第33話
約束を果たす義理があった。
しかし、その相手が現れるかどうかは不明である。
藤沢夜月は昼間の駅のホームでベンチに座り、遠くを眺めていた。
地味な眼鏡に目立つそばかす。制服ではなく、パーカーにホットパンツという姿だった。脚の露出は気にしない。
他には誰もいない中、雨音に混ぜて鼻歌を歌って待つ。
近くにはライブ会場として全国的に有名な船の形に似た建物が見える。
生憎と1度も行ったことはない。ボーッとしているうちに意識まで溶けそうだったが、寝てしまう前に辛うじて待ち人がやって来る。
「小フーガト短調?」
「はい」
歌を止めて答える。視線はそのまま。
相手は少し様子をうかがってから動いた。
「えっと、あなたが
「はい」
短く肯定すると、癖っ毛で小柄な女子高生が隣に座ってくる。
夜月は彼女の制服に見覚えがあった。
クイーンにアルバイトを命じられたときに着たものと同じである。
雨が降っているからか、彼女は赤いレインコートを手に持っていた。しかし通学用の鞄も、他の荷物も見当たらない。
「はじめまして、
「話は……吾妻さんから聞いています。呼び出しに応じてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。しずちゃんは……その……」
何か付け足しそうな雰囲気を醸していたが、
雨垂れが線路に落ちて歪なリズムを刻む中、2人からは言葉が消える。
夜月は存分に空白を味わった後で会話を広げることを選んだ。
「ここは山田さんの創った世界なんですか?」
「えっと……そうです。現実をトレースした上に私の心象風景が重ねられています。ここから見える線路や街は実在のものと同じですが、空から降ってくる雨は私の心の一部なんです。流行りの拡張現実と似ていますかね……」
「不思議ですね。『針』も無しに、こんなことができるなんて」
「異能の起点はたくさんありますから。夜月さんの『針』はそのうちのひとつです」
無双の緊張している様子が伝わってくる。表情は固く、イントネーションも不自然だった。
あまり深く聞き入るのは良くないだろう。そう考えて、夜月は相手が機嫌を損ねる前にもっとも確かめておきたいことを質問しておく。
「普段は誰も入って来ないんですか?」
「……というより私が誰も招かないんです。この世界にいる人は私を認識できませんから、私の方から話しかけない限りは何も反応を示しません。ここへ足を踏み入れたのは夜月さんで3人目です」
ひとりは、間違いなく吾妻静流だろう。
楓を討った直後の彼女は『共振』でメッセージを伝えてきた。
夜月の持つ『針』は異能の力を断つことができる。それを使って、山田無双という名の少女を解放してやってくれ……と。
無双の連絡先を伝えて以降、静流からは連絡が無い。
力尽きて仲良しグループの連中に捕まったか、あるいは逃げ延びて身を潜めているか……
「しずちゃんと、あなたと、神尾エリという子です」
「……」
神尾エリ。
間違いない。クイーンのフルネームである。
平坦な感情を保ち続けてきた夜月は、自分が僅かに揺らいだのを感じた。
その波の裏側では多心一体となったボウガが昂ぶっている。
「夜月さんは、しずちゃんに頼まれて『因果を断つ剣』で私の異能を斬りに来たんですよね?」
「そうです」
「私からのお願いも聞いてもらえませんか。厚かましいのは承知していますけど、しずちゃんを救ってあげてください」
「吾妻さんを助けられるかは分かりませんよ。どこにいるのか、生きているのかもハッキリしていません。私には情報を集める術も無いですし」
「それは心配しなくても大丈夫。私の異能があれば……」
雨は止みそうにない。
雫が弾ける音の中で、無双は自分の能力について淡々と説明していく。
地球上で起こった事実であれば、その場所にいなくとも、見なくとも、聞かなくとも、全てを把握できる全知の力だ。
その代わり、無双自身がデータを引き出すことは出来ない。誰かに聞かれなければ己の中の情報を知ることも、口に出すことも不可能だという。
「まるで人間百科事典です。便利すぎる道具です。道具は自分で考えないんですよ」
彼女は唇を尖らせてから、ケラケラと笑う。
それが何故か痛ましく思えた。
「吾妻さんとクイーンは
「はい。2人ともこの世界に来て色々と調べ物をしました」
無双の友人である静流はともかく、どういう経緯でクイーンと知り合ったのか確認すべきだろうか?
いや、そこは重要ではないか。
夜月は何がどうなってもいいと考えていた。
しかし、全知を前にして少しだけ違う方向へと歩きたくなる。
「クイーンはここで何を調べたのでしょう?」
「えっと、神尾エリが
紡がれる言葉が重く、耳から零れ落ちそうだ。
何もかもが符合する。
ヒガの夢遁を喰らった時から壊れていた心が少しずつ形を取り戻していく。
あの暴君がどんなことを思っていたのか理解できた気がする。
同時に、内側に同居しているボウガの気持ちも察することができた。
大勢が死んでいる。
辛うじて生きている自分が何をすべきなのか、夜月はこのときようやく悟った。
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