5/第三章 魔城からの帰還

 疲労困憊、としか形容出来ない程疲れ切ったものの、俺達は無事にダンジョンの出入口にまで辿りついた。


 途中、何度か魔物と遭遇したが、疲れ切っている筈のシネラリアが死力を振り絞り、意識を失っているジャスミンの治癒剣を借りた俺も、ホリーに憑依される事で、戦う事が出来た。


 そして、戦いと移動による疲労で倒れそうになり、意識が朦朧としたが、それでも俺達はダンジョンからの脱出に成功した。


 しかし、俺は絶句した。


 ダンジョンの出入口の前には、石造りの広場があったのだが、問題はその周囲にある景色だ。


 見渡す限りの雲。


 そう。雲の上に、ダンジョンの出入口があったのだ。


 というより、ダンジョン自体が浮遊し、大空に浮かんでいる、という事らしい。


 出入り口にある広場に立っているだけでは解らないが、崖っぷちにまで移動すれば、想像を絶する高度にいる事を知って、ビビり倒す羽目になっただろう。


〈このダンジョンは、空中にあって、少しずつ移動しているのです。丁度、王都の上空を浮遊した際、王都中が雲に覆われて真っ暗になったでしょ?〉


「知らん。寝てたから」


〈……城でも町でも大騒ぎでしたよ。それで私が貴方に知らせて、善後策を考えようとしたら、貴方が何処にもいませんでしたから……焦りましたよ〉


「なるほどね。ダンジョンが発生すると、周辺に影響があるって話だけど、今回は王都の上空を浮遊している時に、何故か俺が内部に吸い込まれたと」


 アイリスの故郷であるブルードラゴンでダンジョンが発生した時は、周辺の水を吸い取って水枯れを起こしてたけど、アレと似たり寄ったりの減少かもしれない。


 かなり、俺に対してピンポイントに損害を被らせてる点が気になるけど。


 そこは俺の運が悪いという事で納得しとこう。


 運の良いヤツはこんな日常的に修羅場に巻き込まれたりしないだろうし。


 俺は、少し離れた位置にいるシネラリアの様子を伺う。


 シネラリアの近くには、未だに意識を取り戻さないジャスミンと、翼の生えたドラゴンゾンビがいる。


 多分、あの二人はあのドラゴンゾンビの背に乗って、このダンジョンにやってきたんだ。


 出入り口が狭くて、ダンジョン内に侵入出来ないドラゴンゾンビを待機させて、ダンジョン攻略に数日間、悪戦苦闘している最中に、ダンジョンが俺を最深部に放り込んだ、という事か。


「……ううん……」


 細かい所に目をつむれば、今回の事は俺達全員にとって幸いな事だったのかな。


 俺がダンジョンの最深部にいなければ、あの二人はダンジョン内で迷った挙句に、生きて帰る事が出来なかった可能性が高い。


 俺自身も、疲労困憊で殆ど戦力にならなかったとはいえ、姉妹剣を所有した二人と合流出来なければ、ダンジョン脱出は不可能だった筈だ。


 まあ、ホリーに言わせれば、厄介な敵対者であるあの二人は、このダンジョン内でのたれ死んだ方が好都合なんだろうけど。


「いい加減に起きなジャスミン。もう帰るよ」


「……ここは……」


「ダンジョンの出口だよ。何とか死なずに済んだって事さ」


「……なんだか、父様の背中におぶさってるような夢を見ましたわ……」


「寝ぼけてんじゃないよファザコンが」


 なんて会話を、シネラリアとジャスミンはしていた。


 俺は二人から少し離れた距離を維持したまま、ホリーに小声で話しかける。


「で、俺達はどうやって帰ろうか? 地上に降りる方法は?」


〈天馬剣をここに呼びよせてます。少し待ってください〉


「ああ、あの馬って遠くから呼び寄せる事も出来るんだ?」


〈元々勇者専用の姉妹剣ですから、貴方が持ってる聖光剣の宝玉のある位置を特定して、追跡する能力もあるんですよ。それより、一旦私だけ戻ります〉


「は?」


〈シオンが貴方を心配して、ピーピー泣いてるんですよ。貴方が無事だという事を知らせてき……ん? あれ? これは……〉


 なんて言葉を残して、ホリーの姿がかき消えた。


 おいおい。俺を一人で放置したよ。


 確かにダンジョンの脱出は成功したけど、家に帰るまでがダンジョン攻略なのに。


 まあ、ホリーはシオンが持ってる聖光剣と、俺が持ってる宝玉のある場所は、一瞬で行き来できるらしいから、すぐに戻ってこれるだろうけど。


「クロウ」


 でもなあ。


 まだシネラリアとジャスミンがここに残ってる状況で俺を一人きりにするのはどうなんだろう。


「クロウ」


 確かに力を合わせてダンジョンを脱出したけど、別に仲間になったわけじゃないしなあ。


 途中、談笑なんかしちゃってたけど、別に仲が良くなった訳でも……


「クロウ! 無視するな!」


「はい!? え? シネラリアさん?」


 シネラリアが、いつの間にか俺の背後に立っていた。


 いや、全然気付かなかった。


 シネラリアに「クロウ」って呼ばれた事ないし。


「私ら、あのドラゴンに乗って帰るけど、アンタはどうするんだい?」


「ああ、俺も天馬剣使って帰りますから、大丈夫です」


「ん? 天馬剣は何処にあるんだい? それ使ってダンジョンに来たんだろ?」


「いえ、ですから、俺は気がついたらダンジョンにいただけで、自分の意志でここに来たわけじゃないんですよ」


「……ダンジョンの中でした話は嘘じゃなかったのかい?」


「そりゃそうですよ。俺一人であんな奥まで移動できませんって」


「そうかい。そりゃ疑って悪かった。アンタは別の場所にある天馬剣を呼び寄せる事が出来るんだね?」


「はい。だから一人で帰れますので……」


 どうかお構いなく、という雰囲気を出しておく。


 正直、これ以上一緒にいて、やっぱり今の内に殺しておこうと心変わりされても困る。


 さっさと帰ってもらおう。今はホリーもいないし。


「……一応、アンタの天馬剣がここに来るまで待ってやるよ。一人きりになって、天馬剣が来なかったら帰れないだろ? それとも、地上までドラゴンで下ろしてやろうか?」


「いえ……大丈夫です」


 あれ? なんだかシネラリアが優しいぞ?


 これは、案外説得すれば簡単に仲間になってくれるパターンなのかな。


 思わせぶりなサフランとプラタナスも、結構あっさりと仲間になったし。


「……」


 いや、待て待て。


 アマランスをいくら説得しても無駄だった事を思い出せ。


 優しくしてもらってる間に別れるのだ。


 触らぬ神に祟りなしである。


 この連中は、自分達の主を裏切るつもりが無い。


 その主は、勇者であるシオンに敵対している。


 シオンと敵対する気が全くない俺達とは相容れない関係なのだ。


 それに、今は俺一人で、周囲には仲間どころか、ホリーすらいない。


 余計な事はせずに、さっさと離れた方が良い。


「それじゃあ、ちょっと交渉を始めようかね」


 なんて事を言いながら、シネラリアが俺の首に冥府剣の鎌を突きつけた。


 あれえええええええええええええ!?


 触ってもいない神に祟られちゃってるよ!?


 さっきまで優しかったシネラリアが豹変しちゃったよ!?


「アンタさあ、結構使えるヤツじゃないか。ダンジョンの最短ルートが解るし、天馬剣も扱えるし。それに、姉妹剣使いに比肩出来る戦闘力もあるみたいだし、油断出来ないね。このまま放置するのは危険な気がしてきた」


「……!」


 クソ。態度がコロコロと豹変する女だ。


 なんて情緒不安定なんだろ。


「仲間になりなよ、クロウ。私らについてきな」


「……は?」


 シネラリアは、殺害ではなく、勧誘をほのめかした。


 というより、普通に仲間になるように誘ってきた。


「アンタが役に立つから言ってるんじゃない。好き好んで命の恩人を殺したくないから言ってるのさ」


 意味が解らない。


 仲間にならなければ殺す、という意味なのだろうか?


 さっきまで意識不明だったジャスミンは、フラフラと立ち上がりながら近づいてくるが、シネラリアを止めようとしない。


 シネラリアが俺を殺そうとしたら私が止める、とか言う話は何処にいった? と俺は目で懇願したが、ジャスミンは動かない。


「我ながらチョロイ女だと思うけどね、私らはアンタを殺したくないんだ」


「じゃあ、首に冥府剣を突きつけないでくださいよ」


「今、私らの誘いを断ったら、アンタは死ぬ」


「断ったら、アンタ等が俺を殺すからですか?」


「違う。私らの主がだ」


「……?」


「私らの主はね、部下とか仲間が裏切っても何もしない。仮に、私ら二人がアンタの仲間になって、勇者側についても何とも思わないよ。それは、油断とか慢心じゃない。単純な自信と余裕だ」


 同じだろ。


 油断、慢心と、自信、余裕って。


 俺には全く無い感情だけど。


「主がその気になったら、私らは瞬きしている間に皆殺しだ」


「そんなに強いんですか。アンタ等の主って」


「強さなら、アマランスの方が上だと思う。それでも、誰も勝てないよ。勇者と魔王だって勝てない」


「は?」


「主は、底がしれないんだ。強いとか、頭が良いとか、そういうのじゃない。何かこう……やることなす事、全てがえげつないんだ」


 ホリーの俺に対する印象みたいだな。


 俺は別にえげつなくないけど。


「今、アンタ等が無事なのは、主がその気になってないからだよ。もし、主が本気に勇者に対して行動を起こしたら、一瞬だよ。一瞬で、ケリがつく」


「……」


「アンタは、何が起きたか解らないだろう。何が何だか解らない間に、事態はどんどん悪化する。対処しようとしたり、抵抗しようとする暇もなく、アンタ等は主に敗北する」


「……」


 シネラリアの言う「アンタ等」ってのは、シオンを筆頭にした「勇者一行」の事だろう。


 最強の戦闘力を誇るシオンを、悠久の時を生きるホリーが補佐し、百戦錬磨の戦績を誇るカトレア教官とプラタナスが脇を固め、若く、才能に溢れたアイリス、サフラン、ヒース王子の加勢が見込める「勇者一行」だぞ?


 まあ、俺が横からしゃしゃり出たら真っ先に死ぬだろうけど、さすがに俺も間抜けじゃない。


 いざとなったら全員に丸投げして、雲隠れするさ。


 俺という足手まといを失った「勇者一行」は無敵の筈だ。


 魔王が今すぐ復活し、強力無比な魔物や魔人の類が大量に発生しても、余裕で対処出来るはず。


 特に、何時裏切るか解らなかったサフランと、知恵袋になるプラタナスの加入が大きい。


 すでに、俺が懸念すべき点なと何も無いほど、盤石の態勢を整えたのだ。


 恐れる者なんか、何も無い。


 俺の命は、まあ安全とは言い難いけど、それは何時もの事だし。


「……」


 そう考えると、誘いに乗るのも有りなのか?


 シオンの知恵袋や、相談役なんてのは、ホリーやプラタナスに任せれば良いし、戦闘面ではシオン一人で十分な上に、過剰とも言える質と人数が揃ってる。


 コイツらの主とやらの正体を見極める為に、仲間になったフリをした方が、シオンやホリーの為になるのかも。


―お兄ちゃん―


 いや、駄目だ。


 シオンの傍を離れる事は出来ない。


 俺は別にロリコンじゃない。


 それでも、シオンが傍にいてほしいと思っている間だけは、傍にいるべきだ。


 それは、凡人の俺にも出来る、たった一つの事。


 両親からの愛情を受けられなかった少女との約束。


 シオンが帰ってきてほしいと思うから、俺は今すぐシオンの下に帰る。


 それだけの事だ。


 この連中について行ったら、ホリーにどんな罵声を浴びせられるか解ったもんじゃないしな。


「俺は……勇者を裏切れません」


 それだけを、端的に言った。


 シネラリアと、ジャスミンは、二人同時に意気消沈していた。


 あれ? 俺の勧誘に失敗して、怒り心頭になるなら解るけど、そんなにガッカリするほどの事かな?


 俺を加えても、全く戦力にならない事を知らないからかな?


 ダンジョンの最短ルートを把握。


 天馬剣の使用。


 姉妹剣使いに匹敵する運動能力。


 全部ホリーのおかげだし。


 いうなれば、勇者であるシオンの力を、おこぼれで一部使っているだけなんだ。


 俺自身には、戦略的価値は無いに等しいのに。


 なんて事を考えていた俺の近くに、天馬剣が駆けおりてくる。


 文字通り、天を駆けた馬が、俺の傍らに降り立ってきた。


 ホリーが呼び寄せたんだろうけど、ホリー本人はどうしたんだろ?


 まだシオンの所にいるのかな?


天馬剣を一瞥したシネラリアは、冥府剣を俺の首筋から外すと、俺の肩に手を置いて、顔を近づけてくる。


 三角帽子が鬱陶しい。


「……無駄だと思うけど頑張りな。何を言ってんのか、今は解らないと思うけど、アンタが想定出来ない程の危機が待ってるよ」


 ジャスミンも、俺の手を両手で握りながら、


「今日の御恩は忘れませんわ。赤の他人に優しくされるのも、親しく話すのも、私達にとっては本当に久しぶりの事でした」


 なんて、熱烈な事を言ってくる。


 いや、俺別に優しくも親しくもなかったと思うけど。


 ド普通の対応だったと思いますけど。


 魔女服と、修道服を着た二人の姉妹剣使いは、ドラゴンゾンビの背に乗ると、その場から飛び去って行った。


「……俺も帰るか……」


 俺は、傍らにいた天馬剣に近づく。


 ホリーいないけど大丈夫かな?




「……」


 天馬剣ラムレイは、ホリーが傍にいないにも拘わらず、問題無く飛んだ。


 俺一人で乗れるか不安だったけど、杞憂だったみたいだ。


 天馬剣は勝手に王都に向かっているらしく、俺は何も考えずに手綱を握り、馬上にいるだけで良かった。


 なんだか、天馬剣の飛び方が何時もより荒い気がする。


 シオンとホリーがさっさと戻って来いと最速してるのかもな。


「ふう……」


 しかし、今日は疲れた。


 丸一日歩き続けたし、ホリーにも何回も憑依されたから、全身が痛いし、疲労感も強い。


 何もせずに昼寝ばっかりしてた罰が当たったのかなあ。


 それでも俺は反省せずに、明日から昼寝ばっかりすると思うけど。


 それに、疲れたのは精神面もだ。


 姉妹剣使いを連れて、ダンジョンを歩きまわる経験はあったけど、敵対してるシネラリアとジャスミンと一緒に行動するとは思わなかったな。


 しかも、敵に回した時は恐ろしかったのに、味方にすると大して頼もしくないという謎の現象が起きたし。


 そんな事を考えている間に、王都が見えてきた。


 やれやれ。やっと帰ってこれたか。




 王城内にある馬小屋の近くに降りた後、天馬剣を何時もの場所に止めた俺は、シオンの私室に向かう。


 また「お兄ちゃん! 帰ってきたんだね!」とか言われて飛びつかれるのかな。


 正直、徹夜で歩きまわって疲労困憊なんだけど、今回は事前に留守になる事を知らせて無かったから、何時もより心配をかけただろうし、まずは謝らないとな。


 その時、王城内の廊下を歩いていたカトレア教官と目があった。


「クロウ! お前!」


 何故か、カトレア教官は血相を変えて俺に駆けよってきた。


「こんな時に何処に行ってやがった!」


 何時もの事だけど、なんか怒ってる。


「どうしたんですか? 何かあったんですか?」


「どうしたんですかじゃねえよバカ! なんで肝心な時にいなかったんだお前は!」


「無茶言わないでくださいよ教官。俺だって好き好んで王都から出たんじゃないんですよ? 何時も肝心な時にいられる訳じゃありませんし……」


「……? お前……知らねえのか? ホリーさんから、何も聞いてねえのか?」


「え? ホリーなら、シオンの所にいるんでしょ?」


「……」


「教官? どうしたんですか?」


「こっち来い!」


 顔面を蒼白にしたカトレア教官は、俺の手を引いて廊下を走り始める。


「ちょ、教官……」


「うるせえ! 良いから来い!」




 俺が引っ張られた先は、シオンの私室だった。


 その、シオンの私室で、


「……え?」


 シオンがベッドの上で身体を横に倒し、ピクリとも動かなくなっていた。


「……え?」


 俺は、二度に渡って魔の抜けた声を出した。


 だって、明らかに、眠っているんじゃない。


 両眼を開けたまま、微動だにしない。


 これ、まるで、死んで……


「呼吸、脈拍、心音全てが止まっています」


 なんて事を、シオンの私室にいたプラタナスが呟いた。


 周囲を見渡すと、シオンの部屋には、俺をこの部屋まで連れてきたカトレア教官と、アイリス、サフラン、プラタナスがいた。


 プラタナスを除いて、全員が、悲痛な顔つきになっている。


「は? え? シオン……?」


 俺は、ベッドの上で固まっているシオンに近づく。


「……!?」


 呼吸をしていない!


 シオンが、息をしていない!


 俺は慌ててシオンの手を握るが、ぞっとするほど冷たい。


「……そんな……バカな……嘘だ!」


 叫び声をあげた俺は、シオンの胸に耳をあてるが、心臓も止まっている。


「嘘だ! 嘘だ! こんな事あるわけない!」


「落ち着いてくださいクロウ様。シオン様は死んでいる訳ではありません」


 この部屋の中で、唯一何時も通りだったプラタナスが、淡々と呟く。


「クロウ様。シオン様に触れて、何か気付きませんでしたか?」


「……?」


 俺は、プラタナスに促されるまま、シオンの身体にそっと触れる。


 額や、腕、足に触れていく。


「え?」


 シオンの身体は、まるで死体のように冷え切っている。


 しかし、妙だった。


 身体の感触が妙だったのだ。


 全く弾力が無い。


 死後硬直だとしても、不自然すぎる。


 これではまるで、


「石のようでしょう?」


「……ああ。死んでるわけじゃない……固まっている……?」


「端的に言えばそうです。この状態を生きている、と言えるかどうかは解りませんが、死んでいるとも言えないでしょう。これからどうなるかは想像も出来ませんが」


 プラタナスは、淡々と話しながら、顎に手を当てて何かを考え込んでいる。


「クロウ様には、本来勇者にしか見えない聖光剣に宿る聖霊の姿が見える、という話でしたね?」


「ああ」


「その聖霊は、この状態に関して、何か指摘していますか?」


「駄目だ……。今、俺の目の前にホリーはいない。シオンの近くにいると思ってたんだけど……いない……」


「……事態は深刻のようですね……」


 俺はとりあえず、自分が留守にしている間に何があったのか皆に聞いてみた。


 どうやら、シオンは王城の中庭で、何時も通り訓練に励み、カトレア教官とアイリスがそれに付き合っていたらしい。


 そして、プラタナスは食料生産量を増やす為の干拓に適した土地の候補地をリスト化し、書類を作成し、その調査や雑務の手伝いをサフランがしていた。


 全員が、何時も通りに過ごしていた最中、王都中が突然曇り空になり、頭上に巨大なダンジョンが浮遊している事に気付くと、善後策を話し合う事になったらしい。


 で、俺を除けばホリーの姿が見える唯一の存在だったシオンが、真っ先に俺がいなくなっている事に気付き、酷く動揺したらしい。


 俺の捜索をホリーに頼んだシオンは、ずっと塞ぎこんでいた。


 そんなシオンを見ていられなかった皆は、手分けして王城内や、王都の周辺を捜索していたらしいが、ダンジョンの最深部にいた俺を発見出来る訳もなく、手ぶらで戻ってきた時には、シオンはこうなっていたらしい。


「……シオンがこうなったから、ホリーが消えたって事か……」


 聖光剣に宿る聖霊のホリーは、勇者の覚醒と共に目覚め、勇者が死亡すると眠りに入る。


 この場合、最悪の事態を想定すると、シオンが死亡している事になるが、そんな恐ろしい事態は想像もしたくないので、その可能性は除外する。


 その可能性が万が一にもあるなら、俺達はもうお終いだ。


 魔王が復活した時に、全人類、仲良く皆殺しにされて終わりである。


 今のシオンの状態を、何らかの理由で起きた仮死状態だと考えれば、ホリーの消失と、シオンの意識不明も頷ける。


「……」


 俺はもう一度、シオンの身体に触れてみる。


 本当に、石のように固まって、人間味が無い。


 まさか、良く出来た人形じゃないかとも思ったが、それならホリーの姿が消えた理由が説明出来ない。


「クロウ様。シオン様のこの状態、明らかに通常の手段で起こせる現象とは思えません。可能性は二つです。近年各地で発生と消滅を繰り返しているダンジョン内から飛びだすという魔物。それが、何らかの特殊能力を有して、勇者に害を与えたのか。それとも、神剣の姉妹剣によるものではないかと」


「私は、姉妹剣の能力だと思うわ。今のシオン、まるで凍りついているみたい。私の氷結剣じゃ、こんな事は絶対に出来ないけど、神剣の能力以外にこんな現状が起きるとは思えない」


「んん。でもさあ、姉妹剣使いにこんな事出来るかなあ? 相手はシオンだよ? ぶっちゃけ、姉妹剣使いが全員で束になっても敵わないくらいシオンは強い筈でしょ?」


 プラタナス、アイリス、サフランが口々に意見を言うが、全員が最もな事を言っている。


 特に、アイリスの意見が最も確信をついている気がする。


 勇者に敵対行動をとる姉妹剣使い、なんてのは前代未聞らしいが、俺はそんな行動に出ているヤツを三人も知っている。


 それに、魔物如きに勇者が遅れをとるとは想像も出来ない。


 そんな事が有り得るなら、世界はとっくに滅んでいる。


 つまり、姉妹剣の能力を使った、シオンに対する攻撃だと仮定する。


 すると、答えは直ぐに出た。


 まず、この場にいる皆と、ヒース王子の持っている姉妹剣は除外する。


 俺は、そのメンバーを信用しているし、仮に、百歩譲って俺を裏切って出し抜こうとするヤツがいるとしても、魔王が復活する事が解っていながら、勇者に害を与えるような異常者なんか、一人もいないと断言出来る。


 それに、爆炎剣、氷結剣、雷鳴剣、真空剣、千里剣の能力を考えても、シオンを石にように固める事なんか不可能だ。


 最も似たような現象を起こせるのはアイリスの氷結剣だが、シオンは明らかに凍りついてない。


 アイリスには悪いが、実力的にも、性格的にも、シオンに危害を加える事は不可能だと断言出来る。


 そして、シオンに敵対的な行動に出ているシネラリア、ジャスミン、アマランスの持つ姉妹剣、冥府剣、治癒剣、鬼神剣、羅刹剣、魔級剣にも、人を石のように変える能力なんか無い。


 もちろん、俺が使う天馬剣にも不可能だ。


 という事は、残った最後の姉妹剣である、時流剣による犯行だという事だ。


 それは、未だに使い手が姿を現さない不気味な姉妹剣。


 まだ形状も能力も見ていない、唯一の姉妹剣。


「……まだ、俺達が知らない姉妹剣に、時流剣ってのがある……」


 俺がそう呟くと、プラタナスがじっと見つめてくる。


「その姉妹剣は、どのような能力を?」


「自分と、他人の時を操るらしい」


「人の時を操る? 単純に、過去や未来に飛びまわる時間遡航ではなく?」


「ああ。別の時代に行く、なんて芸当は出来ないらしい。基本的な使い方は、自分自身の時間を加速させた、超高速移動での攻撃と、戦う相手の時間を減速させた妨害、弱体化で戦うらしい」


「……かなり強力な……というより、凶悪な能力ですね。自分自身が加速し、敵対者は減速させるとは。攻撃や防御、回復や補助の類ではない。強化と妨害に特化した姉妹剣、という事ですか」


 プラタナスは、俺が少し時流剣の説明をしただけで、即座にその恐ろしさに気付いたらしい。


「形は、片刃の剣らしい。刀型だ」


「……尚さら恐ろしい。自分より遥かに動作速度の速い相手に、切れ味の鋭い刀で襲われるとは、想像もしなくないですね」


「ちょっと待てクロウ。その、時流剣で、シオンをこんな状態に出来るのか?」


 俺とプラタナスの会話に、カトレア教官が割って入った。


「出来るでしょう教官。相手の時を操れるのですよ? その極致は、減速を通り越した、停止……」


 俺の代わりに、プラタナスが答えを口にしていた。


「つまり、勇者シオンは死んでしまった訳ではない。凍結や、お伽噺の魔物が持つような、石化の類でもない。肉体の時が、止まっているのですね?」


「ああ、多分な」


 時流剣が持つ、相手の動きを減速させる能力を極限まで極めると、減速ではなく、完全な停止状態に追い込めるようになるらしい。


 その能力を使えば、シオンの時を止める事も可能だろう。


「ちょっとおかしくないかな?」


 その時、動かないシオンの頬を指でつつきながら、サフランが呟いた。


「自分が超素早く動いて、相手は止めれるって、ほぼ無敵じゃん?」


「いや、加速と減速は、同時に使うとそれぞれの効力が落ちるらしい。君の真空剣みたいに、二刀にそれぞれ別の能力を持ってる訳じゃないから、間逆の能力を同時使用するのはかなり無茶なんだよ。だから、普通は自分の加速にだけ使う」


「それでも、無敵みたいなもんじゃん。なんで動けなくなったシオンをそのまま放置したんだろ? 簡単に殺せるでしょ?」


 シオンを殺せる、という恐ろしい単語を、サフランはあっさりと呟いた。


「バカ言ってんじゃねえよサフラン。勇者を殺したりしたら、魔王が復活した時に全員死ぬだろうが。犯人だって助からねえぞ」


「そりゃそうだけどさあ。勇者に魔王を倒してもらおうって考えてるヤツが、そもそも勇者にこんな事するかなあ?」


「あ……」


 カトレア教官は、何気ないサフランの指摘に口をつぐんだ。


「ウチ、仮にアンタ等を裏切る気になって、クロウとかプラタナスを暗殺する事になっても、シオンにだけは絶対に手を出さないよ。ていうか、怒らせたくないから、クロウにも手は出さないし」


 トンデモねえ事言いだす女だなコイツ。


 ていうか、ナチュラルに利害が一致すれば、俺達と敵対してる連中に鞍替えしても良いと思ってるのが怖いよ。


「殺さない、ではなく、殺せないのでは?」


 プラタナスが、ボソリと呟く。


「理屈は解りませんが、時が止まっているシオン様の身体は、恐ろしく硬くなっています。この状態では、如何なる刃も歯が立たないかもしれない。というより、物理攻撃全般が、シオン様の身体に触れた瞬間に、止まってしまうのかも?」


 するとサフランが、いきなり真空剣の片方を取り出し、シオンの腕をツンツンとつつく。


「あ、ホントだ。刃が通らないや」


 瞬間、カトレア教官がサフランの後頭部を思い切り叩いた。


「痛い! 何すんの!」


「何すんのはこっちのセリフだバカ!」


「シオンが怪我したらどうするのよ!」


 無神経な行為に及んだサフランを、カトレア教官とアイリスが怒鳴りながら、シオンの傍から引っ張る。


「ま、まあ、とにかく、今のシオン様は、如何なる物理攻撃でも傷つかないという事は証明されました。突然殺されたり、死亡するような事は無いという事でしょう」


 プラタナスが、咳払いしながら呟く。


「クソ……俺が狙われる事はあっても、シオンが狙われる事は有り得ないと思ってたのが間違いだった……」


「それは、この場にいる者全員の認識ですよクロウ様」


 俺が舌打ちしていると、プラタナスが肩に手を置いてきた。


「我々全員が、心の底から先入観に囚われていたのです。如何なる目的を持った存在であろうと、勇者に害を与える事にメリットは無いと。魔王は単独で世界を滅ぼす力を持ち、その魔王に唯一勝利出来る存在は勇者のみ。この事実を考慮すれば、勇者に危害を加える事には、百害あって一利なしでしょう。常識で考えれば」


「……」


 俺は、ホリー以外には教えていないが、アマランス、シネラリア、ジャスミンの三人と、一時的に行動を共にして、共闘した経験がある。


 あの連中の主ってヤツは、勇者をこうやって妨害する事に何らかのメリットがあると考えているようだった。


 確か、勇者と魔王は対を成す存在だから、双方を滅ぼす事で、魔王が永遠に復活出来ない世界にするとかなんとか。


 コレが、その一環なのか?


 本当に、こんな事で、魔王が永遠に復活せずに、ずっと平和な世界になるのか。


 もしそうなら、妨害する事は無意味な事……


「違う!」


 俺は、自分の考えを自分で否定した。


 相手の目的とか、行動の成否、善悪なんかどうでも良い。


 仮に、魔王復活を阻止する為の行為だったとしても、シオンをこんな目に会わせる行為を肯定してたまるか。


 この子は……シオンは、ごく普通の、女の子なんだ。


 勇者に選ばれただけの、俺を慕ってくれる、女の子だ。


 それを、こんな目に合わされて、黙って見てるだけなんて。


「クソ!」


 一人でイラつき、怒号を上げると、同じ部屋にいた皆が心配そうにしていた。


「クロウ様。私達は貴方の指示を仰ぎたいと思っていました。この状況を打破するにはどうするべきかと。シオン様を今すぐ元の状態にするにはどうするべきかと」


「そんな事が解るならこんなにイラつかねえよ!」


 俺は、意味もないのにプラタナスに当たりちらしてしまう。


「でしょうね。私達にも皆目見当もつかない。ですから、貴方が戻ってくるのを待っていたのです。貴方さえ戻ってくれば、解決策が見えるのではないかと」


「無茶言うなプラタナス。俺は、ホリーが見えるって事だけで、どうにかこうにか、作戦を練ったり、無い知恵絞ってきただけだ。ホリーがいなくなったら、本当に何も出来ない。どうすればいいのか、全然解らない……」


 自分で言っている内に、恥ずかしくなってきた。


 しかし、どうにもならない。


 ホリーという最大の支援者を失った俺は、文字通り、ごく普通の凡人なんだ。


 こんな、勇者の危機を救う方法なんか、思いつく筈が無い。


 というか、どうすれば良いのか解らなくなって、目の前が真っ暗だ。


「俺に……出来る事は、何も無くなった……」


 そうして俺が意気消沈していると、カトレア教官が近付いてきた。


「それは違うぜクロウ」


 カトレア教官は、俺をじっと見上げて笑いかけてくる。


「確かに、ホリーさんの知識をお前の口から聞けるのは便利だったよ。天馬剣を飛ばせるのもな。それでも、お前は何も出来ないヤツなんかじゃねえ。お前がいたおかげで助かった事は沢山あるぜ?」


「教官……俺は、ホリーに教えられた通りに行動してただけなんです。ホリーがいなかったら、そもそもシオンを見つける事も出来なかったのに……」


「じゃあ、アタシがサフランに初めて会った時、サフランを殺すなって言ったのはホリーさんの指示か?」


「それは……」


「アイリスがシネラリアに拉致された時に助けた作戦は? アタシが処刑されそうになった時に助けた方法は? プラタナスのバカがお前を殺そうとした時、許して仲間にしようとしたのは、何処の誰だよ」


 俯いていた俺は、部屋にいた皆の顔を見つめる。


 アイリス、サフラン、プラタナス、そしてカトレア教官。


 皆、俺を見つめ返して笑っていた。


「ここにいる連中はな、揃いも揃ってお前がいなかったら死んでるんだよ。神剣の姉妹剣なんて御大層な武器を持ってる癖に、選ばれた勇者でも何でもないお前のおかげで命拾いしてるのさ」


「……」


「自信持てクロウ。お前なら、何とか出来る。アタシらもついてる」


「……」


 本当にさ。


 幼児退行して、ポカポカパンチしてきたり、泣きわめいたりするのに。


 この人は、本当に、一緒にいる事になれない。


 一緒にいる時間が増える度に、尊敬しか出来なくなるんだ。


「……その……それでだクロウ……」


 しかし、カトレア教官は何かを言い淀んでいた。


「今な、シオンの事で意気消沈してるから、こんな事言われても困るんだろうけどさ」


「?」


「もう一つ、問題が起きてんだよクロウ」


「問題? 何があったんです?」


「ヒースが行方不明になってる」


「……」


 俺は、しばらく無言になった後、


「今は、時流剣の使い手を見つける以外に手は無いよな」


「そうですね。それに、勇者の時間を止める、なんて芸当に時間制限が無いとも思えない。如何なる姉妹剣の能力だろうと、効果を永遠に持続させる事は出来ないと思いますが」


「そう言えばそうね。私の氷結剣だって、出した氷は時間が立つと消えちゃうわ」


「近くで能力使ってくれたら、ウチらが魔力を感知出来るかもだけどねえ」


 どうやってシオンを助けるのか、善後策を考え始めた。


「うおい! ヒースの事はどうすんだよ! アイツが行方不明になったのはシオンが石みたいに固まった直後なんだぞ!」


「今は捨て置きます。居ないよりはマシですが、現状ヒース殿下の不在は、シオン様が戦闘不能になった事実と比べて重要案件とは思えません」


「テメエ! プラタナス! ヒースとは長い付き合いなんだろうが! 心配しろや!」


「長い付き合いだから解ります。そう簡単に死ぬ方ではありませんよ。多分、生きてるんじゃないですかね」


「何だその適当な反応は!」


 教え子をわけ隔てなく心配しているカトレア教官と、冷徹で基本的に他人に対して無関心なプラタナスの会話を聞きながら、俺はヒースが行方不明になった原因を考えてみた。


 多分、シオンの時間を止めたヤツの仕業だろうけど、何故ヒースなんだ?


 頑張って戦う度に返り討ちに会うから忘れそうになるけど、アイツだって強い。


 ヒースの強さは、アイリスやカトレア教官にだって引けを取らない。


 規格外に強いシオンにぶん殴られ、姉妹剣を複数所有するアマランスにブッ飛ばされ、兄のように慕っていたプラタナスに何の躊躇もなく不意打ち食らって病院送りにされてる不運っぷりは、俺の目から見ても不遇だけど、アイツは結構強い。


 だから、ヒースの不在も俺にとっては大幅な戦力ダウンではある。


 しかし、不可解だ。


 戦闘経験豊富なカトレア教官と、知恵袋になるプラタナス。


 最も汎用性の高いアイリスと、隠密行動に長けたサフラン。


 その中の誰でもなく、いまいち戦績の悪いヒースを何故狙った?


「……」


 カトレア教官達に勇気づけられたから、もう意気消沈して思考停止したりしない。


 無能なりに、頭をフル回転させるつもりはある。


 しかし、俺はダンジョンの出口で別れたシネラリアの言葉を思い出していた。


 たとえ勇者や魔王だろうと勝てはしない。


 何が起きているか解らない間に事態はどんどん悪化する。


 そして、気がつけば敗北している。


 そこまで言わしめる時流剣の使い手が、打った手だ。


 もしかして、俺は初めて出会うのかもしれない。


 今まで、俺がなんとか生き残る事が出来た唯一の手段、丸投げが通用しない相手に。

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