6/第二章 人生最後の仕事

 俺の正体が魔王だと判明してから二十日。


 残りの時間が十日になってしまった訳だが、その間、俺に出来る事が何も無いのは変わらず、日々を戦々恐々と過ごすだけだった。


 少し気になるのが、シオンの事だ。


 以前は事あるごとに俺に抱きついてきたり、足の裏を水桶で洗わせたりしていたんだが、それがピタリと無くなった。


 食事時も俺に話しかけなくなったし。


 コレは、アレかなあ……


 盲目的に慕っていた俺が、実はショボイ凡人野郎と気付いて、愛想を尽かしたという事。


 まあ、実は俺って魔王だから、凡人ではなかったんだけどね!


 全然嬉しくないけど、シオンと同じくらいの天才だったという事だな!


 まあ、なんにせよシオンは俺に対して距離を置くようになった。


いずれはこの日が来るとは思っていたけど、いざ来てみると寂しいものだ。


「……」


「……」


 しかし、俺と距離を置くようになったシオンは、近づかず、話しかけもしないのに、時々物陰から俺を観察するようになった。


 俺が気付いて視線を寄こすと、すぐに隠れるし、目が合うと俯いてしまうし。


 コレは一体どういう事だろう。


 まさか、勇者としての本能で、俺が魔王だと気付いたのかな。


 それならそれで好都合なんだけど。


 俺の事を魔王だと教えたマリスのヤツは、最初に会った時以来、姿を見せやしなかった。


 だから俺は、少しでも情報収集をするしかやる事がなかった。


 その情報を活かす機会が無いのが悲しいけどな。




「なあ、ホリー」


 俺は中庭でアマランスと木剣で稽古をしているシオンを見ていたホリーに話しかけた。


〈なんですか?〉


 ベンチに座っていた俺に近づきながら、ホリーが返事をする。


 最近、シオンはホリーとではなく、アマランスと稽古をする事が増えている。


 何と言ってもアマランスは、全姉妹剣使いの中で最強なわけだし、ホリーの力を一切借りずに、シオン自身の剣技を磨く相手としては、これ以上の適任はいないはずだ。


 まあ、いくらぶった切っても平気なホリーを相手にしていた時程、激しい剣戟は行えないけど。


「興味本位で聞きたいんだけどさ、魔王ってどんなヤツなんだ?」


〈なんです? 突然〉


 ホリーは俺の傍らに浮遊しながら、怪訝そうにしている。


「だから興味本位だって。魔王の姿を直に見てるのって、勇者と君だけだろ? じゃあ、君しか魔王の姿形は知らないじゃないか。聞いてみたくもなるだろ」


〈まあ、そうでしょうけど……魔王の姿ねえ〉


 シオンとアマランスの稽古を眺めながら、ホリーは目を細める。


〈……今まで、何人もの勇者に従って、魔王と戦ってきましたが、こんなに穏やかな気分は初めてです〉


「はあ?」


 俺の質問に一切関係ない事を言うので、俺は思わず声が裏返った。


〈毎度のことですが、本当に沢山の死傷者が出ましたし、勇者一行の旅路は、何時だって悲壮感が漂っていたものです。滅びの危機に瀕した世界で、家族、友人、恋人の類を失った勇者とその仲間、沢山の協力者や賛同者が集い、魔王の本拠地を探す旅……。悲しみの連続でしたよ……〉


「はあ」


〈それが見てくださいクロウ。歴代最強の力を持つ勇者と、勇者と五分に渡り合える姉妹剣使い。しかも、時流剣を除く全ての姉妹剣使いが集っているのです。こんなに戦力が充実した勇者一行は初めてですよ。しかも、まだ魔王が復活する前なのに〉


「はあ」


 集めたの、殆ど俺ですけどね。


 後、全員が、一回は俺の事殺そうとした連中ですけどね。


 今考えると、姉妹剣使いが全員一度は俺と戦ったのって、俺が魔王だと思えば、微妙に納得出来る巡り合わせだな。


〈なんかねえ、スタート直後にパーティー全員集合して、レベルもマックスって感じですね。殆ど反則ですよ。ヌルゲーになる事が確定してます〉


「……久々に君が何を言ってるのか解らないよ……」


〈まあ、要するに、どんな魔王が現れても、恐れるに足りないと思っていた時に、貴方が魔王の話題を振ったのでね〉


「はあ」


〈魔王は、復活する度に、微妙に容姿や能力が違うんですよね。不思議な事に〉


 復活してるんじゃなくて、毎回別人が魔王になってるから、容姿と能力に差があるのは当然なんだけどなあ。


〈まあ、魔王の特徴と言えば、頭に角が生えて、背中に翼が生えて、全体像は人間に近いって感じですね〉


 うえ。俺って角とか翼生えるの?


 絶対似合ねえよ。


 まあ角と翼が似合う人間とか居ないだろうけど。


〈あと、全身が黒いモヤモヤに覆われてるんで、顔とかよく解らないです。人形のシルエットみたいなのは見えますけど〉


「……」


 良かった。


 という事は、いざ魔王と対峙したシオンとホリーが、魔王の正体に気付く事は無いという事だ。


 俺は、魔王が倒された後の世界では、いつの間にか姿を消した男、という事になるのか。


 そして、シオンもホリーも、俺を殺した、という事実に気付く事は無いんだな。


 良かった良かった。


「あ、ここにいたんだね。探したよクロウ」


 俺がホリーの発言に安心していると、背後から声をかけられた。


 三角帽子とマント姿。


 背中に大きな鎌を背負ったシネラリアだった。


 というか、未だにこの人が普通に話しかけてくる事には慣れないなあ。


「なあ、クロウ。ちょっと相談したい事が有るんだけど?」


「なんですか?」


「私が卷族にしてた魔物、全滅しちまっただろ? そろそろ新しい卷族を探しに行きたいんだがね」


「ああ……」


 そう言えば、ゼラニウムとの戦いで、シネラリアが卷族にしていたドラゴンと牛男のゾンビは両方消滅してしまった。


 あの二体はダンジョンの最深部いたボスモンスターだっただけに、かなりの戦力だった。


 しかも、姉妹剣使いと違って、元々死体だから、使い捨ての駒や、身代わりにする、というえげつない戦法にも容赦なく使えた。


 あの二体が居なければ、俺は生きては居なかっただろう。


「確かに、シネラリアさんの卷族は充実させた方が良いですね」


「だろ? 特に空を飛べて大型のヤツが欲しいんだよ。移動する時に便利だから」


 シネラリアが扱う冥府剣は、倒した魔物を卷族化出来る訳だが、この能力は極限まで扱えれば、全姉妹剣の中で一番強力で応用力があるような気がする。


 多種多様で強力無比な魔物の群れを自在に使役する様は、まるで魔王だ。


 しかし、逆に卷族が一体も居ないと、身体能力が高めの鎌使い、という特徴の無い姉妹剣使いになってしまう。


「じゃあ、ダンジョンを探したいって事ですか?」


「そうなんだけど、空を飛ぶ手段を失っちまったからねえ。天馬剣を使わせてほしいんだけど、プラタナスの野郎が、もうすぐ天馬剣が必要になるから、今は駄目だとか言うし」


「……」


 多分、プラタナスは宰相としての仕事を真っ当する為に、遠出する日が近いんだろう。


 しかし、実は魔王復活が十日後に迫っている現状では、シネラリアの戦力増強の方が重要なんだ。


 空を飛ぶ手段が、天馬剣以外にもある状態なのは心強いし。


「シネラリアさん。一緒にダンジョンを探しに行きますか?」


「え? 良いのかい?」


「強い魔物を探しに行きましょう。俺はもうダンジョンの案内が出来なくなったんで、シオンも一緒に連れていく必要がありますけど」


「え? ああ、そうか。ダンジョンを案内してた聖霊さんが、今は勇者につきっきりなんだってね?」


「そうなんです。でも、シオンは天馬剣をあんまり好きじゃないみたいんなんで、俺が皆を運びますよ。一緒に飛びまわってダンジョンを探しましょう」


 俺がシネラリアと話していると、傍らにいたホリーは心底つまらなそうにしていた。


 俺とシオン以外に姿の見えないホリーは、俺達が別人と話している間は無言になるしかないからだ。


「話が早いねえ。じゃあ、回復役にジャスミンも誘うか」


「アマランスさんも一緒が良いですね。シオンと最強のツーマンセルになりますし」


「……」


 その時、何故かシネラリアは眉間に皺を寄せた。


「アンタ……ちょっと不用心過ぎないかい?」


「え?」


「今さら敵対する気は無いけどさ。私達三人と、勇者だけを連れて遠出するって、途中で裏切られたらどうしよう、とか、少しも考えないのかい?」


「考えてませんよ?」


「何でだよ。ちょっと前まで殺し合いしてた仲だろ」


「信じてますから」


「は、はあ? だから何で……」


「敵対してた頃から、味方を裏切る様子は無かったし」


「いやいや! 思いっきり味方のゼラニウムを裏切ってアンタ等に加勢しましたけど!?」


「アレはゼラニウムが仲間じゃなかっただけでしょ? シネラリアさん達は、元々三人で仲間だったんですよ。ずっと三人で助け合ってたじゃないですが。だから手強かった」


「……」


「手強い三人が丸ごと味方になって、頼もしいな、としか思いませんよ。変ですが?」


「……別に……。ただ、軽々しく女に信じてる、とか言うんじゃないよ。甘っちょろいガキなんだから」


「はあ」


「まあ、私の卷族が補充出来るなら何でも良いんだけどさ。とりあえず、プラタナスの野郎がうるさいだろうから、アンタが黙らせてきな」


「そうですね。じゃあ、一緒に行く人に事情を説明しておいてください。俺はプラタナスに話を通しておくので」


 そう言って、プラタナスを探しに行こうとベンチから立った俺を見て、


〈……?〉


 ホリーは、何故か怪訝そうな表情になった。


〈面倒臭がりなクロウにしては珍しいですね?〉


「……」


 別に珍しくも無いさ。


 ただ、俺が何か出来るのも、今だけだしな。




 という理由で執務室にいたプラタナスに、シネラリアの提案を伝えたのだが、


「賛成しかねますな」


 膨大な書類にサインを高速で書きこんでいたプラタナスは、俺の顔を見ずにそんな事をきっぱりと言い切った。


「よりにもよって、人類の至宝である勇者シオンと貴方の二人を、あんな三人組と一緒に行動させるなど、断じて賛成できませんな」


 プラタナスは、俺と話しながらも、書類仕事を止めない。


 なんか、見てて怖いくらいの速度で書類仕事をしている。


 ていうか、シオンはともかく、俺を人類の至宝って……


「クロウってば、女には見境ないからねえ。すぐに天馬剣に引かせた馬車で連れ回すんだから」


 失礼極まりない事を言ったのは、執務室のソファーで寝転がっていたサフランだった。


 見た所、プラタナスの仕事を手伝っているようには見えないから、メイドの仕事をサボる為に、執務室に入りこんでいたらしい。


 俺の寝室で爆睡してた事もあるけど、相変わらず無防備なヤツだ。


「サフラン。貴方は頼んでいた仕事を早急に済ませないさい。新たな諜報機関設立の日は近いのですよ」


「別に良いけどさあ。遠いんだよね、暗殺ギルドの本部って」


「何の話だ?」 


 俺は思わず、プラタナスとサフランの会話に割って入った。


「元々はアンタが言いだした事でしょう? 面倒臭いなあ」


 書類仕事に忙殺されているプラタナスの代わりに、サフランがソファーから起き上がりながら答えてくれた。


「ウチが所属してた暗殺ギルドのメンバーを雇って、諜報機関を作るって話が有ったでしょ?」


「ああ……」


 ヒースが国王。プラタナスが宰相。カトレア教官が元帥になって、この国を貴族、政治、軍事面で完全に掌握する計画を、俺は立てていたんだが、その計画の芯になるのが、諜報機関の設立だった。


 いくら各方面のトップを、俺の身内で固めたとしても、その下にいる部下、配下、民衆が完全に心服しなければ、組織は極めて脆弱になる。


 特に、権力欲の強い連中の中には、何らかの手段で俺達を陥れようとするヤツがいるかもしれない。


 この世界の人間は、元帥の座をあっさりカトレア教官に譲ってくれた、クロッカス元元帥のような、話の通じる大人ばかりではないのだ。


 姉妹剣の全てを手中に収めた俺達の戦力は、この国の全軍事力が、全て敵に回ったと仮定しても、簡単に勝利出来る程度にはなったが、人間の悪知恵がどれほど恐ろしく、巧妙で周到なのかは、ゼラニウム一人の画策が原因で壊滅しかけた俺が一番良く解っている。


 今さら有り得ない事だけど、俺達の関係を破綻させれば、すぐに仲間割れで勝手に全滅する危険は常にあるんだ。


 それを未然に防ぐために、俺はサフランを長官にした諜報機関を設立して、各領地にいる権力者や、軍関係者等の近くに、スパイを潜り込ませようと考えていた。


 元暗殺者であり、表向きはメイドと思われ、姉妹剣使いとすら認識されていないサフランを近くで見て思いついた事だった。


「一応、ウチが元々所属してた場所だからさあ、暗殺ギルドの連中に話を付けるのはウチが適任だとは思うけど、あそこの連中ってマジでヤバい連中だよ? 人体改造レベルの修業とかしてるヤツばっかりだし、新種の薬物兵器とか発明品を普通に開発したりするから、あんまり近づきたくないんだけど」


「へえ」


 そう言えば、サフランは真空剣の力を使っている事を考慮しても、かなり優秀な暗殺者だった。


 人の気配に敏感だし、殺気を感じて弓矢をよけたり出来るし。


「そんな連中、味方にならないなら危険なだけでしょう。いざとなれば、姉妹剣の力を使って殲滅しなさい。カトレア教官は無理でも、アイリス嬢あたりは動けるでしょう。荒事になった場合も想定して、貴方が連中に話を付けるのです」


「だから遠いから面倒なんだってば。ウチだってか弱い乙女なんだよ? そんなヤバい連中の隠れ家に、延々と歩いて行けっての?」


「暗殺ギルドの本部が何処にあるのか、知っているのは貴方だけでしょう。早く準備をしなさい」


「ああ、もう良いじゃん。ウチら姉妹剣全部集めたし~。もう他の人間とかどうでもよくない~。魔王復活するまで皆でのんびりしようよ~」


 サフランはソファーの上で、子供みたいに駄々をこねていた。


「ていうかさあ、最近皆忙しそうで相手してくれないからつまんないんだよ。カトレアもアイリスもプラタナスもさあ。ウチさみしいよ~」


「……」


 サフランが、さみしいなんて言うとは。


 元々、個人で暗殺ばかりしてた女の子が、仲間が忙しくなって、一緒にいる時間が減る事を嫌がるなんて、まるで普通の女の子みたいだ。


 まあ、絶対に普通ではないけど。


「じゃあ、天馬剣で暗殺ギルドに行かないか、サフラン。ダンジョン探しのついでにさ」


 俺がそう言った瞬間、サフランはぴょんととび跳ねる。


「良いねえ! 久々に一緒に遠出しよっか! ダンジョン攻略も楽しいし!」


「いや……ダンジョンの攻略は、あの三人とシオンが居れば十分だし、君は暗殺ギルドに話をつけないと……」


「え~。つまんない事言いっこなしだよ~」


 何でこの子にとっては、危険なダンジョン攻略が暇つぶしに一環になるんだろ。


 さすがに、全く理解出来ない。


「解ったよ。ダンジョンは複数あるだろうし、人数は多い方が良い。暗殺ギルドに話をつけた後なら、ダンジョンに入っても良いよ」


「わ~い! ウチ頑張っちゃうよ! 暗殺ギルドの連中なんか、即座に潰しちゃうよ!」


 潰しちゃだめだろ。説得しろよ。


「……出来れば、私も同行したい所ですが……」


「プラタナスは宰相の仕事が有るんだろ? それに、一時的に戦力が分散するし、あんまり大人数で王都を出ない方が良いよ」


「そうですな……。ダンジョンとやらに興味はあったのですが、またの機会にしておきますか」


 プラタナスは、書類仕事をしながら、心底残念そうに呟いている。


「じゃあ、明日の朝一で出発するから、天馬剣のある場所で集合だな」


「ラジャー!」


 サフランは、俺に満面の笑みで敬礼の真似ごとをした。




「……」


 そう言えば、俺が天馬剣を操作して皆を運ぶ事になったけど、今の俺の操縦を、天馬剣は受け入れるのだろうか?


 気になった俺は、天馬剣がいる馬小屋に向かい、そこにいた天馬剣ラムレイの手綱を引いた。


「……そう言えば、お前とも色々あったよな」


 俺は、手綱を引いた天馬剣の首筋を撫でた。


 この馬がいたから、役立たずな俺でも、割と皆の役に立てたんだ。


 まあ、ホリーが傍にいないと、コイツは俺の言う事なんかまるで聞かないけど。


「……よっと」


 そう思いながら、俺は試しに天馬剣に跨って見る。


 初めて乗った時は、棹立ちになって暴れまくったものだ。


 今はホリーも近くにいないし、同じような反応をされると思ったが、


「……え?」


 俺が乗った天馬剣は、大人しくしていた。


 戸惑いながらも、手綱を動かしてみると、俺の思い通りに動いてくれる。


「えっと……飛べ!」


 半ば、冗談のつもりで、天馬剣に飛ぶように指示すると、本当に浮遊してくれた。


「……!」


 本来、乗馬に前進、加速、減速、停止や、方向の変更以外の指示は出来ない。


 上昇や下降なんて真似、空を飛べない馬には不可能だからだ。


 しかし、俺はホリーに憑依された時の経験を生かし、見よう見まねで手綱を動かし、天馬剣を操ってみた。


 すると、天馬剣は王都の上空にまで、一瞬で飛んでくれる。


 俺は、初めてホリーもいないのに天馬剣を自在に操る事が出来た。


「……お前……」


 思わず、俺は王都の上空を飛びまわりながら、天馬剣を見つめる。


 ここには今、俺以外の誰もいない。


 誰も、俺の声は聞いていない。


 だから、


「お前は……俺が何なのか知ってたのか? 俺が、魔王だって……知ってたのか?」


 天馬剣は答えない。


 何時も通り、俺の指示通りに飛びまわるだけだ。


 何時もと違うのは、ホリーがいないという事だけ。


「最後まで、付きあってくれるのか……」


 天馬剣は答えてくれない。


 それでも俺は、


「じゃあ……あと少しだけ付きあってくれ……。もう少しだけだから……」


 語りかける事を止められなかった。


 色々な苦難を、一緒に乗り越えてきた仲間……いや、相棒だったから。


「俺が居なくなった後は……シオンを乗せれば良いよ」


「……」


「シオンは、乗馬が苦手だから、控えめに飛んでくれよな」


「……」


「それから、魔王が復活したらさ……」


「……」


「魔王のいる所まで、シオンを運んでくれよ?」


「……」


「そこに、俺がいるから」


 天馬剣ラムレイは、何も答えてくれない。


 ただ、何時も通り天を駆け抜けただけだ。


「シオンとホリーの事、頼むな」




 それからの日々は、あっというまに過ぎ去っていった。


 サフランの案内で暗殺ギルドの本部に向かった俺達は、手荒い歓迎を受けたが、姉妹剣使いに普通の人間が敵う訳も無く、あっさりと返り討ちにある暗殺者たちを拘束していき、暗殺ギルドのトップにいた男に接触する事が出来た。


 そこで意外だったのが、その男がサフランの父親だった事だ。


 まあ、割と驚いたが、すぐに人を脅して、刺客を送り込み、話し合いの場でも、天井や壁、床下に配下を忍ばせていた態度には腹が立ったので、


「脅迫してないと、人と話せないのは臆病だからでしょう。死ぬのが怖いからそんな事ばかりするんだ」


 俺は、一緒にいたシオン達を手で制して、「手を出すな」とだけ言って、思い切りサフランのオヤジに怒鳴りかけてしまった。


「死ぬのが怖い。だから相手を殺す。その気持ちは俺が一番解りますよ。俺だって死にたくないから。でも俺達は自分らの方が強いからって、それを理由にアンタ等を脅すつもりは無いんだ! だから信じろなんて言わない! 盲目的に信じて騙されるのはバカのする事だ! それでも一切信じないのもバカだ! 疑えば良い。信じなくても良い。ただ、知ろうとはするべきだ。俺達に協力するのが得なのか損なのか、調べてみるべきだ。自分が有利か不利かばかり考えるな! まず知らない事には、協力も敵対も出来ない! 俺の提案は、アンタ等に暗殺者意外の生き方を示す為のものだ。その生き方は、既にアンタの娘が実践してるよ」


 なんて啖呵を切って、相手を黙らせてしまったが、実際はヤケクソになってただけだった。


 俺が死ねば、即座に魔王になる、というマリスの情報が真実だった場合、自分の命を顧みない言動ははた迷惑なものだったろうが、今の俺には、死の恐怖よりも、後十日足らずで魔王になるという事の方がはるかに怖かった。


 その恐怖から解放されたかった。


 暗殺ギルドのトップだった男が、サフランからの提案を完全に受け入れ、プラタナスが結成し、サフランが長官を務める諜報機関の構成員になる事が決まると、いよいよ俺の仕事は無くなった。


シネラリアの魔物集めも、シオンとアマランスを中心にダンジョン攻略を行った事で、極めて順調だった。


ヒース王子の即位。プラタナス宰相とカトレア元帥の誕生。


そして、他の姉妹剣使いもそれぞれの役割を果たし、シオンを中心とした世界征服の基盤は完全に固まった。


まあ、そこから先は俺には想像もつかない程の作業が残っているんだろうけど、アイツらならそれが造作も無い事は知っている。


後は、俺がマリスの言っていた日数が経過した時に、本当に魔王になるかだけだ。


一番良いのは、何もかもデタラメだった場合だけど。


 そう思いながら戦々恐々としていた俺の態度は、付き合いが短いアマランスとジャスミンからも妙に映ったらしい。


 二人はいきなり俺の部屋に入るなり、


「暗殺ギルドの首領を説得した日の事だが、貴公らしからぬ捨て鉢な言動だったな。いや、言葉自体には感銘を受けたが」


「相手は暗殺者でしたし。アマランス達が殲滅した後、私の治癒剣で蘇生されれば済んだ話でしたわ」


 俺の身を案じつつも、恐ろしい事を提案する連中だ。


「勇者殿と剣の稽古に励むようになって日は浅いが、彼女は心の底から貴公を信頼しているようだ。勇者殿に心配をかける事は避けた方が良いだろう。これからは危険な事は私達に任せれば良い。幸い、今の私は勇者殿から魔力を供給されている限り、何時でも全開で戦えるようになったからな。手なら、いくらでも汚そう」


「別に手を汚す機会なんか無いと思うけどね。アンタにはシオンを守ってもらいたいだけなんだ」


「うむ。心得た。ところでクロウ」


 アマランスは、椅子に座ったまま、ぼんやりとしていた俺の顔を覗きこんでくる。


「な、なに?」


「貴公、子供の頃に私と会った事は無いか?」


「は?」


 俺が固まっていると、ジャスミンがアマランスの隣で「まあ」なんて事を言いながら、口元を押さえている。


「我が主、ゼラニウムが、大勢の男女を拉致監禁し、無理矢理子供を作らせて、人為的に神剣との適合率が高い子供を作ろうとしていた、という件を覚えているか?」


「……覚えてるよ。胸糞悪いけど」


「その結果生まれたのが、鬼神剣と羅刹剣を併用出来る私だった、という訳だが、その忌まわしい事実を知ってからというもの、私は幼少時の事を思い出すようになったのだ」


「はあ」


「クロウ。貴公も私と同じ施設で生まれ、育てられた実験体ではなかったか?」


「はあ?」


 何なんだその衝撃的な過去話は。


 俺にそんな劇的な過去があるわけ……いや待て。


 腐っても、俺の正体は魔王だ。


 どんな過去が有ったとしても不思議じゃない。


 しかし、子供の頃の事は全く記憶に残っていないんだけど。


 俺が首を傾げていると、


「まあまあまあ……! では、貴方達は幼馴染という事ですの? お二人の年齢は?」


「十八だけど」


「私もだ」


「あらまあ! 同じ年の幼馴染の再会? 運命的すぎますわ!」


「待て待て。 そんなに世間が狭い訳ないだろ? 俺には全く記憶にないんだけど?」


 勝手に盛り上がっているジャスミンに、俺は釘を刺そうとした。


 しかし、アマランスは尚も俺の顔を凝視し、


「確かに見覚えがあるのだ。貴公によく似た黒目黒髪の少年と、私は幼少の頃に会って、一緒に遊んでいたのだ」


「黒目黒髪のガキなんかいくらでも居るっての。大体さあ、神剣の適合率の高い男女ばっかり集めて子供を作らせた施設なんだろ? 何で姉妹剣を一切使えない俺がそこで生まれるんだよ」


「その黒目黒髪の少年は、施設始まって以来の劣等生だと、周囲の大人がぼやいていたぞ? 当時の私には何の話かさっぱり解らなかったが」


「おう……」


 なんか、急にその黒目黒髪の少年とやらが、俺のような気がしてきたぜ。


 まあ、確かめる手段なんか無いんだけどな。


「偶然だよ。他人のそら似だろ?」


「いや……最近の貴公の顔つきは、当時の少年とよく似ているのだ」


「だから偶然似たヤツが……」


「後ろ姿から漂う暗さ……瞳の奥から見える底なしの闇……。当時の少年は、何やら幼子だった私から見ても、得体の知れない威圧感を出しながら、無言で座り込んでいたのだ。今の貴公は、その時見た少年の雰囲気を感じる」


「……そいつとは、どんな形で別れたんだよ」


「うむ。あまりにも劣等だったのか、殺処分が決定し、いつの間にか施設から姿が消えた。まあ、施設にいた者が消えてしまうのは日常茶飯事だったが」


「じゃあ絶対に別人じゃねえか! ていうか、そんな場所にいた時の事よく忘れていられたな!」


 俺がついつい何時ものノリでツッコミを入れると、突然、微笑ましいものを見ているかのようだったジャスミンが俺の胸倉を掴んで立たせると、


「辛すぎる過去の記憶を消すのは、ごく普通の事ですわ……。アマランスは記憶力が異常に悪かったのですが、それは過去のトラウマが原因で、何かを記憶する能力が欠落した所為かも……。そのように批判的な言動は慎んでいただかないと」


 なんて、至極まっとうな事を俺に耳打ちしてくる。


 確かにそうだ。


 少し、配慮が足りなかったかもしれない。


 まあ、今の俺に心の余裕なんか微塵も無いけど。


「いや、別に私が忘れっぽいのは誰の所為でも無いのだ。気にしないでくれ」


 俺達の考えを察したのか、アマランスはあっけらかんと話している。


 なんか、元々悪いヤツじゃないとは思っていたけど、ゼラニウムの配下を止めたアマランスは、凄く毒気が抜けている気がする。


 シネラリアやジャスミンから、時折、敵対していた頃に発していた威圧感が出る事はあるけど、そういう圧迫感みたいなものが、きれいさっぱり無くなっている。


「で、その殺処分された子供が、何で俺だと思ったんだよ」


「うむ。その子供は施設にいた職員の一人が連れだしたから、殺されてはいなんだ。だから、生きているとは思っていた。再会するとは思わなかったが」


「……」


「その連れ出した職員は、ホークという名の男だった。面倒見が良かったから名前を覚えたいた」


「……!」


「クロウは、そのホークという名前に聞き覚えは無いか?」


「……いや……」


 つい、否定してしまった。


 何となく、肯定する気になれなかった。


「ふむ。なにぶん子供の頃の話だからな。私の思いこみという事も十分にありえる」


「そんな事は無いと思いますわ。その話が本当の方がロマンチックじゃないですの。私、そういう話は大好きですの」


「何がそんなにジャスミンを喜ばせているのか解らんが、好きなら好きでよかろう」


「はあ……これで恋物語が始まれば理想的でしたのに……クロウさんには既に勇者様というお相手がいますから、残念な結果に終わりそうですの。まあ、幼馴染との初恋は成就しないもの、という事ですわね?」


「初恋? ジャスミンは一体何の話をしているのだ?」


 アマランスとジャスミンが盛り上がっている間、俺は目の前が真っ暗になっていた。


 ホークという名前に聞き覚えがあるかって?


 あるに決まってるだろ。


 そいつは……


「オヤジ……」


 俺の養父の名前だったんだから。

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