第7話
時間を僅かに遡って、
最初はロビーで従業員の男に止められたものの、指を丸めてみせてパスしている。
それが「買われた」ことを示すサインだというのはちゃんと伝わった。
今時、珍しい話でもないが下衆な顔をされてしまったことが不快である。
(あとで刺すから、いいや)
気を取り直してエレベーターの前に設置された看板に目を遣る。目的の部屋は1番奥で、非常階段に近い場所にあった。
例の暴力事件の犯人である『ジガ』という女がそこにいる。
何でも男3人を相手に喧嘩で勝ったそうだ。腕は立つようだが『針』を授けられた静流の敵ではない。
(おしゃぶり女の居所を吐かせて、さっさと帰りたい……)
日中のいじめの風景がフラッシュバックし、吐き気がしてきた。
あんな目に遭うのはもう御免である。生贄として夜月は必要な存在なのだ。
それにここで手柄を立てれば仲良しグループ内での順序も多少は良くなるだろう。
(調子がいいだけの豚め、今に見てろ)
その場の雰囲気を作るのだけは抜群に上手い
この恨みは忘れない。
怒り肩になって進み、角を曲がったそのときである。
狭い廊下の先に同い年くらいの女の子が立っていた。
ヘッドフォンに前を閉じたパーカー、それにホットパンツから伸びる太い脚。
猫が笑ったみたいに不敵な表情は「待っていた」とでも言い出しそうだ。
静流は直感的にこいつが『ジガ』だと分かってしまう。それでも人違いだったら嫌なので尋ねておく。
「もしかしてアンタがジガ?」
情報屋気取りから仕入れた、人名かも疑わしい単語を口にする。
パーカーの少女はニヤニヤしたまま応えるように頷く。
「おしゃぶり女って知ってるでしょ? アンタが昨日の夜に助けた子」
「知ってる」
なんとも特徴的なアニメ声である。
強烈なキャラクターが羨ましいくらいだ。没個性に密かに悩む静流は溜息を漏らし、そのあとで向き直る。
「どこにいるか教えて」
「ここにいるよ?」
「あっそ」
一気に目的を果たしてしまいそうだ。
夜月さえ取り戻せれば、あとはどうでもいい。ジガを殺してしまっても後始末は『働き蜂』たちがやってくれる。
静流は顎を引いて半眼になった。侮蔑と殺意をタップリと向けてやる。
「返してもらえる? あんなのでもいないと困るのよね」
「う〜ん、無理?」
「痛い目に遭いたくないでしょ」
「まだ女王蜂の居場所、聞き出してない」
血の気が引いていく。そうか、このパーカー女はそれが目的か。
納得した静流は腰を落として臨戦態勢に入る。
「狙いはクイーンってことか。畏れ多い」
「あなたは教えてくれる?」
「死んでも吐くわけないでしょ」
「そうだよね、兵隊蜂だもんね」
「一体、何者? 蜂のこと知っている時点で一般人じゃないのは分かる」
「ジガはニンジャだよ」
「ふざけているの?」
忍装束でもなければ、手裏剣を手にしているわけでもない。コミックやアニメに出てくるニンジャのイメージとジガはかけ離れている。
苛立ちを抑えながら静流は左肩を後ろにして半身になり、右腕と顎をくっ付けて引く。ここからコンマ数秒のうちに相手を殺せる。
発射体勢に入っておけばジガが妙な動きをしても関係ない。
それにここはビジネスホテルの通路だ。上下左右、どちらに避けられたところで左の掌には第2射が控えている。
「ふーん、それがあなたの『針』なんだね」
「知っているなら話は早い。あたしの『針』は音よりも速くアンタを射抜く」
側から見れば静流は何も持っていない。
ジガは自然体のまま警戒した様子も無かった。それがまた怒りを呼ぶ。
「舐めてる? アンタ、あと10秒もしないうちに死ぬよ」
「やってみれば?」
ケタケタ笑った刹那、静流は右腕を振り抜いた。その動作に合わせて親指と人差し指の間には漆黒の『針』が現れる。
『針』は指の間から離れ、一直線にジガの顔面へと突き刺さった。
にやけた面のまま鼻梁から後頭部を貫かれ、パーカーの少女は仰向けに倒れる。
(やった、殺した!)
直撃した上に致命傷だ。もう立てる筈もない。
だが、静流の中に込み上げてきた歓喜は一気に冷める。
廊下に倒れていたのはジガではない。リネン素材のカバーを巻いた掛布団である。
『針』が貫通した箇所からは綿がはみ出ていた。
(バカな!)
確かに仕留めた筈なのに!
ほんの1秒前まで確かにそこにあったものがゴッソリと入れ替わっている。
静流の額に汗が浮かぶ。不意に背後から気配が生じ、頬には冷たい塊が押し当てられていた。
首を動かすことができない。そんな状態で視線の先に映っているのは、日本刀と思しき刃物の切っ先だ。
「変わり身の術。ニンジャなら、できちゃうよ」
ジガの声が耳の裏を撫でる。一体、どういうことなのだろう。
完全に背後を取られて刀を突き付けられているではないか。
屈辱のあまり眉間にシワが寄る。こちらがどんな表情をしようが、今のジガは確認するつもりもないだろう。
(2本目の『針』はある。けど、ノールックで真後ろに飛ばすなんてやったことない!)
殺すつもりなら、わざわざ声をかけてこないだろう。相手はクイーンを探しているのだ。
ならば、もう1度くらいは質問してくる。その隙を突く。
「女王蜂の居場所、教えて」
声を発したせいで僅かに切っ先が揺れる。静流は2本目の針を自分の足元へ向けて投げ、床に突き刺した。
ジガの注意が下に向いたのを察して、静流はパンプスが千切れるほど足の親指に力を込めてその場で全身の筋肉を捻る。腕を畳んで独楽のように回り、視界の端にジガの姿を捉えた瞬間に3本目の針を右の指先から放った。
だが……
「危ないなぁ」
パーカーの少女との距離はほぼゼロだった。
それにも関わらず当たっていない。静流は胃が裏返るほどのストレスに苛まれ、口角を歪める。
ジガは右手には刃渡り90センチほどの日本刀を持ち、左手には漆黒の『針』を握っていた。
間違いなく放った死の一撃を、こいつは空中で掴んで止めたのである。
第4射。そのことだけが脳を支配する。
静流は混乱の中で右腕を顎まで引き寄せた。
しかし、腕は勢いよく壁に向かって飛んでいく。
「えっ……?」
間の抜けた声が出たのは致し方ない。自分の腕がロケットパンチのように身体から離れていったのだ。
二の腕の断面から赤い飛沫が舞い、静流はようやく腕を斬り落とされたことを自覚する。
もう『針』を放つどころの問題ではなかった。
声にならない絶叫がPAPAホテルのフロアに響く。
ジガは刃を振り切った体勢から静流を一瞥した。
「さようなら、兵隊蜂さん」
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