第69話 当分お預け
外部から遮断された訓練場に、新設した部隊員達が集まっていた。
アンが、追加のコーヒーをコップに入れて一口飲んだ。彼女は近くに居たジョウダンに、彼にだけ聞こえる様な声で言った。
「この部隊に、専任の指導教官が付くと聞いたんだけれど、本当なのか?」
「それは間違いがない。
リサに、その事について直接聞いてみた。そいつは、魔力は自分よりも上で、剣術はジャックよりも上だと言っていた。
名前は? と聞いても、当日のお楽しみ、と笑いながら言われたよ。
でも、おかしいと思わないかアン? そんな奴が、この国に居たか?」
「リリアの魔力は、もしかしたらリサよりも上かもしれないけれど、剣術は多分ダメだろうね」
「そうすると、誰だ? 見当が付きゃーしねー。
可能性があるとすれば、チェルシー王女の嫁ぎ先から、グワン魔法騎士団副団長が来る可能性はある」
「あの、グワンかい?
噂は聞いているよ。魔法も剣術も両方出来て、しかも、あの国ではどちらもトップクラスだと」
「あとは思いつかねー。
魔法と剣術の両方がトップクラスの奴は殆ど居ないからな。クマみたいな、大男が来るぜきっと。
お、誰かドアを開けようとしている。
リサと、えーーと、愛……? え……? 何で彼女がここに来るの……?」
リサと愛が訓練場に入って来たら、部隊員達が騒ぎだした。
愛はバスケットに、ビスコッティと菓子パンを山盛り持って来ていた。コーヒーがあるテーブルに行くと、バスケットを置いてリサの横に並んだ。
愛がここに来たのは、王都で噂の菓子パンとビスコッティを、わざわざ差し入れに来てくれたとジョウダンは思った。常に人が並んでいる人気の店で、買うには、長いこと待たなければならない程だった。
「整列!」
訓練場に、リサの号令が響き渡った。
騒然とした部隊員達は急に静かになり、整列した。
「今日から部隊の訓練を始めるが、その前に指導教官を紹介したい。
既に、名前は知っていると思うが、私の右にいる方だ」
全員が愛を見た。
愛は、にこやかな笑顔で、部隊員の顔を一人一人見ていった。
部隊員が、また騒がしくなった。
いや、騒がしくなったのではなくて、大騒ぎになって行った。
ジョウダンが、大騒ぎにも負けないぐらいの大声で言った。
「リサ。冗談は、俺の名前だけにしてくれないか?」
ジョウダンが、取って置きの自虐ネタを言ったので、大騒ぎが、大笑いに変わって行った。
ジョウダンが、冗談を言っても、リサと愛は表情を変えずに笑みを浮かべていた。
それを見ていた部隊員達は、真顔になって静かになっていき、最後には誰も話さなくなった。
リサがゆっくりと、力強く話し出した。
「お前たちが大騒ぎするのは、私も理解できる。
これから話す事は部隊内の機密なので、絶対に口外しないように。
王都に大量の海水の雨と魚を降らしたのは、私だと誰もが思ったかもしれないけれど、実は愛がした事だったんだ」
訓練場内に、どよめきが起きたけれど、リサが静かにする様に手で合図をした。
「ヒドラが王宮を襲っていた時。遥か上空のドラゴンから狭い塔の上に降下して、ドラゴンがヒドラを襲うと私に伝令してくれたのは彼女。
レディングで、レッドドラゴンを倒した時に、伝説の最強呪文サンダーでトドメを刺したのは彼女。
そして、遠くにある丸太に暗器を投げて、横半分にぶった斬る技を考案したのも彼女。
これらの技術をお前達に教える為に、指導教官をしてくれる事になった。
以上だが、何か質問のあるものは?」
ジョウダンは、リサから言われても頭が混乱するだけで、まともに考えられる状態ではなくなってきていた。
ジャックは、リサが最後に丸太を横半分にすると言ったことに大いに疑問に思った。
大男のジャックが、力一杯丸太を半分に切ろうとしても、到底出来ることでは無かったからだ。それが、細身の愛には絶対に出来ないと思った。
「リサ、俺から質問があるんだけれどいいか?」
「ああ、勿論だ。それで」
「最後に言った、丸太を横半分にぶった斬るのは、とても信じられねー。
この目で見るまではな!」
「分かった。
愛、宜しく頼む」
愛とリサは、事前の打ち合わせで、誰かが必ずこの質問をしてくると予想をしていた。
愛は、思っていた質問がきたので、落ち着いて行動に移す事が出来た。
「分かりました。
それでは、後ろに設置されている、丸太の上を切ります。
線上にいる人は、左右に移動して下さい」
愛は、丸太の方を指し示し、その線上にいる部隊員達は左右に分かれて移動をした。
ジャックは腕を組んで、愛の行動を逐一見ていた。
彼は、愛を彼女にしたいと思っていたのに、とんでもない事になったと内心思った。
もし、丸太を切ることが出来なかったら、彼は嘘を吐く奴が大嫌いだったので、愛の事を諦めなければと思った。
しかし、もし丸太をぶった斬る事が出来れば、男としてのプライが崩れ落ちる。愛の実力以上に自分が強くならなければ、愛を彼女にするのは到底出来なかった。
線上に居た部隊員が左右に別れると、愛は、橘流の暗器を投げる姿勢を取った。
真空の魔法と同時に、暗器は手から離れた。空気を裂く音と共に、暗器は遠くに行けば行くほどスピードを増して行った。丸太にあたる頃には、目には見えない程の速さまで加速されていき、木を切った微かな音と共に丸太の上部が向こう側に落ちて行った。暗器は更に突き進んで、壁板に突き刺さった。
訓練場内では、耳をつんざく様な、大きなドヨメキが起きた。
それを見たジャックは、項垂れた。
ジュリアが近くに寄ってきて、今まで言おうととして言えなかった事を、ジャックに告げた。
「ジャック、今まで言えなかったけれど、愛と私がコーヒーを始めて騎士団に持って行った時の事を覚えている?」
ジャックは、ジュリアの方を見て言った。
「ああ、覚えているが、何で今言うんだ?」
「あの時……、お前を投げ飛ばしたのは私ではなくて、愛だったんだよ」
ジャックは、ジュリアの言葉の意味がよく分からず、脳にすぐには達しなかった。
あの時の事を思い返してみると、確かに愛の肩を触ったのに、次の瞬間には投げ飛ばされていた。ジュリアが直ぐに、私が投げ飛ばしたと言っていたが、実は愛……? だった……?
ジャックは、人生でこれ程驚いた事がない程、驚いた。
「ジュリア、それ、マジか!!」
「ああ、マジだ!
ジャックは更にショックを受けた。
彼は愛の方を見て、彼女に告白をするのは当分おあずけだなと、大きなため息を吐いた。
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