5/第四章 時流剣

 俺がダンジョンから戻ってから一週間が経過した。


 未だシオンはピクリとも動かない。


 行方不明になったヒースも戻ってこない。


 つまり、事態は何も動いていないんだ。


 悪化する事は無かったけど、好転する事もない。


 正直、どうすれば良いのか解らない。


「シオン……ホリー……」


 俺は、ベッドの上でピクリとも動かないシオンを見つめたまま、日がな一日途方に暮れているだけだ。


 シオンの意識が戻らない限り、ホリーに相談する事も出来ない。


 こういう時、自覚する。


 本当に、俺はホリーが見えるって事以外に何の強みもないんだよな。


 時流剣の使い手……もしくは、その部下である例の三人が何か仕掛けてこない限り、何も出来ない。


 既に後手に回っている事は解っているけど、だからって俺に何が出来る?


 神剣の姉妹剣を持ってる皆なら、他の姉妹剣使いが能力を使用した際に察知したり、戦闘になった際に応戦する事も出来る。


 しかし、俺はどちらも出来ない。


 仮に、姉妹剣使いが近付いてきても察知出来ないし、戦う事も無理だ。


「……俺は……」


 やっぱり、自分の運命を自分で決める事も出来ないんだな。


 だから、どんな困難でも自分でもどうにか出来る勇者に成りたかった。


「勇者……か」


 俺が子供の頃から成りたかった存在は、今、目の前で固まっている。


 それを必死に助けようとしてる俺って何なんだろう。


「クロウ様……」


 ウダウダと考え込んでいると、部屋の外からノックと共に女の声が聞こえる。


 聞き覚えのある声だ。


 多分、何時もシオンや俺の身の回りの世話をしているメイドの一人だろう。


「クロウ様。陛下がお呼びです」


「……」




 正直、国王から呼び出しに応じて何か話す気分じゃないんだけど、何もやる事が無いから断る理由もない。


 シオンの事が心配で何をする気も起きないから、他人と話すのも面倒なんだけどな。


 しかし、今回俺が呼び出されたのは何時もの謁見の間ではなく、国王の寝室だった。


 ダリア国王は、息子のヒースが行方不明になってから塞ぎこみ、急激に体調を悪くしていた。


 シオンを心配している今の俺でも、体調不良になりそうなくらい意気消沈してるんだ。


 息子が行方不明になってるダリア国王は、もっと深刻だったんだ。


「……」


 寝室のベッドの上で横になっているダリア国王は、目に見えて衰弱していた。


 はっきり言って、何時もより老けて見える。


 ダリア国王は、俺を寝室に呼びつけると、唐突に人払いをした。


 どういう事だ?


 それなりに関わってはきたけど、俺は国王と二人きりで話すような身分じゃないのに。


「クロウ……」


 ベッドの上にいたダリア国王は、弱弱しく俺の名前を呼ぶ。


「頼みが……ある……」


 何を頼まれるのか、大体察しはつくけど。


「ヒースを……助けてくれ……」


 そう言われると思ったけど、無理だよ。


 シオンとホリーの助勢を失った俺に、行方不明の王子を助ける事なんか出来ない。


「クロウ……頼む。ヒースを助けてくれ……」


「陛下。俺には荷が重い頼み事です」


「……お前は、何度か刺客に襲われた事があるな?」


「……」


 何で今、そんな話をするんだ。


「その刺客の雇い主は……」


 やめろ。もうとっくに気付いてる。


「余だ。余が……お前を暗殺しようとしていた……」


 だから、そんな事を教えられても無意味なんだよ、王様。


「お前が勇者を見つけ、この城に住まうようになってから、毎夜夢に見た……」


「……」


「お前が勇者の伴侶となり、この国の最高権力者になる夢を……」


「……」


「そして……おそらくそれは正しい……正しい結末だろう」


「結末?」


「余は……我が一族は、先代勇者の末裔……。次世代の勇者が現れた瞬間に、この世界を統治する資格を失うのだ……」


「……そうですかね」


「勇者が女である以上、その伴侶がこの国の王だ……」


「仮にそうだとしても、それが俺とは限らないでしょ」


「お前しかいない……。勇者が最も苦しんでいる時、助け船を出し続けたお前以外にいない……」


 今まさに、勇者が一番苦しんでるのに何も出来てないけどな。


「毎夜、夢に見た……」


 それはさっき聞きましたよ。


「勇者を見つけたのが、息子のヒースだったら良かったと……」


 さっきと見てる夢の内容違うじゃねえか。


 俺が最高権力者になる夢と、ヒースが俺の立ち位置を奪ってる夢を毎夜見てたって事?


 気持ちは解るよ。


 この国王は、本当に普通の人間だから、気持は本当に自分の事のように解る。


 俺を殺そうとした事も。毎晩悪夢に苦しんでるのも。


 兎にも角にも、怖いんだよ。


 不安で不安で仕方ないんだ。


 明日何が有るか解らない毎日が。


 今を生きるしかない以上、未来なんか見えない。


 その、見えもしない未来に怯え続けて震え続ける。 


 それが凡人の人生だ。


 不安で、怯えて、震える事を死ぬまで続けるのさ。


 安心が欲しいって、死ぬ瞬間まで考えてる。


 そういう不安の対処法って、他人に対する攻撃ってのが悲しいけどさ。


「余は……兄を殺した……」


「は?」


「従兄弟を殺した……弟を殺した……親戚を殺し続けて王になった……」


「……王位継承権を持ってる親族を、殺したって事ですね?」


「そうだ……しかし……」


「貴方は自分から殺そうとはしていないんでしょ? 自分の命を狙われたから、反撃したんでしょ?」


「……ふっふっふ……今となっては、誰が始めたのかも解らん……親族間の覇権争いだ……。あまりにもくだらん争いだった……皆が強欲で、臆病で……どうやって生き残るか必死だった……」


「貴方が生き残れたのは、親族の中で一番、臣下の言葉に耳を傾けたからですね?貴族同士の権力闘争に必要なのは、武勇でも知略でもない。それを持つ部下に慕われる事です」


「……」


「覇権争いは不毛だったと思います。いや、全ての争いは等しく下らないものです。でも、貴方が生き残って王になったのは良い事だったと思いますよ?」


「……」


「貴方は、この国で最高の権力を持ったのに、愛人も持たなかった。子供もヒース殿下一人です。王位継承権を持つ人間を一人だけにして、争いを起こさない為ですね?」


「ふ……ふふ……。お前は不思議な男だな……」


 ふと、ダリア国王は俺を優しげな瞳で見つめた。


 弱弱しく、衰弱しているから、その瞳はより深く俺の胸を詰まらせた。


「こんな話は……妻子にもしなかったのに……お前ほど……余の心中を察する相手もいないかもしれんな……いや……それは誰にとってもか……」


「……」


「やはり……お前は……お前こそ、勇者の伴侶に相応しい……」


 その、伴侶云々の話はどうでも良いんだけどなあ。


「ヒースは、余にとってたった一人の息子……」


 それは知ってますけど、だからって俺に頼まれても困るよ。


「今すぐ王位をお前に譲っても構わん……息子の命だけは助けてくれ……」


「……?」


「余の命はどうなっても構わん! 何もかもお前の好きにして構わん! だから息子の命だけは! ヒースの命だけは!」


「……!」


 なんか話の雲行きがおかしいと思ったら!


 ひょっとしてダリア国王は、ヒースが行方不明になった原因が俺だと思ってるのか?


 ていうか、そのものズバリ、誘拐したのが俺だと思ってるのかな?


 いや、まさかね。


「陛下。俺はヒース殿下が何処にいるのか、見当もつきません」


「頼むクロウ! 刺客を送った事は謝る! どんな事をしてでも償う! だからヒースの事だけは助けてくれ! 許してくれクロウ!」


 聞いちゃいねえ。


 それと、やっぱり俺がヒース王子行方不明事件の犯人だと思ってるし。


 やっぱりこの人、いろんな意味で駄目だ。


 国王としても、人間としても。




「ふう……」


 どうにかこうにか国王を宥めすかして解放された俺は、城内をブラブラと歩きまわりながら、途方に暮れていた。


 ダリア国王の気持ちも解るから、ヒース王子を探しだす方法を考えるのもやぶさかじゃないんだが、方法が無いんだ。


 自分でもいい加減にしつこいと思うけど、ホリー抜きの俺なんか、マジで普通の人間だし。


 一国の王子が行方不明になったからって、そう簡単に解決策を思い浮かぶ訳ないんだ。


「……!」


 とか何とか思ってる時、俺は我が目を疑った。


 やる事もなく、部屋に引きこもり気味だったから、気晴らしに中庭で出てみれば、そこにヒース王子がいたからだ。


 一瞬見間違いかとも思ったが、カトレア教官とアイリスが着ている燕尾服とは色違いの物を着こみ、腰に雷鳴剣を下げている長身痩躯、金髪碧眼の美男子なんか、アイツ以外にいない。


 ヒース王子は、中庭でぼんやりと立ちつくしていた。


「ヒース! なんだよ居るじゃないか!」


 俺は、自分でも驚く程声が弾んだ。


 あんまり好きな相手じゃない。


 むしろ、学生時代から気に食わない相手だと思っていたが、やはり同級生が行方不明と聞けば、多少は心配した。


 それに、最近は意味不明で対処不可能な事態に遭遇してばっかりだったから、精神的に参っていたんだ。


 久しぶりに、俺の目の前に良い出来事が訪れたんだ。


「ヒース。お前何処に行ってたんだ? 国王が心配してたぞ? 早く顔を見せに行けよ」


 俺は、中庭にいたヒースに話しかけ続ける。


 しかし、ヒースは返事もせず、無言で虚空を見つめていた。


 その様子を見て、俺は悪寒が走った。


 嫌な予感がしてきたのだ。


 最近の俺は、あまりにも不可解な事態に巻き込まれ過ぎている。


 いきなりダンジョンに放り込まれたり、シオンが石のように固まった件ではない。


 そもそも、ホリーに出会ったあの瞬間から、俺の身の周りは予想外で不可解な事態であふれかえるようになった。


 だから、いい加減に慣れたのだ。


 根拠もなく解る。


 これは、ヤバい事が起きる前兆だと。


 まあ、都合良く行方不明の王子が目の前にいた段階で気付くべきだったんだけど。


「誰か……」


 俺は、直ぐに大声を上げようとした。


 瞬間、ヒースが雷鳴剣を抜き放ち、俺に斬りかかってきた!


「……!」


 やっぱりだ!


 理由は解らない。


 何でこうなったかは解らないが、とにかくヒースは俺を殺そうとしている。


 中庭の中で、ヒースが俺に向けて雷鳴剣を振り回す。


 俺は、それをアタフタと回避し続けていた。


 ヒースが使う雷鳴剣は、神剣の姉妹剣としてはオーソドックスな形状と性能だ。


 現状、何故か雷撃の類を使用していない事を考慮すれば、もの凄く頑丈で刃こぼれせず、もの凄く切れ味が良くて鉄でも切れる剣に襲われているだけだ。


 そして、ヒース自身の剣術は、士官学校時代に、俺やアイリスと共にカトレア教官から叩きこまれた、オーソドックスな剣術だ。


 全く剣術の才能が無かった俺が言うのもなんだけど、実戦経験が豊富なカトレア教官や、高い素養を持っていた天才肌のアイリスに比べると見劣りするけど、真面目で努力を怠らなかったヒースの剣術は、それなりに高いレベルに達していたと思う。


 というか、俺相手なら、ヒースは百回戦って、百回とも勝てただろう。


 それは、ごく普通の剣を使った場合でも同じだ。


 それぐらい、俺とヒースの実力には開きがあった。


 おまけに、姉妹剣使いである以上、ヒースは憑依による身体能力の強化と、放出による雷撃魔術が使用出来る上に、万が一、雷鳴剣を落としたり手放したりしても、展開で手元に戻せるのだ。


 つまり、俺には万が一にも勝ち目は無い。


 戦績が悪いヒースだが、俺如きに苦戦するようなヤツじゃない。


 コイツも、十分に人外の怪物なんだ。


「……?」


 それが、俺を相手に、何度も何度も剣を空振りしている。


 もちろん俺も必死に中庭を走り回り、ヒースが振り回す雷鳴剣を回避しているけど、今のヒースの動きは、明らかに遅い。


 俺は、ホリーに憑依され続けてきた影響で、素の身体能力も高まっている。


 特に、動体視力に関しては、それが顕著だった。


 それを考慮しても、遅すぎる。


 明らかに、憑依を使用していないし、さっきから全く雷撃を放ってこない。


 本当に、俺を殺す気が有るんだろうか?


「ヒース! どうしたんだよ! 何で俺を襲う!」


「……」


 ヒースは答えない。


 無言で俺に剣を振い続ける。


「止めろヒース! 何でこんな事を!」


「……」


 ヒースはいくら呼びかけても答えない。


 どういう事なんだ。


 何か、理由があって俺を襲うとしても、殺したいなら、何故雷鳴剣の能力を使わない。


 殺したいなら、使えば良いのに。


「……!」


 その時、俺は解った。解ってしまった。


 姉妹剣使いが、姉妹剣の能力を使用せずに戦う事態。


 それは、


「ヒ、ヒース……お前……」


 既に死亡して、死体になった姉妹剣使いを、冥府剣の使い手がゾンビ兵として操っている時だ。


「シネラリアアアアアアアアアアアアアアアア! 何処だ! 何処にいる! ヒースを殺したのか!」


 俺は、姿を現さず、死体になったヒースを操っているであろうシネラリアの名前を叫ぶ。


「何でヒースだ! 何でヒースを殺した! 俺を殺せ! ヒースじゃなくて俺を殺せば良いだろうが!」


 俺は、自分でも驚くほどに怒り狂っていた。


 シネラリアとは、何度も敵対した。


 ほんの数日前、一度共闘しただけの間柄だったけど、それでも談笑できるくらいには関われたんだ。


 これから、何度か関わって、話し合っていくうちに、なし崩し的に仲間になれる可能性は有ったんだ。


 そう思ったから、俺は殺さなかった。


 ジャスミンと一緒に、疲労困憊で隙だらけだった時。


 敵対者として考えれば、千載一遇のチャンスだった時に、俺はシネラリアに何もしなかった。


 それは、たとえ自分の命を狙った相手だろうと、仲間になれる可能性があると思ったからだ。


 俺の悪い癖だったが、サフランとプラタナスだって、そうして仲間にしたんだ。


 それが、その結果が、


「よくもやったな! 俺の友達を! 俺の友達を殺しやがったんだな!」


 学生時代から、自分と関わる数少ない知人を。


 同じ年の、同性の友達を、死なせる結果になってしまった。


「シネラリア! 何のつもりだ! 俺を殺したいなら自分で殺しに来い! 何でこんな事をする! ヒースに俺を襲わせて何になる!」


 かつて経験した事の無い怒りが、俺の身体を熱くしていた。


 まるで、自分の身体を流れる血が、燃えているかのように。


 俺は、ヒースの右手首を掴み、関節を決めながら地面に組みふせて、雷鳴剣を取り上げる。


 そして、呼吸も心音も停止したまま、尚も俺を襲おうともがき続けるヒースの死体を押さえ続けた。


 徒手格闘は、士官学生時代に習ってはいた。


 授業や練習では、一度たりとも相手に勝った事の無い俺が、完璧な極め技と組み技で、ヒースを地面に押さえつける。


「……! クソ! ちくしょう!」


 こんな形で、生涯初めての勝利かよ。


 なんだよこれは。


 怒りが恐怖を凌駕すると、俺の身体はこんなに機敏で的確に動くのかよ。


 何でここまで酷い状況になるまで、俺は何もしなかったんだよ。


「クロウ様!」


 俺が中庭で暴れるヒースを押さえていると、プラタナスが血相を変えて駆けこんでくる。


 多分、音を操る千里剣の使い手だから、俺の大声に真っ先に気付いたんだな。


「どうしたのですか!?」


「プラタナス! ヒースが殺された! これはヒースの死体だ!」


「え!?」


「他の三人を呼べ! 近くにヒースの死体を操るシネラリアがいる筈だ! 全員で探せ!」


「承知しました!」


 プラタナスは、中庭の地面に千里剣を突き刺すと、


「サフラン! カトレア教官! アイリス嬢! すぐに中庭に! 緊急事態です! すぐ中庭に!」


 周囲に響き渡る程の音量で、ヒースの声が発せられる。


 仲間に対する呼びかけを終えたプラタナスは、暴れ回るヒースの死体を一緒に押さえ、ついでに安否を確かめていた。


「……呼吸……脈拍……心音……全て停止している……本当に死んでいる状態で動いているのですか……殿下……」


「お前は会った事が無かったよな? 冥府剣の使い手で、シネラリアってヤツの仕業だ。冥府剣は、死体を操る」


「存じています。サフランからの報告にありました。しかし、何故殿下を……」


「解らない。とにかく、シネラリアを見つけないと」


「はい。今、三人共こちらに向かっている筈です。カトレア教官とアイリス嬢は若干離れた位置にいますが、サフランはすぐにでも駆けつける位置にいる筈です」


「若干離れた位置?」


 カトレア教官とアイリスが、離れた位置にいる、という情報に、俺は嫌な予感がした。


 再び、悪寒が走る。


「あの二人は何処に行った?」


「今朝、王都親衛隊の報告を受けまして、老朽化で崩れてしまった城壁を二人で見に行ったそうです」


「……城壁って、王城じゃなくて、王都をぐるっと囲んでるヤツか?」


「はい。それほど大きな損害ではないとの事でしたが」


「その城壁が崩れたのは、何時だ?」


「報告が早朝ですので、おそらく昨日の深夜ではないかと……」


「……!」


 不味い! これは罠だ!


 王都の城壁が昨日の深夜に壊れて、翌日に行方不明になった王子が城内にいた、なんて偶然起きる訳が無い。


 シオンが戦闘不能になった事で、俺達の戦力は半分以下になった。


 仮に、アマランス一人に襲われても、全滅する可能性がある。


 それでも、アマランスの力には時間制限があった。


 都合四人の姉妹剣使いを、同時に相手にするにはリスクがある。


特に、羅刹剣で身を守っても防ぐのが至難であろう音による攻撃が可能なプラタナスがいれば、そう簡単にはアマランスも勝てない。


 それでも、別行動中に各個撃破されれば終わりだ。


 以前の俺ならそう考えて、今は軽率に別行動をするなと言っていた。


 しかし、今の俺はシオンのあり様を見て、日頃の悪知恵が全く働かなくなっている。


 日がな一日、シオンの様子を見ているだけで、仲間に注意を促す事すらおざなりになっていたんだ。


「……く……!」


 それだけが。


 凡人で、自信が無くて、臆病な俺だからこそ指摘出来る、嫌な予感。


 それを伝える事だけが、俺に出来る貢献だったのに。


 大事な人を失う恐怖で、他の大事な人を失う事態を招いたんだとしたら、俺は……。


「……クロウ……プラタナス……そこで何をしておる」


 そして、このタイミングで、一番余計な相手が中庭を訪れた。


 数人の兵士を連れた、ダリア国王だ。


「陛下……」


「む! ヒースではないか! 何故ヒースを押さえつけておる!」


 ダリア国王は、血相を変えてこちらに走り寄ってきた。


 その段階で、俺とプラタナスは申し合わせたようにその場から数歩後ずさる。


 ダリア国王がこの場に現れた瞬間から、ヒースの動きがピタリと止まったのだ。


「ヒース! ヒース!」


 ダリア国王は、息子のヒースを何度も揺さぶるが、当然、死体であるヒースが反応を示す訳もない。


 必然的に、


「お前らが……殺したのか……」


 という事になる。


 状況証拠ではない。


 さっきまで動いていたヒースを、俺達二人がかりで押さえつけ、突然動かなくなった。


 その客観的事実を見れば、表面的にはそうだろう。


「陛下! 誤解です! 殿下は既に死亡していたのです!」


 プラタナスが事情を詳しく説明しようとするが、


「この二人を殺せ! 裏切り者め!」


 例によって例の如く、ダリア国王は早合点した。


 俺やカトレア教官を処刑しようとした時みたいに。


 だから、俺もダリア国王に察しの良さを求めたりはしないけど、それにしたってこの都合の悪い展開の連続は何だ?


 一体何がどうなっている?


 俺は、ダリア国王の護衛をしていた兵士数人を、プラタナスが千里剣の一振りで吹き飛ばしているのを、他人事のように眺めていた。


 ダリア国王は顔を真っ赤にして、城内の兵士を呼びよせ、俺達二人を殺せ殺せと連呼し、プラタナスが、中庭に殺到してくる兵士を一瞬で倒していく。


 別に、兵士は殺されてない。


 槍の形をした千里剣の、柄や柄尻で殴り、吹き飛ばしているだけ。


 それだけ、プラタナスには余裕がある。


 姉妹剣の使い手を相手に、雑兵が何人居ても対処は出来ない。


 城中の兵士を全て集めても勝てないだろう。


 だからこそ、俺は次に起こる事態に備えていた。


 周囲をキョロキョロと見回し、次に何が起こるかを警戒していた。


 この絵を書いたヤツは、次に何をするつもりだ。


 そいつは今日、間違いなく、俺達を全滅させる為に行動している!


 そんなヤツの作戦が、俺達に王子殺しの罪をなすりつけて放置、なんて事で済ませるとは思えない。


 もう一手、来る。


 多分、俺達では対処出来ない程の一手が、来る。


 ダリア国王の呼び寄せた兵士をあらかた戦闘不能にし、残った兵士も戦意を喪失した頃、腰を抜かしたダリア国王が、プラタナスに追い詰められていた。


「陛下。何度も繰り返しますが、誤解です。殿下を殺したのは我々ではありません。冥府剣という姉妹剣の能力を説明しましょう」


 プラタナスが、ダリア国王の傍に屈みこみ、事情を説明しようとした時、


「王様。もう大丈夫だよ。貴方の事も、王子の事も助けてあげるから」




 来た。


 そいつが、来た。




 魔女服を着た冥府剣の使い手シネラリア。


 修道服を着た治癒剣の使い手ジャスミン。


 その二人を左右に控えさせた男が、城の屋根から中庭にいる俺達を見下ろしている。


 赤と、青のストライプがらの派手な上着とズボン。


 唇と目の下に描かれた赤い模様。


 まるで道化師のようなコスチュームとメイクをした男が、ダリア国王に声をかける。


「……」


 アイツが、黒幕か。


 アマランス、シネラリア、ジャスミンを裏で操り、シオンの身体を石のように固め、ヒースの死体を利用した悪趣味な行為に及んだヤツ。


 そして、俺が見ていない最後の姉妹剣。時流剣シャスティフォルの使い手。


 その男は、屋根から中庭まで歩いてきた。


「!?」


「……!」


 俺が驚愕し、硬直していると、プラタナスが俺を庇うような位置に立つ。


 その男は、歩いてきたのだ。


 屋根から、中庭まで飛び下りたんじゃない。


 文字通り、まるで見えない床を歩いているかのように空中を移動し、見えない階段を下るかのように中庭に下りてきた。


「遅ればせながら名乗りをば。僕の名前はゼラニウムと言います。王様、王子の事なら心配無用だよ?」


 ゼラニウムと名乗った道化師は、腰に帯びていた時流剣と思しき刀を抜き放つと、動かなくなったヒースの死体にかざす。


 すると、ヒースの指先がピクリと動き、目が、うっすらと開いた。


 アレは……! 死体を操って動かしたんじゃない。蘇生させたんだ。


 人間の時間を撒き戻し、死体だった状態から生体だった状態に戻したんだ。


「……やられた……! 嵌められたぞ!」


「クロウ様?」


 巻き戻しの限界時間は二十四時間。


 死亡してから二十四時間が経過した死体は蘇生出来ない。


 つまりヒースは、行方不明になった時からどこかで拉致されて、今、この瞬間から二重四時間前までの時間に殺され、その死体をシネラリアが冥府剣で操り、それをダリア国王の目の前で蘇生させたんだ。


「おお……ヒース……」


 ダリア国王は、意識が朦朧としているヒースににじり寄り、目に涙を浮かべている。


 息子の復活に感動し、今まさに息子の恩人であるゼラニウムに潜伏の信頼を寄せながら、感謝する事だろう。


 俺には、ゼラニウムの書いた悪趣味な絵が全て見えた。


 アイツは、自分が国王の信頼を得て、俺達勇者一行の信用を地に落とそうとしている!


「王様? 事情は後で全て説明するから、今は安全な場所に下がってもらえるかい? 王子も連れて、ここから離れるんだよ?」


「う、うむ・・・・・。しかし、お前は一体……」


「いやいや。王都に偽勇者の一行が幅を利かせていると風の噂に聞いてね。天に変わって成敗しにきたまでだよ」


 ゼラニウムの言葉に、


「ふざけるな!」


 俺ではなく、プラタナスが絶叫した。


「シオン様が偽物だと! お前は一体何を言っている!」


「シオン、というのかい? 偽勇者の名前は」


「貴様……!」


 プラタナスは千里剣を構え、ゼラニウムを睨みつける。


 駄目だプラタナス。


 今は、何を言っても俺達に説得力が無いんだ。


 何故なら、


「そうかい。では、今すぐその勇者様をお呼びすればどうだい?」


 今の俺達に、勇者の力は無い。


「き、貴様!」


「さあ、呼んでご覧? 世界を守る救世主。この世界で魔王を打倒出来る唯一無二の存在である勇者を呼んでご覧よ。もし、そんな者がいるなら、今すぐここに呼んで、守ってもらえば良いだろう? 勇者の仲間なんだからさ」


 ゼラニウムの挑発で、プラタナスも相手の真意を読めたようだ。


 シオンが勇者であり、俺達全員が、それを補佐する。


 そして、三年後に迫った魔王復活に備える。


 しかし、その情報は事実ではあるが、証拠が無い。


 ホリーの姿が見えるのが、俺とシオンだけである以上、当のシオンが勇者としての力、威光を発揮出来ない今、俺達が勇者一行であるという根拠は完全に無くなったんだ。


 そんな時、絶大な力……表面上はシオンと同等の力を誇るアマランスを引き連れるゼラニウム一行が現れれば、その集団こそ本物の勇者一行に見える筈だ。


 それは、単に圧倒的な力を発揮出来るアマランス、シネラリアによる攻撃で俺達が蹂躙されるよりも、更に厄介な事態を招く事になる。


 シオンが、聖光剣と出会う前の状況に逆戻りするという事だ。


「……!」


 もしそうなったら、この世界の住人は、魔王打倒の手段が失われた事に気付かずに、魔王復活の時を迎える事になる。


 何の手だても打たずに、魔王復活の瞬間を迎える。


「シネラリア。王様と王子を安全な場所に。ジャスミン。回復してあげな」


「「……」」


 ゼラニウムの指示で、シネラリアとジャスミンは無言で腰を抜かしたダリア国王と、意識が朦朧としているヒースを抱え、中庭から城の奥に行ってしまう。


「どうしてだ……!」


「んん?」


 俺は、ゼラニウムに懇願するように声をかけた。


「どうしてこんな事をするんだ……。俺達が邪魔だったとしても、勇者だけはアンタ等にとっても必要な存在だろ? 勇者がいなければ、みんな魔王に殺されるんだぞ? どれだけ強い姉妹剣使いでも、勇者以外じゃ魔王には勝てない!」


 ゼラニウムは、何やら俺をマジマジと見つめ、


―それがどうした?―


 唇だけを動かして、そんな言葉を口にした。


「……!?」


 俺はその時、本気で戦慄した。 


 アレは、事情を知らずに行動していない。


 シオン抜きでは魔王を倒せない事を知った上で、行動している。


 おまけに、アマランス達が語っていた計画……勇者と魔王を同時に倒し、世界を永遠に平和にするという話は嘘だ。


 そんな話は信じられない、と言ってる訳じゃない。


 仮にそれが事実だとしても、検証する方法が無いんだ。


 だって、歴代の魔王は必ず勇者が倒している。


 それを同時に滅ぼした後に起きる現象なんか、あらかじめ解る筈がない。


 アイツは、理由は全く理解出来ないけど、本気で勇者の妨害行動に及んでいる。


 断じて、事情を知らずに邪魔したとか、後で復活させて利用しようと企てているじゃない。


 勇者が本物かどうか知らないが故の間違いや、勇者を利用しようと画策してるんじゃないんだ。


「お前……世界を滅ぼす気なのか?」


「んん? 君が何を言ってるのかよく解らないなあ。最近の若い子は何考えてるか解らないよ」


「ふざけるなよ! このままだと、お前も死ぬぞ!」


「君さあ、自分の尺度で相手の事考えるのよしなよ。あと、質問すれば相手がバカ正直に何もかも説明してくれると思ってるの?」


「な……なにを……」


「大丈夫。魔王は倒せるよって言えば安心する? ゴメンよ。僕達にはこうしなければならない事情があるんだって言えば心配してくれる? その言葉が真実か偽りか確認も出来ないのに、質問する事に一体何の意味があるんだい? そんな事は一々他人に聞いてないで、自分で考えなよ」


「なにを……言ってるんだ……」


「だからさあ、僕には最近の若い子が考えてる事が解らないんだよ」


 解らない。


 初めての経験だ。


 天才は、シオンを筆頭に何人も見てきた。


 凡人は、自分を筆頭に、嫌というほど見てきた。


 目的、思想、才能の違う人間を、俺は十八年という人生で、それなりに見てきたつもりだ。


 しかし、解らない。理解出来ない。


 俺には、目の前にいるゼラニウムの考えが、まるで理解出来なかった。


 一体コイツは、何を考えて勇者を妨害してるんだ?


「クロウ様!」


 その時、茫然としていた俺にプラタナスが声をかける。


「これは逆転の好機です。今この場であの男を殺せば、シオン様にかけられた術も解けます。そうすれば、戦況はこちらが圧倒的に優位です」


「待てプラタナス! そんなに甘い相手じゃない!」


 今にもゼラニウムに襲いかかりそうになっているプラタナスを、俺は止めた。


「アイツは……シオンに勝ったヤツなんだぞ!」


「しかし、ヤツは今部下を別の場所にやった。単独の今なら勝機はあります」


「違うんだ! アイツは部下がいてもいなくても同じなんだよ! 本当は一人で何時でも俺達を始末出来たんだ! そうしないのは遊んでるからだ! アイツにとっては、敵も味方も全部玩具みたいなもんなんだよ!」


「……!」


「へえ……」


 プラタナスが驚愕し、ゼラニウムが関心を俺に示した。


「君、面白いね? どうやって勇者を見つけたのか、とか、何で君の周りに姉妹剣使いが集まるのか不思議だったんだけど、今解ったよ。察しが良いんだね? それも、埒外に」


「……クロウ様。指示を無視する無礼をお許しください!」


 瞬間、プラタナスが消えたと錯覚するほどの速度で間合いを詰めて、ゼラニウムに向かって突進した。


 その時、俺は気付く。


 ゼラニウムの背後から、透明化したサフランが迫ってきた事を。


 たとえ透明化しようが、姉妹剣使いには魔力探知で位置を補足される。


 つまり、プラタナスとゼラニウムには、透明化したサフランが、物陰に隠れて様子を伺っていたのは百も承知だったろう。


 それでも尚、プラタナスはサフランと呼吸を合わせて、ゼラニウムに突進した。


 今この瞬間。


 アマランス、シネラリア、ジャスミンの全員が不在で、ゼラニウムが単独行動をしている、この瞬間にしか逆転のチャンスは無いと判断して。


 違う。


 違うんだ二人とも。


 動体視力が異常に高まっている俺には、二人の動きが手に取るように解る。


 真正面からプラタナスが千里剣を突き立て、真後ろからサフランが真空剣を投げつける。


 槍の形状をしたプラタナスの千里剣は、刀の形をしたゼラニウムの時流剣より、圧倒的にリーチが長い。


 おまけに、槍術の達人であるプラタナスは、それを過信する程バカじゃない。


 一瞬で、額、喉、鳩尾の三点。


 人体の急所が集まる正中腺を狙い、矢継早に槍を打ち込む。


 サフランは、二刀一対の双剣である真空剣を投擲した。


 それは、ブーメランのように弧を描きながら、ゼラニウムの身体を左右から襲いかかっていた。


 プラタナスが三カ所。サフランが二カ所。


 合わせて、五か所同時攻撃。


 その全てが、鉄をも断ち切る神剣の姉妹剣による必殺の一撃。


 ホリーに憑依され続けた事で、動く者がスローで見えるようになったから視認出来るが、実際には、一秒にも満たない刹那の攻防。


 あんな攻撃、羅刹剣のような甲冑型の姉妹剣を用意しなければ、しのげる筈もない。


 しいて言えば、上空に跳躍して逃れる、という手もあるが、


「ふうん」


 ゼラニウムは、一歩も動く事無く、その場で全ての攻撃を防いだ。


「う!?」


「え!?」


 プラタナスが千里剣を持ったまま動きを止め、サフランの投げた真空剣が地面に落ちる。


 ゼラニウムのやった行動は、単純だった。


 左右から向かってくる真空剣を、二本とも時流剣で弾き飛ばし、真正面から突かれてくる千里剣を、同じく時流剣で受け止めたのだ。


 刹那の間に、五か所同時に襲いかかってくる必殺の一撃を、こともなげに、一本の刀で悉く受け止めたんだ。


 だから、違う。違うんだ二人とも。


 これは好機じゃない。


 単に、ゼラニウムが気まぐれを起こして、相手をする気になっただけ。


 ホリーから聞く所によると、時流剣による時の停止は、対象の魔力量が多いほど困難になるらしい。


 にも拘らず、アイツはシオンの時を止める事が出来ていた。


 それは、ゼラニウムの時流剣を扱う錬度が、常識外れである事を示している。


 つまり、自分の動作速度を上げるという点でも、常軌を逸しているんだ。


 アイツと、攻撃の速度や回数を競っちゃいけない。


 人数や、攻撃回数でどうにかなる相手じゃないんだ。


 プラタナスとサフランは諦めきれないのか、前後から猛攻をかける。


 プラタナスは槍と刀というリーチの差を活かして。


 サフランは二刀と一刀という手数の差を活かして。


 前後からゼラニウムを挟みうちにして、近接戦を仕掛ける。


 しかし、通用しない。


 文字通り、目に留まらない程の打突と斬撃がゼラニウムを前後から襲うが、悉く防がれている。


 化物だ。


 圧倒的な破壊力で、敵対者を葬るシオンやアマランスのような力じゃない。


 自分の動作を加速させるという、シンプル極まりない能力で刀を振り回し、自分の身体を襲う攻撃を全て受け流している。


 人間の目で捉えられる斬撃速度じゃない。


 アイツは、その気になったら俺達が瞬きしている間に周囲の人間を全員皆殺しに出来るくらい、動作速度が速いんだ。


 アイツ相手に、近接戦で勝つ方法なんか絶対に無い。


 何より、俺にはこうやって見ている事しか出来なんだ……!


 しかし、プラタナスとサフランは予想外の行動に出た。


 サフランがゼラニウムの持つ時流剣の間合い……一足一刀の距離に踏みこみ、それと同時にプラタナスが千里剣から爆音を出す。


 プラタナスは、サフランごとゼラニウムに音響攻撃を仕掛けたんだ。


 一見、味方もろとも敵を殺そうとしているように見えるが、そうじゃない。


 サフランの真空剣には、姿を消す能力と、音を消す能力がある。


 千里剣による音響攻撃は、音による振動で相手の身体を内部からズタズタに破壊するというえげつない威力があるが、真空剣を持つ者にだけは通用しない。


 つまりこれは、あの二人だから出来る連携攻撃。


 音響攻撃から逃れようと、僅かでも耳を塞ぐ動作をすれば、背後から迫るサフランに斬られる。


 勝てる、とは思えないが、確実にダメージを負わせられると、俺は思った。


「アガッ!」


 サフランが悲鳴を上げ、喀血しながら後方に吹き飛び、プラタナスが声も出さずに硬直していた。


「……」


「プラタナス!」


 俺は悲鳴を上げた。


 ゼラニウムは、本当に単純な行動しかしていない。


 背後のサフランを蹴り飛ばし、真正面のプラタナスを切り裂いたんだ。


 その動作速度があまりにも早すぎて、単に後ろ回し蹴りを食らっただけのサフランは、城の壁にまで吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなった。


 プラタナスは、自分の身体が斬られた事にも気付かず、しばらく立ちつくした後、


「がは……!」


 おびただしい量の鮮血を撒きちらし、前のめりに倒れ込んでしまった。


 明らかに、致命傷を受けている。


「プラタナス! プラタナスしっかりしろ!」


 俺はプラタナスに駆けよって、傷口を必死に押さえた。


 肩口から、深深と斬られている。


「プラタナス! がんばれ! 憑依を使い続けろ! 治癒力も上がるから、憑依を使い続けろ!」


「……ク、ロウ、様……」


「プラタナス! 大丈夫だから! 姉妹剣使いは治癒力も高いんだ! 諦めるな!」


「……指示に逆らい……この体たらく……申し訳……ありま……」


「駄目だ! 駄目だプラタナス! 死ぬな! 死んだら怒るぞ! 役立たずって怒ってやる!」


 俺は、子供みたいに泣きわめいて、プラタナスにすがりついていた。


 プラタナスは、口から血を吐きながら、俺の頭に手を置いて、


「……はは……」


 泣き顔になった俺を見て、嬉しそうに笑いやがった。


 笑いながら、動かなくなりやがった。


「あ、ああ……!」


 駄目だ。


 もう駄目だ。


 早く、早く誰か来てくれ。


 アイリスの氷結剣ならプラタナスの止血が出来る。


 カトレア教官の爆炎剣なら、ゼラニウム相手にも善戦出来る。


 だから、早く来てくれ二人とも。


 目の前で、プラタナスの身体から大量の血が流れるのを見て、俺の思考は完全に停止した。


 今すぐ俺がゼラニウムに殺されるのは構わない。


 その気になったら、俺なんか一瞬で殺される。


 そんな事はどうでも良いから、早くプラタナスの血を止めてくれ。


「……おかしいなあ」


 いつの間にか、俺の背後に立っていたゼラニウムが、俺の首筋に時流剣を突きつけながら、首を傾げている。


 俺は、ゼラニウムが背後に立っている事にも、首筋に時流剣が当てられている事にも気付いていなかった。


 ゼラニウムが殺そうと思えば、何時でも殺せたんだ。


 何故、そうしないんだ?


「君を殺そうとすると悪寒が走って、全身の毛が逆立つんだよねえ? 何でかな? 君って何か、隠し玉とか持ってるのかい?」


 あるか、そんなもの。


 あるならとっくに出して、プラタナスとサフランを守ってる。


 何も無いから、ここで泣きわめいているんだ。


「嫌な予感がするなあ。君の首を刎ねるとロクな事にならないと、僕の直感が言ってるんだ。まあ、直感と言っても、未来予知じゃなくて、経験則による予測なんだけどね」


 ゼラニウムが、俺を何時までも殺そうとしない理由を淡々と説明していると、吹き抜けになっている中庭に、全身を甲冑に覆ったヤツが屋根から飛び降りてきた。


 鎧型の姉妹剣である羅刹剣を纏ったアマランスだった。


 コイツら、高い所からしか登場しないのかよ。


「ああ、アマランスかい? 首尾はどうだった?」


「……」


 アマランスは、プラタナスの血に濡れていた俺を一瞥したが、すぐさまゼラニウムに対して跪いた。


「爆炎剣、氷結剣の使い手は始末しました」


 そして、淡々と、俺を奈落の底に突き落とすような事を言う。


 俺は、その時になって、やっと理解する。


 最悪の状況、なんて言葉があるけど、最悪や最低に、底なんか無かった。


 最悪よりも、更に酷い事態なんて、この世にいくらでもあるんだ。


 子供の頃、あれだけ俺が依存したオヤジが死んだ時、絶望しながら理解した筈なのに。


 人間は、何時、どんな理由で死ぬか解ったもんじゃないのに。




 俺は、自分の仲間は死んだりしないと勝手に決め付けていた。




 アマランスは、爆炎剣と氷結剣を二本重ねてゼラニウムに差しだす。


「うん。カトレアだけでも殺せれば恩の字だと思ってたけど、これで勇者の身内は全滅かな?」


「……は」


「まあ、出来れば剣じゃなくて首の方を持って来てくれた方が安心感があったんだけどね。そこは君の腕を信用しとこうかな」


「勿体ないお言葉。ところで主……」


 アマランスは、俺の方をちらりと伺う。


「その男は如何いたしますか?」


「出来れば殺した方が良いと思うんだけどねえ。殺そうとすると悪寒が走るんだよ。何でか解んないけど」


「は」


「こういう時は殺さないに限るんだよね。僕の経験上。だから幽閉だけして命は助けるよ」


「は!」


「……嬉しそうだねアマランス」


「い、いえ……そのような事はありません……」


「とりあえず、あそこで転がってるメイドちゃんは日和見主義みたいだから、後で君らが勧誘しといてよ。仲間にならないなら死んでもらうけど、多分なるでしょ」


「は」


「ああ……そこにいる兵士さん? この男、地下牢に入れて貰えるかな? 僕らこれから王様と王子様の様子見にいくんでね。じゃあ、後はよろしく」


 俺を、徹頭徹尾無視しながら、ゼラニウムとアマランスは会話し続ける。


 俺は、仲間を一度に三人も失った衝撃から立ち直れなかった。


 完全に、頭が真っ白になっている。


 だから、たった一つの事しか解らなかった。


 とりあえず、俺は失敗したらしい。


 今回の、勇者による魔王討伐は、失敗する。


 理由は全く理解できないが、とにかく俺は失敗した。


 それだけは、理解出来たんだ。

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