世界をどうしたらいいのか分からなくて頭が回っていないこの時の俺は、右手を見つめる。

さっきまでアリスがやっていたことを思い出す。

夢でも見ているかのような光景に、憎らしい相手を見たような形相。


「気のせい。だよね?」


グーパーを繰り返す。

そこあるのは、なん変哲もない手のひら。仮面なんて出てこない。


「何をやっているのよ?」

「分からない」

「なら、そんなことしてないでアリスを探してわたしを守りなさいな」

「うん」


おじさん。おばさんの話し合いは終わらない。ゲームや漫画などが好きだから、今の状況をわりと楽しんでいるようにも見えた。

あーでもない。こーでもないと言い合う二人のイキイキとした横顔は少しの安心感を与えてくれる。

着いていけば大丈夫だと。思えるくらいには……


「うわっ」

「白兎!?」


不意に、手のひらへと現れたのは白兎の仮面だ。

不思議な国のアリスに出てきそうで、現実の白い兎とは違って人間的でありながら、兎の姿をしている。

人と兎を足して兎を強く残して二で割ったような仮面は、アリスの持っていた女王の仮面を彷彿とさせる。


「それ、どうしたのよ? 」

「いきなり出てきた。被って、みるよ」


震える手。双葉が腕を離し、二歩、三歩と距離を置いた。

こくりと頷き、一気に着ける。

意識が、遠のく。


『初めまして。ぼくは白兎しろうさぎ。きみは白兎と書いて白兎はくとって呼ぶんだよね?』

(そう、だよ?)


頭の中で直接響く声。

それに思考で返事をすると、困ったよう波長を感じた。


『何も知らないきみが、どうやってぼくを呼んだのか分からない。よく。呼べたね』

(アリスの真似。しただけ)

『そうか。うん。大体分かったよ。ぼくに体を預けてくれるなら、他の人にこの世界とぼくたちのことを説明出来る。した方が、いいかな?』

(お願いします)


即答だった。

数秒も考えずに、訳の分からない白兎に体を貸し与えた。

どこか信頼していたのだ。


白兎は、悪いことはしない。と……


『分かった。じゃあ、しばらく借りるよ』


意識が奥に追いやられ、白兎が前へと出ていく。

その後、この世界。仮面。特異能力など、猫先輩から教わったことをおじさんたちへと伝えられ、ようやく。この世界を探索する準備が整った。


アリスの捜索と脱出を目標とした探検が始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る