***


 開かれた窓から入った風が日除けのブラインドを揺らしカタリカタリと音を鳴らす。ラッキービーストは部屋の片隅に静かに立ち止まっており、小さな二つの目には湾曲した風景が映り込んでいた。スチール製の事務机に前に座ったキララは六角形のボールペンを手にし書類仕事に集中していた。ペン先が不定のリズムで音を鳴らしながら止まることはなかった。首元で束ねた髪は資料と書類に視線が動くたびに揺れ動く。


 人が言うなればデジャヴュという感覚に類似した気持ちが機械であるラッキービーストに想起していた。記録回路が演算した気まぐれか、ノイズが見せる幻影なのか、ラッキービースト自体理解できない動作だった。


『自分の仕事に誇りはないのですか』


 小さなモニターに向かってキララは静かに、されど怒りが滲み出るようにはっきりとした声色で語りかけた。モニターには分割された画面に複数の人物が写っていた。写っている人物全て白衣を纏っていた。一年前に行われたジャパリパーク医療センターのテレビ会合の時のことだった。


『巴君、その発言はなんだ』一番の老齢の男性が答える。男性の眉間には深い皺が出来ていた。


 キララは深呼吸を一度した。モニターに映らない右手は座った膝の上で震えるように握り締められていた。


『先ほどから話されているアムールトラに関しての感想です』


『それがなぜ我々の仕事の誇りと関係がある?』


『事前に配布されていた資料には目を通しております」空いた左手で資料を持ち、わざとらしくモニターに映るようにひらひらと揺らした。「保護されたアムールトラは幼獣時に密猟者と遭遇し、親を目の前で射殺され、幼獣は密猟者に捕獲され小さな檻に入れられ度重なる虐待と最低限の食料しか与えられていなかった。捜査機関が別件での密輸入で密猟者を家宅捜査の際発見され保護、治療と保護目的で当施設に移送、でいいわよね』


 モニター内の隅に写っていたどこか弱々しいキララと同じ年くらいの若い女性が「はい」と短く返事をした。現在アムールトラの治療に当たっているしんりんちほーの医療センターのドクターだった。


『で、今現在アムールトラはフレンズ化するも、餌も食べようとしない、水も取ろうとしない、人間に対してフレンズ化以前の記憶がある為世話をしようにも暴れてしまい危険性が高く、自傷行為も見受けられるが治療が出来ない。対応が取れないと、そう先ほど話されていましたよね』


『そうだ』男は頷く。『アムールトラはベルクマンの法則の通りトラの亜種では北部にすんでおり最も大型だ。ヒグマだって捕食する。そのような猛獣、危険だ』


『それで今後どうするのです』キララは静かに手にした資料を机に置いた。しんりんちほーのドクターを見る。『その話を一切話されてませんよね』


『様子を見るしか無いだろう』男はため息をつく。『それに万が一があれば……』


『奇跡の機械に頼るというのでしょう?』キララは椅子から立ち上がり、机を今まで握っていた右手で叩く。『フレンズは言葉が話せます。コミュニケーションが取れるんです。この経歴を見ればすぐに解決できる問題とは私も思いません。ですが、最悪の事態にだけ対処できる夢のような機械に頼ろうとするのは医者としてのやるべきことをせず、治療すべき患者を放置しているのでは。だから誇りがあるのかと言ったのです』


 モニターに映し出されている面々がざわつく。


『巴君、口を慎みない』男は一喝した。


『黙りません。私は馘首覚悟で話しているんです』キララは先ほどまで置かれていた右手の握り拳を広げて胸に当てた。『手に負えない、っていうのであればこちらで面倒見ます。毎日毎日ネコ科と戯れるさばんなちほーを担当しているんですよ』


『精神的に傷を負った猛獣をどうするというんだね』


『ここにはパートナーフレンズのイエイヌがおります。優しい子ですから人間がダメでも彼女なら心を開いてくれる可能性があります。いわゆるドッグセラピーという治療です。それに昔は育児放棄等されたネコ科の動物はイエイヌと一緒に生活させることにより社会性を身につけさせるということもありました』キララは肩を上下させていた。ふと下を向き、二、三度大きく深呼吸して再び笑顔で顔を上げる。『重要な会合内容は終わったようですので業務のため、失礼させていただきます。良いお返事お待ちしております」


 キララはそう話すとモニターの電源を落とし、脱力して椅子にどすんと座り両手で頭を抱いて机に突っ伏した。時折、あああ、という低い呻き声と共に両手で頭を掻く。


『ア、アワ、アワワワワワ』ラッキービーストは目をチカチカと点滅させながら小刻みに震えだし声をあげた。


 キララはそれまで近くにと事に気づいておらず、突然の声に慌てて身を起こし振り返った。青ざめた顔色にはバツの悪そうな表情が伺えた。


『いつから見ていたの?』声を引きつらせながら問う。


『ドクターガ話ヲシテイル所カラデス』


 キララは再び顔を覆い隠し身を埋める。『ああ、そう』や『あああ』と声を漏らした。


『……ドクター、何故アノヨウナ事ヲ言ッタノデスカ?』ラッキービーストは自分の言葉に驚いた。


 本来機械であるラッキービーストには基本原則のプログラミングが仕組まれている。一つは人に危害を加えることの禁止、一つは自身に危害を加えることの禁止、一つは人の命令などに従順であること。故に命令に従順であるために人の行動に疑問を抱かない。


 キララは指の間からラッキービーストを見つめる。


『しんりんちほーに保護されているトラのフレンズがいるのだけれど』キララは手を膝の上に置く。そして深呼吸する。『笑ったのよ、あいつら』


『笑ッタ?』


『そう、何かあってもカプセルに入れれば大丈夫でしょう、って笑ったのよ。それを見たら頭がぷっつんしちゃって……』手をひらひらと上下に振った。だが、段々と言葉が弱々しく小さくなった。「……ああ、勢いで言っちゃった。あんなの具体的な解決策でもなんでもないじゃない。そりゃあ、ライオンちゃんとか世間話してるけど、あの子って群れよ、トラは群れ作んないじゃない。しかも精神的に問題を抱えている子よ、万が一ヌイちゃんに怪我させる可能性も……』


 キララは顎に手を当て、首を傾げ思考に耽る。何か良いアイデアが出れば笑顔が蘇り、そのアイデアに欠点を見つければ再び暗い表情になる。その行動を何度か繰り返すと、軽快なパンッと部屋中に響くような音で顔を両手で叩いた。


『ドクター!』ラッキービーストは自身で傷つけようとするキララを制した。がそれは無為に終わる。


 キララは満面の笑みで立ち上がると背伸びし、白衣を整えた。両頬が少し赤みを帯びた表情はどこか幼さを感じさせるも、先程までの暗さは微塵も感じさせなかった。


『うだうだ考えたところで、後悔しないよう自分に出来ることをやるだけよ』ラッキービーストに向かって優しく話しかけた。


『……私デ手伝エル事ガアリマシタラ言ッテクダサイ』


『ええ、分かったわ。ありがとう』キララはゆっくりとラッキービーストの脇を通り抜け、部屋を出ようとした。そこでふと立ち止まり振り返る『そういえば、ラッキービースト、貴方ってそんなにお喋りしたっけ?』


   ***


「ドクター、パーク巡回ノ時間デス」ラッキービーストは仕事をしているキララに話しかけた。


「あら、もうそんな時間なの?」


 キララは作業中の仕事を止めて、左手首に着けてある時計を見た。椅子を引いて立ち上がり窓に歩み、ブラインドを上げて身を乗り出した。風がキララの髪を靡かせる。


「ヌイちゃん、アムちゃん、巡回の時間よ」


 医療センターの外に設置されたベンチに座り、体を左右に揺らしながらじゃぱりマンを咥えたヌイが耳をぴくんと反応させて立ち上がり「はーい」と返事をした。ヌイの隣いたアムは手で影を作り、口元が微かに上がりながらキララを見上げ言葉を出す代わりに一度だけ頷いた。


 ヌイとアムの近くにはミニスクと呼ばれるサイドカーがついた黄色の電動スクーターがあった。ミニとは名ばかりで大きく、シートは細長く二人乗りができる。ハンドルの中央には丸い窪みが作られておりラッキービーストが設置できるよう作られていた。


 キララは机の隅に重ねられた三つの赤色に白い十字が描かれたハーフヘルメットを抱えた。


「さあ、ラッキービースト、貴方も行くわよ」キララは空いた手をラッキービーストに差し出す。


 ラッキービーストはぴょんと一度飛び跳ねて近づくと「宜シクオ願イシマス」と頭をキララの手に触れさせた。


 誰もが平凡な日常が、あの日、あの時、あの場所まで続くと思っていた。それを疑うものは誰一人もいなかった。


   ***


追伸

すいません、遅くなりました。

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