プロローグ その五 ディナーと危険な味
誰かが、ドアをノックする音が聞こえたので返事をした。
「はい、どうぞ」
あれから、ずっと鏡を見ていたと気付いた。
今までに、こんなにも長く自分を見た事がなく、化粧も五分で簡単に済ます程度だった。
ふと窓を見ると、夕焼けに染まった赤い空が広がっていた。
元いた世界でも、たまに見る夕焼けだったけれども、何故だか今日は格別綺麗に見えた。
初めて見る女性が、部屋に入って来た。
「ディナーの御用意ができましたので、ご案内致します」
「お願いします」
そう言うと愛は、彼女の後に付いていった。
途中、何人かの高貴そうな人達とすれ違った。
その人達は愛を避けて、壁際に移動して軽い会釈をした。
そして、決まって愛が通り過ぎると、後ろから小声で同じ意味の言葉を言っていた。
「あの、黒髪の美人は誰なんだろう?」
大きな部屋に入ると、三人の人達が椅子から立ちあがり、愛を迎え入れてくれた。
ユリア王子の服は派手さはないものの、感じの良い薄茶色の色で上下を統一していた。
ジュリアは赤色のドレスで、胸元を少し強調した様な感じで、更にそこには大粒の真珠の首飾りで飾っていた。
マリサは薄いピンク系のドレスを着ており、太りすぎてはいないものの、ふくよかな印象を受けた。
「ユリア王子、ディナーへの招待ありがとうございます」
そう言うと愛は、会釈をした。
ユリア王子は、二人から愛について色々と聞いていてはいた。けれど、見ると聞くとは大違いで、これほどの美しい女性だとは夢にも思わなかった。
最初に会ったのが薄暗い召喚の儀式の部屋だった。その彼女が勇者ではないと言って、いきなり否定したので、そこに居合わせた人達の対応が先だった。その為、彼女の印象は今までボンヤリとしていた。
内面の驚きは顔には出さず、いつも通りに話しだした。
「こちらこそ招待に応じて頂いて感謝しています」
ユリア王子は会釈をして、話を続けた。
「こちらの二人の御婦人を、正式に私の方から紹介したく思います。
こちらの御婦人は、デオラルド伯爵家の御令嬢で、アンドリュー第一王子のフィアンセでもあります、ジュリア デオラルド様です。こちらのご婦人は同じく、デオラルド伯爵家の御令嬢で、マリサ、デオラルド様です。
それと、本来ならば国王と第一王子も出席すべきなのですが、二人とも体が弱く、途中退席すると失礼になるので今回は遠慮させて下さいとの言付けです」
愛の瞼が、少しだけ持ち上がった。
姉妹が伯爵家の令嬢と聞いただけでも驚いたのに、ジュリアが将来の王妃になる方だったとは。
その彼女の大事なディナードレスを借りて、さらに着付けをさせてしまって、とても恐縮した。
「ご紹介、ありがとうございます。
将来の王妃様のドレスをお借りして、更に着付けを手伝って頂いて光栄です。
それと、王様と第一王子によろしくお伝えください」
「分かりました。その様に二人には伝えておきます」
さき程から、ジュリアが話したくてたまらない様子だった。
「体型が私と似ているから、愛様に合いそうな服をプレゼントするわ」
「ジュリア様、そこまでして頂かなくても」
「愛様は国賓としてここに居るのよ。遠慮はいらないわ。
それに、学生服だけで毎日過ごすわけにはいかないでしょう?」
「それは、そうですが・・・」
「じゃ、決まりね。
明日の朝、服を部屋の方に持っていくわ」
「ジュリア様、本当にありがとうございます」
「どういたしまして。
愛とは良い友達になれそう」
ジュリアはそう言うと、悪戯っぽい目で愛を見た。
「それでは、席に座って食事を始めましょう」
そう言うとユリア王子は愛のところに来て椅子を後ろに引き、座りやすい位置で止めた。
男性が椅子を引いてくれるのは、愛にとっては人生初だった。
胸がドキドキしながらも、王子の優雅な動作に合わせる様に、彼女も優雅に椅子に座った。
「ありがとうございます」
「どう致しまして」
ユリア王子は姉妹にも同じ様にしていた。
愛は改めてこの部屋を見回した。
窓からは、夕焼けの眩しい光が差し込み、赤色の光が壁の一部を染めていた。
テーブルの上のシャンデリアのロウソクはすでに灯されており、辺り一面を照らしている。
壁には、歴代の王様と王妃様らしき人達の肖像画が、数多く掛かっていた。
テーブルは、一枚の巨大な木から作られており、複雑な木目が美しく光沢を放っていた。テーブルの縁は細かな季節の花々の細工がなされていて、所々、金箔と銀箔で飾られている。椅子もそれに合わせる様に見事な細工が施してあった。
壁際には、男女数名の給仕係の人達が並んでいて、無表情で立っていた。
ユリア王子が、給仕係の人達に合図して、ディナーは始まった。
最初に飲み物を出された。
「コードゥルでございます」
暖かくて乳白色の色なので、愛はホットミルクかと思って少し飲んでみた。
飲んでみると、ワインとミルクの味が同時にして少し驚いた。
もう一度飲み物を見なおした。
それを見ていたユリア王子は、愛に話しかけた。
「愛様の国では、コードゥルはないのですか?
少し、驚いた様子でしたので」
「はい、ありません。
暖かくしたミルクと、同じく暖かくしたワインは飲まれているのですが、この様な合わせた飲み物は私の知る限りないと思います。
でもこれは、癖になるような飲み物ですね」
「率直に言いますと、自分の好みではないのですよ。
こちらの御二方の好みで食前酒を決められてしまったのですが、結果的に良かった様ですね」
「ユリア王子、言った通りでしょう。
女性で、この飲み物が嫌いな人はいないのよね」
ジュリアがしたり顔で、ユリア王子に話しかけた。
「赤鯛のスープでございます」
給仕係が、斜め後ろから愛にそう言ってスープが差し出された。
透明だけれども、少しだけグレーがかったガラスのスープ皿には模様が入っている。その中に、数個の魚肉の塊が見えた。スープはほぼ透明で、魚の脂と思われる脂が少しだけ浮いていた。スープ皿と同じ様な模様の銀のスプーンで、少しだけ飲んでみた。
美味しかったけれど、少し物足らない味だと彼女は思った。
「もしよかったら、愛様の世界の事を聞きたいのですが?」
ユリア王子は、そう言った。
けれど、すぐに返事がなく、彼女がスープを飲んだ後に考えている風だったので、それを聞いてみた。
「スープの味が気になりますか?」
愛はその言葉でハッとした。
「ごめんなさい。
友達が、料理の事になると周りが見えなくなるよって言っていたのですが、こんな大事な時に・・・」
「いえ、謝ることは全然ないのですが、このスープの何が気になったのでしょうか?
そちらの方が私は気になります」
冗談ぽくユリア王子が言ったので、マリサが少し笑った。
「このスープには何かが足らないと思っていたのです」
「このスープにですか?」
ジュリアは気になったので、スープをすぐに飲んだ。
いつもの美味しいスープで、何が足らないか見当がつかなかった。
「愛様の言われる、何かが足らないのは私には分からないわ。
愛様は料理学校の生徒さんでしたよね?」
「はい、そうです。この様なスープを作った事もあるのですが。
あ、思い出しました。柑橘類を使うと更に美味しくなるんでした」
「柑橘類は確か、紅茶用にレモンがそちらの配膳の為のテーブルにあると思いますけど」
ジュリアは給仕係の人を呼んで、レモンを持ってくるように頼んだ。
紅茶用のレモンだったので、すでに半月状に薄く切られていた。
「これを、スープに入れるのですか?」
ジュリアは愛に聞いた。
「形は少し違うのですが、これで代用になると思います
この様にスプーンに乗せて、レモンは飲み込まない様に香りを楽しむ感じでスープだけを啜ります。」
そう言うと愛は、スープを啜った。
レモンのほんの少しの果汁の効果で魚の脂の少しあったくどさが抜け、さらに、爽やかな
ほのかな香りとの相乗効果で、数段美味しいスープに仕上がったと思った。
「如何でしょうか?」
三人は、愛の飲み方を参考にして、スープを啜った。
彼らの顔が満足そうに、愛の方を向いた。
最初に話したのはジュリアだった。
「これ、とっても美味しいわ。
先程のスープよりも爽やかさが増して、ほんの少し諄いと思っていた魚の脂が気にならなくなっている」
「ジュリアの言う通りだね。
先程のスープよりも美味しくなっている」
マリサは、感嘆の言葉を発した。
「とっても美味しいです。
レモンを入れただけなのに、ここまで美味しさが変わるなんて」
愛は少し照れた。
「皆さんに喜んで頂いて嬉しいです。
ですが、料理を作られた方に申し訳なくて。
私も、せっかく作った料理に何かを加えた方が美味しいと言われたら、少し落ち込みますから」
「それは気にすることはないと思いますよ。
料理長は大らかな、気の優しい人ですから」
ユリア王子が話をした後、ジュリアが提案をした。
「愛様。
こちらの世界に慣れるために、料理を作ったら良いのでは?
慣れた事をする方が早くこの世界に馴染むのではと思うのですが?」
「ジュリア様、魂胆が丸見えですよ。
要は、愛様の作った料理を食べたいだけでは?」
ユリア王子は、ジュリアの方ジロッと見ながら話した。
ジュリアは、悪びれる事なく舌を少しだした。
「ユリア王子にはすぐにばれてしまったけれど、この世界に馴染むには丁度良いと思ったのだけれども。
如何かしら?」
「それは・・・。
悪い考えではないとは思うのですが、本人に聞いてみないと」
愛の頭の中で、「働かざる者食うべからず」と聞こえてきた。
一般的な言葉だけれども、高校卒業後の進路を決める時に何度も母親から聞かされた。
「私は、料理しかお役に立てそうもないので、それでお願いします」
愛は、ジュリアの提案にすぐに賛同した。
知っている事から入ったほうが、この魔法の世界に馴染みやすいのではとも思った。
マリサがとても喜んで、大きく頷いている。
愛が来るまでは、勇者の接待をしなければならない重圧から常に心が重かった。今は全くの真逆で、愛の近くにいるだけで嬉しくなるのだった。
ユリア王子は、とにかく愛の基礎レベルが高いことに少し安堵したのだけれど、当分の間は様子を見る方が良さそうだと判断した。
しかし、ジュリアにはいつも振り回されている気がしてならなかった。
「数日は、ゆっくりとした方がいいですね。
料理は、それからでも遅くないと思いますよ。
ところで、愛様の国ではどの様な料理が人気なのですか?」
ユリア王子は料理の話から、愛に関しての情報を聞き出そうと思った。
もしかしたら、この国の未来を変える人物かもしれないと、直感でそう思うからだった。
その後、愛が日本の人気の料理と飲みもの説明をしていたら、あっという間にデザートまで時間が経っていた。
「これが噂の焼き菓子ね」
デザートは、大きな皿にいく種類も盛り付けられてそれぞれの前に置かれた。
その中で、ジュリアはマリサから聞いた焼き菓子を手に持っていた。
「愛様、マリサから聞いたのだけれども、この焼き菓子をどの様にして食べるのですか?」
「本来なら、アカネ科の木の種類の、コーヒーの木のタネから取れる豆を煎って、紅茶のように飲み物にします。そのコーヒー中に硬い焼き菓子を漬けて食べます。
ビスコッティと呼ばれている焼き菓子には、ナッツ入りや甘みの無いものもあります。
また、チョコレートやメイプルシロップを部分的にコーティングした種類もあります。
コーヒーのほんのりとした苦味と、焼き菓子の甘みが意外と合って、それぞれを食べるよりも美味しくなるんです」
「コーヒーとは、アカネ科の木の種から作られる飲み物ですか?」
ユリア王子が気になって聞き返した。
騎士団が夜警をする時、眠くならない様に乾燥されたアカネ科の木の豆を乾燥させて直接食べていたからだ。
「アカネ科の中の、コーヒーの木の豆を使います。
その豆をゆっくりと焙煎をして粉にします。その粉に熱い湯をかけて、成分を抽出します」
「焙煎とはなんですか?」
「焙煎は、豆をゆっくりと炒って香ばしく仕上げる事を言います」
「それは、いい考えかもしれないな。
眠気を取るために直接乾燥した豆を食べていたからね。
でも、眠気を取るためとはいえ、これが不味いんですよ」
「焙煎もしないで豆を直接ですか?
それは、とっても不味そうですね」
「あはは。
でもこれからは、美味しく眠気覚ましの飲み物が飲めそうです。
それに、夜食に焼き菓子を添えれば、一石二鳥になります」
「それでしたら明日、アカネ科のその豆の焙煎をしましょうか?
眠気がなくなるのでしたら、それはコーヒーの木の可能性が高いです」
「それは助かります。
騎士団長達に試飲をしてもらって、」
「ユリア王子!」
ジュリアが、少しきつい語気でユリア王子の言葉を遮った。
「私の聞き間違いでなければ、数日はゆっくりして下さいと言ったような気がしたのですが?」
ユリア王子はジュリアを見て、ほんの少し目を細めた。
「これは失礼を致しました。
やはり、数日はごゆっくりなさって下さい」
愛はすぐに返答をした。
「体力的には全く問題ありません。
何かをする事によって、早くこの世界に慣れたいと思います。
ジュリア様のお心遣いには感謝致しますが、その様な分けで明日から早速始めたいと思います」
「愛様、ありがとうございます。
決して無理をなさらずに」
そう言うと、ユリア王子は軽く頭を下げた。
「お心遣い、ありがとうございます」
愛も軽く頭を下げた。
ジュリアは、先程から食べたかった焼き菓子を紅茶に浸して食べた。
「これ、とっても美味しいわ。
こんな食べ方があったなんて!!!
ユリア王子とマリサも食べた方が良いわよ」
ユリア王子とマリサも、同じ様にして焼き菓子を紅茶に浸して食べた。
二人とも驚いた様な顔になっている。
「これは素晴らしい。
この焼き菓子は固すぎて好きではなかったのだけれど、これなら美味しく食べれる。
コーヒーで、ビスコッティの焼き菓子を浸して食べてみたいものです」
「ユリア王子の意見に賛成ね
私も明日から、マリアと一緒にお手伝いする事にするわ。」
「ジュリア様は、食いしん坊だけの様な気がするのですが?」
ユリア王子は、疑いの眼をジュリアに向けた。
「あら、それは当たってはいますけれど、騎士団の士気を高める為にはこれは有益なのではないでしょうか?
これが、夜警の時の必需品になる事は間違いなさそうですから」
「それは、そうですが・・・」
ユリア王子は少し考えて、三人に話した。
「それでは三人の御婦人方に、正式にこの案件を依頼します」
「はい、喜んでお引き受けいたします」
ジュリアはユリア王子に軽く頷いた。
その後、彼女は残りの焼き菓子を持って食べ始めた
愛は、明日からやる事が出来たので取り敢えずは安心をし、明日の為に焼き菓子を紅茶に浸して一口食べた。
この焼き菓子は、先程食べた焼き菓子と味が微妙に違うのに気が付いた。
しかも、危険な味がした。
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