第2話 断罪の炎

 深く暗い闇の底。それが彼女の人生で最後に拝んだ光景だった。


 喉を僅かに通す食事が配給される小窓以外の全てが闇に埋もれた世界。時間も空間も何もかもが制止して、ただ暗闇だけが我が物顔で君臨している。


 貴族である自身を殺せない、そうのたまった役人どもが行き着いた罪の果てがこのザマだ。

 六百人以上を殺した大量殺人鬼にはあまりにも不釣り合いなこの処刑は、しかし彼女の精神を蝕むのには十分すぎるほどの効果を発揮した。

 視界が閉ざされ、聴覚が麻痺し、味覚が腐り落ち、触覚が曖昧になり、嗅覚が鈍感になっていく。それは耐え難い苦痛だった。

 いっそのこと殺してくれればと何度も願った。頭を垂れ、身体を地に沈ませ、もう欠片さえ見えない天へと祈り懇願する。それのなんと哀れなことか。それのなんと惨めなことか。


 「…私は、何処で間違えたというの」


 悲痛を込めたその問いは空気となりて部屋を彷徨い消失する。後に残るのはどうしようもない虚しさだけだ。


 彼女の人生は幸福ではなかった。むしろ不幸に愛された人生だと言っていい。

 十五歳の時に定められた貴族同士の政略結婚から始まり、帰らぬ夫をただ待つ日々、日に日に乾燥していく己が美貌、役立たずの使用人が引き起こした不手際、数え挙げればキリがない。

 なのに世間は彼女を極悪人とし、殺された喋りもしない肉塊に涙を流して謝罪している。


 「…何もかもに裏切られて、帰りもしない夫を待って、嫌味を零すしか能のない姑に耐え続けて、やっとの思いで自由になったというのに」


 一体、極悪はどちらか。自分の不幸を棚に上げて他人を貶める愚民どもこそ極悪なのではないだろうか。平民の分際で城主の苦しみすら察せられずあまつさえ死んだ連中に何故、神の聖句が読まれ自分には呪詛が囁かれるのか。

 神など所詮は傍観者を言い換えた言葉に過ぎない。神に慈悲とやらがあるのなら自身はこんな目にはあっておらずとうに救いの手が差し伸べられるはずなのだから。


 「狂っているのはどちらか…狂人と罵られるべきはどちらか…私を狂人と蔑むのならば、嘲笑うのならば、その者だって同罪だ」


 もはや救済の光はなく神の化身たる太陽の威光もない。彼女が縋れるものがあるとすれば無限に広がる漆黒のみであり彼女にとっての神は既にそこ以外にはいなかった。


 呪ってやる。彼女の原動力はただそれだけ。後は胸に燻る衝動と頭にこびりついた無数の言葉が形を成してくれる。

 どう殺そうか。どう潰そうか。如何にして腸を引きずりだし眼球を抉ってやろうか。尊厳を踏みにじってやる。女の象徴を貪って放り投げて何の価値もない骸にしてやる。


 けたけたと彼女は狂笑する。自分を追い詰め、辱めた全ての人間と何も知らずにのうのうと生きている愚図どもに。思いつく限りの、試せる限りの、示せる限りの加虐で以て復讐してやる。


 「かは、かはは、かはははははははははははは!」


 彼女は笑った。その人生に残された力を振り絞って精一杯に笑った。届かぬ声で、張り裂けんばかりの声で笑った。


 最期の瞬間、いつか訪れるその時まで、皆、死んでしまえばいいと、誰でもない何かへと願いながら。


 ※※※※※


 脳が何かしらの外的接触を本能で理解し、それを精神で整理するにはそれなりの時間がかかる。それが振り上げられた凶器なら尚更だ。


 「っ!」


 脳天を貫かんと迫る剣先を紙一重で避け三歩遠ざかる。次の瞬間には左頬から暖かな液体が零れ落ち、水滴が雑草に当たり弾けた所ではじめて己から流れ出た血液だと気付いた。


 何が起きたのか。真尋の身体は絶えず危険信号を鳴らし続けている。あれは脅威だと。壱ヶ谷真尋という人間を殺しかねない脅威だと告げている。

 対して女は息を荒げ一撃で仕留められなかったのに後悔しているのか短剣の柄を強く握りしめていた。


 「クソッたれが…なるほど確かに過去の世界らしいな。あの女の服装は完全に映画とかでよく見る中世のそれだ。どうやらお前の話を信じるしかないみてぇだな」


 「信じるも何も嘘を言った憶えはないよ。それよりもキミが何とかしなきゃなんないのは目の前の人じゃないの?」


 「分かってるよ…!」


 妖精に至極当然の指摘を入れられ改めて眼前の敵を認識する。それは女の方も同様で短剣を向き直し再突入の構えを取っていた。距離としては数歩程度だ。先手を打たれれば一気に間合いを詰められ真尋の死因は刺殺で確定することだろう。真尋が今、するべきことはその結末をどういった形で回避するかだ。


 (逃げれば当然、意地でも追いかけてくる…それに向こうにはもう一人の味方もいて何よりも平原だから隠れようがない…あれ、これ詰んでね?)


 立ち向かう以外の選択肢を封じられた状況での打開策は敵である女に挑みこの事態を突破することだけだ。ただ真尋の心臓を穿つことだけを考えている女を正面に如何にして躱すかに脳内の全細胞を加速させる。


 「しっかし妙だなぁ…」


 そんな平原に立ち込める空気をものともせず妖精はただ一人、思考に耽る。それはアドバイザーとしての苦悩ではなく展開される状況に対しての疑問だった。


 (本来だったら一目見て男だって分かる彼を襲おうとは考えない筈だけど…彼女のことだ。男性の血なんてのはハナから求めていないだろうしねぇ…)


 腕を組みながら伯爵夫人の手下を値踏みするかのように観察する。常軌を逸脱しているわけではない。かといって主の威光のままに従っている傀儡というわけでもない。だとすれば一体何なのか。妖精にはそれが掴めずにいた。


 「ま、いいか。どうでも」


 だが、現段階でまず何とかしなければならないのは真尋の生存に他らない。対峙する両者を見て妖精は疑問符を放り投げ、アシストに回った。


 平原に迷い込み、ほんの十数分すら経たずして突然と飛来した命の危機。憎悪とも焦躁とも取れる双眸で短剣を無造作に振りかざし襲い掛かってきた女は正に狂気であり真尋を戦慄させその足を竦ませかける。が、それを抑え体勢を低くし女の突貫に備える。


 「かかってきやがれ…!」


 女の走りはひどく粗末でとても現代の短距離や長距離では機能しないそれであったが真尋との間合いを詰めるのには十分で、真尋の右わき腹を掠めてみせた。


 しかし、そのまま立て続けに短剣が真尋の腹部を切り裂くことはなく女の右腕は真尋の手によって拘束されていた。


 「捕まえた…!」


 柔道の心得も、空手の心得も、格闘技の心得すらない真尋ではあったがそれでも女性一人に力負けするほど衰えているわけではない。掴み、離さず如何にして形成を覆すか。真尋は痛み、血を垂れ流す右わき腹を無視して思索する。


 「甘いね。真尋くんは」


 だからこそ真尋は何としてでも獲物を狩ろうとする彼女の眼光に気付けず右手を己が血で汚すことになった。


 「いっづ!?」


 掌から噴水の如く吹き出した血液の脱却は真尋の危機的脅威を更新させ、一瞬ではあるが真尋の視線を奪った。

 そしてそれが仇となった。女の体重が一気に真尋の胴体に圧し掛かり内臓が圧迫され吐きかけるが直後に脳天目掛けて振り下ろされた短剣が嘔吐感を強制的に排除した。正確には絶えず出血を続ける右掌で眼前の短剣を抑えたことによって。


 「ぐぐぐぐぐぐぐ…」


 「あーあー、大丈夫かい?そんなに血をドバドバ出しちゃったりしてさぁ。頼むから事前説明も済んでない段階で死ぬのだけは勘弁してくれよ?」


 「う、るせぇ…黙ってろ…!」


 真尋の額に水滴となった血が零れていく。女の正気を失くした獰猛な瞳は真尋をただ見下ろしその力は徐々に増している。真尋の右腕は悲鳴を上げていき、遅くされど確実に剣先が迫っていた。それを左腕も用いて何とか抑え込み命の消失を辛うじて防いでいく。


 「粉くそがぁぁぁ…!」


 右腕と女の剛腕を阻止するべく援助に入った左腕は短剣によって自由を封じられている。それももう長くは保たない。後、十数秒耐えきれればいい方だ。妖精に説明された魔法とやらは使用方法が不明な以上は頼れない。この前提で他に真尋が縋れるものがあるとすれば一つしかない。


 「ぬおらぁ!」


 沈んだ左足を起床させ強制的に回路を繋ぐ。両腕が使い物にならないのなら下半身の力で押し切るまでだ。

 女の腹部を左足で蹴り位置的不利を失くし次いで右足で追撃。女の顔が始めて苦痛と驚愕の入り混じった表情へと歪む。仮にも女性の肉体だ。日常的に狩りを行っている身とはいえ、華奢な肉体に男子高校生の足蹴りを喰らえばひとたまりもないだろう。

 が、その痛みは真尋も同じで右掌と右脇腹からは針で刺されたかのような激痛が自身の存在を主張していた。


 「はぁ、はぁ、チクショウが…」


 「随分と手こずってるねー。まぁ、あんな鬼の形相で殺されかけたらそうもなるよね」


 「うるせぇな。こちとらさっきまで平和な日本にいたんだぞ。誰がこんなことを想像できるもんかよ」


 「分かってるさ。だからこそアタシがいるんだしね」


 それはどういう意味か。真尋が口から言語として発声する前に真尋の右掌に惨く刻まれた傷が消滅し癒えていった。右脇腹も同様で先の痛みがまるで嘘のように身体が全快していく。


 「こいつは…」


 「アタシの能力さ。キミらプレイヤーである構成者ヘルハールに簡単に死なれると困るんでね。簡易な治癒魔法くらいは使えるよ」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。しかしそれを問いただす前に真尋のTシャツが横一線に切り裂かれ同時に女性が短剣を突きつけ組みかかろうと真尋に接近する。


 「クソッ!」


 だが、単調な軌道が読みの容易さを生み、真尋は女性の短剣を握る右手を左腕で捉え弾くことに成功した。が、凶器が彼女の手から離れたことが結果として真尋の油断を誘いそれを女性は見逃さなかった。


 「だーから詰めが甘いんだって」


 三度見上げた曇天の空。しかしてその全貌を拝むことは叶わず目の前には女が両手に全身全霊の力を込めて真尋を絞殺せんとしている。苦痛はやがて安息へと変質し真尋を優しく包み込む。両腕は何とかして女の両手を引き剥がそうとしているが、段々と抜け殻になっていく自分自身が僅かに残された生存の手段を阻害する。


 「あ、が…」


 押し倒された。それも一切の抵抗も敵わずに地面へと叩きつけられた。

 人生経験でのどうしようもない差があるとはいえ真尋の身体能力と女の身体能力とでは真尋に軍配が上がるのは事実だ。その道理を彼女は精神一つで踏み潰した。力量の脆弱さを執念によって塗り替えることで克服してみせたのだ。

 こうなれば真尋の一時的に勝ち取った有利は簡単に無に帰す。今の真尋の有様が何よりの証明だった。


 「ぐ、ぎぎ……」


 意識と無意識の境界線が曖昧になっていく。口からは絞り出された唾液と胃液が湧きあがる。死は確実に真尋の背へと擦り寄り引きずり込もうとしていた。手足と内臓が死の重圧によってみるみると力を失くしていく。終焉が幕開けを望んでいる。


 「は…が……」


 壱ヶ谷真尋の十六年の他愛もないありふれた生が終わる。光と闇が微睡の中に溶けて行く。その中でただ一つ内に眠る揺蕩った炎だけが最後まで煌めき続けていた。




 業炎の匂いがする。火柱を立てながら燃え盛りただ業を喰らう煙の香り。音色はどこか悲哀に包まれていて夜空に詠う詩人を連想させる。響く鈴の音はやがて真尋の両目に色を与えていく。幸福なのか不幸なのか。ただ紅く燃え滾ったどうしようもない炎熱だけが答えだった。


 「――あ?」


 四度見上げた灰色の空。地面は少し湿っていて真尋の背を再び泥に染めて汚し尽くす。

 だが、今度はその汚れを真尋が洗い流すことはなく逆に身体の何もかもが硬直していた。目の前で今まさに起きている惨劇が真尋の行動の一切を封じたのだ。


 「ぎゃああああああああああああ!」


 それは紛れもない焼却だった。

 先まで自分を追い詰め、遂にはその命を奪うまでに至った女が全身を炎に包み蒸発していき、声帯から声にもならない声を上げ苦痛を訴えている。

 皮膚が焼かれ、筋肉が露呈し、片目は蒸発され、女の命たる髪は炎によって無造作に刈り取られていた。


 「な、にが…」


 「よく見ておくといい。これがキミの生存の為に用意された力なんだからね」


 炎とは古来より様々な神話において神聖視されると同時に罪人の処刑道具としても活用されてきた。ファラリスの雄牛などがいい例だ。人間の罪を炙り悔い改めさせる処刑装置。生物の生存本能における恐れの最上位。

 それが今、真尋を殺そうとした罪人を焼き尽くさんと、その業火を高ぶらせありとあらゆる苦しみから解放せんとしている。


 恐怖と好奇。相反する二つの興味が真尋の脳内で渦を巻いていた。

 自分がやったのか。だとすればどうやって。そもそも自分は先まで気絶していた筈だ。そんな混沌とした考えが答えも得られずに真尋の前頭葉を支配し状況の理解をより困難にさせていく。


 「あ、あああぁぁぁぁ……」


 対して女は徐々に自身の身体を地に埋めていき、痛みを叫びで訴えることすらも放棄していた。その女の姿はまるで神の像に祈りを捧げる敬虔な信者のようで、どこか奇妙にも似た静謐さを感じさせる。

 その真摯さを汲み取ったのか炎も徐々に煙へと己を昇華させていきやがて最後の残り火が空へと旅立った頃には女は全身を黒に染め上げ、罪を浄化された肉体は一切の生気を奪い去られ、後には人間の形をした焦げた何かだけが残っていた。


 「な、にが、起こった…?」


 「見たまんまだよ。キミは自身の持ちうる力で以て彼女を殺した」


 殺人は息をするのと同じことだった、というのはとある殺人鬼の言葉だったか。


一日中、頻繁に流れるニュースの中や人間社会の中でも取り分け人が人を殺す行為は最大の罪として存在している。その不変性は真尋とて十分に理解しているつもりだ。

 しかし、平和な社会というのはそういった現実の当たり前な問題を遮断して麻痺させる傾向にある。故に真尋は殺人罪を嫌悪はしても何処か非現実めいた不可視の事象の一つとして考えていた。


 それがどうだ。この世界に来て一時間足らずで真尋は数多の殺人者の一人として仲間入りしてしまった。

 正当防衛なのかもしれない。殺さなければ自分が死んでいた可能性の方が遥かに高いのも事実だ。それでも人の命を奪ったのには変わりない。

 自分の所在が透明になっていく。真尋の背中が言い知れぬ悪寒に襲われる。亀裂が入ったかのような感覚が真尋の全身を駆け巡っていった。


 「俺は、人を殺したってのか…?」


 「そうだね。キミは人を殺した。それをキミがどう感じるかはさておき、取り敢えずの障害は突破したってわけだ」


 「……そうか」


 妖精の言葉が称賛なのか皮肉なのかは分からなかったが、とにかく壱ヶ谷真尋は死を免れ生の獲得に成功した。不思議と嘔吐感は出てこず喪失感と多少の葛藤意外に真尋の精神を蝕む要因は現れていない。自分はこんなにも薄情な人間だったのかと、今まで知りもしなかった己の本質に少し戸惑う。

 しかし、それ以上に自分のような取り柄もない一般人が巻き込まれ殺人者となってしまうこの異常な環境は一体何なのかという疑問の方が真尋の内で強く働いていた。


 「…そういや、お前はさっき、俺のことをプレイヤーだといったな。それはどういう意味だ?まさかとは思うがデスゲーム的な何かじゃねぇだろうな」


 妖精は真尋の立ち直りの速さに軽い驚愕を覚える。だが、真尋の興味の対象がシフトしたことを理解するとその口元に笑みを浮かべた。


 「んー、半分正解ってところかな。ゲームなのは合ってるよ」


 「だったらルールをさっさと教えろ」


 「いいけど…彼女のことは捨て置くの?キミって随分と冷血だねぇ」


 「そんなわけねぇだろ。俺が殺したんだ。だったらできる限りの責任は果たすさ」


 殺人を犯した自覚がまだ理解できていなのか、それとも真尋の死に対する認識が薄いのか。妖精は真尋の心情を掴み損ねていたが、すぐにどうでもいいものとして放り投げた。

 自身が彼のアドバイザーである以上、余計な干渉をして彼が苦悩しては元も子もない。それで死んでしまっては己の存在意義すら失くしてしまう。だから、投げ捨てた。


 「それでキミがいいなら文句はないけどね。さてと、それじゃあ先ずは概要と主目的からだ。ここが過去の世界なのはさっき言った通りだけど、キミはバートリ・エルジェーベトに関してどれだけ知ってる?」


 「あ?たしか六百人以上の少女を殺した大量殺人鬼だろ。最近じゃあ誰かがでっち上げたデマの可能性もあるって話だが」  


 「そ。だけどまぁ、見ての通り彼女の人生における悪行の数々は捏造でも何でもない。全て事実だよ」


 バートリ・エルジェーベト。トランシルヴァニア公国における貴族の名門であるバートリ家に生まれた彼女は、かの吸血鬼伝説のモデルとされている人物であり後世にとっては血の伯爵夫人の異名で今も尚、恐れられている狂気と美貌に憑りつかれた女性である。

 その人生はとても簡潔には語れないが鉄の処女アイアン・メイデンをはじめとした多くの拷問を試し少女の生き血を好んだ怪物としてその名を轟かせている。


 「彼女は少女の生き血を得るために時には襲わせ、時には誑かしながら次々と殺戮の限りを尽くしていった。当時は城主や領主が平民や農奴を殺すっていうのは良くある話だったからね。キミを殺そうとした彼女も手先の一人さ。余程、功を焦ったんだろうね。キミを殺した暁にはこれは少女の血であると主人を騙すつもりだったんだろうさ」


 「…くそったれが」


 「でも同時に彼女の常軌を逸した行動は精神疾患による影響ではないかという見解もある。実際、バートリ家は彼女以外にも変人が揃っていたって言うしね」


 当時の貴族間では近親婚が珍しくなくバートリ家でもそれは盛んに行われていた。

 しかし、近親相姦は代を重ねるごとに高い確率で遺伝子欠陥が発生する。それこそ肉体の欠損から重度の学習能力の衰え、良心の欠落など様々だ。彼女の家系の場合は悪魔崇拝者や色情狂などがいたらしい。


 「相対的に見れば彼女も歴史の闇の犠牲者だと言えるだろう。彼女を悪逆非道の徒だと断ずればそれまでだが、そもそもは貴族の風習が生んだ歪の元に生まれた子なんだからね」


 妖精は悲痛にも達観にも見える表情で「だからさ」と付け足し真尋へとただ告げた。


 「それを救いたいとは思わないかい?壱ヶ谷真尋君」


 「…なんだと?」


 「このゲームの目的だよ。キミのような現代人が戦う理由とでも言えばいいのかな。とにかくさ私はハッピーエンドが好きなわけよ。そしてそれを平等にもたらすには一体、どうすればいいと思う?」


 真尋は一拍おいて妖精の語るゲームとやらの目的を理解する。真尋の脳内で浮かんだその回答はある意味では反逆を意味し、過去の者たちへの冒涜にもなりかねないものだった。


 「…歴史を変えろってのか」


 「そう、正確には再構成だね。それがキミらプレイヤーである構成者ヘルハールの使命でありクリア条件ってヤツだ」


 構成者ヘルハール、それがこちらの世界に滞在するプレイヤーの総称らしい。恐らくは意味を持った言葉なのだろうが真尋にはそこまでの知識はなくそれ以上の真意を探る気もなかったので無視して話を先に進めた。


 「具体的にはどうすればいい。制限はあるのか」


 「ないよ。基本的には後世に伝わるであろう歴史的文献に大なり小なり何かしらの影響を与えられるほどの改変をしてくれればそれでいい。移動範囲にも制限は設けていない。だから一定を越しても首やら頭が爆発するなんてのはないから安心してね」


 さらりと難しい条件を提示された。歴史に関する文献というのは最も正確性が不可欠ではあるが同時に風化に弱い題材であり、そこには混沌とした自由性も混在している。

 これらに影響を与えるとなれば余程の変更ではビクともしないと考えるのが妥当だろう。


 ひらひらと舞いながら時にあざとく時に嬉々としてアドバイザーの役割を果たす妖精の姿は真尋に年相応の少女の姿を連想させた。性格は似ても似つかないだろうが。


 「ただ、一つ制限があるとすれば時間かな。日数が設定されているのさ」


 「そりゃまぁ、なきゃおかしいわな…それで、いつまでだ」


 「四日。それを過ぎるまでにゲームをクリアしなきゃならない」


 「意外と短いんだな」


 「今回は対象がハッキリしてるからね。それにやりやすいし」


 四日間。突如として放り込まれたゲームから脱出、もしくは死に至るまでに残された九十六時間。

 猶予はあまりにも少なくその間にどれだけの死体を積み重ねるか分からない。もしかしたら次の死体は自分自身かもしれない。


 「歴史を変える、か。…随分とまぁ、大層なゲームに参加させられたもんだな」


 「安易な密室型とか契約制のゲームよりかはやりやすくていいと思うけどね」


 「人を強制的に参加させておいてよく言う」


 両手を合わせ既に燃え尽きた襲撃者の骸に祈りを捧げる。

 彼女の魂が苦悶に歪むのか安寧へと導かれるのかは分からない。元より宗派どころか神に対して懐疑を抱いている人間が祈ったところで意味などないのかもしれない。

 空白に広がる瞼の裏側で虚無に彩られた福音を読む。報いるためなのか。納得したいからなのか。双眸を開けるその時まで真尋は自分がどちらの考えに立っているのかすら捉えられずにいた。


 「律義なもんだね。人間ってのはさ」


 「別にいいだろ。墓に埋めてやることも土に還すことも出来ねぇんだ。だったらせめて祈る位は勝手だろうが」


 「よりにもよって自分を殺した相手に祈られるなんてね。アタシだったらキレるね。そりゃもう盛大に」


 平原と炎、激痛と死。一時間と経たずして真尋はお釣りが出るほどの衝撃を経験した。

 そして、漸くそれらを跳ね除けて真尋はこの世界に一歩踏み出す。歴史改変。数多の物語で描かれたテーマは真尋を涼風と共に迎え入れる。待ち受けるは戦いか、残酷か。ぐにゃりと曲がりかけた真尋の心はどちらも受けて立つと乱雑に覚悟を決め―――


 「あの、」


 呼び止められた。


 「君は――」


 真尋と大して変わらないであろう年端もいかない少女だった。

 純白の服装、頭にはバンダナを巻き長く伸びた茶色の髪を纏め上げている。服には所々に切り傷が刻まれており丁寧に仕立て上げられたであろう服を紅に変色させていた。


 すっかり失念していた。あの時、真尋ともう一人、声高に悲鳴を轟かせながら逃げ惑う少女がいたことを。

 ぞくりと震えが走る。一難の後には一難が続けざまにやってくる。真尋に恐れが芽生えるのと少女の口が開くのにはそう時間はかからず既に焦りと名付けられた花は開花の寸前まで行き着いていた。


 「貴方、どちらからやって来た人ですか…?」


 世界を駆けるには未だ遠く現実は真尋を離さない。少女の異質を示す双眸はひどく純粋で鏡にも似た瞳はただしっかりと真尋だけを写していた。



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