3

何かが割れるような音。

しかし、周りを見回しても割れたものはなかった。


「えっ?」


代わりに入った店内の照明が消えさり、暗い闇が広がる。


「あれ?」


振り返れば、自動ドアが半開きのままで動きを止めていた。


「兄さん?」

「いや、様子が……おかしくないか?」


特に気にしていない様子の双葉。その変わらない態度に、背筋が凍る思いをした。

もしかしたら、俺一人がおかしいのではないか?

そんな感覚を抱きながら、人を探す。

近くには、確かに歩いている人が居た。談笑する人。待ち合わせをする人。子供連れ。たくさんの人が居たはずなのに、目に入るところには誰も居ない。


「兄さん。行きますよ?」


明らかな異常。

それでも平然としている。見えているものが違うとしか思えない。


(助け、て)


「!!」


どこかで聞いたような助けを求める声。

心臓が、うるさいくらいに高鳴っている。


「兄さん。何をしているのですか?」


動くことをしない俺に、業を煮やしたのか腕を引く。


「聞こえ、なかったか?」

「何を、ですか?」

「助けてって」

「聞こえていません。普段から人助けをしたがるせいで、幻聴が聞こえたのではないですか?」


幻聴。

確かに、そう否定することは出来る。

限りなく小さな声だった。耳ではなく。頭に直接響いてくるような気がした。

ならば、俺が勝手に作り出した幻。なんてことも考えられる。


「違う」


しかし、口から出たのは否定の言葉。

首を横に振り、きょとんとしている双葉の肩に手を乗せた。


「幻聴じゃない。俺は、確かに……」

「そうだとしても、今は買い物が優先です。タイムセールに遅れます」

「タイムセールどうこう言ってられる問題か!!」


人が居ない。電気が消えた。他にも異常があるかもしれない。

そんな状況の中で、買い物を優先にする意味が分からない。


「周りがおかしいことに気づかないのか?」

「停電で暗くなっていますが、見えなくはありません。むしろ、人が居なくなったことで狙いの物を入手出来る確率が増えますので、いいこと尽くめです」

「なっ……」


絶句、するしかなかった。

こんな状況でさえ、目的だけを見つめている姿に何も言い返せなかったのだ。


(助けて。助けて。助けて)


「うぐっ」


頭を締め付けるように助けてが木霊する。

近づいている。そんな感覚に、天井を見上げた。


ズンッ。


重い音が、ショッピングモールの天井から聞こえた。

暗闇が晴れ、紫の空と赤い星と黒い太陽が、俺たちを見つめていた。


「なっなんだ?」

「あれ、は……」


双葉が指差す先。

そこには、化け物としか形容出来ない物体がふらふらと歩いていた。

顔がまともに見えないほどに巨大な化け物は、影のように真っ黒だ。

ただ、六本の腕や所々にある不可思議な生き物の姿を確認出来た。

六本のうちの一本がこちらに伸び、ショッピングモールの天井をあらぬ方へと運んでいた。


「あっああ……」


逃げなければ。

あれには、立ち向かえない。立ち向かってしまえば、一息に殺されてしまう。

全身が、危険信号を発していた。

それなのに、足が震えて動けない。


『あ、あ、あ、』


声が聞こえた。

とてつもなく重低音の声は、耳に恐怖を刷り込む。

体から、力が抜けていく。訳も分からず涙が頬を伝う。

終わりが近づいていた。

助けてと叫ぶ声をどうこうするなんて問題ではない。むしろ、こっちが助けてと叫ばなければならないほどだ。


「ジャバ、ウォック」

「えっ?」


童話のアリスに出てくる化け物の名を口にした双葉。

しかし、その姿は童話に描かれているものとは大違いだ。

挿し絵を見たことがあるが、ドラゴンのような姿であり、二足歩行の化け物ではない。

見た目だけなら、どこぞの巨神兵である。


「なにか、知ってるのか?」

「えっ、今……何か、言った?」


キョトンと目を丸くして自分の言葉に疑問をぶつけた。


「覚えて、ないのか?」

「うっうん?」


要領を得ない返事。

いつもの双葉とは少し違う気がした。どこがどうと詳しく言えないのが口惜しいが、何かが違う。


『おいおい。こんなとこで遊んでると死んじゃうぜ』


くくくと人を馬鹿にしたような笑い声と共に声が降ってくる。

上から、猫の仮面を着けた俺たちと同じ制服の男性が現れた。

むろん。天井を無くしたショッピングモールには、降りるべき場所はない。

開けて、空が見える場所から現れたその人物は、俺たちを品定めするように上から下まで舐めるように見つめた。

仮面であるはずなのに表情は豊かだ。舌なめずりまでしているし、耳もピョコピョコ動いていた。

まるで、仮面自体が生きているようだ……


『なるほど。なるほど~初めての迷い人か。なら、説明は任せよう』


ニヤリと笑うと、仮面に手を置き仮面を外す。

その下には……


「朝ぶりだな。光義兄妹」

『猫先輩!?』


猫が好きすぎる風紀委員長の姿があった。



「ここなら、しばらくは安全だろう」


早足で移動したのはショッピングモールの端にある物陰の一つ。

辺りを注意深く観察しながらの移動は少し時間がかかったが、ジャバウォックはこちらに追い付くことはなかった。

そもそも、動いている様子もない。腕を伸ばせばどこに隠れようとも意味がないので、こうしていても安全。と保障されている訳でもない。


「本当に、猫先輩。なんですか?」

「そうだ。高円寺隼人。猫先輩とも呼ばれている。あるいは、鬼の風紀委員長かな?」

「間違い。ないようですね」


姿形が似ているだけの別人。ではないようだ。正真正銘の猫先輩。

周りがおかしくなってから初めて会った人物が知り合いであることに深く安堵する。


「助けてくださり、ありがとうございます」

「別に気にする必要はない。ボクはボクの役割をこなしているだけだ。それに、ジャバウォックはしばらく動くことはないだろう」


物陰からジャバウォックの方向に視線を向ければ、確かに動きを止めている。伸ばされた腕も元に戻っているようで近くには見えない。


「どういう、ことです?」

「あれは、ああいう存在だ。名前もこっちで勝手につけている。だから、初見でジャバウォックと呼んだのであればそれはおかしいこと。光義妹よ。何も記憶に無いのか?」

「えっと、その……」


口ごもる態度から、自分でもよく分かっていないのだと判断出来る。

仕方ない。


「あまり、責めないでください。双葉は、こういうことには慣れていないのです」

「そのわりには、狼狽が少なかったのだろう?」

「それは……」


確かに、そうだ。

買い物をすることを優先にし、身に起こった出来事に関しては気にしている様子がなかった。むしろ、人が居なくなったことでタイムセールの物を取れると喜んでいたほど。


肝が太すぎるとも言える。


「まあ、原因はおそらく。これなのだろう」


手のひらを上に向けると、そこには猫の仮面が出現した。

手品。ではないのだろう。なら、この場所特有の何か。あるいは、猫先輩が特別のどちらかである。


「この世界に迷い混んだ者には、必ずこの仮面が送られる。この力を着けなくても表に出せる場合がある。光義妹は、おそらくそれなのだろう。着けずとも、何らかの力が発された。故に、正体が分かり、動じもしない」

「それは、俺にも。あるんですか?」

「あるとも。試してみるといい」


手のひらを上にして集中する。

半信半疑ではあるが、もしかしたら、この状況を打開できるのかもしれない。そうであるならば……試す価値はある。

目を閉じた。

意識を伸ばすように集中すると、何かを掴んだ感覚が手のひらに広がる。

ゆっくりと、目を開く。


「これは、兎? それも、白兎しろうさぎ?」


確かに、俺の名前は白兎と書く。しろうさぎと書いてはくと。それの仮面が白兎って一体何の冗談だろうか?


「ふむ。白兎か」

「普通な反応!?」

「どうした? ここは、童話のアリスがモチーフにされているようで、ボクのもチャシャ猫だ。白兎は時折見かける」

「なる、ほど」


納得は出来た。

アリスが関係するのであれば、あの化け物がジャバウォックと呼ばれるのも頷ける。もしかしなくとも、この場所はワンダーランドと呼ばれていることだろう。

あんな化け物が闊歩してるなら、夢と希望ではなく。悪夢と絶望が枕詞としてつくはずだ。


「力に関しては、仮面ごとに違うようでな。着けてみれば分かることだろう」

「分かりました」


ジッとにらめっこをしたが、今は着ける気にならない。


「着けないのか?」

「はい。なんとなく、ですが……」

「気にすることはない。そういう時もある。光義妹は、試してみるかな?」

「分かりました」


目を閉じて、手のひらを出す。

集中しているのがよく分かった。それだけではなく。光が、集まっているようだった。

小さな光が至るところから集まり、一つの形を作ろうとしている。

俺も、あんな感じだったのだろうか?

目を閉じていたのだから分からない。視線を猫先輩に向ければ小さく頷く。

つまり、そういうことなのだろう。


「出来、ました」


目を開いた双葉。その手には、女性の仮面がある。

動物だけでなく。人も居るのか……童話のアリスにも、人らしい存在は出てるか。人と呼んでいいのか分からない帽子屋やジャバウォックを討伐した狩人。そして……


「ハートの女王、だと!!」

「猫先輩?」


酷く狼狽した様子の猫先輩が顔を片手で覆い、何事か小さく口にする。

その声は聞こえない。

しかし、双葉が女王の仮面を手にしたことで、不都合があったのだ。

双葉と顔を見合せ、しばらくの静観を決める。

猫先輩が復活するのを、待つことにしたのだ。

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