第34話

 笠井真波かさいまなみは完全に、仲良しグループから逃げ出すタイミングを逸していた。

 最強の刃たる霧生楓きりゅうかえでが殺されてしまい、敵対者の中にはボウガという爆破魔が残っている。

 自分たちに降りかかってくる災厄として、クイーンに仕える働き蜂の誰もがPAPAホテルと川尻線の電車の爆破を思い浮かべただろう。

 いくら異能の力を持っているとはいえ、あれほどの攻撃に晒されて無事でいられる筈がない。

 その証拠として、堅牢な防御と卓越した身体能力を併せ持った『針』使いである天音実里あまねみのりもボウガに奇襲されて亡くなっている。


(どうしよう……どうしよう……)


 真波の『針』は拘束専用で、潰しが効かない。敵を捕らえたのならまだしも、これから襲ってくる相手には何の役にも立たなかった。

 最早、ボウガからクイーンを守れる者など仲良しグループには存在しない。

 そんな状況になって配下のままでいる。

 賢明な者は既に姿を眩ましており、連絡がとれなくなっていた。

 逃げ出せなかった理由は目の前にある。

 いつぞや、ジガの死体を拘束していた雑居ビルの一室に真波はいた。相変わらず陽の光が差し込まない窓と、気にするのも躊躇うようなボロ具合である。

 今回は差し入れを詰め込んだビニール袋もなければ、見張りに立っている『針』持ちもいない。



 真波を合わせてもたった2人だけ。そのうち1人は裏切り者である。

 3本の『針』に囲まれた結界の中、うつ伏せで荒い呼吸をしている吾妻静流あずましずるを横目にただただ時間が過ぎていくのを待った。

 いっそ自分の『針』が恨めしい。敵を逃げられなくするという能力は、クイーンに命じられるまま活用されている。

 こんな力でなければ声をかけられることもなく蒸発できたかもしれないのに……


(生かしておかずに殺しちゃえばいいのに)


 そうすれば見張りなど必要ない。

 真波自身も解放される。

 静流はボウガに組して仲良しグループを裏切ったのだから、それくらいの報いを受けてもいい筈だ。

 現に『針』を没収された静流は虫の息である。切断された両腕に『針』で作った義手を取り付けていたが、今はそれが無い。

 両腕を失った彼女は何の脅威にもならないだろう。


(どうしよう? 殺しちゃう?)


 非戦闘員である真波ですら、そんな物騒なことを考えている。

 もしかしたらボウガが彼女を助けにやって来るかもしれない。

 そうなったとき1人でどうにかできるとも思えなかった。

 さっさとこんな場所を放棄したいが、静流が生きているせいでそれもできない。

 迷いは時間だけを奪い去っていく。

 残念ながら真波の予想は当たってしまった。


「アーアーアー アアア アアアアア」


 間抜けな歌声が、階段の下から聞こえてくる。

 血の気が引いていくのが分かった。

 頭の中で非常階段の位置を思い出すが、そこへ到達するためには廊下へ出なければならなかった。

 どう足掻いても声の主と対面してしまう。


「ア ア ア ア アアアアア」


 これは何という歌だっただろう?

 歪んでいく現実に耐えられなくなった真波は、静流を押さえ付けていた『針』を解除して考えた。

 細い手ですぐ近くに置いてあったリュックサックの中を探り、護身用のスタンガンを取り出す。

 敵に通用するかどうかは分からなかったが、攻撃力ゼロの自分の『針』よりは信頼できそうだ。

 本当にボウガが来たのなら、真波は命乞いをするつもりでいる。

 それが生き残る確率が1番高いだろう。



 しかし、電灯が消えている廊下から現れたのは見知った顔である。

 眼鏡にそばかす顔の地味で、汚らわしい女……藤沢夜月ふじさわよつきだった。

 一体、何の真似なのか前閉じのパーカーにホットパンツという格好である。

 ジガに捕まった後で解放されたとは聞いていたが、会うのはいつ以来になるだろうか。


「ふ、藤沢?」


 思わず変な声になる。

 驚いて損をした気分だ。

 仲良しグループのカースト最下位にいる惨めで駄目な人間を前に、真波は安堵してしまう。


「驚かせないで……」


 へたり込んでスタンガンを仕舞い、再び『針』を展開して静流を拘束する。

 夜月は首を傾げて室内を見回していた。

 間の抜けた仕草が腹立たしい。


「……ったく、来るなら来るで差し入れのひとつくらい持ってこいよ。使えねぇな」


 格下相手であれば乱暴で強気な口調になるのは普段からだった。

 それは楓のような目上の人間に諛う反動でもある。


「もしかして笠井さん1人?」

「そうだよ、言わせんなよ。人手が足らないんだよ」

「そう」


 ちょうど喉が乾いていた。

 買い込んでいた飲み物も尽きている。

 使いっ走りにちょうどいい人物が現れてくれたのだから活用しない手はない。

 ストレスをぶつけるのにもうってつけだろう。

 そんな下卑た思考を巡らせているうちに、夜月は自然体になっていた。

 安っぽくてダサい眼鏡を外し、パーカーのポケットへと押し込んでいる。


「あんた……どうしたの?」

「ボウガ。術は使っちゃダメ。吾妻さんを殺すのもダメ。いいね?」

「何を……」


 ゆっくりと、夜月は右手で耳から顎のラインに沿って指を這わせる。

 すると彼女の口元は手品のようにが現れた。

 合わせて気配が変わる。これまでの無味無臭から、花火を打ち上げた後のような刺激臭がした。

 真波は腰が抜けて立ち上がることができない。

 本能的に死を悟って、その恐怖に押し潰された。

 生き残っているとされる敵勢力の『言わざるボウガ』と、目の前の人物の特徴は完全に一致している。

 精神を移植するという反則技を使ったとは聞いていたが、まさか藤沢夜月の中にいるだなんて!



 あとは……真波は当初の予定通りに、命乞いをした。

 夜月に術を使わないように命じられたボウガはそれを遵守する。

 結果として、笠井真波は撲殺されることになった。苦しまずに爆発で死ぬのとどちらが良かったのか。

 消えゆく命の灯火の中で、真波は『針』という力をもらったことを後悔しながら逝った。

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