第27話

 また雨である。

 折りたたみ傘をさして歩く吾妻静流あずましずるは、鬱陶しい湿気に頭痛すら覚えた。癖のある髪の毛は輪郭から外に向かって跳ね上がり、どれだけ丁寧にセットしても時間が経つと踏みつけた雑草が元に戻るみたいに自然な形へ復元してしまう。



 いや、他にも理由があってイライラしていると表現したほうが的確だろうか。

 クイーンを取り巻く状況は好転しているのか悪化しているのか判断が付かない。

 静流がヒガを仕留めた事により事態は収束したかと思われたが、その後でR崎高校のトップエースと参謀が電車爆破テロに巻き込まれている。

 彼女たちはジガを倒した凄腕の『針』持ちだが、残念なことに死亡が確認された。

 さらに直接、現場を見に行った働き蜂たちの報告は笑えないくらいの異口同音だったのである。


『PAPAホテルの爆破と似ている』と。


 静流が討ち取ったヒガは、既にボウガという第3の人格を手放した後だったと推測できる。

 爆発を操るという術から、今回のテロ(と世間は認識している)の犯人も明らかだった。

 最大の問題は敵の精神の移植先が全く分からないことである。

 これでは仲良しグループ側は防備を固める他に策が無い。


(ジガとヒガが最初からボウガに頼らなかったのは、攻撃が大規模で大雑把過ぎるから……だと信じたい)


 敵は爆発で粉々になったクイーンの死体が欲しいわけではない。

 あの病院の屋上での会話を聞く限り、殺した後で『女王蜂の針』とやらを摘出しなければならないようだ。

 静流は、またも山田無双やまだむそうに会って情報を得ようと考えている。

 全宇宙記録アカシックレコードを参照できる彼女ならば、起こった事実をいくらでも掘り起こせた。

 そこには人間の意志や意図が直接反映されるわけではなく、事実のみが連ねられている。

 ボウガの動向はともかくとして精神移植された人物名くらいはすぐに分かる筈だ。



 本来ならばスマートフォンのアプリで聞いてしまうところだが、定期的に会っておきたい。その口実としては持ってこいだった。

 呼び出したのはNヶ丘高等学校に近い大型書店である。レストランやスーパーまで同じ建物の中に入っているが、本の売り場の面積が1番大きい。

 雑誌から専門書まで揃ってはいるものの、読書に興味のない静流にとっては退屈な場所に違いなかった。


「しずちゃん、おまたせ」


 紙の漫画雑誌を手に取ることすら慣れていない静流は入り口で立って待っている。

 雨足は弱く、軒下に入るのも躊躇してしまった中途半端な格好だった。

 そこへ赤い雨合羽の少女が声をかけてきたのである。

 やはり癖っ毛は湿気で跳ねており、愛嬌のある大きな瞳をぱちぱちさせてから雨具を仕舞った。

 2人は店内へ入り、先を歩く無双について行った静流は時代小説のコーナーで足を止めることになる。

 女子高生が連れ立って来るような場所ではないため、店員が胡乱な目を向けてきた。原因は『針』と同化した部分を隠すために暑苦しく右腕に包帯を巻いている静流の方にあったが、本人はそれに気付かない。

 それでも構わず静流は無双へ質問を浴びせる。周囲に聞き耳を立てている客は見当たらない。


「ボウガの人格が今、誰のところにいるか教えて」

「えーっと……藤沢夜月ふじさわよつきっていう女の子の中にいるね」

「……っ!?」


 いきなりとんでもない名前が出てきて、動揺がモロに出てしまった。

 やはり店員が胡乱な目を向けてきたままである。


(あのクズ女……!)


 本当に碌でもない。

 まるで自我が無くて唯々諾々とクイーンに従い、どんな屈辱でも平気で受け入れる。

 いじめられて当然の弱者であり、仲良しグループでは欠かせないサンドバックだ。

 思えば今回のジガ事件の発端も夜月が拉致されたことから始まっている。

 忌々しさのあまり売り物の本に八つ当たりしそうになったが、隣で次の読み物を物色する無双を見て何とか堪えた。


「夜月が今、どこにいるか教えて」

「自分の家みたいね。場所は……」


 大栄橋を降りて、国道バイパスを越えた先の住所だ。

 忘れないようにと静流はスマートフォンのメモアプリを起動して素早く入力しておく。

 今から単身で向かって始末できるか考えを巡らせてみる。

 どう考えても夜月など取るに足らない相手だ。もしもボウガの人格が表に出ていたとしたら厄介だが、あれの能力は強襲に弱い。

 突然押入られてしまえば距離を取れず、爆遁は使えない筈だ。

 あとは周辺状況の確認をしておけばクイーンを取り巻く状況は一気に好転する。

 ボウガを始末すればもう脅威は無い。

 ようやく見えてきた終着点に静流は気を引き締め直した。


「いつもありがと。助かる」

「しずちゃんの力になれるなら嬉しいよ」

「出来れば、のはやめてほしいけど」

「仕方ないかな。しずちゃんが顔を合わせるときの私のだから」

「それならいいけど」


 無双は何やら、厚さ3センチはある文庫本を手に取っている。

 びっしりと字が並んだ紙は横目で眺めているだけで目眩がしそうだった。

 たかだか本に無双の興味の先を奪われて心の中が曇り、そんな稚拙な気持ちを自覚して静流は嫌悪する。


「ねぇ、そういえば今日現在で例の『剣』は現れた?」


 これは無双の気を引くための質問だ。

 この前は慌ただしく別れてしまって聞きそびれている。いつもは別れ際にチェックしているのだが……

 常に答えは「ノー」だと分かっているものの、事実を参照できる全宇宙記録を使えば確実に存在を把握できる。


「うん。現れた」


 これまた近所で野良猫を見たくらいの勢いで断言されてしまった。

 肋骨から飛び出そうな心臓を押さえて、静流は息を整える。

 夜月の中にボウガがいることも驚いたが、それ以上の衝撃を覚えた。

 ずっと求めてきた『因果を断つ剣』である。クイーンの生み出す『針』の変種か、あるいは突然変異によるものだ。

 その能力を使えば異能そのものを斬ることができる。

 厄介な全宇宙記録アカシックレコードから無双を引き剥がすためにどうしても必要な代物だ。


「……誰が持っているの?」


 唇が震えている。唯一の友達の前なのにそれくらい緊張していた。

 いつだったか、無双に愛の告白をされたときと同じくらいの心拍数に達している。

 長い。ひたすら長く、無音の時間が続く。

 手に取った本をパタンと閉じた無双は静流の瞳を覗き込んだ。

 澄んだ大きな目のまま『因果を断つ剣』を発現した人物の名前を告げて来る。

 それを耳にした途端、静流は全身から力が抜けてしまった。

 真っ直ぐ立っているのすら困難で、時代小説とライト文芸コーナーの間にある柱にもたれかかる。


「ねぇ、神さまって本当にいるの?」


 実在するとしたらどれだけ悪戯をしたいのだろうか。

 あるいは運命の糸を絡めた毛玉でサッカーでもしているのだろうか。

 暗澹とした気持ちで問う静流に対して、無双は全宇宙記録アカシックレコードから記録を参照してくれた。


「いないよ。もしいたら、こんなひどい世界になっていない」

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