6/第一章 人生最後の休日

 もし、明日世界が滅ぶとしたらどうする? 


 人生最後の瞬間をどんな風に過ごす?


 そんな事を、聞いてくるヤツも居るが、そういう下らない質問の答えは、


「好物を食べるよ」


「好きな人と過ごすよ」


 なんてのが無難だろう。


 あるいは、悔いが残らないように、好きなヤツに告白する、なんてのも良い。


 失恋した後、人生最悪の気分で最期を迎える可能性があるが。


 俺の場合、後一ヶ月あるぶん、マシなのかもしれない。


 明日死ぬ、と宣告されるよりは、はるかにマシだったろう。


 それでも、俺は眠る事も、食べる事も出来なくなった。


 それは、死の恐怖だったからかもしれないし、大勢の人を殺すかもしれない恐怖だったかもしれない。


 もっと言えば、シオンやホリーに敵対する事を、どうしても受け入れられなかったからだ。


 ずっと一緒に居る。


 死ぬまでチェスの相手をする。


 凡人の俺にでも出来る、ささやかな約束。


 それすらも、俺は守れなかった。


 後一ヶ月で、俺はあの二人の前から消える。


 俺が、これからあの二人にしてやれる事なんか、もう微塵も無い。




 日に日にやつれて、目の下にクマを作る俺を見て、シオンやホリーは心配していたが、大丈夫だと誤魔化すしかなかった。


「緊張続きだったから疲れが一気に出たんだよ。もう姉妹剣は全部集まったしな。後の事は全部二人に任せるから。精々俺は怠けさせてもらうよ」


 そんな言葉で、お茶を濁すしかなかった。




 そうして、日々はつつがなく過ぎて行く。


 何も出来ずに時間は立つ。


 ヒース王子は俺との約束を守って、即座に国王に即位した。


 側近として、プラタナスを宰相にして、カトレア教官の階級を元帥にした。


 他の姉妹剣使いの身分も、俺が頼んだ通りにするつもりらしい。


 カトレア教官を元帥。アイリスを大将。


 サフランを諜報機関の長官。シネラリアを独立部隊の隊長。


 ジャスミンを宗教団体の聖母。アマランスを勇者の護衛。


 つまり、軍事、政治、情報、宗教を司る集団の頂点を、全て姉妹剣使いで独占し、それらを結集した勢力で勇者を守る。


 端的に言えば、神剣という力を背景にした世界征服を始めるのだ。


 それ以外に、魔王討伐後、人類にとって用済みになった勇者シオンを安全に過ごさせる方法は無い。


 そう考えた俺が言いだした事だけど、ヒースはそれを本気でやってくれたようだ。


 まあ、今となっては、俺には関係無い話だけどな。


 魔王を倒した後の世界に、俺は居ないから。




「……お前、随分と顔色が悪いな? 何かあったのか?」


 国王に即位して、ド派手なマントを着て、王冠をかぶっているヒースが俺に話しかけてくる。


 悪趣味な服装だけど、コイツだと様になっていた。


「いや、俺だって体調悪くなる時くらいあるだろ」


 俺とヒースは、謁見の間で、二人きりになっていた。


 俺が言いだした事とはいえ、国王に即位してすぐに、宰相と元帥を変える、なんてのは、相当な無茶振りだったろうに、あっさりと達成してくれた。


 結局、コイツには世話になりっぱなしだったかもしれない。


「体調には気をつけろよ。今お前に倒れられると困るからな」


「何でだよ?」


 俺が首を傾げると、ヒースは玉座に座ったまま、溜息を吐いた。


「お前が病気になったりしたら、勇者シオンが動揺するだろうが。そんな時に、何か不足の事態が起きてみろ。一瞬で僕達の計画は破綻するぞ」


「……」


「国家の重要案件を、全て僕達で担うと言っても、それを可能にしているのは勇者の持つ、圧倒的な力だ。それが無くなれば、僕達で世界を牛耳る事は不可能になるぞ」


「まあ、な……」


「もっとも、その方がプラタナスのヤツは喜ぶかもしれんがな。アイツは、自分の才覚で軍を動かして、世界征服する方が楽しめそうだ」


「はは。確かにな。結局、プラタナスの天才的な用兵術を見る機会は無かったしなあ」


「そんな機会は無い方が良いんだ」


 ヒースはおもむろに玉座から立ち上がると、俺に近づいてくる。


「……クロウ。お前の正念場はこれからなんだぞ?」


「はあ?」


 何を言ってるんだコイツ?


 まさか俺が魔王だって事に気付いてる、なんて事は無いだろうけど。


「勇者シオンが魔王を倒せるかどうかは、お前が傍にいるかにかかってるんだ」


「いやいやいや。俺もう関係無いだろ。シオンが魔王と戦う時には……」


 もう、俺は傍にいられない。


「ふん。別に勇者と魔王の戦いに参加しろとは言ってない。そんな事は僕らでも無理だ。魔王と戦えるのは勇者だけだからな」


 いや、実は俺、参加するんだよね。魔王だから。


「ただ、生きてるだけで良いんだよ。勇者シオンが世界を守るモチベーションは、お前が生きてるかどうかだけだからな。彼女は、お前が生きている世界を守りたいんだから」


「……」


「魔王が倒されれば、お飾りの王である僕の出番は終わりだ。その時になったら、お前が勇者と一緒に最高権力者になれば良いだろう」


「……無理だっての。面倒臭いし」


「だからこそ、やれ」


「はあ?」


 ヒースは俺の肩に手を置いて、ニヤリと笑いかけてくる。


「僕はお前が嫌いなんだ。お前のやる事なす事全てが嫌いだ」


「……」


「偉そうに命令して、自分は楽ばかり。それなのに、お前がいないと何も始まらないし、どうにもならなくなる。そんなお前が、僕は大嫌いだ」


「……ヒース、俺は……」


 一回くらい、コイツと、友達みたいに……


「だから、僕はお前に嫌がらせしてやる。お前に面倒を押しつけてやる」


「……面倒って?」


「最高権力者になる事さ。仮にお前が喜んで国王になろうとするなら邪魔してやったがな。お前は仕事が増えるのが死ぬほど嫌なんだろう? だったら嫌がらせに一番仕事の多い身分にしてやる」


「……俺が最高権力者になったりしたら、国が滅ぶんじゃないの?」


「そんな事は、僕とプラタナスがさせないさ。ずっと近くにいて、お前がサボれないようにしてやる」


「嫌な事言うねえ、ヒース」


「ああ、そうだ。お前の嫌がる事なら何でもするさ。だから、勇者が魔王を倒した後に、凱旋パレードをやろう」


「パレード?」


 俺が首を傾げていると、目の前にいたヒースは背中を向けて、笑いながら玉座に座りなおし、足を組んで偉そうにふんぞり返った。


「僕の戴冠式は地味だったんでな。金をたっぷり使って、派手なパレードにしてやるのさ。国中を皆で着飾って巡行しよう。世界を救った後なら、それくらいは良いだろう?」


「……ああ。良いな。皆、民衆に称えられるような事はしてるからな。俺以外は」


「っは。他人事みたいに言うなよ。お前は勇者と同じ馬車に乗れ。勇者は一番派手な馬車に乗るからな。お前も結果的に目立つぞ?」


「……はは」


 俺は、その時、本心から笑っていた。


「俺が目立つの嫌いだって知ってて言ってんのか?」


「そうだ。僕はお前が嫌がる事しかしないからな」


「マジで面倒な話だよ」


「……お前も、たまには大勢の人間から称えられても良いだろう」


 ふと、ヒースは真剣な表情になる。


「殆どの民衆が、お前のやってきた事を知らん。表向きには、お前は何もしていない事になっている」


「そこは否定しないけどな」


「それでも、お前は称えられるべきだ」


「……」


「お前は、この世界で一番の偉業を成した男だよ。少なくとも、僕はそう思っている」




「……」


 謁見の間から出た俺は、中庭にあるベンチに座って黙りこんでいた。


 勇者が魔王を倒した後、皆で凱旋パレードをする。


 シオンや、他の姉妹剣使い達は、それくらいしても良いと思う。


 この国にいる民衆だって、自分達の住む世界を守った英雄達の姿を直に見たいだろう。


 それでも、俺はその場にいないんだよな。


 苦闘の果てに、世界を救ったシオン達が、晴れがましい思いをする瞬間に立ちあえないんだ。


「はあ……」


 やっぱり、想像以上にきついなあ。


 不慮の事故とかで死ぬ事は想定していたけど、確実に死ぬとも思っていなかった。


 それが、自分の正体が実は魔王でした、なんて言われても対処出来ない。


 単純に死にたくないんだけど、それ以上に魔王になって大量殺人をする事が嫌だ。


 しかし、事前にシオンに頼んで自殺みたいに死ぬのもマズイ。


 それで死ねれば良いけど、下手をすると俺の魔王化を促進する事になりかねない。


 あと、やっぱり死にたくないんだよ。


 綺麗事を無しにすれば、絶対に助からないから、諦めて死ぬのを待つ、なんてのは無理だ。


 恐怖で気が狂いそうになるし、その恐怖から解放される方法が死ぬしかないってのが最悪だ。


「はあ……」


「どうしたのよ」


「っ!?」


 頭を抱えて溜息を吐きまくっていた俺に、アイリスが話しかけてきた。


「い、いや、別に何でもない」


 アイリスはベンチに座ってる俺を真正面から見つめると、腕を組みながら、


「何か隠してるでしょ?」


 なんて事を言う。


 バレたか。俺、実は魔王だったんだけどどうしよう?


 と、言える訳も無く、


「いや、何も隠してないけど……」


 俺は、すっとぼけるしかない。


「何で嘘付くのよ。最近の貴方って、二年前の時と様子が同じよ?」


「……?」


「聖光剣を盗んで勇者を探しに行った時よ」


 アイリスは、若干怒気を帯びた声で呟く。


「あの時も、私とカトレア教官に何の説明もしないで、勝手に一人で行動したでしょ。貴方って、どうでも良い事は他人任せにする癖に、本当に切羽詰まると一人で抱え込むのね?」


「……」


 返す言葉も無い。


 俺が聖光剣を盗んだ時の事は、後から考えれば判断ミスだった。


 どうにかして、アイリスやカトレア教官に、聖光剣の聖霊の存在を認知させて、勇者探しを国王の許可を取ってから行えば、俺の処刑騒ぎは起きなかった。


 そういう反省を踏まえて、俺は仲間に対して隠し事をするべきでは無く、何でも相談して事態を解決するべきだ、とは思う。


 それでも、今回の事は相談出来ない。


 俺の、今回の悩みは解決しちゃけいないんだ。


 俺の悩みの解決は、俺の完全な魔王化を意味する。


 心の底から自分が魔王である事を受け入れた時、俺は全ての悩みから解放される訳だ。


 その結果、大量の人間が死ぬ。


 下手をすれば、姉妹剣使い達の中からも死者が出る。


 最悪の事態を想定すれば、シオンまで死んで、人類が滅ぶ。


 端的に言えば、今の俺は、もうアイリス達の仲間じゃないんだよな。


「……は」


 元々、仲間じゃなかったんだけどな。


 自分が魔王とも知らずに、勇者の仲間集めに奔走してた、只のバカだった訳だし。


「何よ? 何で笑ったの?」


「いや、思いだし笑いだよ。別に隠し事なんか無いけど? 悩みはあるけどな」


「悩み?」


「……死ぬのが怖いんだ」


 アイリスに嘘は通じないと思ったから、正直に話した。


「俺って最近、何回か死にかけただろ? 危ない目にあってきたし、この前なんか、胸を刀で刺されたし」


「まあ、確かにそうよね。私よりよっぽど修羅場を多く潜ってると思うわ」


「それで、今さらながらビビってるんだよ。次に危ない目にあっても助かるのかな。もう危ない目に会いたくないなあ、とか」


「……私達が付いてるから大丈夫、と言えないのが情けないわね。ずっと傍にいたのに、私は貴方を守れなかった訳だし」


「いや、別にお前の所為ではないと思うけど……」


「でも、もう大丈夫なんじゃないの? 今の私達って、かなりの戦力じゃない? カトレア教官、ヒース王子……じゃなくて国王。プラタナス、サフランに、アマランスとシネラリアとジャスミン。全部で八人も姉妹剣使いがいて、勇者のシオンも付いてる。大概の事態には対応出来るんじゃないの?」


「まあ、な」


「仮に、今すぐ魔王が復活しても、勝てるんじゃない? シオンは強いし、アマランスはそのシオンと同じくらい強いし、頭の良いプラタナスだっている。魔王がどんな方法で人類に牙を向くのか知らないけど、負ける気がしないわ」


「……」 


 そうだねえ。


 勝てるだろうねえ。


 そして魔王の俺は死ぬだろうねえ。


 俺だってお前らに勝つ方法なんか思いつかねえよ。


 まあ、勝ったら駄目なんだから良いんだけどさ。


「私達を信頼出来ないなら、シオンを信じなさいよ。あの子は何があっても貴方の味方でしょ」


 味方じゃねえよ。


 魔王にとっての勇者って最大の敵だっての。


「シオンは、絶対に貴方を守ってくれるわ。無敵の勇者ちゃんを信じてあげなさい」


 信じてるから怖いんだっての。


 無敵の勇者と戦う羽目になった事が。


「あ、そうそう。あんまり長話しちゃ駄目だったんだ」


 アイリスは手を叩きながら呟く。


「カトレア教官が貴方を呼んでたのよ。一緒に来て」




 アイリスに連れられて、俺は円卓の間に入った。


 そこにはカトレア教官と、白髪の老人が円卓に座って待っていた。


「……? えっと……」


 誰だ? この爺さんは。


 これまで城内で過ごしてきて、一度も見た事が無い。


「この人は、クロッカス元帥だ。ちゃんと挨拶しろ」


 カトレア教官が、俺とアイリスにプンプンと怒鳴り声を上げる。


「元帥?」


 この国の軍部の頂点という事だ。


 しかし、これまで俺が参加してきた軍議や会議でも見た事が無いし、国王の傍にいた訳でもない。


 何で今さらこんな所にいるんだろ?


「……」


 まさか、これから俺達がカトレア教官を元帥にしようとしてる事を知って、邪魔しに来たのか?


「ほっほ! 挨拶なんぞどうでも良いから、早くこっちに来なさい。ワシはずっとお主に会いたかったのじゃ」


 なんて事を言いながら、クロッカス元帥は俺に手招きする。


 俺はクロッカス元帥が座っている席の隣にあった椅子に腰かけた。


 アイリスは、カトレア教官の隣に座る。


「元帥といっても、もう八十過ぎの爺じゃ。さっさと引退するかくたばるに限る」


「何を言ってんですか元帥……」


 クロッカス元帥の言葉に、カトレア教官は焦っている。


「……お主がカトレアのケツを叩いてくれたそうじゃな?」


「え?」


「ワシはなあ、ずっと元帥を辞めたかったんじゃ。責任が重すぎる。しんどすぎるわい」


 俺の顔をじっと見つめながら、クロッカス元帥は笑っている。


「しかしなあ。ワシから見て、元帥の座を譲っても良いと思う人材が皆無だったんじゃ。戦の指揮がド下手な貴族か、兵士の命を盤上の駒としか思わん異常者しか軍部にはおらんかった。譲れば、軍部が破綻するとしか思えんかった」


「はあ」


 俺は、思わず気の無い返事をした。


 正直、自分がこれから魔王になる事を思えば、どうでも良い内容の話だと思った。


「はあじゃねえよバカ!」


 そんな、俺の無礼な感情を読んだのか、カトレア教官がプンプンと怒る。


「その人は、五十年以上内乱で無敗を誇った常勝将軍クロッカスだぞ! 一昔前は英雄って呼ばれてたんだぞ!」


「昔の話はせんでええ。キモの座った良い教え子ではないか」


 かっかっか、とクロッカス元帥は笑う。


「しかしな、十年ほど前、爆炎剣を携えてやってきたカトレアを見た時、ピンときたのよ。ワシの次に元帥をやるべきなのはこの娘じゃとな」


「……」


「もちろん、神剣という御大層なもんが使えるのは大きかった。ワシのような人間が、何千、何万と兵を指揮しようが、神剣をもっとる連中からすればゴミじゃろう。そんな連中に、兵の指揮権を渡しとうは無かった」


「……はい」


「しかしな。カトレアは優しい。国王が命令すれば即座に爆炎剣を手放す甘ちゃんじゃ。教え子が死ぬと泣くしのう。本当は戦いにもむいとらん」


「はい」


 俺は、段々とクロッカス元帥から目を離せなくなった。


 この人の話をどうでも良いと、一瞬でも思うなんて、傲慢だった。


「だからこそ、ワシは軍の全権を預けたくなったのじゃ。カトレアはお世辞にも指揮が上手いとは言えん。状況判断力も低い。すぐに目の前の事に飛び込んで、全体を見通す事が出来ん。大軍を率いて戦況を動かし、百日経った後の事、百里進んだ結果の予測なんぞ出来ん」


「……」


「そこにいるアイリスというお嬢ちゃんの方が、優秀な元帥になれるじゃろう。プラタナスという小僧なら、更に優秀な元帥になれる。しかし、ワシは元帥になるべきはカトレアしかいないと思っていた」


「……俺も、そう思ってます」


「ふむ。お主は、何故カトレアを元帥になるよう画策したんじゃ? お主の様子を見聞きしておると、他の神剣をもっとる連中の実力は知っていよう? その中で、何故カトレアを選んだ?」


「……この国の兵士は、殆どカトレア教官の教え子です。そいつらは、皆教官を慕ってます。俺とアイリスだってそうです」


 俺がそういうと、円卓の席に座っていたカトレア教官が、赤面して俯く。


「アイリスなら、堅実な指揮をとれるでしょう。プラタナスは、画期的な軍略を立てれます。でも、そんな才能は、カトレア教官の下で発揮すれば良いものです。教え子から慕われる人望こそ、最高司令官に最も必要なものだと思いました」


「ふむ……」


 クロッカス元帥は、俺の発言に、やや不満のようだった。


「完璧な人間なんか、この世界に居ません」


「ふむ?」


「だから、本当なら、大勢の人間の命を背負う元帥なんか、誰にもなれる資格は無いと思うんです。それがたとえ天才で、優秀だとしても」


「……」


「だったら、兵士の命が失う事を、悲しいと思える人が一番上になった方が良いんじゃないですか? 俺は、「何人の兵が死ねば、作戦は成功する?」なんていうヤツを元帥にしたくなかっただけなんです」


「かっかっか!」


 その時、クロッカス元帥は爆笑した。


「その通りじゃ。ワシは、兵の命を数でしか判断できない者を元帥にしとうなかった。カトレアはいかにも甘い。だからこそ元帥に相応しいのじゃ。冷徹で現実的な判断は、他の者が下せば良い。幸い、そういう判断を下せる者が、今この国で宰相をやっとるし、そこにいるお嬢ちゃんも大将になるようじゃしな」


 クロッカス元帥は、突然俺の両肩に手を置いた。


「しかしなあ、ワシがいくら言うても、誰も賛成せんのじゃあ。肝心のカトレア本人も嫌がるしのう。このままじゃワシ、安心して死ねないと思っておったんじゃ」


「は、はあ」


「じゃが、お主のおかげでカトレアが元帥になろうとしてくれた。これほど嬉しい事は無いんじゃ。ありがとう。本当にありがとう」


「……」


 俺は、本当になんて無礼なヤツだったんだ。


 こんな人が、元帥の座を譲りたくないと画策していると思っていたなんて。


 こういう無欲な人だからこそ、常勝将軍に成れたんだ。


 その実力と人柄は、決して姉妹剣使い達や勇者のような人外の連中に劣るものじゃない。


 超人的な連中に接し続けたからと言って、只の常人を侮ったり、見下したりするのは的外れだったんだな。


「い、いえ。俺は、何もしてませんから」


「さて、では、少し顔を見せてもらえるかのう。それから手の平もな」


「?」


 俺が怪訝に思っていると、


「クロッカス元帥は人の才能とか将来を見ただけで解るんだよ。アタシとプラタナスも昔、大出世するって言われたぜ?」


 カトレア教官が説明をしてくれる。


「……」


 え? コレってヤバいんじゃないの?


 クロッカス元帥は、長年この国の元帥を務めていたとはいえ、只の人間だ。


 姉妹剣使いでもなければ、精霊や魔物でもない。


 しかし、さっきからの発言を聞いていると、普通とか常人なんて言葉では形容出来ないような、何か得体のしれないモノを感じる。


「別に緊張せんで良い。顔相と手相なんぞ、単なる統計学じゃ。当てにならんから、自分にとって好都合なものだけ信じて、不都合なもんは無視すれば良いんじゃ」


 なんてことをクロッカス元帥は言うが、こういう事を言う人に限って、的を射た事を言うから怖いんだ。


 自分の占いや予想、予知の類に絶対の自信を持つヤツは、大概想定外の事態に弱いし。


 俺が魔王だとか、あと少しで人間を止める羽目になる事がバレないだろうか。


「……」


 いや、さすがにそれは無いか。


 魔王になる顔相や手相なんか無いだろうし。


 せいぜい死相が出てるから気をつけろ、みたいな事を……


「変わった運気をもっとるなあ。生命線も運命線もブッチブチに切れて曲がりくねっとる。長くて濃いから死にはせんだろうが、コレは・……何回か死んで生き返ったりしとるのか?」


 やべえええええええええええええ!


 目茶苦茶正確な結果が出てるううううううううう!


「ふうむ……しかし典型的な覇王線がこんなにはっきりと出とるからには、やはり人の上に立つ宿命が……いや、しかし何とも禍々しい覇王線じゃのう……覇王というより、呪われた王道を歩むという事か?」


 すげえええええええええええええ!


 この人すげええええええええええええ!


 もうほぼ魔王だって言われてるようなものだった。


「……クロッカス元帥。そいつは将来どんな男になるんです?」


 カトレア教官が、俺の手相をうんうん唸りながら認めているクロッカス元帥に話しかける。


「ようわからん。ワシらと同じ人間の手相とは思えん。ワシの経験則が全く役にたたんな。解るのが、コイツは周囲にいる人間を片っ端から出世させる面があるという事じゃ。お主らが出世している原因も、コイツに引っ張られたから、という事じゃろう」


 いや、あんたもう充分に俺の将来を言い当ててますよ。


「……クロウ。何か深い悩みが有るようじゃの?」


「……!」


 俺の手相を見る事を辞めたクロッカス元帥は、俺の顔をじっと見つめながらそんな事を言ってくる。


「しかも、それは一人で考え込んでも、人に相談しても解決しない、という類の悩みじゃな?」


「……いや、俺は……」


「言わんで良い。老人の戯言じゃ。聞き流してくれい」


「……」


「ただな、人間とは誰しも解決不可能な悩みを抱えて生きるものじゃ。この年になるまで生きとるワシが言っても説得力が無いじゃろうが、いずれ必ず死ぬと解って生きるのは辛かろう。その日がいつ来るか解らぬ、というのはある意味恐怖だが、救いでもある。解らぬからこそ、日々、いずれ死ぬという事実を誤魔化して前向きになれるのじゃ」


 この人は……多分俺がもうすぐ死ぬ事に気付いたんだ。


 こんな人も……居るんだな。


 超常現象や、異常事態にばっかり目を向けてた所為で麻痺してたけど、こんな人もいるんだ。


 こんな感覚は懐かしいな。


 これは、この感覚は、オヤジに拾ってもらって以来かもしれない。


 ただひたすらに、自分より長く生きた先達に対して尊敬と憧れの念を抱いて、すがりつきたくなる感覚。


 子が、親に助けを求めるような感覚。


「しかしなクロウ。残念だが、全ての疑問や難題に対して、「こうすれば良い」という明確な答えは無いんじゃ。答えがあるなら、誰も間違いはせん。実際は間違ってばかりじゃ」


「はい……」


「ワシには、これから先の、お主らの行く末を見守る時間は残っておらんだろうし、助言を与える事も出来んじゃろう。ワシは、お主らにとっては只のクソジジイじゃからの」


「そんな事は……!」


「クロウ。投げるでない」


「え?」


「ワシには、こうすれば良いという答えは教えられん。ワシは、自分より短い生涯しか送れなかった多くの若者を死地に送り、罪の無い民草をむざむざ死なせ、自分なりの正義や理念を持った敵対者を無理矢理黙らせる事しか出来なんだ。そんなワシに、答えなど出せようか。こんな年になっても、未だにワシは答えの無い課題を解き続けとるし、出口の無い迷路を迷い続けておる」


「……」


「しかし、だからこそ途中で投げてはいかんと解る」


「投げる?」


「投げだすという事は、諦めるという事。諦めるという事は、可能性を閉じるという事。解るかクロウ。無駄だ、無理だ、不可能だという事実を認めるでない。それをお主に考えさせた原因が何なのかは解らんが、そんなものは無視するのじゃ。お主に何が出来るのかを決めるのは、他ならぬお主なのじゃ」


「クロッカス元帥……」


 俺は、もう少し早くこの人に合うべきだったのかな。


 いや、違うな。


 俺は、昔から何の特殊能力も持たない、ごく普通の人間が嫌いだった。


 自分を含めて、特別になれなかった者が嫌いなんだ。


 だから、クロッカス元帥のように、神剣の姉妹剣に選ばれていない人間の言葉は、それほど心に響く事は無かったと思う。


 しかし、今の俺なら。


 自分が人類にとって災いでしかない魔王だと自覚している今なら解る。


 自分を含めて、特殊な能力を持たない常人を忌み嫌う、この感情こそ魔王に相応しいと理解した今だからこそ、解る。


 人間の価値は、力とか才能とか、そんな表面的なものだけで決まったりしない。


 少なくとも、俺が知る限り最も才能に満ちあふれていたゼラニウムよりも、今目の前にいるクロッカス元帥の方がはるかに尊敬出来る。


「解りましたクロッカス元帥。何があっても、俺は自分の人生を投げだしません。最後の最後まで悪あがきしてみせます」


「……不思議な顔をしとるなあ。お主は……!」


 クロッカス元帥は、最後に満面の笑みを浮かべて、俺を見つめた。


「何の力も無い、底なしの無……闇……しかし、無限の可能性を感じる」


「いや、何の力も無いって事は……」


「いやいや、それだけは確信を持って言えるぞ? お主にはなあ、何の力も無い」


「……」


 魔王なのに?


 神様。俺泣いて良いですか?


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