5/第六章 ゼラニウム

「そうそう。僕がどうやってこの時代まで生きてこれたか解るかい? 当ててごらん」


 ゼラニウムは、涙を拭きながら笑いかけてくる。


 知り合いに会えて目茶苦茶嬉しそうだけど、これ、俺の芝居ってバレたらマジで殺されるな。


 こんな高い場所にいるし、町に落とされるなんてゴメンだけど。


 というか、この透明な床は何なんだ。


「時流剣を使ったんでしょ?」


「……」


「肉体の時間を操る時流剣を使い、肉体の時間を二十四時間戻す、という魔術を一日に一度使えば、理論的には永遠に生きられます。貴方程、時流剣を使いこなせればの話ですが」


「……」


 あれ? 返事が無いぞ?


 気付かれたか?


「……間違い無い……君はホリーだ……。彼に憑依していた時のホリーそのものだ……」


 あ、違った。


 俺がホリーだって確信してるらしい。


 ホリーじゃないんだけどね。


「一体何の為に、この時代まで生き続けていたのですか?」


「……五百年前、魔王を倒した直後の事、覚えてる?」


「……」


 ヤバい! 覚えて無いというか、知らん!


 俺はホリーじゃないから!


「僕は……魔王がいなくなった後の世界で、まだ僕らが見つける事が出来なかった、残りの姉妹剣探しを始めたよね。勇者だった彼と別れて」


 あ、良かった。勝手に話してくれた。


「あの時、君が全ての姉妹剣の形状と能力を絵と文字にした本を作ってくれたのは助かったよ。おかげで、時間はかかったけど、天馬剣以外の姉妹剣を全て集める事が出来たんだ」


 コイツが姉妹剣の事に詳しかった原因はホリーかい!


 アイツ……自分は勇者の為のガイドブックとか言ってたけど、勇者以外のヤツに攻略本を渡したのかよ。


 おかげで俺は酷い目に合ってるんですけど。


「アレは……貴方が後の事を考えて、姉妹剣を集めたいと言ったからあげたんですよ?」


 俺は、適当にホリーのフリをして話し続ける。


 怖いよう、神様。


 ボロが出ないと良いけど。


「確かに、僕が姉妹剣を全て集めようと思った動機は、次世代の勇者が魔王を倒しやすいようにだった。僕らの時は、彼が優秀だったから、殆ど二人だけで勝てたけど、次の勇者がそうだとは限らない。姉妹剣は、出来るだけ数多く集めておいた方が良い」


 そりゃ、こんな強いヤツが仲間だったら勇者は楽だったろうけどな。


「そう思った僕は、長い時間をかけて、全ての姉妹剣を集めた。集め終えた時には、勇者だった彼は死んでいて、君も長い眠りについていたけどね」


「……長く生きればそうなるのは当然でしょう。貴方は全ての知人に先立たれる事になった。それは、ある意味死ぬより辛い事でしょう?」


「君ほど、多くの人間との別れを経験した訳じゃないけどね?」


「いいえ。私には、新たな勇者との出会いという楽しみがありましたし、勇者が生まれるまでは眠っているだけです。貴方のように、周りの人間が全員年老いていき、自分だけが生き続けるような状態だった訳ではありません」


「……確かに、僕はバカな事をしてしまった……親友だった彼の傍で、彼と共に生きて、そのまま同時期に死ぬべきだったのかもしれない」


「ゼラニウム……」


「そうすれば、君とチェスを何度も楽しめたのにね?」


「……!」


 ヤバい。


 他人事なのに、胸が詰まって泣きそうだ。


 今さら芝居だったとは言えないぞ。


 コイツが、ホリーとチェスを楽しんでいた事がある、と解っただけで、何故か可哀そうになってきた。


 だって、コイツは数百年ぶりに知人に会えて喜んでるのに、実際は赤の他人と話してるんだから。


「ああ、そう言えば、さっきからノーリアクションだけど、何で僕らが空中で立っていられるか気にならないのかい?」


 気になるわ!


 怖くてチビりそうなくらいな!


「……以前の貴方には無い、新たな能力を手に入れたのですね? 時を操る時流剣の力を使っても、こんな事が出来るとは思えませんが……」


「ふふふ。君も知らない能力を時流剣から引き出せたって訳か。長生きはするもんだね?」


 ゼラニウムは、俺に背中を向けて、そのままカツカツと音を立てながら、王都のはるか上空を歩きまわって見せる。


「宙に浮いた後、落下するのは時間が経過してるからだろ? なら足元の時間を停止させれば、水の上だろうが空気の上だろうが立てるのさ。時間が止まった物体は落下しない」


 ええ……


 ツッコミ所多すぎだろ……


 時間を止めたら自分だって動けなくなるだろうし、足元の時間を止めて、空気とかを固めても、その固めた空気ごと落下していくと思うけど。


 板に乗って水の上に立とうとするガキじゃあるまいし。


 まあ、神剣の能力に常識を求めるのは止めよう。


 音を遮断してる真空剣だって、何で音を遮断してるのに周りの音は聞こえるの? とか、氷結剣の氷、空気中の水分全部集めても、足りないくらいの量だね、とかツッコムのは野暮だ。


 神剣の能力は、笑えるくらい、全てが所有者にとって都合が良いんだ。


「ゼラニウム。本題に戻ってください。貴方は魔王の復活に備え、次代の勇者の為に神剣の姉妹剣を集める度に出た。そして、見事にそれを成し遂げた。それが何故、こんな……勇者の妨害を?」


「……僕達は、魔王を討伐するのに苦労したね。仲間が少なかったし、途中で僕以外が死んでしまったから」


「はい」


 いや、知らんけど。


「魔王を倒すのにも苦労したけど、姉妹剣を集めるのも苦労した。僕が出会った姉妹剣の所有者は、皆私利私欲の為に姉妹剣を使うヤツらだった。殺戮や、凌辱を楽しむクズもいた。大きな力を手に入れた人間が、自分の欲望を満たそうとする様子を、僕は嫌というほど見た。そして、僕らの魔王討伐に、仲間が集まらなかった理由も解った」


「……」


 コイツ、今の俺と同じような苦労をしてたのか。


 それも、ホリー抜きで。


「僕は、姉妹剣使いを全員殺したよ。殺すしかなかった。姉妹剣の力を悪用して、姉妹剣の所有権を奪い合うようなヤツばっかりだったから。そういうヤツらから、姉妹剣を取り上げる事にした。そうして、天馬剣を除く全ての姉妹剣を集めた僕は、勇者が治めた王都に戻った」


「先代勇者は、今の王家の初代でしたね。私も目覚めてから知りましたが」


「……ん? そりゃそうでしょ。彼は当時の王家の姫と結婚したんだから。普通に次期国王になるさ」


「!」


 しまった! 


 歴史とか興味無かったから知らなかったぞ!


 先代勇者って姫と結婚したから国王になったんだ!


 魔王討伐の功績で王様になったんじゃなかったのか!


 というか、先代勇者が活躍してた時代にも王家って合ったんだな。


「ふ、ふん……私の大好きな勇者と子作りしまくったクソ女の事は記憶から抹消しましたからね。そう言えばあのクソ女、王家の娘でしたか……」


「はははは! 相変わらず女が嫌いなんだねえホリー」


 良かった。誤魔化せた。


 というか、普通にウケた。


「ただまあ、あの姫がクソ女って事には同意するよホリー。あんな女と結婚なんかするから、今の王家にはロクなヤツがいないんだ」


 うう、こうやって昔語りしてると、何時か絶対にボロが出てしまうぞ。


 出来るだけ現代の話を中心にしないと。


「勇者という、選ばれた尊い血脈は、あのクソ女の血が混じった所為で汚れてしまった。それが全ての元凶だよ」


「元凶?」


「全ての姉妹剣を集め終えた後、王都に戻った僕は愕然とした。不作によって飢饉が発生した事も顧みずに、贅沢三昧をする貴族の姿を見て。そして、その貴族の中心にいたのが、僕の親友だった男の孫だと解った事に」


「……」


「勇者の孫と言っても、僕にとっては赤の他人だ。多くの事は望まなかったさ。それでもショックだった。あれだけ人々の平和を守るために、命をかけて戦った男の末裔が、民衆に微塵も関心を示さなかった裸の王様になったたんだから」


「……それは……仕方が無い事です。産まれた時から権力者だったんですから」


「解ってるよ。だから、僕は目を背けた。それ以上、親友の末裔を見るのが辛くて、辺境に移り住んで、静かに暮したよ。時流剣の使い方を極める為の修業と、集めた姉妹剣を誰の手にも渡さない為に管理する、という役目もあったしね」


「無茶な事を……。自分の知り合い全てが先に死ぬ、という状況になると解ってそんな事をしていたのですか? 時流剣を使う事を止めて、平和な世界で余生を過ごすという選択肢は無かったのですか?」


 ゼラニウムは、俺の顔を見て、ほほ笑んでいた。


「既に知人は全員死んでしまったからね。その後に知り合いを作っても、また死別するだけだから、一人で過ごしていたよ。時々、僕の管理する姉妹剣を欲しがるヤツもいたけど、基本的には追い返した」


「基本的?」


「悪人じゃない、と思ったヤツには渡したよ。魔王が復活した時に、姉妹剣使いを育成しなきゃいけないからね。その時の為の予習になると思ったんだ。そんな、道場というか、学校みたいな物を作って、姉妹剣使いを育成して過ごしている内に、僕は姉妹剣を扱える者と、扱えない者を見分ける眼を手にれた。まあ経験則による勘みたいなものだけど」


 コイツ、マジですげえ天才だ。


 完全に、俺と間逆のヤツだったんだ。


「それも間違いだったけどね。僕が管理してる姉妹剣を欲しがって、権力者が金をちらつかせたり、軍隊を派遣したりした。金欲しさに僕を裏切る弟子もいたし、軍隊を恐れて逃げ出す弟子もいたし……とりあえず、色々あったから道場をやるのは止めて、軍隊も皆殺しにしておいたけど」


「……」


「その時に、辺境から人里に下りて、僕は絶望したんだ」


「……」


「広がる格差。蔓延る差別。繰り返される戦争」


「……」


「決定的な何かがあったわけじゃない。僕はただ、ずっと見ていた。理不尽という言葉すら生ぬるい人の世を。富める者が居れば貧しい者もいるという、只の現実を。奪うものと、奪われる者がいると言う、只の現実を」


「……」


「僕はねホリー。こんな世界を救いたかったんじゃないんだ!」


「……」


「僕は全ての人間が幸せに生きる世界を守りたかったんだ! 多くの人間が飢えたり苦しんで涙を流す世界を守りたかったんじゃない! 強い者が弱い者を虐げる世界なんか見たくなかったんだ! そんなの、魔王が生きていた時と変わらないじゃないか!」


「……」


「魔王を倒しても、人々は助からない。いや、むしろ人々を苦しめている元凶を助ける好意だ。差別や格差が無くならないなら、魔王なんか生きていても死んでいても同じだ」


「……貴方は……今の王家を殲滅しようとしているのですか?」


 だから、権力者に恨みを持つシネラリアやジャスミンを仲間にしたのかな。


 アマランスの方は、あの忠誠心を高く買ってるんだろうけど。


「違うよホリー。権力者を皆殺しにしたって、生きている人間の中で、新しい権力者が産まれるだけさ」


「では、一体何をするつもりなのですか?」


「魔王に人間を殲滅してもらう」


「はあ!?」


「人間を苦しめる元凶は、人間自身だ。だから、全ての人間を苦しみから解放するには、全ての人間を殺すしかない。そして、それが出来るのは魔王だけだ」


「な、何を言ってるんですか!」


「君なら僕を止めようとするのは解ってた。僕だって自分のやっている事が正しいとは思わない。でも、もうやると決めたんだ」


「ふざけないでください!」


 俺は、思わず感情的になりながらも、何とかホリーのフリはし続けた。


「貴方は全ての人間が幸せに生きる世界を守りたかったんでしょう!? その貴方が、人間を皆殺しにしてどうするんです! 目を覚ましてください!」


「……僕は、この世界で人が幸せになる方法なんか無いって気付いたんだ。人の救いは死だけだ。ずっと死ななかったから解る。死こそ、人間にとって唯一の救いだ」


 そう思うならテメエ一人で死にやがれ。


 無関係な人間を撒き込みやがってこの野郎。


 ていうか、一番迷惑を被ってるのは間違いなく俺だからな。


「僕はね、ずっと考えていた。どうして魔王は復活を繰り返すのか。どうして魔王は人間を皆殺しにしようとするのか」


 プラタナスは、夜空を見上げ、両手を広げる。


「魔王こそが、人々にとって救いをもたらす者だからだよ! だから魔王は何度でも復活する。何度勇者に敗北しようが、必ず復活して、何時か必ず人間全員を滅ぼす事によって救う。そして、その何時かとは、まさに今だ!」


「……」


 俺は、開いた口が塞がらなくなっていた。


 コイツ、目茶苦茶有能で天才なのは間違いないんだろうけど、確実に頭がおかしくなってる。


「夜があるのは何の為だいホリー」


「はあ?」


「眠る為さ」


「……」


「夜の闇が無ければ、人々は眠りという安息すら得られない。この辛く苦しい世界で、人々が現在を生きられるのは、未来でいつか死ぬからさ。何時か死ねると解っているから生きていられる。なら、皆一緒に死のうじゃないか。この世界から、皆で卒業するんだ。一緒に苦しいだけの現実から解放されよう」


 何を言ってんだこのバカは。


 完全にイカれてやがる。


 こんなヤツの所為で、シオンは今も動けなくて、ホリーは消えたままなのか。


 こんなヤツの所為で、俺はあの二人と一緒にいられる時間を奪われたのか。


「……」


 いいや、コイツは、全ての人間から、大切な人間と一緒にいる時間を奪おうとしてる。


 時を操る姉妹剣に選ばれた癖に、人間の大切な時間を奪おうとしている。


 強いヤツが弱いヤツを虐げる事に憤りを覚えた癖に、自分が他の誰よりも多くの人間を虐げているじゃないか。


「ゼラニウム。貴方のその計画、あの三人は知っているのですか?」


「ん? 三人って、アマランス達の事かい? 知らないよ?」


「そりゃそうでしょうね。知っていたら協力する訳がない。特にアマランスは、ダンジョンから魔物が飛び出す度に、人々を守って戦う高潔な精神を持っている。貴方の計画を知れば、確実に止めていた筈です」


「ああいうタイプな苦手なんだけどね。あんな性格の子じゃなきゃ、鬼神剣と羅刹剣を併用するなんて無理だったんだ」


 苦手、ねえ。


 アンタ、やっぱりおかしくなってるよ。


 自分より弱い人間を守ろうとするヤツなんか、アンタにとって最大の理解者になれるはずだったじゃないか。


 そんな相手が苦手になるって事は、もう今のアンタは、勇者の仲間をしてた頃のアンタじゃないって事だ。


「苦手って言う割には、随分と慕われているように見えましたが……」


「ああ、アレは子供の頃から劣悪な環境にいたからね。そこから救いだしたように見える僕に感謝してるのさ」


 劣悪な環境から救いだしたように見える?


 俺が、奴隷だったシオンを解放したような話かな。


「僕には、姉妹剣使いになれる素養の持ち主が解る。そういう連中を集めて、監禁して、交配させ続けて、強い姉妹剣使いを産もうとしたんだ」


「……は?」


 監禁して、交配?


「姉妹剣使いの力は、結構な確率で遺伝するからね。姉妹剣使い同士の子供にも、素養は遺伝する。だから姉妹剣に関する適合率の高い男女をいくらか集めて、子供を産ませて見たんだ。人間牧場みたいなものかな」


「……」


「そこで産まれた子供同士も交配させて行けば、更に高い素養を遺伝する。優勢の法則ってやつかな。中には、全く素養の無い子供も産まれたんだけどね。そういう子供はさっさと捨てて、見込みのある子供だけ残して、育てて、また交配させた。まあ、三世代でアマランスが産まれたから、思ったより楽だったけどね。鬼神剣と羅刹剣を同時に扱える姉妹剣使いを作るのは」


「何を……言ってるんだ?」


 頭痛がする。


 コイツの発言に、吐き気と頭痛がする。


「魔王の復活は大体五百年周期だから、そろそろだと思ってた時期に、あんな化物が産まれるのも運命ってヤツかな。勇者も誕生した。理由は解らないけど、ダンジョンも発生しているし、魔王復活は間近だね」


「……」


 コイツは、狂ってるなんてレベルじゃない。


 完全に、悪魔だ。


 もう、人間でも何でもない。


 他の人間を、全員物みたいに思ってるんだ。


「……ところでさあ、ホリー。一つ確認して良いかな?」


「え?」


「先代勇者だった彼、なんて名前だったかなあ」


「……!」


「……」


 ゼラニウムは、俺の顔をじっと見つめると、唐突に無表情になる。


「……やられたよ。君はホリーじゃない」


「……」


「大したものだね。感心したよ。本物だと思っていた」


「毎日、一緒にいたんでね」


「なるほど。勇者に憑依してるホリーと話してたのか」


「いいや。姿が見えたから、憑依してない間、四六時中一緒だった」


「デタラメを。勇者以外にホリーが見える訳ないだろ。まあ、もうどうでも良い話だけど」


 腰に下げている時流剣を抜きながら、ゼラニウムは溜息を吐く。


「嫌な予感の正体に気付いたよ。本当に恐ろしい男だ。どうして勇者を筆頭に、姉妹剣使いを集められるのか解らなかったけど、今まさに確信した。君はこの世界で最も恐ろしい人間だ。褒めておくよ」


 ストン、と音を立てて、ゼラニウムの時流剣が俺の左胸に突き刺さった。


「……」


 ああ、結局こうなるのか。


 俺は、失敗した。


 やっぱり俺は、コイツに負けたんだ。


 そう思った瞬間、俺の足元にあった見えない床の感触が消えた。


 心臓を貫通された後、床を消されたらしい。


 心臓刺された後、こんな高い場所から転落死するのかよ。


 出来れば、地面に落下する前に死にたいもんだ。


「……」


 俺は、目の前が真っ暗になりながら、上下の間隔を失っていった。


「ホリー……シオン……」


 ゴメンな、二人とも。


 もう一度、会いたかったよ。


 会えなくなってから気付くなんて、バカの極みだと思うけど、俺は、君らと一緒にいるのが好きだった。


 君らが、好きだったよ。




 ムニュリ、という感触が、俺の後頭部に当たった。


「クロウさん! クロウさん! 気をしっかりもって!」


「早く治療しなジャスミン!」


 あれ? なんかジャスミンとシネラリアの声が聞こえる。


 気が付くと、俺はジャスミンに背後から抱きかかえられ、治癒剣で傷の治療を受けていた。


 目の前には、シネラリアの背中が見える。


 ここは……何処だ?


 まだ地面に落下はしていない。


「……ドラゴンの……背中……」


 シネラリアが使役していた、ドラゴンゾンビの背中に、三人で乗って、夜の王都を飛んでいるらしい。


 どうやら、落下している最中に、空中で救出されたようだ。


「……ドラゴンを使役出来る君なら、空中にこれるとは思っていた」


 ゼラニウムが、足元に見えない床を形勢しながら、空中を飛びまわり、ドラゴンゾンビに肉薄しながらシネラリアに話しかける。


 アイツ、あれだけ自在に空を飛びわまれたのか。


 足元の時間を止めて、透明の床を形成し、跳躍。


 着地する場所に再び床を形成し、それを繰り返して空中を移動しているらしい。


「それにしたって、タイミングが良すぎるね?」


「アンタ等の会話は全部聞いてたよ! よくも騙してくれたねゼラニウム!」


「アマランスは地上で泣いていますわ! 貴方は何処まで残酷なんですの!」


 シネラリアとジャスミンが、二人揃ってゼラニウムを睨みつけている。


「……プラタナス……」


 さすがだプラタナス。


 たった一言、声をかけただけで、俺の意図を察してくれたのか。


 プラタナスの千里剣は、音を操る。


 遠くの場所で鳴る音を、拾って聞く事も出来る。


 アイツは、千里剣を使って、俺とゼラニウムが王都の上空で交わした会話を、全て拾って、近くにいたアマランス、シネラリア、ジャスミンに聞かせていたらしい。


 そこまで出来るとは思わなかったけど、プラタナスは俺の想定以上の事をしてくれた。


「はは……」


 やっぱり、全員が凄い。


 俺以外の全員が、トンデモ無いくらい凄すぎる。


「やはり恐ろしいな君は! さっきから悪寒が止まらないよ!」


 瞬間、ゼラニウムが異常な速度で空中を移動し、一気にドラゴンゾンビとの距離を詰める。


「勇者と魔王の戦闘を間近で見て以来だ! この恐怖感は!」


 絶叫しながら、ゼラニウムが時流剣を持って空中を回転し、ドラゴンゾンビの翼を切り刻んでいく。


 空中の移動速度は、ゼラニウムの方が上だ。


「ゼラニウム! アンタと心中なんか、私らは御免だよ!」


「父親に似て薄汚いねえシネラリア! そんなに権力者になりたいのかい!」


「……!」


 シネラリアは、翼を切り刻まれるドラゴンゾンビを必死に操りながら、言い返す事が出来ずにいた。


「君もだジャスミン! 自分が殺した相手を生き返らせたい? それは罪から逃げたいだけだろ? 偽善者め」


「……」


「君らが持っている欲望や後悔なんて取るに足らないゴミなんだよ! 死ねば全て無意味になる! だから全員で死のうって話だろ!」


 もう片方の翼も切り刻みながら、ゼラニウムが哄笑をあげる。


「黙れよ……」


「んん?」


「黙れよゼラニウム!」


「はは! 元気だねえクロウ。助かると思って希望が湧いたのかな? 無駄だよ。三人纏めて殺すだけだ」


「ゼラニウム! 生きてる間に幸せになりたいとか、人を殺した事を後悔するとか、そんなの人間なら当たり前だろうが! お前はそんな事も忘れたのか! 人を皆幸せにしたいって思ってたお前が!」


「……ガキが……!」


「人の心を否定するな! 差別とか格差を否定してた癖に! 人の悪意を恨んでた癖に! お前が一番人を見下してるじゃないか!」


「知った方な口を聞くな! たかが十数年しか生きてないガキが!」


「長生きした事を自慢したいなら優しくなれ! お前みたいなヤツは老害って言うんだ!」


 俺が、傷も治りきらずに絶叫し、血を吐きながら叫んでいると、翼を切り刻まれたドラゴンゾンビが、俺達を乗せたまま、王都に落下していく。


 このままじゃ三人揃って転落死する……と考えると悪寒が走った。


 俺は今日、一体何度死の恐怖に苛まれるんだよ。


 なんて考えると、氷のように冷たい斜面に俺達は落下し、そのままズルズルと滑って行く。


「……!?」


 氷みたいな、じゃない。


 氷の斜面が、王城の中庭に向かって伸びている。


「アイリスか?」


 俺と、シネラリア、ジャスミンは、氷で出来た斜面を滑り、王城の中庭に落ちる。


 見ると、氷結剣を使って巨大な氷塊を作っていたアイリスがいる。


 隣には、カトレア教官が爆炎剣を構えている。


「クロウ様! 全員と合流しました! どうかご安心を!」


 氷の斜面から滑り落ちた俺に、千里剣を持ったプラタナスが跪いている。


 二刀一対の真空剣を持ったサフラン。


 散々泣きはらしたのか、目元を赤く腫らしたアマランスは、俺を一瞥すると、羅刹剣を外套から甲冑に肩に変化させ、鬼神剣を片手で背中から抜き放つ。


 俺と一緒に氷の斜面を滑ったシネラリアとジャスミンも、冥府剣と治癒剣を構える。


 その場にいた全員が、同じ人物を睨んでいた。


 見えに目ない床に立ち、虚空から俺達を見下ろす、ゼラニウムをだ。


 アイリス、カトレア教官、サフラン、プラタナス、アマランス、シネラリア、ジャスミン。都合七人もの姉妹剣使いに睨まれていたゼラニウムは、その視線を真っ向から見つめ、


「壮観だ! これはまさに、魔王が見る光景! 人類を皆殺しにする者に相応しい!」


「……この期に及んで、僕が仲間外れになるのは御免だな」


 瞬間、その場にいなかった唯一の姉妹剣使いのヒースが、城壁の上からゼラニウムに雷撃を浴びせる。


 それは、致命傷ではないが、確実にゼラニウムの身体を硬直させる一撃。


 ゼラニウムはそのまま空中で体勢を整えようとしたが、その硬直を逃さない追撃があった。


 その場にいた誰でもない、巨大な牛のような魔物。以前、ダンジョンの最深部でシネラリアがゾンビ兵にした魔物が、巨体に間合わぬ跳躍と、巨体に見合う膂力でゼラニウムを掴み上げる。


「シネラリア! 手伝う気があるならアソコに叩き落とせ!」


 魔物の使役していたシネラリアは、カトレア教官の指さす方向に向けて冥府剣を振う。


 すると、牛形の魔物はその方向にゼラニウムを叩き落とす。


 ゼラニウムが城の中庭に叩き落とされた瞬間、


「時間はたっぷり合ったんでな。ありったけだぜ!」


 中庭で、大爆発が起きた。


 これは、爆炎剣による爆弾の設置能力。


 俺が、空中でゼラニウムと会話している最中、カトレア教官はしこたま爆弾を中庭にしかけていたらしい。


 爆発の余波は、容赦なく俺達を襲うが、それはアイリスが産み出した氷の壁が全て遮った。


「……アマランス……」


 俺は、氷の壁越しに大爆発を見つめていたアマランスに話しかける。


「……良いんだクロウ……危うく、主に従って世界中の人間を死なせる事になっていた。それが防げるなら……」


「違う。まだ終わってない」


「?」


 俺がそう言った時、爆炎の中から、ゆらりとゼラニウムが現れた。


 あの巨大な爆発の中心部にいながら、全くの無傷。


 その場にいた姉妹剣使い全員に衝撃が走るが、


「無傷で済む筈がない。怪我した瞬間に、自分の身体の時間を撒き戻したんだろ。無傷だった時間帯まで戻ったんだ」


 俺がそう呟くと、ゼラニウムは哄笑をあげる。


「どうした! 全員纏めて掛って来い! 皆纏めて殺してやる!」


 時間を撒き戻した事で、道化師のメイクが剥がれたゼラニウムは、驚くほど整った顔立ちをしていた。


「……」


 本当に、強そうで、賢そうな顔立ちだ。


 見た目で判断するのもどうかと思うけど、アレは勇者や魔王とは別種の存在感がある。


 いうなれば、賢者かな。


 俺がそんな呑気な事を考えている間に、アイリスが作った氷の壁を内側から砕きながら、アマランスが鬼神剣を構える。


「私がやる! 誰も近づくな! 死ぬぞ!」


 アマランスは、鬼神剣を持ち、羅刹剣を身に纏ったまま、ゼラニウムに一人で斬りかかる。


 圧倒的な人数差があるにも拘わらず、アマランス一人に戦いを委ねる。


 その場にいた全員が、一瞬でそう判断した。


 一見すると愚行だろう。


 俺は戦力外だから関係無いけど、元々味方だった五人の姉妹剣使いに加えて、三人の姉妹剣使いがいる状況。


 八対一の戦いだ。取り囲んで全員で戦うべきだと誰でも思う。


 しかし、そんな事は出来なかった。


 裂帛の気合を持って、かつての主に斬りかかったアマランスと、それを迎え撃つゼラニウムの剣戟は、以前のシオンとアマランスの戦いの焼き直しだった。


 今だ夜間だというのに、二人の剣戟による火花が周囲を明るく照らす。


 両手大剣と刀の激突する際の金属音に、暇が全く無い。


 常軌を逸した膂力、速度による剣戟の応酬だった。


 あんな戦いに加勢しても、返ってアマランスの邪魔になるだけだった。


 その場にいた全員が、自分を役不足だと自覚して、加勢する事を躊躇していた。


 それだけ、二人の戦いは激しい。


「……」


 俺は、以前にシオンとアマランスの一騎打ちを間近で見た経験があるから解る。


 単純な膂力や速度なら、羅刹剣を纏っているアマランスの方が上に見える。


 加えて、甲冑の形をしている羅刹剣で身を守っているアマランスに対して、ゼラニウムは刀一本で攻撃も防御も行わなければならない。


 軽装と、重装備の戦いだった。


 普通、軽装のヤツは、身軽さを活かして速度で圧倒する以外に勝ち目は無い。


 その速度すら凌駕されているのは、全ての姉妹剣の中で最も身体能力を強化出来る羅刹剣の性能をアマランスが限界まで引き出しているからだろう。


 攻撃、防御、速度の全てにおいて、アマランスが勝っている。


「……っぐ!」


 にも拘らず、アマランスが押されていた。


 ゼラニウムは、アマランスの斬撃を悉く回避し、受け流し、甲冑の隙間を徹底的に狙って斬りつけている。


 未だに戦闘が始まって一分も経っていないのに、アマランスの足元は血だらけになっていた。


 その原因は、ただひたすらに、技術の差。


 威力、速度で自身を凌駕する相手による剣戟の嵐を悉く受け流し、一方的に攻め続けられるのは、技術面で圧倒的なひらきがあるからだ。


 やはり、シオンやアマランスとは全く別種の強者だ。


 今なら解るけど、アレは才能云々というよりも、戦闘経験の蓄積だろう。


 五百年以上、時流剣という神剣を使い続けた事による、努力の結晶。


 元々才能に満ち溢れた者が、長い年月をかけて培ってきた剣術だ。


 誰にも勝ち目は無い。


 しいて言えば、ホリーが憑依したシオンなら勝てるだろうけど。


「ジャスミンさん。アマランスの治療をし続けてください」


「え? あ、はい」


 俺は茫然自失となっていたジャスミンに声をかけると、同じく茫然自失になっているシネラリアと、サフランの二人の手を引いて小声で話しかける。


「二人に頼みがある。あの戦いに加勢出来るのは二人だけだ」


 俺がそう言うと、二人とも、「いや、無理だけど」と言いたげな顔をした。


 負傷するアマランスの肉体を、後方から治癒剣でジャスミンが癒す。


 そうすることで、戦闘は均衡状態を保っているけど、これは長く持たない。


 アマランスの魔力が尽きた時、ゼラニウムの速度に対応出来るヤツは一人もいなくなり、俺達は瞬きをしている間に一人ずつ殺されるだろう。


 文字通り、目にも止まらない早技で。


 俺達全員の命は、アマランス一人に掛っている。


 アマランスが僅かでも隙を見せたり、攻撃の手を緩めれば、ゼラニウムは標的を別人に変えて、俺達の人数を減らそうとするだろう。


 そうしないのは、アマランスが負傷する事を厭わずに攻め続けているからだ。


 ゼラニウムも、今はアマランス以外に構う余裕は無い。


 しかし、それもすぐに終わる。


 アマランスという、現状最大の戦力であり、前衛の要を失った時、俺達は雪崩を打つ。


 その前に、終わらせるんだ。


「……ゼラニウム。アンタのゲームは今日、終わるよ」




 アマランスとゼラニウムによる剣戟の嵐の中、


「アマランス! 鬼神剣を使え!」


 俺は極限の集中状態であろうアマランスに、大声で命令した。


「……無理だ! こんな場所では使えない!」


 アマランスは、返事する事すら困難な様子で叫んでいた。


 今、鬼神剣のような破壊力のある姉妹剣の能力を発動させれば、ゼラニウムに命中したとしても、攻撃の余波で城や城下町を破壊し尽くす事になる。


 アマランスが危惧しているのは、無関係な民衆に死傷者が出る事だろう。


正直、戦いの集中を妨げるような事はしたくないんだが。


「今使うんじゃない! 俺が合図した時に使え! 今から準備しろ! 合図した瞬間、何時でも最大出力で使えるように準備しろ! 合図を待て!」


 我ながら、偉そうな事この上ない口調で、俺は絶叫する。


 俺の意図を察してはいないようだが、アマランスはゼラニウムと斬り合いながらも、鬼神剣を発光させ、黒い雷撃を何時でも放出出来るように準備してくれた。


 瞬間、透明化したサフランがゼラニウムを背後から襲う。


「安直なんだよ!」


 当然、ゼラニウムは背後から接近してきたサフランを迎撃しようとしたが、


「!?」


 何が起きたか解らない、という表情で、体を硬直させた。


 サフランは、シネラリアが操る牛男の背中にしがみ付き、牛男の身体を透明にしていた。


 透明になった牛男は、シネラリアの指示通り、背後からゼラニウムの身体を掴む。


 そして、有無を言わさずその場から跳躍した。


 その段階で、サフランは牛男の背中から飛び降りてしまう。


 透明化が解除された牛男が、中庭から城壁に向けて跳躍し、更に城壁を蹴り砕きながら高く跳躍していく。


 牛男に捕まえられていたゼラニウムは、今まさに空中にいる。


「撃て! アマランス!」


「……!」


 鬼神剣から、闇夜を照らす極大の雷撃が、爆音と共に放出される。


それは空中に跳躍した牛男もろとも、ゼラニウムを直撃した。


雷撃は、地上から空に向けて撃たれる。地上に被害は出ない。


「……」


 俺は、空中で跡形も無く消滅してしまったゼラニウムの様子を伺った。


 まさか、あれでも生きているとは思えないが。


「あ……」


 カラン、という音を立てて、ゼラニウムが持っていた時流剣が王城の屋根に落ちて、そのまま屋根の上を滑り続けると、中庭に突き刺さってしまった。


「……」


 俺は、刀の形をした時流剣をじっと見つめ、しばらく無言で固まってしまった。


 あまりにもあっけないが、主を失った刀が、ゼラニウムが死んでしまった事を如実に語っている。


 いや、死んだんじゃない。


 俺が殺したんだ。


 この世界で五百年以上生きて、暗躍し続けた男を。


「……」


 俺は、周囲をキョロキョロと見回す。


 この程度で死ぬ男じゃないかもしれない。


 実は生きていて、俺達を嘲笑っているだけなのかもしれない。


 油断していると、背後からいきなり現れるのかも。


 体の一部だけが無事で、その状態から復活するかも。


 俺は、そんな事を考えながら、中庭に突き刺さっている時流剣を見つめた。


 しかし、何も起きなかった。


「……」


 俺の背後にいた、八人の姉妹剣使いは、全員で俺を見つめていた。


 俺が、次に何を言うのか、食い入るように観察していた。


 それでも、俺は何も言えなかった。


 同じ主に、五百年以上愛用されてきた時流剣が、如実に語っているように感じたから。


―お前は他人の力を利用して人を殺した―


―何の目的も野望も無い癖に―


―姉妹剣を人間同士の戦いで使うべきではないと言っておきながら―


 何故か解らないけど、そう言われている気がした。


 主を失ってしまった時流剣は、無言で俺を抗議しているように思えた。


 だから、俺には何の達成感も無かったんだ。

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