第5話 初戦

 白い部屋に高校生の男女が閉じ込められている。周辺には珍妙なぬいぐるみと巨大なモニター。やがてぬいぐるみはひとりでに喋り始める。


「これからゲームを始めます」


突然と開始されたゲームは少年少女の心の暗部を曝け出し死の香を漂わせる。そして最終的には血に濡れたたった一人のみが脱出を許される。


 そんな陳腐な物語を幾つも見てきた。

 現実からの脱却にしてはあまりにも下らなく、興じるにしてはあまりにも魅力のないデスゲームの数々。

 しかしそんなものは所詮、道楽の延長に過ぎない。無味乾燥の日常を壊してほしいという願望が発露した結果だと言ってしまえばそれまでになる。

 だからこそ、そんな願望とは無縁の人生を歩む自分は巻き込まれないだろうと考えていた。


 それがどうだ。壱ヶ谷真尋は人の死を踏みにじる権利を獲得し、たった今、無残にも殺された男の前でゲームの真実をムスプルヘイムの手によって容赦なく垂れ流されている。


 「他の構成者ヘルハールを殺して自身の生存を勝ち取る。それがこのゲームのもう一つの生存条件だよ」


 予想していなかったわけじゃない。裏があることは読んでいた。もしかすれば作為的な形で死が付随する可能性があるのではと勘繰っていた。

 こんな胡散臭い奴がアドバイザーを務めるようなゲームだ。ただの遊戯で完結する保障など何処にもない。


 「……最後の一人になるまで殺し合えってか?」


 虚ろな瞳でムスプルヘイムへと問いかける。

 気力が削ぎ落とされ、全身が抜け殻になっても尚、声帯が機能したことに少し驚いたが、それよりも驚愕を示したのはムスプルヘイムの方だった。

 人の死体が目の前にある状況で吐かずに、しかも現状に対して疑念を投げかけるなど常人の思考回路で成せるものではない。真尋が異常者の側面を持ち合わせていることには気づいていたがまさかここまでとは想像していなかった。


 「キミって耐性っていうか…人の良心っていうのが欠落してんじゃない?」


 「それをお前が言うのかよ…」


 「それもそうだね…」


 冷静に、されど虚無の混じった表情はムスプルヘイムを軽く怯ませたが、自身の立場を思い出したのか、すぐに真尋のアドバイザーとしてルールの全容を説明する。


 「ま、さっきも言ったけどこのゲームをクリアするには大なり小なりの歴史改変と構成者ヘルハールを殺すのが必要になる。でも、全員は殺さなくていい」


 「どういうことだ」


 「なに、簡単だよ。要は規定人数ってヤツさ。このゲームには最大脱出可能人数ってのが設定されててね。その設定された数まで殺せば問題ない」


 問題の居場所が分からなくなる。

 殺人を問題とせずに殺される人間の数を問題にするムスプルヘイムや主催者の思考が理解できない。

 そもそも、何故殺さなくてはならないのか。そこが不透明な以上は納得しかねるというものだ。それを真尋の表情を見て汲み取ったのかムスプルヘイムは説明を付け足していく。


 「何で殺さないといけないんだ…って考えてるでしょ。その理由は一つだ。単純に今のままじゃどっちにしたってキミらは帰れないんだよ」


 「…何だと?」


 「つまり…そうだねぇ…歴史改変を切符と例えるなら、構成者ヘルハール殺しは運賃だと言えば分かりやすいかな?」


 「運賃だって…?」


 「そう。行きの魔力はこちらで調達可能だけど、帰りは何とかしてくれってね」


 「随分と適当なんだな…」


 馬鹿げている。そんなことの為に殺人を強要させるのか。

 しかも出発分は稼げて帰還分は稼げないと来た。雑にもほどがある。恐らく更に裏があると考えていいだろう。

 でなければこのルールの必然性が見いだせない。しかも最大脱出可能人数とムスプルヘイムは言った。つまりはこのゲームから複数人の脱出が可能だということだ。

 中途半端すぎる。どうせなら一人残らず殺せばいいものを数人も生かす意味が分からない。しかし、ありがたくはある。最低でも二人以上の生存が叶うのなら少なくとも真尋と恋花の同盟は解消せずに済むからだ。


 「それで…今回のゲーム、脱出が叶うのは何人だ」


 衝撃の事実。普通なら竦むどころか狂乱に陥ってもおかしくないというのに壱ヶ谷真尋の闘志は掻き消されていない。

 それどころか疑念もあっただろうに躊躇いなく自身の次の一手を探ろうとする真尋にムスプルヘイムは軽く畏怖を覚える。この町の住民は揃いも揃って順応性が高かったが、この男に比べれば雲泥の差だろう。


 「二人だよ。六人中二人。その内、一人は退場して残りは五人だから…後、三人始末すれば条件達成だ」


 「…そうか」


 安堵する。真尋と恋花の存命は現時点で以て約束された。後の課題はこの歴史の攻略法と残る三人とどう対峙するかのみだ。


 「まさかとは思うけど…もう覚悟を決めちゃった感じ?幾らなんでも早すぎっていうか…キミって絶対、頭のネジが数本飛んでんじゃないの?」


 ムスプルヘイムの言葉は真尋にとって心外でしかなかったが、環境慣れの迅速さについては自覚しているつもりだ。

 真尋とて動揺がなかったと言えば嘘になる。人を殺し、平和に麻痺させられた思考では理解のできない世界に迷い込み、挙句の果てに殺人ゲームへと巻き込まれた。

 恐怖はあったし、嘔吐感は胃の中でまだ燻っているし、震えも鳥肌も治まる気配がない。一歩下がれば直ぐにでも全てが瓦解する自信が真尋にはある。だからこそ――


 「そうだな…確かにネジは飛んでるかもしれねぇ…けど、人を殺して吐くのも、止められなくて後悔すんのも、救えなくて懺悔すんのも、生きてりゃ何度だって繰り返せる。でも、死んじまったら、そんなことすらできなくなっちまう。それに――」


 「それに?」


 「風切を一人残して先に逝くわけにはいかねぇだろ」


 そうでもしなくては生きていけないのなら自身の手を血に沈めることすら厭わない。そして何よりも人の命を背負った以上は最後まで責任を果たさなければならない。

 命を奪ったのなら奪ったなりの戦い方で立ち向かうしかない。それ以外に真尋に取れる選択肢がないのならゲームの方針に従うまでだ。


 「…キミってよくさ、女の子とかにキザだの何だの言われない?」


 「あ?言われたことねぇよ」


 ムスプルヘイムの態度は気に喰わなかったが、それを無視して改めて死体を確認する。


 頭は潰れ、内臓は飛び出た典型的な猟奇性を感じさせる死体。中高生ならば無意識に気色悪さと興奮を覚えるであろう損壊は四肢や胸までには行き着いていない。


 もし仮にそんな死体の特徴を挙げるとするならば、大きく分けて二つある。


 一つは服装。直垂にも似た時代劇のような格好と言えばいいのか。とにかく、現代ではまず遭遇する機会のない服装をしていた。


 二つに周辺物。周辺物と言っても一つなのだが、所謂、日本刀。それも恐らくは重量一キロを超えるであろう立派な得物が落ちていた。

 真尋の筋力では片手では到底振れず、両手持ちで辛うじてではあるが使い物になる程度の代物だったが、何よりも奇妙だったのはその数。

 本来、侍という役職の人間は二本の刀を脇に差す生き物であるが、死体の横には一本しかない。サングラスの似合う怖いお兄さん用の礼装だと言ってしまえばそれまでになるが、疑惑の影が晴れることはなかった。


 「…なぁ、これって日本刀で合ってるよな?」


 「うん、何処からどう見ても日本刀だね。ま、流石に美男子にはならんだろうけど」


 「そういうことを聞いてるんじゃねぇよ…」


 唐突に気配が変わった。激しい耳鳴りと銃声が辺りに響いている。聞こえるのは男の叫声のみ。それも最早、絶叫に近い。

 自らの死を悟っての最期の悪あがきと言わんばかりの声。数秒後にはこの世に留まっていない己が魂に向けての鎮魂歌。それが溢れんばかりの声量で響き渡っていた。


 「今のは――」


 「あぁ、間違いなく構成者ヘルハール同士の戦闘だね。魔力がここまで伝わって来てるよ」


 「そういや、構成者ヘルハールの戦いはこの世界にはどう写ってるんだ?まさかとは思うが…」


 「そのまさかだよ。戦闘時の影響はこの世界にも反映する。余波で歴史が変わるなんてのもザラだからね。ただまぁ、撃った銃を町で披露して解放なんてのは起こり得ないから安心してね」


 そうなっては堪ったものではないが、歴史改変の規模が漸くある程度だが把握できた。要はエリザベートに関わる範囲での歴史改変。より正確にはエリザベートが何らかの形で正史とは異なる展開に持って行くように仕向けられるほどの改変を行えばいいのだ。

 つまり、先の説明を借りるとするならただ単に銃を町で披露しても改変には至らないが、それを見てエリザベートが銃の生産を開始したのなら、歴史改変は果たされる。かなりアバウトな気がしないでもないが、この理屈以外では説明しようがないのも事実だ。


 「さてどうする?戦闘に介入する?それとも静観する?選ぶのはキミだ。アタシもキミのやり方に従おう」


 「そうだな…」


 どうするべきか。普通に考えてこの死体を生み出したのは現在戦闘中であるどちらかの人間だ。

 選択を誤れば真尋は地べたに転がる死体と同じ末路を辿る羽目になる。それは容認できない。しかも片方は銃を持ちながらも手こずっているのだ。銃持ちの方は休戦までは持ちこめたとしても、もう片方は不可能だろう。何せ銃に臆さずに立ち向かえられるほどの実力者だ。

 下手に持ちかけても返り討ちに遭い、そこで真尋の人生は完結を迎えるだろう。ならば取れる選択肢は一つだけだ。


 「…静観だ。どっちにせよ数が減るのなら問題はないし、協力関係をこれ以上、増やしても意味ないしな」


 「了解。ならどうする?向こうもこちらの存在には気づいてるだろうし…あっちの戦いが済んだら向かってくる筈だよ」


 無秩序に放たれていた銃声が鳴り止む。断末魔すら許さないと言わんばかりに殺されたのだろうか。

 一つ確実に分かることがあるとすれば戦闘が終わったという現実のみ。魔法の使用すら成っていない真尋に対抗手段が残されているのだろうか。だが、作戦がないわけではない。自身の属性が炎なら賭ける価値は十分にある。


 「ムスプルヘイム…二つ頼みがある」


 「何かな?」


 「まずは…即席でいい。俺に魔法の使い方を教えてくれ」


 「なに、単純だよ。炎よ出ろと己の心の中で念じればいい。それだけで炎は発現する」


 半信半疑に言われたままの手順を反復する。すると、右手を中心に肘までの部位が橙色をした炎が発現し、瞬く間に真尋の右腕は炎に包まれた。

 カーキブルゾンを燃やすことなく揺蕩う炎の姿は自然の摂理のそれではなく、正に魔法そのものであったが、これを扱うとなるとまた別問題だ。


 「…すいません。利用させてもらいます」


 操れているかどうかも不明瞭な炎腕を死体に当てる。死体の右手に触れ炎を広げていく。乱雑な火葬は全身へと拡大していきやがて、黒煙が夜空へと昇って行き死体の魂を運び去っていった。


 「敵がこちらに気付いた。距離は大凡、二百メートル先といったところか」


 「了解した」


 時間がない。業火に炙られ、燃え盛った死体の傍らに捨てられていた日本刀を手に取る。

 武器としての利点よりも弱点の方が遥かに目立つが、それでも手段の一つとしてならばカウントの余地があるだろう。状態も悪くない。人一人ならば切り捨てることも可能な筈だ。


 「…今なら婆さんの身ぐるみを剥いだ下人の気持ちが理解できるな」


 「ん?どうかした?」


 「いや、それより二つ目だ」


 狼煙が上がる。闇夜の初戦。生き残りをかけたデスゲームが始まる。残り四人。生き残るのは二人のみ。ここにたった二つの席を賭けた戦いの火蓋が切られた。


 ※※※※※


 アズサは何処にでもいる普通の人間だ。

 流行の波に乗り、柔軟に己の趣味を変質させ、変幻自在に自分の立場を確立させていく。周りが髪を染めたのなら、自分も染める。周りが流暢に呪文にしか聞こえない言葉を喋り始めたのなら自分も喋る。周りが肌を黒くしたのなら大金を払って日焼けサロンに通う。

 そんな世間のパズルに自分を当て嵌めることを躊躇しない人間だ。


 だから、それがたとえ過去の世界であろうとその本質が変わることはない。


 「ってかさ~、あそこのエリチャンとかいうBBAは何時になったら出てくるわけ?マジでガン萎えなんですけど~」


 「そういうこと言うなよ。ルールは話したろ?先に他の連中を潰しておけば有利なんだって」


 「聞いたけどさ~、アイツ等雑魚過ぎてテンション駄々下がりなんですけど~」


 この世界に迷い込んだのは夕方頃だっただろうか。わけの分からない妖精とやらからルールを聞いて町までやって来たのはよかったが、変な感覚に襲われて死にかけるわ、刀を持った男に殺されかけるわ、鉄砲を持った男に撃たれかけるわで散々だった。

 何とか始末することはできたものの、結果として町の探索と城内への侵入は叶わず、しかも近くにもう一人の構成者ヘルハールが待ち構えていると来た。

 初日からこれである。ただでさえ女子高生に歴史改変とかいう意味の分からない課題を押し付けられた上、二人も人間を殺したとあってはテンションが下がるのも無理はないだろう。


 「そう言うなよ。あと一人で終いだ。そいつを殺した後は一日ぐらい休んでも罰は当たらないだろうさ」


 「それもそうだけどさ~…」


 正直言って先までの戦いは歯ごたえがなかった。

 刀を振り上げてきた奴は頭と腹が弾け飛んで死んだし、銃を撃ってきた奴は適当に魔法を当てたら勝手に耳から血を吹き出して力尽きた。面白味がない。というか張り合いがいがない。

 しかも次の奴に至っては自分から居場所を晒していると来た。馬鹿も極まれば知能すら殺せるのかと憐れむが、それを抜きにしても自身の位置を煙で伝えるとは阿呆もいいところである。


 「さてと、それじゃ三人目の始末と行こうか」


 妖精の血気盛んさには軽く嫌気が差すが、行動を起こさなければ話が進まないのも事実だ。幸い次の相手は自分の位置すら碌に管理できないような間抜けだ。隙は十分にある。


 妖精に言われるがまま、道を進み煙が昇りつづける場所を目指す。横道に逸れ、狭い通路を辿った先にその答えはあった。


 「はぁ?何これ?」


 火葬。そうとしか例えようのない燃え盛った人間の死体。既に殆どが焼け焦げ、骨が露呈しながらも自身が殺した誰かだというのは理解できた。


 瞬間、アズサの背後から火柱が迫ってくる。それはこの単純な囮を生み出した構成者ヘルハールからの先制攻撃であり無防備な背後を狙った開戦を意味する一撃だった。



ギャルだ。ギャルが居る。それも多少の清純さを感じさせる現代のギャルではない。

 九十年代に蔓延っていたゴテゴテのアクセサリーに黒肌、ブリーチの海に頭髪を沈めさせて完成させたかのような金髪。凄惨な歴史の闇にはあまりにも場違いな格好をした女が真尋の罠に吸い込まれていく。


 分の悪い博打だった。そもそも相手には妖精が付いているのだから意味のない行為だと考えていた。しかし、コイツらの性格を鑑みて、それが杞憂であることに気づいた。


 これはあくまでも予測だが妖精の人格は悪辣だと仮定していい。

 人を煽り、見下し、問われなければ答えない。それこそ宇宙の延命などの大義名分がなければ万人に嫌われるよう設計されている。

 そんな奴が無条件で情報や危機に陥った状況を構成者ヘルハールに開示するとは思えない。ムスプルヘイムだってそうだった。主人の危機を傍観するだけで助け舟も回復のみの体たらく。その上、死にかけたのだから魔法を唱えた意味すらない。だから分が悪くても成功率が皆無の作戦ではなかった。


 「まんまと引っかかってくねーアイツら。自分が嵌められてることすら想定していないかのようなアホ面でズケズケと進んで行ってるよ」


 「そりゃまぁ、相手も二人殺して余裕が生まれたんだろう。それに妖精はたとえ構成者ヘルハールが状況に疑念を持っても聞かなきゃ答えないポンコツだからな」


 「酷い言い草だね。これでも他のマスコット野郎共に比べればまだマシだと思うんだけどねー」


 「そいつらと比べてる時点でお察しだがな…」


 攻撃対象となる構成者ヘルハールの右斜め後方にある家の陰。そこが真尋の隠れている場所だった。必死に息を殺し、鼓動が一秒毎に加速していく心臓を押さえつけ、何とか命のやり取りを行う相手を凝視する。


 どちらが死ぬのか。生と死の配分はどちらに割り振られるのか。この感覚はいつまでも慣れないだろう。緊張と緊迫がせめぎ合う。勝つか負けるかの単純な勝負が始まろうとしている。


 「対象が罠にかかった。仕掛けるなら今だよ」


 殺していた息を吐く。鼓動は収まらないが、この状況を打開する為には無視するしかない。


 「……行くぞ」


 「オーライ。それじゃあ開戦だ」


 走る。敵との距離を一気に詰めると同時に右腕の紋章から炎を解放する。

 熱量は不明だが常人が浴びればひとたまりもない火力が込められているのは間違いない。それを横に振り放出。火は真尋が直感で定めた行く先を瞬時に理解し一直線に迸っていく。


 「はぁ?何これ?」


 その呟きすら瞬く間に炎は呑み込んでいく。敵を中心に円柱を形成し、内部の高温度によって焼殺する。直接的な囮を使った戦法の第一段階は当の真尋ですら疑うほど、あっけなく成功し、そして弾かれた。


 「…やっぱ、そう簡単には行かねぇか」


 空気が断裂した。頭から足先まで余すことなくギャルの全方位を囲んでいた炎が邪魔だと言わんばかりに吹き飛ばされたのだ。

 軽く焦げた袖を払い、欠伸をしながらギャルは真尋を見やる。先まで血気盛んだった炎は今や周囲の雑草を燃やし続けるだけでそれもほんの数分で風に攫われて消失する運命に追いやられていた。


 「超音波は守護する《ヴェルデディキング・ウルトラセニス》…だっけ?意外に役立つんだねコレ」


 失念していた。相手も紋章を持ち合わせているのなら防御の一つも確立している可能性に何故、行き着けなかったのか。

 希望は崩壊し、真正面で対峙する構成者ヘルハールは片や警戒を厳として、片や疑問を投げかける。


 「ってかさ、このショウシタイ?って言うんだっけ?アンタがやった感じ?」


 「…だったら何だってんだ」


 「うーん…いやさ、別にどうだっていいんだけど、ウチ早く寝たいんだよねー。ホラ、ウチスゲェ殺り合ったからさ。…ってか、それ抜きにしてもこんな夜中まで起きてるとかマジ美容の大敵ってヤツじゃん?だからさ――」


 電流が電光石火の如く真尋の背筋に押し寄せる。奪衣婆が真尋へ向けて手招きしている。ギャルの右腕に刻まれた紋章が淡い光を放つ。

 怒りでもなく、戦闘に意義を見出しているでもなく、ただ眠いという理由だけで牙を剝ける少女の裁定はそれの妨げとなる真尋に対して容赦なく下された。


 「とっとと死んでくんない?」


 衝撃波。そうとしか捉えようのないエネルギーの放出が真尋目掛けて放たれる。

 それを間一髪で横に逸れて躱し、右手を地面につかせながらも何とか体勢を立て直す。異常はない。妙に右耳だけ耳鳴りがするのが気にはなったが、些事だと投げ捨て次の行動に移る。


 「クッソが…!あんなの聞いてねぇぞ!」


 そう愚痴を零しながらも民家の間を走り抜けながら炎を己の周囲に展開。自身の魔力が許す限りの範囲へと広げて壱ヶ谷真尋という人間を少しでも隠蔽する。

 が、そんな安い防壁は彼女の衝撃波相手には通用せず、一枚、一枚と剥がされていく。


 「ってかマジでウザいんですけど~。さっきウチ言ったよねぇ?寝たいんだよさっさとぉ~、だからさ~早く死ねよ~」


 こちらが言えた義理ではないが一体、あのギャルは人の命を何だと思っているのか。

 炎を撒き散らしながら少し苛立ちかけるが、それでも炎の生産は止めず、真尋の命を刈り取らんと発射される衝撃波を避け続け、彼女の背後を目指す。


 「そこにいんのバレてんかんな」


 腹部を中心に紋章から形成された衝撃波がぶつかる。

 炎を通過し、物体を透過して接近した透明な砲弾の威力は脳が激痛を発する前に真尋の全身へと駆け巡り物理法則はそれに従って真尋を強制的に開口させ、吐血へと導いた。


 「がはっ!」


 風景が純白に汚染される。何もかもがノイズを纏わせている。胃から逆流した血液が肉体から脱走していく。まずい。意識が混濁の海に溶けてしまう。それだけは駄目だ。


 右腕の紋章に保った意識で魔力を回す。炎は瞬時に真尋の思惑通りに機能しギャルを拘束する。拘束といっても先の不意打ちと理屈は変わらない。この場合、それ自体の有用性ではなく隙の継続に意味がある。


 「チッ、マジでかったるいんだけど…」


 姿を見失い再び目視での捜索を行うギャルを尻目に真尋は錯乱用の炎を生成する。

 全身が砕かれたかのような激痛だったが疾走が叶う分には正常だろう。むしろ考慮すべきなのは右耳の方だ。

 血が止まらない。脈の動作と連動して鈍痛が繰り返し響いている。正直、直ぐにでも蹲りたいが、そこを突かれて一撃を受ければ次こそ待ち受けているのは肉体が四散するか奇天烈なオブジェに成り果てるかのどちらかだ。しかしそのお陰か仮説ではあるが敵の能力が把握できた。


 「どう?調子の方は」


 「…あのギャルが使ってる魔法が分かった」


 「ほう?流石だね」


 「…あれは音だ。というか多分、音を含めた振動の類」


 あの死体の損壊とばかすか金切音を響かせながら飛び交う衝撃波と右耳の負傷で漸く到達した。


 音という概念は振動で構成されている。流れが変動する不安定な波の情報帯。それが一般的に音と呼称される。

 そして、人間の鼓膜はその音を精密に聞き分け分析し、脳へと送り届けることで初めてそれを認識することが許されるのだ。彼女はそれを操っている。


 「音は性質上、ガラスとかの一部を除いて大半の物は壊すことができない。どっちかというと人の動きの制限とか精神操作だとかに利用される。音響兵器とかサブリミナルとかな」


 「それが彼女には行えると?」


 「俺の右耳がその証明だ。今もクソ痛ぇ。まだ三半規管までは届いてねぇが、それも時間の問題だな」


 そう真尋が愚痴を発したタイミングでムスプルヘイムが真尋の右耳に両手を当て回復させる。

 痛みはたちまち癒えていき、出血も停止した。本当にコイツの気配りは人が危機に陥っているのを見物してからでないと起動すらしないのか。

 アドバイザーの定義からやり直させたいのは山々だが脅威への対策としては合格点なのだから余計に性質が悪い。


 「…動くぞ、いい加減ケリを付ける」


 「…それはいいけど、アタシに対して言うべき言葉があるんじゃない?」


 「……感謝はしてるよ」


 「本当かねー…」


 ぐわんと金切音を立てながら真尋を射抜かんと連続で放たれた振動波を時には喰らい、時には回避し、相手の真尋に対するヘイトを着実に溜めていく。

 実際、真尋の思惑は成功しておりアズサの鬱陶しさを発端とする怒りは怒髪天を招きかけていた。


 「ウゼェ~マジウゼェ~、何なのアイツはさぁ~そろそろ飽きてきたんだけどぉ~」


 アズサはこの段階で真尋よりもある一点において確実な差を作っていた。魔法の練度。それこそが唯一の突出した彼女が持ち得る実力であり二人の人間を屠れた最大の要因でもある。

 現段階で彼女は二つの魔法を詠唱することができる。一つは砲撃。もう一つは守備。その二つが彼女をこの歴史で有利という玉座に座らせていた。


 だからこそ性格の難も合わさって機転に欠け、力に溺れやすい人種だということを真尋に見抜かれてしまった。


 「だったら終わらせてやるよ」


 刹那。アズサの背中から一直線に血が噴出した。唖然と己が背後を拝めば先まで炎に隠れながら震えていた筈の男が先に殺した男の持っていた日本刀に血を滲ませながらアズサを睨んでいた。


 「…テ、テメェ…!」


 驚愕する暇は与えられない。次にはもう日本刀の刃に覆わせた炎がアズサの全身を焼き始めたからだ。

 頭が、瞳が、腕が、足が、骨が、焼却されていく。背骨が軋み脊髄液が沸騰していく幻聴に襲われる。両目は忽ち塞がれ、痛覚を認識する感覚器と成り果てた。


 「あぎゃああああああああああああああ!!」


 真尋の眼前でアズサが侍女の二の舞を演じている。悶絶と苦痛の狭間でもがき苦しむ少女の様は初戦の幕引きには十分で、アズサに寄り添うように煌めいた炎を写した刀だけが主人の仇の敗北を感じ取っていた。







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