第16話

 生憎の雨模様だった。もともと蒸していた空気が更に不快なものに感じられ、吾妻静流あずましずるは誰にでもなく舌打ちをする。

 授業を終えたNヶ丘高等学校の正門は下校する生徒で溢れているが、生真面目な校風からか傘の色は地味な紺色ばかりだ。

 少し離れた個人商店の軒下で静流は彼らを睨んでいる。いや、もともと目付きが悪いせいで睨んでいるように思われていた。

 鋭い視線に晒された女子は逃げるように早足で去り、好奇心旺盛な男子は誰かを待っていると思しき他校生を一瞥していく。


(やっぱり、目立つか……)


 制服姿だが右腕は念入りに包帯を巻いて隠している。『針』が融合しているせいで、どう見ても普通の状態ではないからだ。黒く染まった右腕は肘も手首も指も問題なく動くが、曝け出して妙な詮索をされたくない。


(さっさと出て来い。まったく)


 架純から取り上げた上にロックナンバーまで聞き出してあるスマホを操作し、地方版のニュースに目を通しながら時間を潰した。

 ただし、包帯を巻いた右手では画面が反応しないので不慣れな左手を使う。

 大々的に話題となっているのはPAPAホテルの爆発事件である。おびただしい犠牲者の数に反して、警察は未だに手掛かりすら掴めていないようだ。

 ジガと仲良しグループが衝突した結果だと知っている静流だが、敵がどんな方法でホテルを吹っ飛ばしたのかは知らない。


(ニンジャ……か)


 次に対峙するときは、こちらから先に見つけて仕掛ける。

 戦うとしたら相手のアジトから離れた場所でなければダメだ。どんな罠が張られていてもおかしくはない。

 変わり身の術に、神速の剣技に、謎の爆破……刃を交える以上は、少なくともこれらを考慮しておく。

 加えて、グループトークのログによればジガは霧生楓きりゅうかえでを相手にして逃げ切っている。

 彼女が放った必殺の《死突》すら搔い潜ったのだ。


(とにかく今は、情報が必要。そのために……)


 ひたすら待っている。

 いつまでも雨は止まない。

 ふと、Nヶ丘高等学校の校庭を赤い影が過ぎる。暗い中で花が咲いたみたいに明るくて目立っていた。

 傘の群れを退けて進むそいつは呑気に歌う。

 静流は歌詞こそ知っていたが何という名前の曲だか分からなかった(ちなみに、童謡の『あめふり』である)。



 真っ赤なレインコートの少女は校門を過ぎると、雨宿りしている静流と目が合った。

 湿気で跳ね上がった癖っ毛と、人懐っこそうな大きい目が特徴的である。

 パチパチと瞬きした彼女は「あぁーッ!」と大声を上げた。

 周囲にいた他の生徒たちは特に反応せず、我関せずと言わんばかりに足早に離れていく。

 頭痛のあまり、静流は額をおさえてしまった。ここで怯むわけにも、怒鳴りつけるわけにもいかず、どうにか自制して口を開く。


「久しぶり」

「しずちゃん!」


 中学校の時の渾名を呼ばれ、静流の頬は引き攣った。

 びしょ濡れのレインコートで抱き付こうと腕を広げたそいつをどうにか手で制しておく。


「相変わらずのモジャモジャ頭ね……」

「しずちゃんこそ、相変わらず可愛い!」


 やはり調子が狂う。

 相手のペースに合わせてはいけない。さっさと本題に入りたいし、ここでは人通りがあって目立つ。


「用事があって会いにきたの。時間ある?」

「あるある!」

「コーヒー代くらい出すから、そこの喫茶店でいい?」


 指差した先……道路を挟んだ反対側には軽食のボリュームに定評があるチェーンの喫茶店があった。

 レインコートの少女は勢いよく頷き、静流に続く。

 彼女の名は山田無双やまだむそう。親が何を願って娘にそんな名前を付けたのか理解に苦しむ。

 しかし「名は体を表す」という言葉通りだ。

 情報通という面では、山田無双に並び立つ者など存在しない。



 店はガラガラでサラリーマンらしきスーツの男が喫煙席に座ってるだけで、他の客はいなかった。

 傘を仕舞い、出迎えた店員に2名だと伝えると1番奥に案内される。

 無双は入り口で忙しくレインコートを畳み、やや遅れてテーブルを挟んで向かいの席に座った。

 目を輝かせ、ソワソワと落ち着かない様子である。


「アイスコーヒー。ガムシロとミルクは無しで」

「えっと、わたしは水をください」

「……どうして変なところで遠慮するの?」

「じゃあ、クリームソーダ」


 財布の中身は架純から借りたものだ。返すかは分からないが、多分返す。

 懐の痛まない品は直ぐに出てきた。決まり文句の「ごゆっくりどうぞ」を告げられてから静流はストローに口を付ける。

 一方の無双は細長いスプーンを左手の指先で摘み、削るようにクリームソーダのアイスを攻略していく。

 ある程度の間を置いてから本題に移る。


「無双、ジガについて詳しく教えて」

「えっ? 今日はしずちゃんとわたしのハネムーンの思い出について語ろうと思っていたのに?」

「あたしはアンタと結婚どころか付き合ったこともない」

「中学のとき告白をOKしてくれたよね?」

「自分の記憶を自分で改竄するな。あたしにフラれたでしょ」

「うっ、頭が……」


 頭痛のフリで仰け反る無双に、無駄だと分かりつつ白い目を向ける。

 いつもこんな感じだ。直に会うのは厄介なので避けていたが、今日ばかりは仕方ない。

 構ってもいられないのでさっさと質問に入る。


「先に釘を刺しておくけど、冬休みにいなくなった亀の話はもうしないで」

「えぇ〜…… シジマ、すごく可愛かったんだよ。飼育係のわたしによく懐いていて」


 果たして、爬虫類が懐くのか。

 ペットを飼ったことのない静流には分からなかった。

 早くも横道にそれ始めたので咳払いをして軌道修正する。


「ついこの前、アンタにK塚公園の暴力事件の犯人が誰か問い合わせた」

「そうだね。犯人はジガだった」

「そのアンタならジガが何者なのか知ってるでしょ?」

「あの娘はニンジャでしょ。しずちゃん、戦ったなら知ってる筈だよ」

「……やっぱ、あたしとジガが戦ったことも把握してたのね。ニンジャなんていうザックリとした括りじゃなくて、詳細を教えて。例えば、あいつの目的とかさ」

「クイーンを殺すつもりでこの街に来たみたいだね」

「それも何となく分かる。そもそもの話、どうしてクイーンを狙うの?」


 皮を剥ぎ取るみたいにアイスの表面を撫でていた無双は、ストローの紙袋を破ってメロンソーダの中へ突っ込んだ。

 音を立てて一気に半分を啜ったところで、目をパチパチさせて首を傾げる。


「『針』という異能の力を滅するため。放っておいたらクイーンは、この街だけじゃなくて他の場所でも支配を強めるだろうし。下手すると日本そのものを統治しちゃうかもね」

「もしかして、あのパーカー女は日本政府が遣わした正義の味方だとでも?」

「違うよ。ジガは摂理のひとつ。善も悪も無い」

「アンタ、ワザと難しく喋ってない?」

「うーん……しずちゃんは、わたしの特性を知ってるから理解できると思うけど」


 静流からは特大の溜息が出てしまう。

 焦り過ぎて無双のことを踏み躙ってしまったようだ。そのことは素直に詫びておく。


「それなら正体は別にいい。ジガは今、どこにいる?」

「ジガはもうこの街にはいないよ」

「もしかして逃げた?」


 まさかの事態に全身から力が抜けていった。

 とんでもない規模の喧嘩を吹っかけてきた相手が既にいなくなっている。

 殺意を抱いていた静流からすれば拍子抜けもいいところだ。


「しずちゃん」


 無双はテーブルに視線を落とし、声のトーンを下げる。

 その神妙な様子からも静流は言わんとしていることを察した。


「わたしは、今よりも前の時点で起こった事象なら殆ど何でも答えられる。それが神様がわたしにくれた異能だから。けれどその代わり、人間としてとても大事なものをもらえなかった」

「言わなくてもいい。あたしは分かっているから」

「わたしは生まれつき想像力が欠落している。だからジガのことを喋ったらしずちゃんがどうなるとか、何をするとか、予想できないの」

「どうにかなるわけないじゃない」

「しずちゃん、腕を失くしたでしょ。どのくらい痛いのかも、わたしは想像できないの」

「大したことじゃない」

「……」


 コップの中にはクリームソーダの氷だけが残った。それをストローで掻き回しながら無双は止まない雨に目を向ける。


「中学のとき。フラれるって予想できれば、しずちゃんに告白なんかしなかった。2人で楽しく一緒にいられればそれでよかったのに」

「それ以上、言わないで」


 例えば……例えばの話である。

 山田無双やまだむそう全宇宙記録アカシックレコードを繋ぐ『線』があったとしよう。

 取り留めのない膨大な「客観的に確かなものデータ」が無双をただの再生装置たらしめ、際限のない苦痛を与えているとして。

 同じく異能と位置づけられる力ならば、それを断つことができるかもしれない。

 当時、中学生だった吾妻静流はそう考えた。

 そして無双に質問したのだ。


全宇宙記録アカシックレコードと、アンタを切り離す方法を教えて』


 返ってきた答えは単純明快だった。

 女王蜂のバケモノが配下に授ける『針』の中にが存在する。

 今は仲良しグループの誰にも発現していないが、これから起こる可能性を秘めているのだ。

 静流がクイーンに従うようになった理由はそれだけだ。グループ内で反抗的な態度が目立つのは、心根が他のメンバーとはまるで違う場所にあるから。


(ジガは始末する。クイーンが殺されてしまえば例の『針』は永遠に手に入らないかもしれない)


 とにかくクイーンに取り入らなければならない。

 彼女にはどんどん蜂を増やしてもらわなければ困るのだ。

 有象無象の中に生まれる奇跡の一振りで構わない。

 必ずや『因果を断つ剣』を手に入れる。

 たった1人の友達のために。


「つまんない話はこれで終わり。また会いに来るわ」

「うん。そのときは事前に連絡して」

「……前のスマホを失くした。新しい連絡先を教えとく」

「えっ? しずちゃん、昨日もメッセージ送ってくれたよね?」

「昨日?」


 静流の眉間にシワが寄った。

 右腕も、荷物も、ジガに奪われている。そのせいで仲良しグループ内でのやり取りが流出して、PAPAホテルでの作戦失敗に繋がった。

 もし、静流のアカウントが生きていて何らかの内容が発信されているとすれば……それはジガの仕業である。


「どんなメッセージが届いたのか見せて」


 言われるがまま、無双はスマートフォンを手渡す。

 静流と無双のプライベートトークのログを遡れば、暴行犯に対する質問があった。その後にも静流の記憶にない会話が残っている。

 その内容を目にした瞬間、血の気が引いた。


(あいつめ……!!)


 ニヤニヤと笑う顔が思い浮かぶ。まるで悪魔だ。

 蜂たちを玩具にして遊んでいる。それも浅ましい自慰のように。


「ジガは今、この街にいない。ならば誰がいるの? このメッセージを送ってきたのは誰?」


 険しい顔をすると無双が怯えたように肩を震わせる。

 当たり散らす相手を間違えている自覚はあった。

 けれど時間が惜しい。


「今いるのはヒガ……だよ」

「ジガとヒガの関係は!?」

「えっと、肉体を共有して彷徨う別の人格アンムーアド・エゴ

「他に共有者はいる? そいつらは全員、違う能力を持ってる?」

「あとはボウガがいる。共有者は全部で3人。みんな、違う力を使う」


 静流はさらに質問を重ねていく。

 ジガ、ヒガ、ボウガそれぞれの特徴と対策を聞き出すために。

 十分な情報が集まったところで静流は財布から5,000円札を取り出し、テーブルに置いて手荷物をまとめた。


「これで払っておいて。釣りはいらない」

「しずちゃん!」

「アンタは安全な場所でジッとしていて! もしジガだかヒガだかからメッセージが来ても絶対に返しちゃダメ!」

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