7

(助けて)


目を閉じれば、そんな叫びが耳に届く。

目を開けば、全てを飲み込む火の海。

助けられなかった記憶は、夢であることを強く印象付ける。

忘れるなと、心に刻み込むかのように見る夢は、いつもの悪夢だ。


(助けて。私の白兎)


そう言ったのは、誰だっただろうか?


私の白兎。今は、そう呼ばれることはない。呼んでいた彼女は、この世に居ないのだから……


目を覆えば、涙が溢れている。

夢の中なのに、涙を流していることが分かる。肌に触れる手の震えを感じる。

記憶だ。

覚えている。忘れるわけがない。あの時もこうして、不条理に嘆き、悔しさに心が震えた。

傷が消えない。痛みがジクジクと胸と心を抉る。


「ーーーーーー!」


なんて呼んだだろうか?

時が、自分の叫びを忘れさせていた。

手を伸ばそうとも届かない想いは、夢の中だけの幻想。

ふわりと上昇する気持ちは、哀しみを色濃く出していた。



もぞもぞと何かが動く気配に体が反応した。

目を薄く開けば、暗闇が広がっている。

朝……にしては暗い気がして体を起こした。


「気のせい、か?」


もぞもぞと何かが動いた気配は確かにあった。眠りが浅かったのか、寝ていたはずなのに感じ取れた。

首を傾げながら、水でも飲んで落ち着こうと布団を剥いだ。


「えっ?」


そこには、居るはずのない何かが居た。丸くなって小さくなろうとしているそれは、手らしきものを伸ばした姿勢で固まっている。


「双葉、か?」

「はい。兄さん……」


むくりと起き上がったのがシルエットで分かる。真っ暗闇のせいでほとんど見えていないが、この家に居るのは俺と双葉だけなので、入り込むのは双葉しか居ないのだ。


「どうしたんだ?」


いつもはしない行動に胸がドキドキと大きく鳴っていた。幼い頃ならまだしも、高校生となった今ではこんなことはなかった。

二人暮らしだからこそ、節度を持って過ごしていた。親しき仲にも礼儀あり。である。


「少し、怖い夢を……見まして……」

「あっああ」


そうか、夕方に変な出来事が起きたばかりだ。おかしな夢を見ても不思議ではない。

俺が見た夢はいつもの悪夢だったから特に気にはならなかったが、いつも見ることの無い夢を見たら誰かに頼りたくもなるだろう。


その相手が俺しか居なかった。


それだけの話か。


「一緒に寝ても……いいですか?」

「そうだな……」


胸元に手を置いて必死に懇願しているように見える。

カーテンも締め切っているからシルエットでしか分からない。今更電気を点けるのも嫌だった。

シルエットだけでもドキドキしているのに、直接見てしまったら動けなくなりそうだ。そうなってしまったら今後の生活に支障をきたしそうなので、出来ることならばこのまま帰ってもらうのがベスト。

しかし……気持ちも分からなくはない。

人寂しい状況では、誰かの温かさが欲しくなってもおかしくない。一緒に寝ると言っても、それ以上の行為になるわけではない。

寝相だってお互いに悪くないわけだし、変なことにはならないはずだ。

なら……いいか?


「兄さん。もしかして、嫌。ですか?」

「あっええっと……」

「そう、ですか……私と一緒に寝るのは、嫌。なんですね」

「そうじゃない。そういう訳じゃないんだ」


ただ恥ずかしいだけ。他に意図することはない。

けれど、それを口には出来なかった。口にしたくなかった。

兄と呼ばれているのに、そんなことを考えている自分が情けなかったからだ。


「分かりました。戻ります」

「双葉……」

「お休みなさい。兄さん」


ペコリと、お辞儀しながら立ち上がろうとする。

顔が見えている訳ではないが、寂しそうに見えてしまう。


「待て」


思考と同時に体が動いた。

立ち上がろうとする双葉の手を掴んで引き寄せたのだ。

軽い双葉は、俺の胸元にすんなり入り込む。

柔らかい感触と吐息が広がり、腕は頭に触れて綺麗な髪を撫でていた。


「兄、さん?」

「今日だけだぞ」

「はい」


ベッドに倒れこみ、布団を被りなおす。

ゆったりとした寝息が耳元に届くが、心臓の音がそれを邪魔する。


もう、眠れないかもしれないな。


体は疲れているのに、瞼を閉じても眠気が来ない。

腕の中にある温かさが、眠るのを遮っていた。

でも、それでいい。

これで双葉がゆっくりと眠られるのであれば問題はない。

朝になるまでどのくらい時間があるのか分からないが……精々頑張るとしよう。



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