4

「悪いな。取り乱した」


ばつの悪い顔で頭を下げる。大丈夫であることを何度か伝えたが、本人は強く気にしている様子だった。


「もういいですよ。それより、どうして?」

「そうだな。簡単に説明するならば、ハートの女王は鍵だと思われていた。だからこそ、仮面では現れず、この世界に居るものだと思われていたのだ」

「えっと……つまり、私は迷惑な存在。ってことですか?」

「そう言う訳ではないないのだが……可能性が一つ潰されてしまった」

「可能性……」

「ああ。この世界を終わらせる可能性だ。ボクたちは、それを探している」

「なるほど……」


ハートの女王。ワンダーランドの事実的支配者である者ならば、この世界を終わらせることが可能と言うことか。

その仮面の持ち主が今まで居なかったから、この世界のどこかに居る。だから、探していたのだろう。

それが、双葉の手にある。

希望が崩れたことで、あんなに狼狽したということか。


「でも、それなら……仮面を着ければ何か分かるってことなんじゃ?」

「そう、だな。お願い出来るか?」

「はい」


覚悟を決めた双葉が目を閉じて仮面を頭に着けた。

仮面を着けたはずなのに、双葉の表情に変化はない。変化など、王冠が頭に乗ったくらいだ。

瞳が開かれ、その奥にハートの絵柄が見えた。

カラーコンタクトでもしたのだろうか? と思えるほどにはっきりと見えるその瞳に、吸い込まれそうになる。

小さな口が、かすかに動く。笑みを浮かべるような……そんな動き。

先ほどの猫先輩登場を思い出した。

乗っ取られているような言動を……


「どう、しました?」


開かれた口から出てきたのは戸惑い混じりの声だった。こてんと小首を傾げ、反応に対して疑問を抱いている。


「女王は、どうした……」

「えっと、その?」

「双葉、なんだよな?」

「はい。そうですよ? 兄さんたちは何をそんなに驚いているのですか?」


いつもと変わらない様子だ。疑問符しか浮かんでこない。


「猫先輩。これは?」

「分からん。仮面を被れば、そこに宿る魂が表に出てくる。先ほどのボクのように……なのに、変化したのに、魂が出てこないなんて……そんなこと、今まで」


手元の仮面に視線を落とす。

俺以上に困惑しているのは、ここの世界を長く経験する猫先輩になるのだろう。今まで無いことが起きている。

経験が無いからこそ、その驚愕は計り知れない。見た目の変化と変わらない双葉に対しては驚いた。でも、それはきっと猫先輩の数割程度でしかないのだ。

なら……


「着けるしか、ないな」


ぶつぶつと一人言を続ける猫先輩。ぽわぽわとした様子で辺りを見回す双葉。

二人に断る訳でもなく。気合いを入れるつもりの一言は、意外にも胸に重く響いた。

これを着けようが着けまいが、状況は変わらない。ただ、見えない物が見えるかもしれないだけだ。


覚悟を、決めろ。


目を閉じ、仮面を顔に着けた。


「……………………」


何も、ない。


声は聞こえない。目を閉じているから暗闇だけがそこにある。体が動いている気配もない。


耳を澄ます。


「これでは、この世界は……どうすれば……」

「兄さん。兄さん」


聞こえるのは、猫先輩と双葉の声。

仮面に宿っているはずの白兎の声ではない。

瞳を開く。

広く見える視界。これは、兎の視界なのだろう。人よりも広く見えると何かで見たことがある。

心配そうに、俺を揺らす双葉の姿があった。揺らされているのに、その感覚が無いのは奇妙だった。

試しに腕を摘まんでみるが、痛みはない。

痛覚や触覚が麻痺しているように思えた。


「兄さん」


小さな声……なのだろうが、やたらと大きく聞こえる。

耳をピクピクと動かしながら、その大きな声から逃れようとしていた。


「んっ?」


耳が、あれ?


「大丈夫ですか、兄さん。兄さん。ですよね?」

「あっああ。うん」


意識はしっかりとしていた。

おかしなことは何もない。それが、おかしかった。


「猫先輩」

「なんだ。光義兄よ」


一人言を止め、こちらを向いた瞬間。猫先輩が息を止めた。

ゆっくりと、手を伸ばし……あるはずのない場所に触れ始める。

そこに、きっと耳があるのだろう。白兎の耳が。


「まさか、光義兄も、そうなのか?」

「はい。どうやら、そうらしいです」

「そうか。偶然か必然か。分かりはしないが、特異なことが起きていることは確かなようだ」


腕を組み、ため息をこぼす。

先ほどのような動揺はなかった。双葉のこともあり、慣れてきているようだ。

しかし、こうなってくると問題だ。

白兎からこの世界のことを聞こうと思ったのに、魂が出てこないのであれば話も出来ない。

視覚や聴覚は強化されているようだが、代わりに痛覚と触覚が鈍くなっているようだし……不安が募る。


「となると、特異能力は使えないと言うことか……どうするか」

「特異能力?」

「なんですか、それ?」

「ボクが突然現れた時に使った力のことだ。瞬間移動の力がある。色々な制限もあるが、瞬時に色々な場所に移動出来る」

「便利な力、ですね」

「制限さえなければ、そうなんだろうな」


いい淀む様子から、口にしたくない類いの制限のようだ。

信頼されていない。ともとれるが、考えすぎだと思いたい。


「まあいい。それで、仮面にはそれぞれに力がある。着けることで特異な力を発揮する。他にも、身体能力が向上するなど、この世界で生き抜くのに必要不可欠な物だ。無くすことはないが、大切に扱うように」

『はい』


着けないうちにそんなことを言われても首を傾げたことだろう。しかし、着けることで確かに分かることがある。

身体能力は置いておくとしても、一部感覚が鋭敏になっている。代わりに鈍感になったものもあるから注意は必要だろうが、生き抜くのに必要なことは確か。


「さて、特異能力が使えない二人はある敵に対して気をつけてほしい」

「ジャバウォック、ですか?」


見た目だけで巨大で強大なジャバウォック相手に気を付けることがあるのか不明ではあるが、危険が多いことだけは確かだ。

ショッピングモールの天井を一息で粉砕出来るようなやつを敵として生き残れる気は全くないが……


「違う。あれは天災のようなものだ。突然現れ、攻撃し、被害を起こして消える。攻撃を受けたら終わったと思え」

「はぁ。じゃあ、なんですか?」

「あちらをこっそりと見ろ。音を立てるな」

「はい」


双葉と共に物陰から見ようとしたが、首を横に振って動こうとしないので一人で確認する。

ひょこっと顔を出せば、ニワトリの五倍はありそうな鳥(?)がそこに居た。

鋭い嘴が黒い太陽を反射させてキラリと光っている。

何かを探すようにキョロキョロとしている。遠くを見れば、さらに三羽居て、建物を破壊していた。


「なっなんだ、あれ……」

「便宜上ドードー鳥と呼んでいる化け物だ。一対一なら対応は可能だが、基本的に群れで狩りをする。性格は残忍で狂暴。敵と判断したら建物の陰に隠れようが破壊して追いかけてくる」


嘴や爪。羽などを器用に使って物を破壊する様を一通り眺めてから頭を引っ込めて距離を取った。


「特異能力が使えない以上は、相手にすることを避けるべきだ。強化された身体能力を使って、死に物狂いで逃げれば……なんとかなるはずだ」

「…………」


不安しかなかった。

それでも、やるしかないと言うことだけは確かなようだ。


「この辺りは奴らの縄張りだ。他にも居るが、ここいらから離れない場合は関係がない」

「離れたほうが安心、ですか?」

「いや、むしろ離れないほうがいい。ドードー鳥は、対応しやすい部類だ。群れに巻き込まれない限りは、なんとか出来る」


群れが問題。だが、それ以外ならなんとかなる。しかし、他はそうではない。ならば、あまり離れないほうが無難か……


「分かりました。この辺りで逃げ隠れします」

「そうするといい。後、怪我には気を付けるように。元に戻ると、フィードバックするからな。死亡などもってのほかだ」

「ここで死ぬと、戻っても死ぬ……」

「そう言うことだ。最後に、戻る方法だがーー」

「あるんですか?」


言葉を濁すような物言いに、先んじて言を重ねる。

静かに首を横に振る姿は、見つかっていないことを示している。しかし、戻れない訳ではないことだけは分かる。

戻れていないのならば、朝に猫先輩と会うことがなかったのだから。


「詳しい方法は分からない。唐突に呼ばれ、唐突に戻される。故に、ボクたちには逃げる以外の選択肢はない。戦う選択肢は……過去に失敗したのだから」

「そう、ですか……」


トランプの兵隊なども居たはずなので、戦えなかった。なんてことはないだろう。ドードー鳥だって、倒せる相手として認識している。

問題は、戦ったところで意味を成さなかったことにあるはずだ。何かを倒して戻れるのであれば、すでになんらかの手段で決行しているはずだ。

していないのであれば、それは関係がなかったと言うことに他ならない。


「一応の説明は以上だ。健闘を祈る」

「はい」

「それで……光義妹は大丈夫か?」

「多分……」


話は聞いているのだろうが、先ほどから口を挟まない。

何をするでもなく。目を閉じて何やらぶつぶつ言っているように見える。仮面のせいで口元が見えないから、動かしているのかが不明ではある。

大丈夫かと問われたら頭を捻るしかない。


「仕方ない。後は任せよう。ボクは、次に行く」


仮面を取り出し、それを被る。


『にしし。次に会えるのを楽しみにしてるぜ。じゃあな』


人を小バカにしたような笑みを浮かべると、その場から消え去る。

後に残された俺たちだけで、生き残るために行動するしかない。

拳を握りしめ、覚悟を決めた。

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