20

無事に家に帰りつき、ホッと息を吐いた。

双葉から色々と話しかけられたが、今晩の夕食や謝罪などで何をしていたのかの話は全くだった。

帰らなかったことについて話したくない。その一点だけは徹底しているのに、俺と会話はしたいようであり何度も返事を求められた。


でも、俺の頭の中には未だに猫先輩の顔が浮かんでしまう。

気がつくと、血飛沫と肉片飛び交う裏路地を思い出し、気分が悪くなる。

全く知らない人だったなら、ここまではならないのかもしれない。

少し前まで話していた人の死。重く心にのしかかっていた。


「大丈夫ですか?」

「多分、な」

「無理はしないでください。部屋で休んでください。その間に、ご飯を作ります。あまり、連想しないものを作りますので」

「悪い」


顔色も相当悪くなっていたのだろう。双葉と歩いていた時はまだ落ち着いていたのに、時間が経つたびに罪悪感と後悔が押し寄せ、胃と心を重くしていた。

胃の中にあるものが逆流してきそうになるのを口を抑えて止め、喉の奥へと押しやる。

酸っぱさが口に広がり、気分の悪さが増してくる。


休もう。ゆっくりと寝れば落ち着くはずだ。


ベッドへ仰向けに寝転がる。

天井を眺めながら、細く。長い息を吐いた。

言葉にならない感情を息に乗せて吐き出すと、少しだけ気持ちが落ち着く。

目を閉じる。

まぶたの裏にはあの光景が焼き付き、その奥には、助けを求めて手を伸ばすアリスの姿。


ギュッと心臓が握られたように痛んだ。


胸元を握りしめ、溢れそうな涙を腕で抑える。


「悔しい、な」


何も出来ない無力な自分が嫌になる。

進歩が何もない。

こうなる前に、猫先輩はあの世界を終わらそうとしていた。それに協力していたはずなのに、そうしていなかったのではないかと考えてしまう。


「どうすれば……」


託されたのかもしれないけど、こなせる気がしない。

何せ、力がないのだ。仮面は反応しない。どうすればいいのかも分からない。

ずっと、頼りきっていた。その支えが無くなり、心が怯えている。


『………………ねぇ』


右手を広げる。

仮面など出てこないと分かっていても、そうしてしまう自分が居た。

頭の中に響く声は、責めているようにも聞こえる。


『………………える?』

「何だ?」


ちょっと待て。

なんで、声が聞こえる?

微かだけど、確かに聞こえる声に聞き覚えがない。


「誰か居るのか?」


体を起こし、辺りを見回す。

誰も居ない。クローゼットや押し入れを空けるが、隠れている訳でもない。そもそも、頭に直接響くのだ。


時折聞こえる。『助けて』のように……


『…………届かない? 聞こえない?』

「聞こえてる。だんだん、聞こえ始めた」

白兎はくと。ぼくを、呼んで?』

「俺を知ってるのか? いや、呼んでって……まさか、な」


手のひらを広げて集中し、頭の中で呼び掛ける。


白兎しろうさぎ……と。


瞬間。手のひらに仮面が浮かぶ。

ここはワンダーランドではないにも関わらず、だ。


「なんで、これが……」

『着けて。話したいこと。ある』

「分かった」


躊躇いはなかった。

何度もつけている仮面だ。仮に意識を持っていたとしても変わりはしない。

身体強化だけしかなくとも。助けられたことは確かなのだ。

着けた瞬間。視界がホワイトアウトし、ぐるりと体が回転する感覚があった。

意識が、途切れる。



意識が、落ちていく。

眠るように、下へ下へと沈んでいく。


「ここは……」


落ちる感覚はあるのに、視界は開けていた。

空には光があり、闇へと落ちていく。

危険に思えた。なのに、体は上へと行こうとはしない。勝手に下を目指す。

闇に目を凝らせば、いつかの光景が見える。

浩介とゲームセンターへ行った時。

猫先輩と二人きりの教室。

有村と浩介と話した喫茶店。

闇に埋もれながらも、その光景が確かに見える。


『ありがとう。来てくれて』

「白兎。なのか?」

『そうだよ。ぼくは白兎。きみの仮面に宿る魂。今まで話せなくて……ごめんなさい』


目の前に現れたのは透けて、今にも消えてしまいそうな白い兎。小学生ほどの大きさで二足歩行出来るのかしっかりと二本足で立っている。

頭を下げて謝罪の意を示すと、顔を上げ、赤い瞳をこちらに向けた。


『ぼくは、ずっと捕まっていた。力も、意識も、そのほとんどを奪われ、今はこうして姿を見せるので精一杯』

「なんで、もっと早く話しかけてくれなかったんだ?」

『チャシャ猫が、ぼくの一部を救いだしてくれたから話せるんだ。捕らわれる一瞬の隙をついて、ね。きみは、見たはずだよ。そして、ぼくを受け取った。知らず知らずのうちに』


じゃあ、あの時の猫がチャシャ猫なのか?

ふてぶてしい笑顔が見えた気がしたのは、偶然じゃないってことか?


『きみは、救いたいよね?』

「何を。って聞いてもいいのか?」

『大切な人を。夢にまで見るほどに、大切な人。居るよね?』

「アリス……」


口にして何か違和感がある。

何だろうか?

間違えている気がする。それなのに、その間違えが分からない。


『帽子屋のせいだよ。何も間違ってない。でも、何もかも間違ってる。だから、ぼくが必要なんだよ』


一歩前に出ると、背中に手を回し、懐中時計をどこからか取り出した。

服を着ていないのに、どこから取り出したんだと言いたいところではあるが、背中にくっついてると言われそうなので閉口する。


『きみの過去を見せる。今、ぼくに出来ることはそれだけだ。正しい過去。ぼくの見た過去を、知って欲しい。その上で、どうするかを考えて』

「分かった。分からないけど、分かった」


過去を見せる。そんなことが出来るなんて思えない。でも、特異能力であるならば話は変わる。

猫先輩が、唐突に現れたのと同じ力であるならば、可能なんだと思えた。


『いくよ。時計に触れて』

「ああ」


通り抜けるのではと思うほどに透けた時計に手を乗せる。


意識が、吸い込まれ……世界が再び白く染まる。


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