第12話
瞼を開ければ、頭上にはジガの顔があった。
そこでようやく膝枕されているのだと気付く。
「あっ……」
微睡む視界からクッキリとした映像に切り替わり、自宅の玄関先で寝てしまったことを思い出す。
慌てて状態を起こすとヘッドフォンの少女が不思議そうにこちらを見つめていた。
そばかすの目立つ夜月と違って肌理細かい。何よりも愛嬌のある顔立ちだ。
なんだか気恥ずかしくなって夜月は視線を外す。
するとジガは首を傾げて頬を掻いた。珍しく戸惑っているようにも見える。
「さっき、知らない女の人が来たよ」
ここは藤沢家であって、ジガの家ではない。普段から来客など皆無だ。
彼女が知らないと区分した女性はおそらく母だろう。
まさか暴力を振るってはいないだろうか……
「なんかね『忙しいから夜月のことお願いね、ジガちゃん』って言ってどこか行っちゃった」
間違いなく母だ。
夜月は深い溜息を漏らし、自分が気を失っていた間の様子を鮮明に想像してしまう。
得体の知れない少女が家に上がり込んでいてもそんな態度をとる人間は母くらいしか思い浮かばない。
少なくとも何かをされたということは無さそうだ。
(いえ、そんなことよりも問題なのは……)
未だにジガが居座っているということ。
夜月はK塚公園でも、その後のPAPAホテルでも相手の人となりに触れている。
話し合いは出来ず、一方的で、しかも腕っ節が強い。
どう考えても逆らえるわけはなかった。
それならば穏便に去ってもらうしかないだろう。
しかし、具体的な案が浮かぶわけではなかった。
「ねぇ、お腹空いてない?」
悩む夜月に極めて正常な問いかけをしてくる。相当に間抜けな顔をしてしまった自覚がありつつも、夜月は頷いてしまった。それに合わせて腹の虫が鳴く。
ジガはニンマリと笑って、手を引っ張ってきた。
「腹が減っては戦はできぬ、だよ」
強引なのはもう諦めるとして……
夜月はなされるがまま腕を引っ張られ、アパートから出る。監禁から解放されたときの制服姿のままだ。せめて着替えたかったが、それを許してくれるような相手ではない。
力任せに引き摺られて車の通れない細い道をジグザグに進み、しばらくすると大通りまで出た。
片側3車線の道路を乗用車やトラックが行き交っているのは普段と変わらないが、パトカーを何台か見かける。
国道バイパス沿いには警察署があるのは知っていたものの、どうにも雰囲気がおかしい。屋根の上の赤色灯を回転させて、名前を体現するように巡回に徹しているように思えた。
「ファミレス。奢ってあげる」
ジガは本当に腹ごしらえをするつもりらしい。
赤と白を基調に鳥を描いた看板を指して、カートでも引くかのように夜月を近くのファミリーレストランへ連れ込んだ。そして店員に案内されて禁煙席の1番奥に陣取る。
あとはもう流れに従うしかない。
ジガはメニューを2秒だけ開いてすぐに呼び鈴を押し、山盛りのポテトフライに前菜のトマトサラダ、メインはガーリックステーキ、大盛りライスとスープも付けてドリンクバーを注文する。それを2セットだ。
どうあっても夜月の意見を反映する気はなさそうだ。
「メロンソーダ。氷は入れないでね」
しかも、飲み物まで運ばせるつもりだ。
奢りであるなら……と夜月は動いてしまう。
少食というわけではないがジガの注文量は明らかに多く、自分が飲むための烏龍茶を注いでいる時点で既に胃もたれがしている。
ドリンクを乗せたトレイを持って席に戻るとジガは鼻歌混じりに外の景色を眺めていた。
またも小フーガト短調のメロディを口ずさんでいる。
「その曲、好きなんですか?」
「うん、好き」
間髪入れずに返事をし、受け取ったメロンソーダをストローも使わずに一気に飲み干すとジガは鼻歌を続ける。
多分、放っておいたら料理が出てくるまでやめない。
周囲からの好奇の視線が恥ずかしくなって居た堪れなくなった夜月は別の話題を振ることにした。
「あの……私のところへ来たのは何か理由がありますよね?」
「うん、ある」
特に知りたいとも思わなかったし、関わりたくない。
それでも「ある」と断言されてしまったことに頭を痛める。
「一体、どんな用で?」
「そろそろ女王蜂のフェロモンが切れたかなぁ……って思って」
「フェロモン?」
訝しげな顔をしてしまった。
こちらへ視線を向けず、ジガはあくまで外を見ている。
このときようやく気付く。彼女は外を警戒しているのだ。
「女王蜂はね、匂いで蜂たちを従えている。あなたはその中のひとり」
「えっ……」
「命令されて
「……」
訳がわからない。
ポカンとしている間に、ジガは自分で次のドリンクを取りに行った。
彼女は白濁した液体をコップになみなみと注いで戻ってくる。
どうやらカルピスウォーターの原液だけ入れたらしい。
それを目の当たりにした夜月の脳内で記憶が弾ける。
K塚公園。トイレ。品のない笑みを浮かべる知らない男たち。白濁。
「うっ……」
口蓋に生臭さが広がった。飲んでいた烏龍茶とは全く違って、ドロドロしていてひどい味である。
ジガはコップに人差し指を入れ、白い液体を付着させたまま夜月の鼻先に触れた。
「
侮蔑の色は無い。
けれどそれが逆に辛い。
これまでの記憶の蓋が開いた夜月はテーブルの上に胃液を嘔吐する。
自分がクイーンのためにしてきたこと全てが穢らわしくて一瞬のうちに精神が焼き切れた。
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