●シーン4● オオカミ先生

「キリン、浮かない顔をしてどうしたんだい? らしくないじゃないか」


 夕食を終え、食後のお茶も飲み、すっかり日も暮れた食堂。

 ほんの少し首をかしげて、オオカミが言った。


 ダチョウはすでに自分の部屋に戻り、アリツカゲラもロッジ周辺の巡回に出掛けている。キリンとオオカミはそれぞれべつの円卓に腰掛けて、キリンは文字の練習を、オオカミは原稿を進めていた。


「いえ、ちょっと……」


「さっきのダチョウの話かい?」


「ええまあ……先生は本当に起こると思いますか? 『パークの危機』が」


「さあどうだろうね。いずれにせよ、博士の意見を求めるダチョウの行動は正しいと思うよ。考察するのはそれからだね――それよりも私は、きみがなぜ元気がないのかが気になるんだ」


 彼女がぎくりと眉を動かしたのを、オオカミは見逃さなかった。

 キリンはすぐに偽物の笑顔を持ってきて、顔に貼り付ける。


「そりゃあ『パークの危機』が本当だとしたら、誰だって不安になりますよ」


「いや、そうじゃないね。当ててみようか?」


 オオカミの左右べつべつの色をした瞳が、いたずらっぽく光る。

 彼女は天井を見上げ、セリフを読み上げるように言った。


「さっきの推理、勘だったんだろう?」


 キリンの表情が、中途半端な笑みを浮かべたまま固まった。


「せ、先生! そんなことは――」


「さっきの推理だけじゃない。きみの言うところの『名推理』は、いつも直感に頼っているんだ。現にそれが当たる確率はとても低いだろう? 今日はそれが偶然的中しただけに過ぎない」


 オオカミはいつもどおりの口調で朗々と続ける。口元には微笑みすらたたえていた。キリンは何も言えずに、ただ口をぱくぱくと動かすことしかできない。


「そしてダチョウは、きみの『名推理』を聞いて、きみのことを尊敬し、目を輝かせていたね。きみはそのことに、罪悪感を感じているんじゃないのかな?」


「もう、先生。意地悪言うのはやめてくださいよ」


 キリンは笑顔。

 だけど声は震えていた。


 キリンは首に巻かれたアミメ柄のひもをぎゅっと握った。たしか「まふらー」というのだっけ。今の話とまったく関係がないのに、彼女はなぜかそんなことを考える。


「確かに意地悪だね。でも嘘じゃない。私は嘘なんてついたことがないからね」


「嘘ですよ! もう、どうしちゃったんですか先生! いつもはみんなを楽しませるための嘘をつくのに。こんなのって……」


 タイリクオオカミはいつのまにか立ち上がって、腕を組み、窓の外を見ている。夜空にはレモン色をした半月が浮かんでいた。それを見つめるオオカミの目は、驚くほど真剣な眼差しだった。


「アミメキリン。きみは私の描いた『ギロギロ』に憧れて、探偵を志したんだったね?」


「はい。そうですけど――それがどうかしたんですか?」


 そんなつもりはないのに、ぶっきらぼうな言い方になってしまう。


「『ギロギロ』はよく描けていると思うかい?」


「ええ、それはもちろん。あんなに上手に『絵』を描けるのは、オオカミ先生くらいですよ」


 オオカミは円卓の方へ戻ると、置かれていた紙の束をパラパラとめくり始めた。

 そしてその中から一枚を取り出し、無言でキリンに手渡した。


「先生、これは?」


 キリンが手渡されたのは、一枚の絵だった。


 彼女はその絵を見て、首をひねる。

 なんだろう? どこかで見たことがある。

 でも、これは……。


「どう思う?」


 オオカミは窓の外の半月に視線を戻している。


「どうって……正直、あんまり。目の位置が変ですし、線がよれよれです。先生の絵とは大違いです」


 お世辞にも、上手な絵とは言えない。

 初めてペンを持ったフレンズが、その正しい使い方もわからないまま、見たものを描き写したような、そんな感じだった。


「これはね。私が初めて描いた『ギロギロ』だよ」


「……えええっ?!」


 キリンは思わず大きな声を上げてしまった。


「これが、『ギロギロ』――」


 毎日何度も読み返すほど大好きなあの「ギロギロ」と、今手に持っているぐしゃぐしゃの「ギロギロ」を、頭の中で比べた。

 全然違う。これっぽっちも似ていない。

 かろうじて、耳のようなものが付いているところは同じ、というくらいだ。


「ひどいもんだろう。当時、周りには盛大に笑われてしまったよ」


「……でも、どうしてこれを今私に?」


 オオカミは外の景色から目を離し、まっすぐキリンを見た。

 温かい眼差し。しかし、いっさいの隙がない、鋭い視線。


「それはね。まさにその絵が、今のきみだからなんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る