お兄ちゃん、お願い。優しくしないで
夜
第1話 お兄ちゃん、お願い。優しくしないで
もしも……。
もしも私が、妹じゃなかったら。
ずっと隣にいることができたのかな。
「も……もも。朝だ、起きて……」
ああ、これは夢かな。だってお兄ちゃんは、私が中学生になった後から滅多に部屋に入ろうとしなかったもの。
私の名前を呼ぶ、お兄ちゃんの柔らかな声。夢と現実を、ゆらゆら、ゆらゆらとしている。なんだか心地よくて、つい
「ちゅー、してくれたら……起きるよ」
なんて言ってみる。夢だし、良いよね?
「……ふ。寝ぼけているのか?もも。可愛い奴だ」
そう言ってそっと頬に触れてくるお兄ちゃんの手は、妙にリアルで。あたたかくて。……んん?リアル?
その瞬間、夢と現を行き来していた意識が覚醒する。ガバッと布団を
「お、お兄ちゃん!?おは、おはよ……」
ああ、なんて恥ずかしい事を。お兄ちゃんは寝ぼけていたんだね、と笑って済ましてくれたけれど。
「朝ごはん、作ったから。温かいうちに食べような。着替えておいで」
そう言って、トントンと階段を降りる音を聞きながら、へたり込む。
「朝から心臓に悪いよぅ……」
バクバク、と心臓が朝から騒がしい。
1階へ降りると、朝ごはんが湯気を立てていた。
「ごめんね。家事は私がやるって言ってたのに」
お兄ちゃんが私の料理おいしいって言って食べてくれるのを見るの、好きなのになぁ。しょんぼりしていると、お兄ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でて
「気にしなくて良い。いつも頑張ってくれてるから、疲れてるんだろう?夕飯、楽しみにしてるからな」
と言った。
「うん!」
本当はお兄ちゃんのことを考えていて寝不足だったからなんだけど。それは言えないので「夕飯張り切って作るから楽しみにしててね?」と返した。
「はー。桃花のお兄ちゃん、凄いね。人だかり」
窓から部活をしているお兄ちゃんを眺める。
「うん、そうだね。自慢のお兄ちゃんだよ」
黄色い声を聞きながら、妹として素直に喜べない自分がいる。
「あ、そうだ。今日スーパー寄って帰るから。またね!」
そう言って教室を後にした。
「ただいま」
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
パタパタとスリッパを鳴らしながら玄関までかけてくるのは、俺の妹。
「玄関まで来なくても良いんだぞ?今、料理中で忙しいんじゃないか?」
毎回毎回、ご主人様を迎える子犬みたいに嬉しそうに来てくれるのは、こっちも嬉しいんだが。おっちょこちょいな所があるから、慌てて出迎えて怪我でもしないか心配だ。
「大丈夫。今出来た所だから。ご飯にする?」
「ああ、せっかくだし頂こうかな」
そう返したら、ももは「分かった!」って嬉しそうにキッチンへと戻っていった。
「今日はハンバーグだよ!」
お兄ちゃんに朝ごはん作らせちゃったから。今日は張り切って、お兄ちゃんの大好物のハンバーグを作った。お兄ちゃん、大人っぽいのにハンバーグが好きとか。可愛いなぁ。
「おお。ありがとうな?いただきます!」
噛み締めるたび、幸せそうな顔をするお兄ちゃんを見てたら、こっちまで幸せな気持ちになってきた。
でも
「ももは、良いお嫁さんになるな」
そう、言われて。一瞬浮上した気持ちが、風船がしぼんでいくみたいに沈んでいく。
いくら料理が上手くたって、将来隣に居られるのは……私じゃないんだ。
食後、一緒にテレビを見ていると急に明かりが消えて。ゴロゴロという音が響いた。
「や、やだ!停電!?」
雷、大嫌いなのに。そう思って縮こまっていると、ふわりとシャンプーの香りに包まれる。
「おにい、ちゃん……?」
「こうしてれば、怖くないだろう?」
そう言って耳元で囁くように歌ってくれる。
昔。両親が離婚する前。
口論が始まると、お兄ちゃんと二人で押し入れに閉じこもっていた。お兄ちゃんが手を繋いでくれて「大丈夫、怖くないよ」って励ましてくれた。
雷が鳴れば、抱きしめて歌を歌ってくれて。「こうすれば嫌な音が聞こえないだろう?」って慰めてくれた。
一つしか違わないから、お兄ちゃんも怖かっただろうに。私の手を握りしめる手は、同じように小さくて震えていたのに。それでも、大丈夫、大丈夫だよって魔法みたいに何度も言ってくれて。
きっと、その時から。私にとってお兄ちゃんは特別なんだ。
離婚して、お母さんに二人とも引き取られてから。養育費を貰っているとはいえ、お母さんは夜遅くまで働くようになった。この一軒家は、立て付けが悪くて。少しの風でもガタガタと鳴る。同じシャンプーを使っているのに、お兄ちゃんの匂いはちょっと違う気がしてドキドキした。中学くらいから、お兄ちゃんは手を繋ぐのも、抱きしめるのもしてくれなくなって。久しぶりの体温が近くて。心臓の音聞かれてないかな?とか、少し低めの耳に響く声がくすぐったいなぁとか、考えていたら、怖いのなんて吹っ飛んでしまった。
「電気、ついたな。明日も早いし、寝ようか?」
私は心臓バクバクして飛び出そうになっていたのに。お兄ちゃんは何も無かったようにそう言った。私のこと、女の子としてじゃなく、本当に妹として、思ってるんだなって、胸の奥が苦しくなった。
うちの高校の新しいパンフレットを作るのに、お兄ちゃんが選ばれた。あと女子もということで、同じ高三の先輩が選ばれた。
「なんかさ、こう並んでると美男美女、王子様とお姫様だよねぇ……」
ウットリ眺める友人を他所に。私は、お兄ちゃんの隣は私じゃ無理だって現実を押し付けられたみたいで、苦しくなった。先輩は私と違って大人っぽい美人で。スタイルも良くて。私みたいに子供っぽくも、ドジっ子でもなく。本当にお似合いの恋人に見えて。ズキン、ズキンと心臓が痛かった。
「ただいま」
「……お兄ちゃん、おかえり」
いつものように笑顔で出迎えることも、お兄ちゃんの顔を見ることもできない。昼間の二人の様子が目に焼き付いて離れない。お兄ちゃんは、私のおでこに手を伸ばそうとしながら
「もも。体調でも悪いのか?」
って心配してくれる。けれど、私はその手をはたいて叫んでしまう。
「優しくしないで!」
「?もも?どうし……」
「ずっと一緒に、居られないなら……」
ずっと隣に居られないなら、優しくされるだけ辛い。
「私のこと『嫌い』って、言って……」
ボロボロと、勝手に溢れてくる雫は私の言うことを聞いてくれない。
「もも?」
「ヤダ!触らないで!」
お兄ちゃんからしてみたら、いきなり
逃げる私を、お兄ちゃんは腕を引き抱き寄せる。
「もも……もも……」
耳元で私の名前を呼ぶ。いつもなら嬉しいのに。先が聞きたくない。でも、聞かなきゃずっと私はこのままだ。お兄ちゃんを大好きな気持ちが溢れて、溢れかえって、溺れて……息が、苦しい。
「ももが、たとえ俺のこと嫌いでも。嫌いって言ってほしいと言っても。いくら可愛い妹のお願いだからって、それは聞けないな……。好きだよ、もも」
聞きたかった言葉。けれど、きっとこの言葉は私を
「いや……きらい、きらいだもん。お兄ちゃんなんて……」
「ああ。……それでも、俺はももが好きだよ。大好きだ」
耳に響く、お兄ちゃんの声。これがお兄ちゃんの本音だったら、どんなに良かったのに。
違う出会い方をしていれば、お兄ちゃんと幸せになれたのかな?
けれど、お兄ちゃんは私が妹だから優しくしてくれてるだけで。私が妹じゃなかったら、こうやって抱きしめて、頭を撫でてくれることも無かったかもなんて思ったら。なんだかやるせない気持ちでいっぱいだった。
窓の外を見ると。キラキラ、キラキラと街の灯りが輝いている。昔、お兄ちゃんが私を連れ出してくれた時。星が見えなくて泣きそうな私に「ほら、まるで星みたいだろう?」って見せてくれた、街の灯りみたいで。「まるで宝石をこぼしたみたいだね」って私が笑うと「そうだな」って笑い返してくれた時を思い出して。お兄ちゃんとのことを悩む前の幼い頃に戻りたくなった。
……もう少しだけ。お兄ちゃんの優しさに甘えていいかな?
私は泣き止まないフリをして、お兄ちゃんに抱きついてそのぬくもりを噛み締めていた。
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