第23話

 働き蜂の1人、笠井真波かさいまなみは人間の死体を食べたことはなかった。

 かといって美味そうと思ったこともない。

 クイーンが用意してくれた雑居ビルの一室で、ジガの死体と共に一晩を過ごす羽目になったのは自分の『針』のせいだ。



 真波は肩口と額で綺麗に切り揃えた黒髪と眠そうな細い目から「座敷童子みたい」と悪罵を吐かれる容姿を、しきりに手鏡で確認している。

 もっと笑えだとか、ヘアスタイルに気を使えだとか、その手のアドバイスに辟易した彼女が選んだのは無視することだった。

 自分の殻に篭って前髪を弄って、言葉を交わすことを拒否すれば余程の人間でなければ強く出てこない。

 例外はクイーンくらいのものだろう。


(早く、来ないかな……)


 いい加減に疲れた。制服姿のまま、寝ないで一晩を過ごしたのだから思考が荒む。

 この場所はもともと事務所として貸し出されていたらしく、ソファとテーブルだけは残っていたが他には何も置いてない。

 薄汚れた窓の外は明るいが、背の高い建物に挟まれているせいか陽光が直接差し込んでくることはなかった。

 電気は通っているので蛍光灯が室内を照らしている。エアコンは稼働していて、室内温度は20℃に設定されていた。

 流石に寒いので直撃を避けるように陣取っている。

 ついでにいえば上下水道も生きているらしく、トイレと給湯室には世話になった。



 真波は壁に背を預けてちょこんと座っている。手の届く範囲にはコンビニの袋が3つあったが、いずれも差し入れでもらったペットボトルと菓子パンだ。

 じっとジガの死体を眺めているのにも飽きてしまう。

 仏は衣服を剥ぎ取られて裸にされ、ブルーシートを敷いた上に寝かされている。

 ジガの身長は157cmだった。身体的な特徴を言えば胸がデカイ。

 Aカップの真波からすれば、引っ叩いて乳首をつねってやりたい気分になるくらいに。

 しかし、死体の腹部から胸腔にかけては殴打された跡があり、左腕と右脚は本来であれば曲がらぬ方向を向いている。

 顔を攻撃しなかった理由は死体の引き渡しの時に、髪の毛を一房だけ紅く染めた女子生徒から聞かされていた。

 自分の手柄のように得意そうだった彼女曰く、ちゃんと顔を判別してもらうためだそうだ。


(……天音実里あまねみのりの仕業かぁ)


 あれほど仲良しグループが手こずった相手を、R崎高校はアッサリと仕留めてしまった。

 これでは楓など立つ瀬が無いだろう。もっとも、ジガの抹殺依頼自体が外注されたものと聞かされた真波は深く感慨を抱かないようにしていた。

 面倒臭い他校との調整などやりたくない。そんな矢面に立つような器ではなかった。

 こうやって死体の相手をしている方が気楽である。


「あんたもアホだよね。喧嘩売る相手を間違えてさ」


 同情するつもりなどなかったが、何度か同じ台詞を口にしていた。

 R崎高校の連中は死体を持ってきてすぐに帰っている。今、このビルにいるのは本家の仲良しグループのメンバーだけだ。

 それも真波を含めてたった3人。そのことに不安を覚えないわけがない。

 真波は自分の『針』が機能しているか目で確認する。

 ジガの死体の周囲を囲うように6本の『針』が床に突き立てられていた。

 長さはいずれも20センチほどで、艶のない黒で塗り潰されている。



 アニメやゲームで忍者キャラが使う『影縫い』が真波の能力だ。

 ただし、影を縛り付ければ本体も動けないというのとは少し違う。

 生み出した『針』のうち3本が結ぶ空間にいるものの動きを封じる。

 平たく言えば『針』で作った三角形の陣形の中では、どんな相手でも止められるというものだった。

 それを二重に仕掛けて

 バカバカしい。正直にそう思っていても、楓の命令だから逆らえなかった。


(みんな、怖いんだろうな。死んでもジガが動くかもしれないって)


 気持ちは理解しつつも、そのせいで睡眠時間を削られる身にもなってほしい。

 この『影縫い』には幾つも弱点があって、『針』持ち同士が戦うようなシチュエーションでは全く役に立たない。

 事前に刺しておいた『針』に効果は無く、あくまで三角形が成立したときに初めて発動する。

 大きさは内接円にしてたった4メートル程度であり、そこから対象の身体がはみ出ているだけで無効化されてしまう。

 ぶっちゃけてしまえば全く使い勝手が悪く、機能させようと思っていたら止まっている相手を選ぶしかない。

 真波が仲良しグループ内でも低く見られる原因でもあった。


(あ〜、さっさと来ないかな)


 夏休み前である。季節的には死体の腐敗が早い。

 ジガには既に死斑が出ていて、筋肉も硬直している。瞼を押し上げて調べれば、角膜だって混濁している頃だろう。

 俄か探偵知識を頭で追って、真波はひたすら我慢した。

 それが限界に達するほんの30分ほど前になって、オフィスのエントランスからポニーテールの少女が現れる。

 本家の仲良しグループでは最強の『針』持ちにして、クイーンの側近でもある霧生楓きりゅうかえでだった。

 ジガの死体を確認するためにやって来たのである。

 凛とした雰囲気を纏った楓を目の当たりにし、真波は自分の腕をつねって気を引き締め直す。

 一定の歩幅で進む彼女がジガの死体の側に辿り着く前に真波は立ち上がり、背筋を伸ばして一礼した。

 その瞬間、背筋が凍るほどの殺気が楓から漏れてくる。


(えっ……?)


 何か粗相をしただろうか?

 心当たりのない真波の額から汗が出て頬を伝う。

 恐る恐る顔を上げると、楓の眉が痙攣していた。

 やはり怒っている。それも生半可ではない。


「これはどういうことですか?」


 身長差は約20センチ。小柄な真波が詰め寄られるだけで、押し潰されそうになる。

 全くわけがわからない。

 しかし、何がしかの謝罪をしなければ斬り捨てられてしまう。

 これまで楓に逆らって消えていった者は1人や2人ではないのだ。


「も、も……申し訳ございません!」


 平伏しても怒気は変わらない。

 ただならぬ様子を察してくれたのか、エレベーターの前を見張っていた女子生徒もオフィスの中へと入ってきた。

 しかし、楓の怒りに触れて真波と同じように狼狽するばかりである。


「笠井さん、あなたはR崎高校からジガの死体を引き取ってこのビルで拘束をしていたのですよね?」

「は、はい!」


 そこは否定のしようもない事実だ。

 夜中に叩き起こされた真波は眠い目を擦って指定されたこのオフィスまでやって来て、今の今まで『影縫い』でジガの死体を動かないようにし続けている。


「では、ですか?」

「え? 誰って……」


 意味が分からず、首をひねってしまう。それが楓の怒りをさらに膨らませた。

 普段の冷静な態度からは信じられない。


「私はPAPAホテルの爆破事件の直後、ジガと剣を交えています。そのときに顔をハッキリと見ました。忘れるわけがありません」

「それは……」


 楓は『針』を呼び出し、右手に漆黒の太刀を握った。

 そして怒りに任せて切っ先をジガの死体へ突き立てる。

 既に水分も血液も循環は止まっていた。乾いた皮膚を裂いて、中からは体液が僅かに流れ出てくる。


「この死体の顔と、私の見たジガの顔が違います」

「まさか」


 そんなわけはない。

 咄嗟に出てしまいそうな言葉を呑み込み、真波は後ずさった。

 これがジガの死体でなければ一体、誰の死体だというのか。

 そもそもジガの顔写真など誰も撮っていなかった。

 昨日の昼までの時点では。対峙して生き残っているのは楓ただ1人だけ。

 R崎高校が誘き出して戦ったというジガは別人……

 それならばこの死体は……


「すぐに実里を呼び出しなさい。いえ、R崎高校の仲良しグループ7人全員を」


 ドスの効いた声で指示を飛ばすと、見張り役だった女子生徒は青褪めて非常階段の方へと駆けていく。

 多分、R崎高校へ……おそらくは参謀役の葉山メイあたりに電話をかけたのだろう。

 あまりの迫力に真波は腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

 それと同時に『影縫い』による拘束が解除されてしまう。

 楓は消失する『針』の気配を察したのか、厳しい目を向けてきた。


「笠井さんは引き続き、この死体を拘束しておくように。私の指示があるまで待機していて下さい」


 どうやら、死体との睨めっこを続けなければならないらしい。

 嫌だと逆らえる空気でもない。

 仕方なく、笠井真波は頷いた。

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