数えきれないほどの角を曲がった。


 そろそろ透明な獣が至近距離にいるかと思ったが、いなかった。まあそう簡単に仕留められるわけはないか。辺りに目をやる。透明な獣がその日、何度目かの失踪をした。


 獣なりに少しは頭を使っているらしい。


 (透明な獣がいない………)


 だがわたしはまるで自分が透明な獣を操作しているかのような錯覚に陥るのだった。視界からは消えたがうろたえる必要は無い。わたしが目を瞑ると獣のその動向を完全に把握することが出来た。


 暫く歩くと路面に少しだけ濡れた箇所があるのをわたしは見逃さなかった。わたしは立ち止まる。それは小さな染みとなって路上で変色していた。わたしはしゃがみ込みその図形を注意深く眺めた。どうやら透明な獣は血を流しているようだった。


 声に出して笑った。これでは致命傷ではないか。


 ぎゃははっ。


 すぐ隣りを歩いていた老人が驚いてこちらを凝視した。構うものか。こいつはただこれから死を待つだけの役立たずではないか。


 わたしの頭の中に観覧車が回っていた。意味は無い。それは昼も夜も回っている。もしかしたらわたしがこの世界からいなくなっても回っているのかもしれなかった。なるほどな。別段、心を動かされることもない。ただ回っているだけではないか、どうしてそんなことに思考を割く必要がある? 犬が吠えているのと一緒だ。回りたければ永遠に回っていればいい。


 考えなくても良いことばかりに人々は頭を悩ませ、苦しみ、そして自滅しているようにわたしには思えた。考えるべき大切なことに対してはこれでもかというほど無神経に思考を停止させながら。間抜けは自分が死ぬまで誰かの掌で踊らされていることに気付けない。


 わたしの頭の中では観覧車が回っている。放置だ。今日はそこからキリンさんが頭を出していた。ぬっ。考えたって無駄だ。宇宙が黒いのと一緒だ。


 わたしは目の前の景色に意識を集中させる。


 獣だ。


 しかも透明な。


 今はそいつを仕留めることだけを考えよう。それは自分に与えられた使命なのだから。


 血の跡を確認するとわたしはゆっくりと立ち上がった。その際、少しだけ立ちくらみがした。わたしの不健康さがそうさせるのだった。表に出るのは久しぶりのことだった。普段はいつも自分の部屋に閉じこもっている。この世界には有害な外気が溢れていてそれを吸い込むとまるで劣化するような感覚に陥るのだった。だからたまに陽の当たる時間帯に外出するとこうだ。全く嫌気がさしてくる。わたしは小さな瓶の蓋を手慣れた仕草で開け、中から一錠、取り出すと掌の上に乗せごくりと飲み込んだ。


 「ふう………」


 成分は正直よくわからなかった。ただこれが無いとわたしは正常な思考回路を維持、出来ないのだ。それが何よりも最優先される事柄。もしかしたらそいつを構成する物質には長生き出来ない要素でも含まれているかもしれない。だが選択の余地は無い。わたしはこの錠剤を飲むしか無い。その結論がまずあって、それからその次を考えなくてはならないのだ。錠剤は真っ白だった。これほど真っ白なものはおそらく自然界には存在しないだろう。


 薬の効果は暫く遅れてからやって来る。だから効き目が現れるのをゆっくり待ちながらわたしは歩いた。その足取りは鈍く、獣に幾らかの余裕を与えてしまっているのだろう。


 怯え、行き場を失くした獣が死にものぐるいで片脚を引きずりながらわたしから遠ざかろうとしている光景が目に浮かんだ。今のうちに少しでも遠くへ逃げるがいい。わたしは思う。最終的にお前は捕えられその艶かしい首を切断されてしまうのだから………。


 皆が幸せになれればそれが一番、素晴らしいことだとわたしは今でもそう思っている。幼い頃に思い描いた景色がそのまま実現されればそれは何て素晴らしいことだろう。だが現実は生易しいものではなかった。わたしは透明な獣を殺さなくてはならない。良いも悪いも関係が無い。他の誰かにやられるぐらいなら自分がやる。その結末だけは揺らがない。それならせめて精一杯、悪態でもついてやろう。お前だって望んではいないだろう? 哀しそうな表情を浮かべ自分が何かしらの被害者であるかのように振る舞いながら惨殺してくる奴なんてさ。







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