ハンチが見た空 中

 おへそにはあまり人は近づかない。 理由は様々だが、一番は雰囲気が不気味なのだ。この街は雲のせいで全体的に薄暗いのだが、ここだけはとりわけ暗い、と感じる。実際はたいして違いはないのだが、空気というか、気配がなんだか重い。そのせいで視覚にも影響があると勘違いしてしまう。それにおへそに近づけば近づくほど散らばっている、白い棒状の物に対して生理的嫌悪感を皆が覚えた。棒状といったが、歪な球体状のものもあるし、欠片らしきものもあった。それがなんであるか知っているものはいなかったが、知りたくもなかった。

 もちろんハンチも苦手だが、ニットの手前怯えるわけにもいかず、自分は平気だといわんばかりにずんずんと先頭を歩いた。その後をニットも続く。

 二人は雲の上を目指すために柱を目指していた。雲の中まで続く柱なら、そのまま雲の上まで続いている可能性がある。柱を伝って雲の上にいけるか確認しにきた。


「足場はあるね」


 ある程度近づき、巨大な柱の細かい部分が見えてきた。意識してみたことがなかくて気づかなかったが、上を目指しながら柱の外側をぐるっと囲む足場や階段がついていた。

 柱を登るための足場への入り口を探すために周辺を見て回ったが見つからない。直接登る手段はないようだ。


「いやー、疲れたねー」


 外周を周るだけでもかなりの時間と、そこそこの体力を使う。ハンチは軽く空腹を感じていた。


「あそこに行くには中から行くしかないのかな。ニット、大丈夫?」


 この大丈夫は二つの意味があった。一つは体力や時間のこと、もう一つはニットのメンタルを心配してのことだった。昨日、彼女はここに嫌々連れてこられている。


「大丈夫。うん、大丈夫」


 ハンチに言う、というより自分に言い聞かせていているようだった。

 柱の内部は詳しくない。だが、目的地の方向ははっきりしているのだから適当なところから入って、上を目指せばいい。進行ルートが決まったハンチは早速、柱にくっつている建物に目をつける。柱の下部には大小の建物が密集している。ぱっと見で柱自体に入り口がないのなら、建物がその役割を得ているのではないか考えた。たとえ違っても構わない。ニットが満足する答えまで繰り返すだけだ。

 柱に密着していて、最も近場の建物のドアに手をかけた。


「ハンチ」

「ん?」


 ドアは機能していないのか開かない。がちゃがちゃとノブを何度も回す。


「ごめんね、こんなところまで付き合わせて」

「別に、いいよ。私が付き合うって言ったんだし。飽きるまで一緒にいるよ」


 これはニットが飽きるまで、という意味だ。

 ドアは開かない。鍵でも掛かっているのか。自分のことを拒んでいるみたいでむかつき、強く蹴る。二度、三度蹴ってだめで舌打ちをしてから鉄パイプで殴りつけた。ドアよりも先に、劣化していた蝶番の方が限界を迎え壊れた。重いドアを二人で力を合わせて外す。

むわっとしたカビの匂いがした。なんだか空気が生暖かく気持ち悪い。

 正直進みたくないが、ハンチはよしと呟き気合を入れて一歩踏み出した。が、ニットが追い越して先頭に立った。


「よし、行こう!」


 声が上ずってしまった。ここまで付き合わせていまったのだから、嫌な役は自分でやろうと思った。恐怖を感じさせない態度をとれば、ハンチも勇気づけられるのではないか。なのだが変な声を出してしまって失敗した。ハンチがほほ笑んでいた。それは目論見に気が付かれたからか、それとも失敗にか。恥ずかしさを隠すように歩き出した。ハンチは隣を歩く。


「あたしが前を歩くよ」

「わざわざ前とか後ろとか、決めなくていいんじゃない? 二人並んで歩くのに問題ない広さじゃない」


 通路は三人並んでも歩ける広さだった。何か言おうとするニットだったが、有無を言わせずハンチが手を握り、引きずっていった。不服だったが、言いくるめるための言葉が浮かばなかった。

 窓が少ないせいで室内は薄暗かった。それでもまだなんとか視界を確保できているのは、隙間から光でも洩れているのせいなのか。外ほどではないが、建物の中にも白い物体は落ちていた。外よりも古いものなのか、白よりも茶色に近い。足元が暗いために、二人してなんどか蹴っ飛ばしてしまった。困るわけではないが気持ちが悪かった。

 今自分たちがどこにいるか、把握する方法はないが、階段を見つければ登っていたのでたぶん上には行けているはずだ。

 建物内のドアもいくつか施錠されていたが、なんとか破壊しながら進んでいた。実は近くに鍵があったのだが、二人は鍵の存在を知らない。扉は開くか開かないか、もしくは無理やり開けるかだ。時にはハンチの暴力で、たてつけが悪いだけなら二人で引っ張り開けた。はっきりと目的に近づいていると確認する方法はなかったが、二人で障害を排除するとなんだか嬉しくて、互いに笑いあった。


「ねえ、なんだか熱くない?」


 探索をしているとニットが言った。長い時間探索したのだから、体が熱を発してもおかしくはない。しかしこの熱は外部的なものだった。ハンチも熱を感じていた。


「うん。なんだろうね、こっちの方かな」


 通路は二手に分かれていて、左の通路から熱の気配があった。


「…………行ってみる?」


 好奇心旺盛なニットなら気になるかと思い聞いてみた。彼女は迷っていた。確かに気になるが、これ以上ハンチにいいように使っていいものか悩んだ。本人は大丈夫というが、甘えすぎるもの心苦しい。

 悩むニットに、待つハンチ。答えはすぐに決まった。


ぐおおおおおおおお!


 それは地獄の底からの唸り声だったのか。ひときわ強い熱と共にやってきた轟音に、二人の息すら止めてしまった。びりびりとした衝撃は現実か、それともイメージか。二人は唾を飲み込むことすらできず、その場に固まった。轟音は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。音が止んで数分、安全だと確信したハンチがゆっくりと息を吐いた。体の力も抜けたのか、鉄パイプを落としてしまう。


「うわっ」

「きゃっ」


 鉄パイプのやかましい音で驚き、二人は悲鳴を上げた。腰が抜けるほどではなかったが、ニットは座り込んでしまった。


「行くの……やめない?」

「…………助かる」


 通路の奥に得体のしれない怪物がいるのではないか。この熱は怪物が大口を開けて待っているからなのではないか、さっきの轟音は怪物が早く来いと怒っているからなのではないか。ハンチはそう想像した。怪物のモデルは絵本の犬だった。

 ニットは昔見た建物の倒壊を思い出していた。自分の体より硬く大きい建物が崩れ去る様の恐ろしさは、遠くで見ても恐ろしかった。今のは通路の奥で何かが崩れたのではないと思い、危険と判断した。この通路を進むのはだめだ。

 座り込んでいたニットを立ち上がらせるために手を差し出したが、ハンチの手は緊張のせいか手汗でべちゃべちゃだった。ニットもまた手汗で手が汚れており、うまくつかんでいられず、立ち上がるのに失敗して尻をぶつけてしまった。

 先ほどの場所からそそくさと移動した。

 二人は探検はじめと時と違う不安を抱えていた。青い空が本当にあるのか、という不安が、この柱の内部は危険な場所なのではないかという不安に変わっていた。確かに雰囲気的に楽しい場所ではない。分かっていたことだが、あれは想像の範疇を超えていた。


 時間を知らせるサイレンよりも大きな音。ただの音だけではない。熱も、衝撃もあった。二人の中で恐怖心が顔をちらつかせ始めた。体験したことがなければ想像はどうってことはない。体験してしまえば、想像は現実に触れてくる。

 ニットは選択を迫られた。行くか、戻るか。行きたい気持ちはある、青い空を見たいという目標はしっかりと道を照らしていた。戻りたい気持ちもある、これ以上ハンチを巻き込んでいいのか。想像を超えた危険の足音が聞こえるのなら、逃げたほうがいい。それはハンチも心得ていることだ。自分が言い出しっぺなのだ。ならばこれからの行動も自分が決めなくてはいけない。


 自分の好奇心か、友人の身の安全か。もしニットが好奇心は猫をも殺すという言葉を知っていて、もう少し自制心を持ち合わせていたら、天秤にかける問題なのではないかもしれない。だがこの世界では、ニットはイレギュラーなのだ。使命感、義務、目標などの人間を人間たらしめる精神、思考はこの街では殆どないと言っていい。ニットは好奇心、いわば目標を自分で設定して行動できる数少ない、人間らしい人間だった。この街の人間もどきも、自分が属しているコミュニティに外れる存在にはどこまでも残酷になれる、そんな人間の側面はしっかり持ち合わせてはいるが、それは人間という動物のカテゴリーの特性だ。ニットの個性はどちらかというと、現代人に近い。自分の定めた目標、ゴールとなら友人を左右に振れる天秤に乗せられる。そんな己の残酷な部分に、ニットは気づいていない。


「ニット」


 考え事をしていたせいか、周りが見えなくなっていたニットをハンチが呼んだ。声をかけられ気づいたが、友人の姿がなかった。どこに行ったのかと探すと、ぱりーんとガラスの割れた音がした。近くに部屋がある、そういえばなんだか明るい。音がした部屋に向かうと、ハンチが窓枠に残ったガラスを丁寧に砕いていた。この部屋に窓があった。そこから光が入ってきていたから明るかったのか。

 ハンチが割れた窓から身を乗り出して上を見た。慌てて駆け寄り、体を支えた。落ちたらどうするのかと注意しようとした。


「見なよ。雲が近いよ」

「え」


 ハンチは体を戻すと、今度はニットに外を見させた。確かに地上で見るよりも近い。ニットは感動を覚えた。自分たちがちゃんと目標に近づけているんだと、実感できたからだ。

 窓から離れ、ハンチの顔を見るとまたどうしようと頭を抱えた。実感がわいたゆえに進みたい気持ちが強くなるが、ハンチもまた重い存在だった。

 そもそも、見たいと言い出したのは自分なんだから、自分ひとりで行けばいいのではないか。そうだ、なぜ思いつかなかったのだろう。一人は寂しいし、心細いが致し方ない。ハンチに言おう。危ないかもしれないから、ここでもういいよと。


「ついていくよ」


 口を開きかけたが、ハンチの方が早かった。


「ニットが青い空を見たいのなら、私もついていく」

「……危ないかもしれないんだよ」

「おへそにくる時点で危ないって思うよ。ここ気持ち悪いし、だいたい危ない奴が危ないことするときに使ってるし」

「それよりも危ないかもしれい」

「かもね」

「だったら」

「私が」


 今日で一番強く、言葉を発した。


「私が決めたんだ。今日は付き合うって。ニットが決めたことじゃない。私が今日一日はそう過ごすって決めたんだ。だから怖くても、危なくても、今日の限り、私はニットに付き合うよ」


 例え明日になっても、その瞬間から今日になるわけだから付き合うつもりだった。ニットの目標が達成されるか、飽きるか、自分に用事ができるかでもしなければ。


「……いいの、かな」


 甘えてしまっても。知恵の足りないニットはその言葉を出せなかった。


「いいよ」


 短く返す。有無を言わせないといわんばかりだった。

 申し訳ないという気持ちがなくなったわけではない。それでも、ハンチの言葉で天秤は静止した。どちらに傾くことなくぴったりと。

 今は友人の思いに甘えよう。近いうちに必ず穴埋めしよう、と心に刻み込んだ。例え今日みたいにハンチが断っても、なんとかして受け取らせなくてはいけない。


「ありがとう。じゃあ、行こうか」


 また手をつないで、通路を歩いた。部屋から遠ざかると光がなくなり。薄暗い空間へと変わっていった。暗闇は怖い。寝る時間の暗闇だって嫌いなんだ、好きになれるわけがない。けれどこうして互いのぬくもりを感じていると、恐怖は和らいだ。ただ明るいだけの光よりも、誰かが隣にいてくれる温みのほうが心強いんだと、二人は再認識していた。

 互いに生きているのだから、時として離れる場合はある。それでもまたこの温みを感じれると思うから、この世界でも生きていけるのだ。

 異常者だから、この街の理から外れている者同士だから惹かれあう。そんな単純なものでは説明できない繋がりが、確かにあった。


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