第36話
護衛の『針』持ちが1人もいない。
要となる楓が殺された現在、蜂たちは自分の身が危うと気付いてしまう。
加えてボウガだけでなく捕らえた筈の裏切り者・
圧倒的に不利な状況になり、彼女たちはクイーンを置いて逃げてしまったのである。
「薄情だと思わない?」
車椅子を押されてクイーンは……神尾エリは呆れたみたいに笑う。
散歩に出かけたいと駄々をこねた彼女は、お供として夜月を指定してきた。
断る理由は思い付かない。
夜月はリクエスト通りにしてやる。
氷見神社へ行きたいと告げられ、手前の道路まではエリが用意させた車に同乗した。
境内へは夜月とエリの2人だけが入り、運転手や他の従者は待機させている。
「薄情だと思います」
ここで今、内に眠るボウガと人格を入れ替えれば全てが終わる。
鍵を握っているのは夜月だ。
自分の意志や、あるいは気紛れで状況が変わる。
重荷だ。
向き合うだけで疲れる。
心に棲まう同居人の気持ちは理解できるし、既にこの身体はひとりのものではない。
どうでもいいと投げ出した結果、選択を迫られていた。
すなわち、このままクイーンを野放しにするか、あるいはボウガを解き放って終局を迎えるか。
その選ぶ権利を有したまま
決して表には出さないようにしていたのに、クイーンはそれを読み取ってしまったようだ。
「夜月。私ね、実は『針』以外にも異能の力を持っているの。生まれつきよ」
「……」
明らかに揺さぶりをかけてきた。突然の告白に反応はしないでおく。
例え聞いていなかったとしても、エリは勝手に続けるだろう。
「小さい頃から、人の心が視えたわ。読めるのではなく、視える。具体的に言うと人間の身体の周囲に霧みたいなものが浮いてて、それには色が付いているのよ」
案の定、説明を始めていく。
夜月は既にその力のことを知っていた。心象世界の中で、山田無双から聞き出していたからである。
「怒りや悲しみを抱いていれば霧は黒くなるの。反対に喜んだり嬉しかったりすれば霧は白くなるわ。黒から白になれば、その人は幸せ。逆に白から黒になれば、その人は不幸。私は前者の方が好き。だから、他人が喜ぶ言葉を研究してきたの」
「クイーンは、その力で人を操っていたのですか?」
「エリちゃんって呼んで」
「……エリちゃんは、言葉で他人をコントロールできるんですか?」
下宮から中宮、上宮と巡って池の周囲の道に出る。
車椅子のエリは夜月の質問に答えなかった。代わりに近くのベンチに座るように言い付けてくる。
素直に従うと、クイーンと向き合う形になった。
そこでようやく口を開く。
「楓も、静流も、みんな最初は真っ黒な霧だったのよ。私が彼女たちの望む言葉をかけてあげたら白く晴れていったわ。仲良しグループは私の言葉で救われている。もっとも、例外として能天気な実里みたいなのもいたけどね。夜月、あなたもそうでしょう?」
「はい……」
否定せず、真っ直ぐにエリを見つめる。
地味な容姿と不遇な生まれに強いコンプレックスを持っていた夜月を解き放ったのは他ならぬ彼女だ。
言いなりになっていじめられもしたが、エリに出会わずにいたら目立たぬまま人生を終えていた気もする。
「でも不思議ね。病院へお見舞いに行ったときと違って、今の夜月には二重の霧が視えるの。ひとつは真っ白……まるで何事にも関心がないみたい。もうひとつは真っ黒……ひどい恨みでも持っているかのようだわ」
見抜かれている。
それならもういいだろう。
この先、クイーンがまた『針』をばら撒き始めれば蜂が増える。
霧生楓ほどの腕利きが現れる可能性だってゼロじゃない。
ボウガは看過しないだろう。
同居人の焦れた心が伝わってくる。
無色透明と評された爆破魔は、仇敵を前にして真っ黒く染まっていた。
「エリちゃんは、
「あら? もしかして、無双に会った?」
「会いました」
「あらゆる情報が引き出せて便利よね。あの娘、私が言葉をかけたら自分の世界に招き入れてくれたのよ。どんな風に話しかけたと思う?」
「わかりません」
「ふふっ、『友達になりましょう』とだけ。おかしいわよね。たったそれだけであんなに便利な異能を使わせてもらえるのだから。でも浮気性よ、あの子。恐らくだけど静流も接触していたでしょう。彼女も妙に情報通だったから」
「山田さんはもう二度と、心象世界に誰かを招き入れたりしません」
「逃げ出した静流でも連れて行って、あなたが何か吹き込んだのね」
「そうです」
短い肯定をしてやってもエリは動じない。
最早、夜月が敵対者であることは明白だった。それでも余裕を崩さないのはとても彼女らしい。
あるいは何らかの切り札でも持っているのか。
精神の薄布を1枚隔てた先に、ボウガが待機している。事が起これば瞬時に入れ替わるつもりだ。
夜月はそれを静かに制する。
これは自分がやらなければならないことだ。
「……エリちゃんは『心の色が視える』異能を、もっとも活かす手段を調べました。そしてジガたちの故郷から『針』を盗み出して女王蜂になったんですよね?」
「だいたい正解。ただし、あいつらの里へは自分で行ったわけじゃない。ご覧の通りの脚だから私立探偵を雇ったの。ま、あのニンジャども相手にうまくいったのは奇跡ね。けどその後は最悪。『聞かざるジガ』と『見ざるヒガ』と『言わざるボウガ』に命を狙われたわ」
「山田さんの力は、起こった事実だけを振り返ります。だからエリちゃんが何を考えているのかまでは知りません。『心の色が視える』異能を使って何をするつもりですか? それは今回の件で死んでいった人たちの命に見合うんですか?」
「意外ね。死んだ人間のことを気にするだなんて。だいたいは夜月をいじめていた連中でしょ。消えて清々したんじゃない?」
「否定はしません」
ようやく、エリは観念したかのように溜息を吐いた。
これまでの自信に溢れた様子が崩れて途端に惚けたまま空を見上げる。
「質問には答えてもらえないんですね」
「私は病院の屋上から眺める景色が大好きで、新都心に次々に建てられているビルが鬱陶しくて邪魔だから、開発計画をやめさせるためのテロを起こしたかった……じゃダメかしら?」
「本気ですか?」
「えぇ、本気よ。『針』持ちが束になればそれくらいは可能でしょ」
「本当は?」
「……言葉だけで何もかもが自分の思い通りになるのが楽しくて、どれくらい大きなことができるのか試したかっただけ。全部、お遊びで戯言ね」
「そうですか」
おそらくそれが嘘偽りない本心だろう。
エリは半ば負けを認めている。
あるいは楓が死んだ辺りから形勢逆転が不可能だと悟ったのだろう。
「夜月、私からも質問させて」
「どうぞ」
「私の真意を確かめて、あなたが得るものは?」
「特にありません……と答えたらどうします?」
意外な返事に驚いたのか、エリは目を見開いた。
そして身体を2つに折って笑う。
あまりに大声だったので周囲を散歩していた人がビックリしてこちらを見ていた。
いつでもペースを崩さないエリが初めて、年相応の反応をしたように思える。
「いいわね、それ。簒奪者の私が迎える最期に相応しいわ」
「……」
「とっくに視えているわ。夜月の中にいるんでしょ? 今まで宿主を喰い殺さないように我慢していたことを褒めてあげる。だから出てきなさい」
夜月は応えるように右手でそっと自分の耳に触れ、顎の先まで撫でる。
口元には黒いマスクが現れ、冷めていた目がさらに据わった。
それを確認した後で、神尾エリは図々しくも人生最期の要求をボウガに告げた。
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