建物が辺りにちらほらと現れ始めると獣の姿は隠れ、もはや肉眼では確認、出来なかった。それでも自分には透明な獣が何処を目指しているのか大体、検討がついた。


 わたしは落ちていた枝の一つを拾うとそれを頭上から振り下ろしてみた。ひゃああんっと音を立て風を切った。先端にはまだ若々しい葉っぱがかなり付いている。きっと昨夜の嵐で落ちた物だろう。これであの透明な獣の尻を思いっきり引っ叩いてやろうか? わたしはその場面を想像してみることにした。きっとそれまで聞いたこともないような悲鳴をあげわたしを満足させてくれるだろう。これっぽっちも同情なんてしてやる必要は無い。あの透明な獣によってこれまで何人の若い命が奪われていったか知れないのだ。正確な統計は存在しないが数万、いやそれ以上に及ぶことは間違いなさそうだ。


 枝を重力に任せ、だらし無くぶらぶらさせながらわたしは歩いた。


 透明な獣は随分前から姿を消している。だがその足跡は完璧な形で保持されていた。殺してくださいとお願いしているようなものだった。わたしは自分がまるで初心者、探偵にでもなったかのようにそれを追いかけるのだ。それは追跡ではなく作業だろう。


 倦怠感を抱いてしまわないためにも透明な獣には是非とも可能な限り恐怖を味わっていてほしい。


 建物を曲がり続けていると、ちらちらやがて透明な獣が再びわたしの視界の端に現れるようになった。獣が長い間、姿を消すとわたしは少しだけ足早で動いてその距離を縮めた。


 時折、空を見上げた。


 最優先事項はあの獣を仕留めるということだったが、醍醐味はただ相手を殺すだけではない。頰を撫でるように吹く柔らかな風に色彩を感じる。ああ、今日はとても良い天気だな………。寄り道することに躊躇は無い。どう足掻いたって仕留めることが出来るのなら仕留めることが出来るし、仕留めることが出来ないのなら出来ないのだ。


 わたしの手首に巻き付く腕時計はとっくに止まっていた。


 そしてそのことにまるで興味が無かった。


 その証拠にわたしがその故障に気付いたのはもっとずっと後のことだった。全てが片付いてからのことだ。だからわたしは何の役にも立たない物をそれまでずっと巻き付けていたことになる。


 透明な獣はもう振り返らなかった。


 まずいことになったと思っているのかもしれない。


 背後から近付く気配。どうして自分の姿形が見えないのに正確に自分の行く末を把握することが出来るのだろうか? 追跡者はゆっくりとゆっくりと近付いて来る。恐怖がありもしない罠を作成しやがて自らの足に食い込むだろう。


 わたしは笑った。これ以上、面白いことなんてこの世界には用意されていないみたいに。


 絶対に、殺してやる。


 わたしには確信に近い自信があった。


 絶対に、あの透明な獣の胴体と頭を分離させてやる。それをするのは他でもないこのわたしだ。他の誰にもあの獲物を渡しやしない。あいつを殺すためならありとあらゆる犠牲を払ったって良い。


 狩り。


 わたしは予め用意されているものに興味が無い。


 ただ黙っていても与えられるものに価値を見出せない。


 奪ってやる。


 わたしにはお前の首があればそれでいい。そいつを部屋に飾り誰かに罵られるような悪趣味に一晩、興じよう。


 わたしの笑みにはその時、既に邪悪なものが混じっていた。別にそれを隠すつもりもない。だからわたしは自分が正しいとは思わない。わたしはそもそも正しさや悪に興味が無いのだ。








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