第2話 俺はそれを止められない

 俺がお前の兄じゃなくても。

 ……お前は、変わらず俺を愛してくれたのかな。


「完璧でいなければならない」そう言われ、自分にも言い聞かせて踏ん張ってきた。母は「あんな男になるんじゃないよ」と父を見下しながら言った。母は俺に厳しく、父は妹に厳しかった。兄として、妹を守らなきゃいけない。最初は義務感から来る感情だと、そう思っていたし、そう自身に思い込ませていた。


 けれど。いつしか、ダメな自分でもいつも笑顔で受け入れてくれる妹が、兄妹とはまた別の意味で大切に思えてきた。家に帰りたくないと思った日でも、ももが居てくれて帰りを待ってくれる。「おかえり」を言ってくれるだけで、帰りたい家になったんだ。


 ただ、妹が俺に向ける愛情は、俺の妹へ向ける感情とは違うんじゃないかと感じた。怒鳴りつける父のせいで男性が苦手なってしまった妹は、俺を「兄」として信頼していた。俺が「男」の部分を見せれば、きっと妹は怯えて俺を嫌いになってしまうかもしれない。妹の信頼を裏切りたくない、嫌われたくない。そう思い理想の兄を演じた。


 小6の時、両親から妹は血が繋がってないことを知らされた。と同時に、どちらについてくるか決めるように言われた。両親は俺を取り合い、妹を押し付けあって口論していた。俺は迷わず母親を選んだ。そして、条件として「妹も一緒に」と強く願った。俺が珍しく我儘を言い、他の案を断固拒否したので、両親がやむなく俺の意見を取り入れた。これで妹と離れられずに居られる。妹は父に怯えずに笑って暮らせる。たとえ俺が母にさらに厳しくしつけられようとも構わない。……妹の笑顔を守れるなら、それで良いと思った。


 この気持ちは俺の心の内に秘めておこう、そう思って中学生になってから距離をとったりもした。ももが寂しそうにするたび「違うんだ」と言いそうになるのをぐっと堪えて「良い兄妹」を演じた。


 高三のパンフレット撮影が終わって、家に帰った日。玄関にいつものように笑顔で迎えてくれる妹がいなくて。少し遅れてとぼとぼと歩きながら「おかえり」と言う妹が目に入った。……何かあったんだろうか。人に当たったり、我儘を言うような子じゃないのに。明らかに様子がおかしい。「嫌いって言って」なんて言われて、ズキっと胸が痛む。ももは、我慢していただけで本当は俺のことを嫌いだったのか?不安になってももを見ると、涙をためて切に訴えかけるような、何かに耐えるような顔をしていた。「きらい」と言われる度、まるで「好き」だと、裏腹なことを言われてるような気になる。潤んだ目が上目遣いで俺を見ている。俺がももを好きだからそう聞こえるのか?……期待してしまうから、止めてくれ。


 いくら可愛い妹の願いと言えど俺には「嫌い」なんて突き放すことはできない。近くにいればいるほど、日が経てば経つほど、ももが好きで、大好きで。そんな自分の気持ちに嘘はつけなかった。だから俺は、ももを抱きしめて「好き」だと「大好き」だと告げた。俺の腕の中にいるももにどういう風に伝わったかは、俯いていて分からない。しばらくして泣き止んだ妹に、俺は「部屋で少し話そうか?」と促した。


「ほら、熱いから気をつけるんだぞ?」

 俺はホットココアを手渡す。ももは両手でカップを包み込むようにして持ち、美味しい、ありがとうと言った。


「さっきは『嫌い』なんて言ってごめんなさい。ちょっと疲れてたみたいで八つ当たりしちゃった」と言う。また泣きそうな妹に「泣かなくて良いから」と背中をぽんぽんと赤子をあやすようになだめる。そんな妹に、俺は「謝らなければいけないのは俺の方だ」と言ったら「え?」と首をかしげられた。


 ももだけ血が繋がってないことを告げると「そうなんだ……」と思ったより落ち着いていた。薄々、気づいていたのかは定かじゃないが。悲しそうで、少し嬉しそうな、ないまぜの表情だった。


「もう一つ、隠してることがあって……だな」珍しく歯切れの悪い俺に、妹が「何?」と先を促してくれる。すぅ、はぁ……と。深呼吸する。……生きてきて18年間、これほど緊張したことはないな。


「……好きなんだ。もものことが。妹として、じゃなくて。女の子として」

 空気が、時間が止まる。……これで、本当に嫌われてしまうかもしれない。血が繋がっていなくとも、兄と慕っていた人物から好意を寄せられるなんて、あまり気持ちが良いものではないはずだ。けれど、呆気に取られて、少し間があった後ももは言った。


「……それ、本当?」

「本当だ」

 そう真っ直ぐ目を見て返す。すると、ももが

「……嬉しい。私も、お兄ちゃんのこと大好きだよ」

 とまるで花がほころびるように笑う。

「うそ……だろ?」

 耳を疑った。断られると思っていた。俺に向ける視線は、恋というより家族の愛情だと思っていた。

「ふふっ。本当だよ?」

 ……ああ。ももの言葉が、じんわりと染みていく。物心ついた頃から、ひた隠しにしてきた思いが許されていくような、ゆっくり溶けていくような感じだ。思わずぎゅっと抱きしめる。あたたかく、やわらかい体。ももの部屋は、ももの甘い香りでいっぱいで……クラクラしてくる。


「もも。キス……して良いか?」

 そう言ったら、恥ずかしそうに目を閉じる。

「ん……」

 そっと頬に触れる。

 ちゅ、っと。恐る恐る触れてみる。大丈夫か確かめるように、啄むようなキスを繰り返す。やわらかく、甘く。こんな幼稚なキスだけで、幸せで、溶けてしまいそうだ。さっきももが飲んでいたココアの味がした。そのうち、潤んだ瞳で俺の襟元を握りしめ、上目遣いでももは言った。

「優しく、しないで……。もっと」

 ドクン、と。心臓が波打つ。そんな強請ねだり方をしないでくれ。

「俺をあおらないでくれ。じゃないと……」

 歯止めが効かなくなる。俺の中に蓋をしていた、汚い感情が溢れてくる。大切にしたい。けど、無茶苦茶にして泣かせてみたい。……どうしようもない劣情。

 もものうなじにそっと手を回して、ぐいっと引き寄せる。ももはぎゅっと目を閉じる。


 ちゅ、とおでこにキスを落とす。

「これから先は、また今度な?」

 さすがに、両思いになってすぐに手を出すのははばかられた。ほんの一ミリの良心が、俺を押しとどめた。


「ほら……ご飯食べようか?」

 そう言って手を差し伸べる。ベッドに腰かけたままのももの手を引く。

「うん、お兄ちゃん!」

「……あとな。今度から。二人きりの時は名前で呼んでくれ」

 そう耳元で囁いたら、恥ずかしそうに

「ゆ……ゆう、くん」

と言った。

 なんだか新婚さんみたいだ。たどたどしい感じが、じわり、じわりと俺の心をあたためていく。


「お兄ちゃん」と呼ばれる度。信頼の眼差しを向けられる度に感じた罪悪感。「兄妹」というたった二文字が、俺の思いを否定してきた。これから先、血は繋がってないのに白い目で見られるかもしれない。……けれど。もものことは、俺が守ってみせる。これまでそうしてきたように、これからも。母さんや父さんができなかった「あたたかい家庭」。それをももとなら築いていける。そう、思うから。


 もう冷めてしまった料理だったけれど、これまで食べた中で一番旨かった。


 たとえ誰に何を言われても。ももに「嫌いだ、止めて」って言われても。俺はももを愛することを止められない。甘く、とろけるような。まるで蜂蜜のような日々を。お前と。……二人で。



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お兄ちゃん、お願い。優しくしないで @yo-ru

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