第24話

 静かな読書の時間である。

 特別に病院の屋上を開放してもらっているエリは、日光浴を兼ねて文字の羅列に想いを馳せていた。

 車椅子を押してくれる者は誰もいない。人払いしている。

 あと15分もすれば看護師が迎えに来てくれるだろう。



 ふと視線を持ち上げれば、新都心に聳えるビル群が目に入る。

 急な開発で広がっていく無粋なオブジェたちは一面のガラスで光を反射し、五月蝿く喚いていた。

 その足元を無数の線路が並走し、真下を潜るように掘られたトンネルに道路が飲み込まれて車が走る。

 なんとも情緒が無く、虚しい。

 そしてこんなものを繁栄だと喜ぶ感性の貧しい人たちが恨めしい。


(言っても仕方のないことね)


 溜息を漏らすと風が熱された空気を運んできた。肌の弱いエリは帽子をかぶって長袖を着ている。この日光浴は純然たる我儘であり、限られた時間であればと医者が渋々許可をしたものだ。

 屁理屈を並べ立ててようやく勝ち取った至福の時間を、音痴な鼻歌が遮ってくる。

 徐々に近付いてきたそれに反応してエリは車椅子を階段の方へと向けた。

 足音はしない。けれどそいつはいた。

 糸のように細い目と、大きく突き出た胸を隠す前閉じのパーカーの少女。

 エリは微笑みかけてやる。


「私から楓を引き剥がすための代償は大きかったようね」

「そうです。その代わり、あの狂犬のような女はあと30分は戻ってこないでしょう」

「楓の懲罰的な性格を考えれば、もっとね。実里たちを呼びつけて叱っているかもしれない」

「どうして、あのような無能女を側近に?」

「あら、それは失礼な言い方ね。腕が立つからに決まっているでしょう。現にあなたは楓に勝てる見込みが無いから『聞かざるジガ』を生贄にしているわ」

「尊い犠牲でした。ジガのパーソナリティを移植した被験体が死んだせいで、あいつを回収することはもうできません」


 肩を竦めて、パーカーの少女は前へ一歩を踏み出す。

 世間話に興じる彼女は楽しそうだった。

 しかし、女王たる資質を持つエリは見抜いている。

 相手は明らかに焦っていた。


「最初から『言わざるボウガ』を使えば、楓が居たところで関係ないでしょうに。こんな病院くらい爆遁で粉々に吹っ飛ばせたのではなくて?」

「あの娘の術はまったく小回りが利きません。こんな街中では役立つのはせいぜい、影遁での移動くらいでしょうね。それに喋れないから交渉もできない」

「ホテルを丸ごと吹っ飛ばしておいてよく言うわ。私なら、上手く使える」

「でしょうね。生憎と私には、そういった才能がありません。せいぜい他人の心に潜り込んでアレコレやる程度です」

「それも謙遜ね。精神を破壊して外傷を与えずに殺せるなんて、ゾッとするわ。そうでしょう、『見ざるヒガ』さん」



「救済だと思ってやっていますよ。笑って下さい、本当は殺しなんてしたくないんです。あなたが哀れな蜂を増やしたりしなければ……ね」

「奇遇ね。私も救済だと思ってやっているわ。持たざる者が『針』という力を持つの。これは生きる上での救いになると思わない?」


 初めて……パーカーの少女の表情が変わる。

 奇妙なほど口角が持ち上がった。

 良くないものを見ないように閉じた目は薄っすらと開いている。


寿を知っているか?」

「さぁ? 長くて1年くらいかしら?」

「それが分かっていて『針』をばら撒いているのか……」

「冴えない灰色のまま80年生きるよりも、もっとも美しい虹色の17歳に全てを注ぎ込んだ方が綺麗でしょ」

「屑め。大人しく女王蜂の『針』を返して、ここで死ね」


 声音を低くしてヒガは告げる。

 落ち着いた印象はガラリと変わって、獲物を前にした獣のようにいきり勃っていた。

 エリは汗ひとつ流さず鼻で笑い飛ばす。


「無理ね。私はクイーン。あなたはどれだけ強くても一兵卒。刃を向けることすら許されないわ」


 また風が吹いた。今度は冷たい空気を運んでくる。

 それが降ってくる瞬間まで、エリは気配を察知されないように大仰に振舞ってみせたのだ。

 ヒガは直感に従って上を向いたとき、両目を見開いた。

 そして舌打ちひとつ。瞬時に飛び退いたかと思うと、1秒前までヒガのいた場所にはクレーター状に陥没する。

 その中心には、漆黒の右腕を屋上へと突き立てている人物がいた。

 ウルフカットで目付きの悪い女子高生……吾妻静流あずましずるである。


「ちっ……」


 奇襲を避けられたことに毒付き、静流は立ち上がって『構え』を作った。

 ちょうどエリとヒガの間に割って入る形となる。


「せっかくの先制攻撃を外すなんて……あなたはいつも肝心なところでダメね、静流」

「黙っていて下さい、クイーン!」

「ホテルで戦った、いつぞやの『針』飛ばし……ですね。あぁ、ジガが手抜きをして殺さなかったのがこんなところで響くなんて」

「お前も黙れ!」


 息を吐き、パンプスで地を蹴る。

 瞬きもできないうちにヒガに肉薄した静流は漆黒の右腕を叩き込んだ。


「速いですね。前よりも数段速い……」

「黙れと言っている!」


 上体を捻って皮一枚のところで回避されるも、腕の表面からは無数の『針』が飛び出る。

 流石にそこまで読めていなかったヒガの脇腹と胸を『針』は貫通していく。


「ッ!!」


 身体を突き抜けた『針』は先端部分がさらに割れ、返しとなった。

 釣り針のように1度でも貫通してしまったら抜けない仕組みである。

 完全にヒガを捉えた静流は続けて体重をかけ、敵を屋上のフェンスへと押し込む。


「お前の使う精神を壊す術には、発動条件が幾つかある。まず相手の目を見ないといけない」


 静流は密着しているため、ヒガの顔が視界に入らない。

 純粋な腕力の勝負であれば負けはしなかった。


「どうして、知っているのですか? この術の詳細は女王蜂ですら把握していない筈なのに」

「いい情報屋が知り合いにいるだけ」

「あなた、短期間で強くなり過ぎていませんか? この屋上に来る途中で殺した護衛の兵隊蜂どもよりも……遥かに強いです。その身体と融合した『針』のせいでしょうか?」

「答える必要はない」


 残った左の拳をヒガの腹部へ叩き込むと、苦しそうな吐息が漏れた。

 敵も黙ったままではなく必至に静流を殴り、蹴り、痛めつけて引き剥がそうとしてくる。


「お前がボウガと入れ替わるのにも条件がある。名を呼び、引継をしなければならない」

「そこまでバレているなら仕方な……」


 右腕は『針』ごと胸に押し付けたまま、左を手刀にしてヒガの喉を潰す。

 声が出せなくなった彼女はさらにもがく力を強めた。

 しかし、静流はいくら殴られても動かない。

 そうしているうちに垂れ流れた血はどんどんと広がっていく。

 暴力の応酬をエリはつまらなそうに眺めていた。


「トドメ」


 右腕を切断され、自らの『針』で傷口を塞ぎ、一体化させた吾妻静流。

 距離をとれば不利となる相手を前に、得手である『針』を飛ばす技を捨てている。

 完全に密着した状態で右腕からさらに膨張した。

 腕ほどの太さがある『針』に胸を貫かれ、ヒガは完全に動きを止めたのだった。


「終わったかしら?」


 死闘を演じた兵隊蜂の背に、エリは呑気な声をかける。

 流石の静流も肩越しに振り返って睨んでしまった。


「そんな怖い目で見ないでちょうだい。静流からの個人的な連絡をちゃんと受け取ったのだから、感謝してほしいくらいだわ」


 本の表紙と指の間に挟んだスマートフォンをヒラヒラと弄び、エリは得意げな様子を見せる。

 守口架純もりぐちかすみから奪い取った端末を使い、静流はクイーンにプライベートトークを持ちかけて蜂の所在が全て敵にバレていることを伝えていた。

 それに応じたエリは彼女を密かに身辺警護に置いていたのである。


「ねぇ、静流。今回はお手柄だったわ。ところで、あなたの使っている情報屋についてはやはり教えてもらえないの?」

「それだけは口が裂けても言えません」

「そう。残念」


 言うほど残念そうでないまま、静流は手にしたスマートフォンを操作して働き蜂にメッセージを送る。

 まずはヒガの死体を片付けなければならない。

 その後で読書を続けよう。

 女王蜂は、どこまでも、破滅的なほど、マイペースだった。

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