19

世界が色と喧騒を取り戻す。

グラグラと揺れるような足取りをなんとか落ち着かせ、細く長い息を吐いた。


「戻ってきた」


頭の中で、まだアイの言葉がぐるぐるとしている。


「女王様によろしく……か。やっぱり、アイが一番真実に近いんだよな」


双葉とアイ。二人から話を聞かなければならない。だが、アイはあの世界でしか話せず、双葉とは会うことも連絡を取ることも出来ない。

大変な状況だが、みんなの手を取り合えば、きっと……


「きゃああああああああ!!!」

「悲鳴!?」


近くで聞こえる悲鳴。パトカーや救急車を呼べなんて声も混ざって聞こえる。

邪魔者の一人になるだろうことは分かっている。それでも、行かなければならないと使命感が体の奥底から沸き上がり、駆け出した。

助けになることがあるかもしれない、と。


「ここ、か?」


人混みが、路地裏に繋がる道を完全に塞いでいる。

警察の姿などが見えないことから、まだ到着してないのだと推測し、人混みを掻き分けて何が起こっているのかを確認しに行く。

満員電車のようにぎゅうぎゅうになって我先に現場を確認しようとしている野次馬。その手には携帯が握られている。写真を撮って拡散しようとしているのが丸分かりだ。


「すいません。すい、ません」


無理矢理に人混みを掻き分け、バッと開けた空間に出た。


「うっ!!」


鼻を抑え、一歩下がる。

悲惨な光景が目の前に広がっていた。

血があちこちに飛び交い、体のパーツらしき肉片が転がっている。服の残骸らしきものが血に浮かんでいるが、どんな服だったのか分からないほどにバラバラだ。

後ろでは、好機と嫌悪の視線が入り交じり、子供を連れて立ち去ろうとする人や下卑た笑みを浮かべながら携帯を構える人など反応は様々。

しかし、これは……


「ワンダーランド。だが、誰が……」


気分の悪さを堪え、周囲を見回す。


「にゃーん」


猫が居た。

こちらをジッと見つめるその猫と目が合うと、一瞬だけふてぶてしい笑顔が見えた。


「まっ……さか……」


ハッとしながら、教えてもらった電話番号にコールしてみる。

一秒。二秒とコール音が鳴る。

出て。出て。出てと頭の中で何度も繰り返す。


「にゃ!!」


路地裏の奥。反対方向から猫が駆けてくる。

何かに驚いたかのように全力で……

向こうで何かあっただけ。そう思えばいいはずなのに、俺の中には一つの答えが浮かび上がる。

携帯を閉じ、人混みを掻き分けて反対側へと急ぐ。

サイレンの音が遠くで聞こえる。

警察よりも早く。確認したい。嘘であると、冗談だと、自分を納得させたいのだ。


反対側も人混みで溢れていた。その人混みを掻き分け、現場を確認する。


「っ!!!」


目を見開き、膝をついた。

冗談ではなく。これは現実。


「猫、先輩……」


顔があった。

片目が潰れ、首だけになったまま無造作に転がっている。その近くには子猫が集まり、一生懸命何かを口に入れていた。

すぐ近くのカバンから、携帯が溢れ落ちている。さっきの猫は、それに驚いたのだろう。


「どいて。どいて!!」


遠くで警察らしき声が聞こえた。

なのに、体が動かない。本当の死が目前にあり、一歩間違えれば自分がこうなっていたのだと思うと、ギュッと心臓が潰されるような思いになる。


早く、移動しないと……


心とは裏腹に体はまるで反応しない。

目の前に降って沸いた絶望。体が支配されているような感覚だけがある。

人の気配が離れていく。


俺も、行かないと……


「兄さん!!」

「えっ?」


体が、引っ張られる。

視界に飛び込んできたのは、毎日のように見ている顔。

双葉の瞳が、焦ったように揺れている。


「早く。こっちです」

「あっああ」


引っ張られ、ようやく動きだした体は、双葉に引っ張られるままに人混みに紛れて移動する。

双葉の服装は制服のままだった。

教室から出ていったあの日から帰ってないのだ。着替えがあるわけでもないので仕方がないことだ。


でも、


「どうして、ここに?」

「叫びが聞こえたからです。兄さんなら、絶対に無視しませんから」

「だけど、俺は……」

「その、話は。今しないでください」


足を止め、ゆっくりと振り返る。

少し潤んだ瞳。

何かを言おうと小さく開かれた唇は、すぐに閉じられ、下を向くことで視界から離れていく。


「ごめんな」


震える頭に、手を乗せた。

ごめんで済む話でないことは確かだ。それでも、言わないといけないとそう感じた。


「いいです。もう……」

「ありがとう」

「帰りましょう。お風呂に入りたいですし、着替えたいです」

「じゃあ、帰りながらでいいから今まで何してたか教えてくれ。有村も心配してたぞ」

「そう、ですよね。でも、言えないんです。言ったら、兄さんは私から離れていきます。それだけは、絶対に嫌なんです」

「双葉……?」

「行きますよ。兄さん」

「おっおい」


腕を絡ませたために、肘が双葉の大きな双丘に包まれてしまう。制服でも抑えきれないほどのボリュームに、自然と頬が赤くなってしまう。


柔らかい……いやいや、駄目だろ!!


「腕、腕!!」

「当ててるんです。このまま帰りますよ」

「止めろって!!」


若干頬を染めた双葉は、有無を言わせぬままに歩き出す。

ここで動きを止めることは簡単だ。しかし、それをしても歩いても周囲の視線を集めることは確実なので大人しく歩くことにした。

少しでも早く家へと帰りたかったのだ。

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