第13話

 守口架純もりぐちかすみは当然のように、ジガ捕縛作戦から外されていた。浄化とは名ばかりの憂さ晴らしのターゲットとなって精神的に疲弊していたのである。

 だが、仲良しグループの誰かが慰めてくれるわけでもなかった。



 辛うじて戦闘用の『針』を持っている架純は兵隊蜂としての実力は下の中といったところである。いつ働き蜂に降格させられてもおかしくはない。

 普段の立ち回りこそうまくやっているものの、いざ荒事となればその能力は吾妻静流よりも数段劣る。



 その悔しさから、いじめの対象として夜月の代わりに彼女へ切っ先を向けたのだ。

 しかし、結局は霧生楓にしてやられている。今や、『針』持ちの中ではカースト最下位は架純になっていた。

 そのストレスから目を瞑っても眠ることが出来ず、しかし食事の量は倍になっている。ただでさえ平均的な背丈に対して、平均を大きくオーバーした体重だというのに。

 いっそ、このまま学校へ行かなければ……そう考えていたが事態は急変していた。



 ジガ捕縛作戦の日、PAPAホテルで原因不明の大規模爆発が発生したのである。

 そこではどういうわけか何人もの高校生が巻き込まれて亡くなっていた。

 そう、浄化だとせせら嗤いながら架純にボールをぶつけてきた連中である。


(これは……チャンス)


 グループトークも大混乱だった。

 静流のアカウントを乗っ取ったジガがメッセージを入れて、その後に爆発事故が起こったのだから誰の仕業かは明白である。

 仲良しグループに走った動揺を利用しない手は無い。

 確認できているだけで6人の『針』持ちが死んでいる。

 これまでの4人の行方不明者と合わせて、10人がいなくなった。

 幸か不幸か楓は無事だったものの、ジガを追い詰めて取り逃がすという失態を犯している。



 架純は自分が返り咲くタイミングを確信した。

 明日、クイーンが参加する緊急の会合が開かれることになったのである。

 あれほどまでにジガ捕縛に息巻いていたのに、メンバーを失った上でオメオメと負け帰った楓に立つ瀬は無い。

 そこを突くのだ。勢いさえあれば舌戦で負ける気はしない。


(あの澄まし顔、絶対に歪めてやるんだから)


 一人暮らしの架純は食料を調達しにマンションの1階にあるコンビニまで足を運んでいた。自室の下に手軽なカロリー源があることが、彼女の体型と明確な因果関係を持っている。

 そこでパック詰めになったお好み焼きとホットスナックとトクホマークの付いた炭酸飲料を買ってから帰路につく。

 多少は運動しなければならないという自覚からエレベーターは使わず、5階まで階段を登った。

 スマートフォンを覗き込む顔からは笑いが消えない。目の下にあるクマは気になったものの、備蓄が尽きたまま過ごせるほど少食でもなかった。



 既に日は落ちており、街中の明かりが夜空を照らしている。遠くには首都高5号線が見えた。その下には国道バイパスが走っている。

 たまにエンジンを五月蝿く鳴らす珍走族がいる以外は概ね平和な地域だった。

 ふと、目の前に人の形をした影が落ちていることに気付く。

 誰かが踊り場に突っ立っていた。邪険に見上げた架純だったが、相手の正体を確認して凍りついた。



 明滅する蛍光灯の下にいたのは、制服姿の吾妻静流あずましずるである。

 気取った感じのウルフカットを細い輪郭に乗せ、生来の目つきの悪さでこちらを睨んでいた。

 そんな筈は無い。

 コンビニにビニール袋を落としてしまった架純は息を呑む。

 楓は馬鹿正直な性格なので嘘を報告したりしないだろう。

 彼女は確かに「ジガは静流の右腕を斬り落とし、スマートフォンを奪ってロックを解除した」とグループトークに投稿している。

 生きているわけはなかった。

 恐る恐る静流の右腕に目を遣ると健在である。ただし、表皮は漆黒になっていて肘からは棘のような突起が出ていた。


「あ、吾妻さん……?」


 裏返った声が他人行儀に問いかける。

 静流はゆらりと首を揺らし、1段降りた。その無言の圧力に屈した架純は一歩下がる。


「無事だったの? 良かった、みんな心配していたから」


 我ながら白々しい。

 空気を読むのに長けた架純は張り詰めた様子から、相手を刺激してはいけないことを悟る。


「腕は大丈夫? 霧生先輩から、ジガと戦って酷い目に遭ったって聞いて……」


 半身になって左手を相手の視界から隠す。その間に『針』を呼び出した。全長20センチ程度の凶器をしっかりと逆手で握る。

 白状してしまえば架純の『針』は、ちょっと強力なアイスピックといったレベルの武器だ。

 単に相手を刺すだけである。それでも自動車のボンネット程度ならば紙のように貫通した。人体に向ければどうなるかは明白である。

 楓からは『千枚通し』と名付けられてしまったため、自分もそう呼ぶことにした。


「ねぇ、聞いてる? 吾妻さん」

「調子がいいだけの豚め」


 あからさまな悪罵に、下手に出ようとしていた架純の感情が切り替わる。

 態度には出さなかったが殺意が芽生えてしまった。

 仲良しグループの誰もが「吾妻静流はジガに殺されている」と思い込んでいる。

 それならば、例え無事が確認できた後で死んでも同じことではないだろうか?

 むしろ、このタイミングで静流が戻ってきたら都合が悪い。楓もこいつもジガに負けたくせに生き残っている。

 リベンジのために手を組んでもおかしくはない。それが架純の立場を不利にしかねなかった。


「アンタの部屋を貸して。それとお金。あとスマホ。あたしと会ったことは内緒にしておいて」

「カツアゲする気?」

「そうよ」


 纏う雰囲気は異様だったものの、これではいつもと変わらない。

 世渡りが下手くそで敵ばかり作る静流は健在のようだ。

 ただし、その態度は以前と比較にならないほど尊大である。


「いいわ、貸してあげる。だからそんなに怖い顔しないで」


 相手の要求は素直に呑み、困ったような笑顔を作った。

 その間に静流はまた一歩、また一歩、遅々と階段を降りてくる。


(こいつは『針』を飛道具にしているから、腕を振り抜けないくらい近付けば怖くない)


 曲がりなりにも兵隊蜂の一員だ。それなりに身体能力は高い。

 こういうとき体重が格段に重いというのは有利に働く。

 押し退けられそうになってもひと刺しするだけで勝てるのだから。

 しかし、気になるのは静流の黒い右腕だ。上腕の途中から影が生えているようにも見える。


(もしかして、あの腕そのものが『針』だとか?)


 肘から生えている棘は、その片鱗なのかもしれない。

 架純の勘は危険を訴えてくる。近付かれても、離れられても、危険だと。


「うっ……」


 眼前に立たれ、思わずうめき声を漏らす。

 身長は静流の方が高かったが、それ以上に巨大な威圧感があった。



 半身になって隠している箇所を指摘され、脂汗が出る。



 見通されている。もう『千枚通し』を使うわけにはいかない。ゆっくりと指から力を抜くと漆黒の『針』が落ちて乾いた音を立てた。

 架純は初めてクイーンと会った時のことを思い出す。

 あのときもこんな感じである。



 逆らえない圧倒的な存在に気圧され、媚びるように蜂になることを志願した。

 それでも今回ばかりは……と最後の抵抗を試みてしまったのは生来の気質からだろう。

 馬鹿にされたままで終わりたくない。そんな一心があって問いかける。


「吾妻さん、何があったの?」

「クイーンから授かった『針』の本当の使い方が分かった。それだけ」


 静流の黒い掌が伸びてくる。硬直したまま動けない架純は、その指先に額を押されると腰を抜かして失禁した。

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