6/序章 魔王

 実は、俺が魔王だったらしい。


 なんて事だろう。


 これまで幼い勇者を守るために苦労してきたというのに、実は勇者の敵対者だった。


 という事は、俺が姉妹剣を必死に集めているのは、敵の戦力をむやみに上げまくる行為だったのだ。


 間抜けだな。


 何をやってるんだよ俺は。


「ってアホか」


 俺は、自分で自分にツッコミを入れる。


〈何がアホなの?〉


 俺の目の前に居る、ホリーと瓜二つの女が、首を傾げながら呟く。


 コイツが、俺の事を魔王とか抜かすから、話がややこしくなるんだ。


 ていうか、ややこしくもない。


「何で俺が魔王なんだよ。そんな訳ないだろ」


〈何でって、どういう意味? 魔王である事に理由とか必要?〉


「必要だよ! 当たり前だろ!」


〈じゃあ、勇者が勇者である理由って何? 何で勇者は勇者なの? 何で神剣の使い手は神剣に選ばれたの? そもそも人間は何で人間なの?〉


「うるさいな! そうゆう哲学的な話をしてるんじゃないんだよ!」


〈じゃあ、どういう話?〉


「俺は魔王じゃない! 只の人間だ!」


〈歴代の魔王だって、元は人間だったよ?〉


「は?」


〈聖光剣を手に入れる前の勇者と同じよ。覚醒する前の魔王は只の人間〉


「……」


 おかしいとは思っていた。


 何度倒して必ず復活する魔王。


 永遠不滅の王。


 しかし、復活するなら、倒されてすぐに復活すれば良いし、そもそも不滅の王は敗北したりしない。


 復活していた訳ではなく、永遠不滅という訳でもなく、歴代の魔王は全て別人だったのか。


 勇者と同じように。


「魔王も……人間……? 勇者と魔王の戦いって、人間同士の戦いだったのか?」


〈う~ん。正確には、私とホリーの戦いかなあ。魔王も勇者も只の器〉


「……歴代の魔王が全部人間だった? だとしても、何で俺だよ? 俺のどこか魔王に相応しいんだ? シオンは勇者に相応しく見えるけど、俺は魔王に相応しくないだろ」


 俺がそう言った瞬間、マリスは目の前で腹を抱えて笑い始めた。


〈あんな小娘の何処が勇者っぽいわけ? 聖光剣抜きじゃ只のメスガキでしょ? ホリーが居なきゃ雑魚だね。何が勇者だか〉


 マリスは、心底シオンを見下しているように笑っていた。


 しかし、俺の顔をじっと見つめると、唐突に無表情になる。


〈貴方は、間違いなく魔王だよ。誰が、どう見ても、この世界で最も魔王と呼ぶにふさわしいのは貴方〉


「だから、俺の何処が魔王だ! 何の力も無い凡人じゃないか!」


〈凡人にホリーの姿は見えない〉


「……!」


 俺はその時、膝から崩れ落ちそうになるほどの衝撃を受けた。


 マリスはただ、事実を指摘しただけだ。


 ずっと疑問に思ってはいたが、深く考えもしなかった事実。




 何故、俺にはホリーの姿が見える?




 そもそも、ホリーの姿は勇者以外に見えない。


 勇者以外の存在に、ホリーの姿が見える必要は無いんだ。


 ホリーは、勇者に聖光剣の使い方を教える為の存在だ。


 事実、俺とシオン以外にホリーの姿が見える人間は居なかった。


 あれだけ規格外の天才揃いの姉妹剣使いでさえも、一人の例外も無く、見えなかった。


 あんな連中ですら見えないホリーが、俺に見えるというのは、どう考えても妙だった。


 奇妙だ。


 おかしい。


 しかし、俺と、勇者であるシオンの関わり。


 全ての神剣の姉妹剣を集める戦闘。


 多種多様な姉妹剣使いとの出会い。


 全てはホリーの姿が見えるという事実から始まった。


 その事実から、俺はずっと目を背けていたんだ。


 自分が、一体何者なのかという真実から、目を背け続けていた。


〈それに……ホリーの力を借りてるって事を考慮しても、貴方は少し異常だったと思うわ。まさか、私に憑依される前の状態……つまり、只の常人のまま、人間社会の頂点に君臨するなんてね〉


「は? 何の話だ?」


〈今の貴方の権限は、全ての人間を超越してるわ。貴方の命令で動く勇者と、姉妹剣使いの持つ戦力を考慮すれば、既に貴方は世界を征服したと言っても過言ではないわね。改めて言わせてもらうわ。さすが魔王〉


「……俺の力じゃない」


〈貴方の力よ。他の誰にも出来ないわ。貴方以外の誰が、神剣の力抜きで、神剣の使い手達を利用して世界を征服できるの? 姉妹剣使い同士の仲間割れを止められたの? そして、最強の存在である勇者まで守りきった。不可能ね。常識で考えれば。傍から見れば常軌を逸した精神力と判断力を持っているわ〉


「……偶然だ……偶然、こうなっただけだ」


〈運だって実力の内って言葉知ってる? この世界では、人間って不運が原因で毎日誰かが死んでるのよ? あれだけの修羅場を繰り返して死なない段階でおかしいと思わなかったのかしら? まあ、実は貴方、何回か死んでるけどね?〉


 死んでいる?


 ゼラニウムの時流剣で刺された後、ジャスミンの治癒剣で治してもらった事を言っているのか?


 俺の考えを読んでいるかのように、マリスは首を横にふる。


〈勇者でもないのに、ホリーに憑依されるのは自殺行為よ。貴方はホリーに憑依される度に、人間だった部分が死んでるのよ〉


「え?」


 それは、確かに身に覚えがある。


 何度か、心臓が止まるような感覚に襲われたり、意識を失ったり、目の前が真っ暗になった事や、全身の筋肉や骨格に激痛が襲ってきた事もある。


 アレは、俺の肉体が死んでいる、という事だったのか。


「ま、まさか……俺の動体視力とか、身体能力が上がってたのは……」


〈心臓が止まった時に、魔王の心臓に。失明した時に、全てを見通す魔王の瞳。もちろん筋肉や骨格に至るまで、全て魔王の肉体に変わっていったわ。だから……〉


「ダンジョンが……魔王が復活するまで出現しないはずのダンジョンが現れたのか」


 自分の言葉を遮った俺に対して、マリスは笑いかけてきた。


〈察しが良すぎて気分が良いわ。自分にとって都合の悪い事に対しては理解が遅いようだけど、一旦解ってしまえばそうなるのね? 最高だわ。最高の魔王になれる素養ね?〉


 ただし、とマリスはつけ加えながら、俺を指さす。


〈私に憑依されたらそんな程度じゃすまないわよ。あのシオンと同等の身体能力と、万物を創造出来るだけの魔力をプレゼントするわ。強力無比な魔物の軍勢を、未だかつてない程の質と量で産み出し、人類を殲滅してもらう事になるわね〉


「……! 俺は……そんな事はしない」


〈貴方がしなくても魔物は勝手に産まれて、勝手に人を殺すわ。もう貴方の意志なんか関係無いのよ〉


「な……!」


 魔王って、自分の意志で世界を滅ぼそうとしてた訳じゃなかったのか?


 ホリーは、歴代の勇者は、そんな連中を殺してきたのか?


〈私はホリーみたいに甘くない。全身余す事無く魔王の肉体に変わった時、貴方の心も魔王に変えるわ。そこに自意識なんか残らないわよ〉


「……もう、俺はホリーに憑依される事は無い……! 危ない橋も渡らない! これ以上魔王には近づかないぞ!」


〈魔王化は時間経過でも起きるわよ。現に、貴方の精神構造は急激に魔王に近づいてた筈よ〉


「何の話だ?」


〈……全ての人間の生殺与奪権……〉


「!」


〈欲しいんでしょ? 世界中の人間を、自分の意志で、生かすも殺すも自由自在。そんな権利が欲しくなってたでしょ? 自分が死ぬのが怖いから、自分以外の人間を、単独で皆殺しに出来るだけの力を求め始めた〉


「……う……あ、あ……」


 俺は、今まで誰にも話した事も無い、自分の根底にあった物を、丸ごと見られている。


〈あれだけ愛らしい勇者ちゃんに慕われて、あんなに美人揃いの姉妹剣使いに信頼されて、才能にあふれた友人にも恵まれた貴方は……そんなものより力が欲しいって思ってたのよね? 理解者を得る事よりも、仲間に恵まれる事よりも、誰かに助けてもらえる喜びよりも、何もかも一人で好き勝手出来る力が欲しかったのよね?〉


「……」


〈貴方は、他人に助けてもらえる事に喜びを見いだせなかった。仲間が増える事に喜びを見いだせなかった。自分を信頼する人間が増える事に喜びを見いだせなかった。それどころか、全て自分一人で解決する力だけを求めた。知ってる? それって勇者と間逆の思考回路よ?〉


「……」


〈勇者はね。仲間が一人増える度に喜ぶの。守るべき者が増える度に、心を奮い立たせて強くなるの。友情と愛情、そして、慈愛の心で力を増すの。でも、貴方にそんな心は欠片も無かったのよね? むしろ、仲間が増える度に、自分の方が劣っているという事実に失望してたんじゃないの? どうして自分はこんなに弱いのかって〉


「……それは……」


 それは、確かに俺の心。


 そして、まさしく魔王の心。


〈貴方は仲間なんか要らないの。貴方が欲しかったのは、仲間に頼らずに戦える力。圧倒的な戦闘力と、自分に盲目的に従う軍勢を無尽蔵に産み出す魔力。それだけよ。それが魔王。知ってる? 勇者には仲間が居るわ。足手まといにしかならないその他大勢の知り合いも居るわ。でも、魔王に仲間は居ない。足手まといもいない。勇者は決して孤独にはならないけど、魔王に仲間はいないの。解るよね? 仲間に恵まれなかったんじゃなくて、貴方の心が仲間を求めてないんだから〉


 マリスは、両手を広げて俺を抱擁する。


〈魔王は玉座の間で、勇者一行を待つ者よ。たった一人でね〉


「……」


 どうやら、認めざる負えない。


 俺は、魔王だ。




「……俺はこれからどうなる? 自意識無くなって君に操られるのか?」


 俺は椅子に座り、一旦落ち着きを取り戻した。


「魔王の復活には、後三年掛るんだろ?」


〈いいえ? もう秒読み段階よ〉


「何だって? ホリーの話と違うな」


〈貴方が死ぬたびに魔王化してるから、魔王復活が早まったのよ。まあ、厳密には復活じゃないけどさ〉


「……なんか。ホリーってやる事が全部裏目に出てないか……」


〈仕方ないでしょ。あの子ってアホだから〉


「……」


 さっきから気になっていたが、どうもマリスはホリーの事を知っているっぽいな。


 しかも、今の口ぶりから判断すると、結構相手に親しみを感じているようだ。


〈貴方が後、一回でも死亡すれば、その段階で完全に魔王化するわ。仮に慎重に行動して、死なないようにしても、一ヶ月も経てば魔王化するわね〉


「……一ヶ月……」


 それは実質、死刑宣告に等しい事だった。


 一カ月後、魔王になった俺の自意識は無くなってしまう。


 それはもう、死んでいるのと同じだろうし、仮に生きていると考えたとしても、勇者であるシオンに殺される事になる。


 冷静に考えると、これはかなり不味い状況だ。


 もちろん、死ぬのが御免だ、というのが本音だけど、死ぬ事すら出来なくなった。


 これまでの俺は、仮に自分が死んでもシオンとホリーさえ無事なら、勇者による魔王討伐は滞りなく達成される、という前提で行動していた。


 自分の命を粗末に扱っていたつもりは全く無いが、いざとなればシオンだけでも死守すれば良かったんだ。


 その為に、協力したり敵対したりしてきた姉妹剣使い達と関わっていたんだ。


 しかし、今となってはその考えの全てが崩壊している。


 俺が何らかの理由で死ねば、その瞬間に魔王が復活し、世界滅亡のカウントダウンが始まる。


 今から一ヶ月間、無事に過ごせたとしても、俺は魔王になる。


 そうなったら、俺はシオンとホリーに殺されるんだ。


 これまで集めた姉妹剣使いを従えたあの二人に。


「……」


 つまり、もう俺が助かる見込みなんか全く無くなってしまったし、そもそも人類を滅ぼそうとしている魔王が助かっちゃいけないから、どうにもならない。


 俺は、終わってしまったんだ。


 助かる為に努力する事も、恐怖から逃げる為に死ぬ事も出来ない。


 只、黙って魔王になる日を迎えて、勇者に殺されるのを待つしかない。


 俺は、目の前でニヤニヤと笑っているマリスを見つめた。


 ホリーに散々憑依されているから解るが、アレは一端許すと抵抗出来なくなる。


 体の制御権を完全に相手に委ねる事になる。


 マリスの言っている事が事実なら、俺は強制的に憑依されて、精神も肉体も完全に支配される事になる。


 そして、ホリーと同じく、マリスも嘘を付けないと仮定すれば、コイツの発言が紛れも無い事実だという事は明白だ。


「……ん?」


 待てよ?


 ホリーとマリスが同じ?


「……君って、ホリーとはどういう関係なんだ? やたら似てるけど」


〈……姉妹よ〉


「……!」


 割と、衝撃的な事実を知ってしまった。


 勇者と魔王を導く聖霊が、姉妹?


 という事は、勇者と魔王の戦いは、ホリーとマリスによる姉妹喧嘩だったのか。 


 いや、そもそも、もしこの二人が姉妹なら、聖光剣と暗黒剣の生みの親は、同じ?


「まさか……勇者を産み出したヤツと、魔王を産み出したヤツは同じなのか?」


〈……まあ……そういう事になるわね〉


 マリスは、かなり嫌そうに答えた。


 やっぱりだ。


 コイツは、嘘をつけない所為で、人に知られてはいけない情報まで口にしてしまう。


 しかも、ホリーよりも勇者と魔王関連に詳しそうだ。


 だったら、少しでも情報を引き出して、そこから突破口を見つけられないだろうか。


「一体、勇者と魔王を産み出したのは誰なんだ? 誰が何の為に……」


〈それは知る必要の無い情報よ。貴方は只、自分が魔王である事を受け入れれば良い。今から一ヶ月間、人生最後の時間を楽しめば良いわ〉


「楽しめる訳ないだろ!」


 俺は怒鳴り声を上げるが、マリスは笑うだけだった。


 そして、唐突に姿を消してしまう。


「マリス?」


〈今度逢う時は貴方が魔王になった時よ。それまではサヨナラね〉


「待て! 話はまだ……」


 俺は、室内を見回すが、マリスの姿は何処にも無かった。


 もう、声も聞こえない。


「何でだ! 何で俺が魔王なんだよ! 俺以外にも……!」


 もっと魔王に相応しいヤツは居ただろう。


 そう続けようとして、俺は何も言えなくなった。


 それは、別人が魔王だったら、自分は死なずに済む。


 だから、俺以外が魔王だったら良いのに。


 そういう発想だ。


 自分が助かる為に、他人を犠牲にしようという発想だ。


 そんな事、たとえ思ったとして口にしたくない。


「何でだよ……! 何で……!」


 それでも、俺は考えてしまった。


 何で俺が、魔王になんかならないといけないんだ。


 数年間の付き合いになるカトレア教官とアイリスに、ヒース王子。


 敵か味方が解らなかったサフランとプラタナス。


 恐ろしくも、どこか儚いシネラリア、ジャスミン、アマランス。


 それに、俺を好きだと言ってくれたホリーとシオン。


「何で……皆に殺されなくちゃいけないんだよ……!」


 俺は、その時、文字通り膝から崩れ落ちていた。


 もう、どうにもならない。


 そして、どうにかなっちゃいけない。


 俺は、魔王なんだから、助かっちゃいけないヤツなんだ。


 俺が助かると言う事は、他の全てが滅びるって事なんだから。


 それでも、俺は考えてしまう。


「何で……俺なんだよ……!」

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