第30話

(完全に仕留めたと思ったのに。あれを避けるとは……バケモノめ!)


 狙撃に失敗した吾妻静流あずましずるはすぐにその場を放棄した。クイーンの邸宅を囲う壁から飛び降り、大栄橋と駅のある方面に向かって駆ける。

 正体を偽装するために黒いマスクで口元を隠し、前閉じのパーカーにホットパンツという姿だった。無理にうなじでまとめた髪はブラッシングしていない猫の尻尾みたいに暴れている。

 万が一、目撃されてしまってもボウガの仕業だと見せかけてやるのだ。


(こんな小賢しいコスプレまでして、このザマだなんて!)


 スースーする足元が落ち着かないのを我慢し、国道を行き交うタクシーを追い抜いて走る。

 仲良しグループの『針』持ちたちはクイーンの警護を目的に集結しており、これまでの戦闘でメンバーの大半を失って人員不足だという点から追撃はしてこないだろう。

 霧生楓きりゅうかえでに対する評価が甘かったことに舌打ちする。

 右腕が『針』と融合し、射撃能力も格段に向上しているというのになお実力で届かない。


(流石はジガとヒガに攻撃を躊躇わせただけのことはある)


 これまでの状況から鑑みても楓の強さが肉体を共有する別の人格アンムーアド・エゴの少女たちを上回っているのは確かだ。

 しかし、そんなことに感心している場合ではない。

 静流は雑居ビルが並ぶ路地へと飛び込み、誰もいないことを確認してパーカーとホットパンツを脱いだ。

 下着姿のまま雑に置かれていたポリバケツのひとつひっくり返し、中から出てきた白い袋を手で破る。

 するとビニール袋に包まれたボストンバッグが出てきた。

 中には普段の学生服とパンプスが入っている。

 狙撃が失敗したときのことを考えて用意しておいたプランだった。

 手早く着替えるがこみ上げてくる敗北感に胃が軋む。


「くそっ!」


 怒りに任せて倒れたポリバケツを蹴ってやると、穴が空いてしまった。

 音に気付いたのかすぐ近くにある従業員用の裏口からエプロン姿の壮年の男が顔を出す。

 反射的に睨みつけてやると、怯えた顔を引っ込めて鍵をかけてしまった。


(いけない。冷静になれ)


 足早に表通りへ出て、道路を渡った先のコンビニへ入る。

 とにかく水分が欲しかった。あとは脳みそを働かせるための糖分か。

 500mlのコーラをレジに通して、イートインスペースで一気に飲み干す。

 警察に見つかれば補導されかねない時間に差し掛かっており、さっさと次の作戦へと移る必要があった。


『失敗ですね』


 不意に、鼓膜を直接撫でるような藤沢夜月ふじさわよつきの声が聞こえた。

 驚いてしまった気配が伝わらないように堪えた静流は、トーンを落として返す。


『失敗したのは第1段階だけ。まだ手はある』

『もしかして、この会話方法には慣れませんか?』

『盗聴される危険性が低くて履歴が残らないのだから、グダグダ言ってられない。このままでいい』


 これは『針』が融合してしまった者同士のみが行える『共振』による通話だった。

 自分の体内の『針』を特定の周波数で発振し、それを相手が『針』で拾う。

 現代的な手法では傍受が不可能であり、スマートフォンのメッセージアプリのような履歴も残らない。

 暗殺や襲撃には持ってこいの通信である。


『そっちはどう? 囮として協力してくれたのはありがたいけど、ボウガはちゃんと言うことを聞いている?』

『特に問題ありません。彼女は女王蜂をターゲットにしていますから、この状況ならば吾妻さんは二の次みたいです』

『なんかムカつく物言い』

『ごめんなさい、気が利かなくて』


 顔は見せないものの、夜月は微かに笑っているようだ。

 どういう精神の変化なのか推測の域は出ないが吹っ切れているように思える。

 話題もさっさと切り替えてしまった。


『やはり誰も追って来ませんね』

『それなら護衛方法は事前配布のマニュアル通りに進められている』

『では第2段階に?』

『移行する。けど、これは作戦なんて大層なものじゃない』


 制服姿に戻った静流はすぐさま、クイーンの邸宅を目指して走り出した。

 来た道をそのまま戻るのではなく、わざと遠回りしておく。

 今頃はガレージの中に詰め込まれていた高級車が次々に発車している頃合いだろう。

 それらは撹乱のために屋敷を出て行くだけで、実際にクイーンは乗せない手筈になっている。

 狙うべき楓と共に、女王蜂は巣に留まったままでいる筈だ。


(もう陽動も狙撃も通用しない。接近戦で正面から制する)


 覚悟を決め、静流は堂々と正面の門の上を飛び越える。再び豪奢な庭が目に入り、着地と同時に走り出す。

 この時点では仲良しグループと敵対していない。だから静流の姿を見ても誰も攻撃はしてこなかった。


『どちらかといえば決闘ですね』

『黙ってて』


 クイーンの休んでいる離れへ突入した静流は玄関ホールで足を止める。

 吹き抜けになった2階からこちらへ向けて凄まじい殺気が放たれていた。

 ポニーテールの、背の高い少女が静流を睨みつけている。

 滲み出る静かな怒りがオーラとなって湯気のように立ち昇っていた。


「騒がしいですね」

「悪いとは思っている」


 意識の外からの狙撃すら回避する手合いである。

 ここで『針』を撃ち込んでも当たるわけがない。


「短い時間ですが、私なりに考えました。あれほどの速度と精度で音もなく狙撃できる人間のことを。残念ながら他に該当者はいません。ボウガと協力している襲撃犯はあなたですね?」

「安心していい。あたしが狙っているのはクイーンじゃない」

「まさか私を殺すつもりでしょうか?」

「正解」

「怨恨で寝返るとは、馬鹿馬鹿しい」


 頭痛がしたと言わんばかりに楓はこめかみに指を当てる。

 その的外れな結論に静流は笑ってしまった。


「友達のため、あんたに死んでもらう」

「いいでしょう。あなたも浄化して差し上げます」

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