プロローグ その九 焙煎

愛の心臓は、いきなり倍ぐらいのスピードで脈を打った。

突然の出来事に、暫くは何が起きたのかを理解できないでいて、今にも消えそうな火を見ていた。


ジュリアは、アンドリュー王子のフィアンセに決まるまでは魔法騎士団員で上位のクラスに在籍をしていた。

愛が今回初めて魔法を使うと知っていたので、まさか自分と匹敵する火力がいきなり出来るとは思わず、驚きのあまり次の言葉がでなかった。


マリサは、想定通りに自分と同じくらいの、小さな炎が愛の手から出ると思っていたのが、薪が全て燃える程の火力を目の当たりに見て、唖然としていた。


三人に、誰かが駆け足で向かって来た。

さっき外に出ていったダンだった。


「すんごい大きな声が聞こえたんだけどよ、どうしたんだ?

何か困った事が起こったのか?」


「え。いえ。何でもない。

ほんのちょっと、薪が思っていた以上に燃えたので驚いただけ」


ジュリアがそう言うと呪縛が解けたのか、愛とマリサがクスクス笑いだした。

それにつられてジュリアも笑い出した。


「なんか分かんないんだけどよ、大した事なくて良かったよ。

俺、まだ用事が外であるから戻るわ」


ダンはそう言うと、すぐに元の方に足早に戻って行った。



「驚いたー。

愛、本当に初めてなの?」

「はい。本当に初めてです。

自分でもビックリしていて、今でも心臓がバクバクしています」

「あ〜〜あ、薪が殆ど燃えたわね。

またやり直しね」


ジュリアが嬉しそうに言った。


「えーと、今度は私が薪を運びますね」


愛は少し恥ずかしかったので、すぐに薪のところに行ってマリサが先程運んだ同じ量を両手に抱えて持ってきた。

まだ残り火があったので、数個薪をカマドに焼べた。

愛の見た感じではこれで良さそうだった。


「えーと、たぶんこのくらいの火でいいと思います」


土器をカマドの上に置いて、焙煎の作業が始まった。

愛は、今まで焙煎をした事はなかったけれど、焙煎されたコーヒー豆を買ってきて、コーヒー用のミルで挽いていたので大体の感じは分かっていた。


マリサがカマドの火を見る担当をして、一定の火力になる様に調節をしてくれた。

ジュリアは愛と交代でアカネ科の豆をゆっくりと混ぜた。

アカネ科の豆から焙煎のいい香りがしてくると、ジュリアが目を瞑って鼻からゆっくりと息を吸った。そして、酔いしれるように言った。


「いい香り。

これが焙煎の香りなんだねー」


暫くすると、豆の焙煎の香りが厨房中に広がっていき、料理をしていない人達が何事かと集まって来た。

ジュリアが慣れた言葉遣いで、対応をした。


「みんないい香りでしょう。

これはコーヒーと言って、新しい飲み物を作っているのよ」


誰かがジュリアに質問をした。


「いい香りだな。

そのコーヒーとやらは、俺たちも飲めるのかい?」

「まだ試作段階だけど、手伝ってくれたら飲んでもいいわよ」


ジュリアの返答に、これから仕事をする人以外の人達が、俺も私もと手伝いを申し出てくれた。

丁度いい具合に最初の産地の豆が焙煎出来たので、石臼で粉にする段階になった。

次の焙煎はジュリアと数人の手伝いの人達に任せて、愛は石臼の所に焙煎したてのコーヒー豆を持って行った。

案内してもらった人の説明では、小麦を粉にするには数回石臼を通さないと行けないと言われた。しかし、コーヒーを作るには小麦粉の様に細かすぎるのも困るので、取り敢えずは一回だけ石臼に通して見た。

思っていた以上に丁度良さそうな粉が出来たので、愛は嬉しくなった。


愛とマリサは、手伝いの人達にここは任せて、次の段階に進んだ。

マリサのエプロンのポケットの中には、熱湯消毒した目の細かな白い布が入っていた。昨日の別れ際に愛が頼んでいたものだった。


「これを、どの様に使うのですか?」


マリサが愛に聞いた。

愛はこの事を昨日から考えていて、この世界の人達が慣れている紅茶を入れる要領でコーヒーを入れて、最後の茶こしに布を使うことにした。

茶こしだけだとコーヒーの粉が下に落ちてしまい、舌触りが悪くなるからだった。

それをマリサに説明をした。

マリサは慣れた手つきで紅茶の要領でコーヒーを入れ、出来上がったコーヒーは、愛にとって懐かしい元いた世界の香りだった。

たった一日しか立っていないのに、少しだけホームシックになった。

香りから、これは間違いなく元の世界で慣れ親しんだコーヒーに間違いなと確信した。

愛は、一安心をした。


「さー、出来ましたよ」

「これがコーヒーなんですね。

いい香りです」

「ええ、でも、香りはいいんだけれど、味が少し苦いのよね。

これがいいって言う人もいるけど、甘みとミルクを足すと、誰もが美味しく飲めるミルクコーヒーが出来上がる。

最初はこれを作って、手伝ってもらっている人達にも飲ませたいわ」

「そうですね。

彼らは仕事でもないのに、一生懸命に手伝ってもらっていますから」

「それと、産地によっては香りと味が微妙に違うと思うので、それらのいいとこ取りを出来るように調合すれば、バランスのとれた最上のコーヒーが出来上がるわ」


愛は出来立てのコーヒーをカップに入れて試飲をした。

香りは申し分なかったけど、苦味が強いなと感じた。

やはり、元いた世界のコーヒーとは微妙に違っていた。


「マリサも飲んで、このコーヒーの評価をお願いします」

「はい、わかりました。」


マリサも少しだけ試飲した。

彼女の顔が少しだけ苦い、といった顔になった。


「香りはいいのですが、味が苦いです。

でも、眠い時にはいいのではと思います」

「私も同意見。

それでは、甘みとミルクを加えてみますね」


蜂蜜とメイプルシロップは高価だったので大量には使えない。

もっとも安い、サトウキビから作られた黒砂糖とミルクを入れて試してみた。


美味しい、が愛の第一印象だった。

これなら、少しの工夫だけでも凄く美味しくなると思った。


マリサが、今度は満足そうに微笑んでいる。


「これはとっても美味しいです。

先ほどの、何も入れてないコーヒーの苦味だけとは全然違います。

もし、甘みの嫌いな人は、黒砂糖を控えるか無しにすれば、誰もが好きになる味だと思います」

「ありがとうマリサ」


少し不安だった愛は、マリサの評価に自信が持てた。


他の産地も出来上がり次第マリサと試飲をして、それぞれを評価した。

最後の産地のコーヒーの試飲が終わると、即興で愛がそれらをブレンドした。

手伝ってくれた人達に、甘いのが好きかなどの好みを聞いて、マリサと愛がその人にあったコーヒーを作ってあげた。誰もが美味しいと評価をしていた。

愛はダンに飲み物の好みを聞いて、それに合った黒砂糖とミルクをコーヒーに加えて試飲してもらった。


「これ、美味しいな〜〜。

豆を炒っただけで、こんなに変わるとは驚いたよ。これがあのアカネ科の種から出来るなんてよ。

お前さん、料理の素質あるな」

「もうダンったら。美味しいのは分かるけど、お前さんって言うのだけは止めなさいよね」

「おー、すまんすまん。

つい、な」


ジュリアは、ダンに文句を言った後で大満足の顔で愛に言った。


「これ、美味しいわ。

私が思っていた以上の味。

あの不味かったアカネ科の豆が、こんなに美味しくなるなんて!!」

「どういたしまして。

みんさんに喜んで頂いて嬉しいです」

「さて、それでは騎士団にこれを持って殴り込みに行きますか?」

「穏やかではないですよ、ジュリア」

「私の古巣だからね、彼奴らの驚いた顔を見たいだけなんだけどね」

「ジュリアって、元騎士団員だったんですか?」

「魔法騎士団の方だけどね。

アンドリュー王子と婚約した途端に辞めさせられて。

もしもの事があってはいけないとか。

本当はずっと続けたかったんだけどね。こればかりは私の思い通りにならなかった」

「そうだったんですね。

それで殴り込みですか?」

「そう、殴り込み。

これで彼奴らを、ギャフンと言わせてやろうよ」

「ジュリアって、騎士団の話になると荒っぽくなりますね」

「まあね。

あそこは生死を賭けた場所だからね。どうしても綺麗事では済まされない事が沢山ある。

その中で、常に上品な言葉は私には無理だった。

ま、そう言う訳で、これを持って行きますかね」

「はい。魔法騎士団の方の評価も知りたいので一緒に行きます」

「マリサは、ユリア王子と、アンドリュー王子の方をお願い。

これを飲みたくて、首を長〜〜くして待っているはずだから」


マリサはジュリアの指示に軽く頷いて、彼らに持って行くコーヒーの準備を始めた。

愛は、ビスコッティはまだ作ってなかったけれど、昨日の焼き菓子でもこのコーヒーと会う気がして、マリサの方にも持って行ってもらう事にした。


コーヒーと焼き菓子を、王宮と隣接している魔法騎士団の宿舎に持って行く準備が出来た。

四十名ぐらいは常に駐屯しているとジュリアが言っていたので、持って行く量もかなりの量と重さだった。














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