4/第三章 史上最大最悪の危機

 ブルードラゴンにある湖を干拓するかどうかの問題を放置していた俺は、カトレア教官とアイリスから折檻を受け、文字通り尻に火がついたので、本当にプラタナスに相談してみる事にした。


 正直、こんな国家規模の問題を考察する羽目になるとは思わなかった。


 勇者を探し出して見つければ、一生左団扇の生活が待ってると思えば、聖光剣以外の神剣を持ってる連中に襲われるというファンタジックな危機に陥るし、それを何とか撃退したかと思えば、食料問題に取り組む羽目になる。


 何なの俺の人生。


 そりゃ勇者に憧れて、世界を救いたいという恥ずかしい夢はあったよ。


 でもこういう政治的な、現実味のある問題は勇者がどうにかするものじゃないような気がする。


 勇者って、基本的に魔王とか、その配下と戦ってる時以外は無職だし。


 まあ、俺は勇者じゃないから知らんけど。




「結論から申し上げれば、今回の干拓事業は暴挙ですね」


 自室にプラタナスを招いた俺は、二人きりで話し込んでいた。


 正直、今は女性陣と話したい気分じゃない。


 本当に疲れるから。


「暴挙って事は、止めた方が良いって事?」


「はい。私は実際に現地に赴いたわけではありませんが、常識的に考えて、周辺地域の水源となっている川や湖を枯渇させるような行為は危険なのです。取り返しのつかない事になりますから」


「へえ。アイリスと同じ意見なんだ? この国は干拓作業で大きな実績を上げてるって話だけど?」


「当然ですね。成功例ばかり吹聴し、失敗例を無視しているのですから」


 プラタナスの言葉に、俺は眉をひそめた。


「確かに、干拓や開墾なので田畑を広げ、食料生産量を増やした実例はあります。一方で、考えなしに森林を伐採した為に崖崩れや災害を誘発し、荒廃させた土地も多いのです」


「森林の伐採で、崖崩れ?」


「森や山の木々には、地面に根をはり、大地を安定させる作用もあるのです。それを何の考えも無しに伐採すれば、山崩れや洪水を誘発するのは当然でしょう。それは開墾だけでなく、干拓でも同様です」


「……」


 ああ、良いなあ。


 何言ってんか全然解んないけど、こういう知的で温厚なヤツとの会話は全然疲れないなあ。


 気を使わないと痛い目を見たり、怖い思いするあの女性陣とは大違いだよ。


「じゃあ、もうこの国はこれ以上、食料の生産量を増やすのは無理なのかな?」


「いいえ。全てはやり方次第です。山崩れ、崖崩れの起きないように開墾する余地も、水源を失わずに干拓する余地もまだまだあります。水源になりえない沼地や、海辺を干拓する方法もありますし」


「海辺を干拓? そんな事出来るの?」


「防壁を作り、波が入りこまないようにして砂浜を増やすなり、土木作業で出た余分な土を使用して埋立地を作るのです」


「塩っ辛い土地が出来そうだな」


 俺がそんな事を呟いた時、何故かプラタナスは噴き出した。


 何が面白いんだろ?


「塩辛い土地ですか。言い得て妙ですね。作物は塩に弱いので、確かに海を埋め立てても数年は食料を作るのは難しいですよ」


「じゃあ、どうすれば……」


「しばらく塩に強い植物を生産すれば良い。例えば綿とか。それを数年続ければ、土地の塩分濃度は下がり、通常の作物も得られるようになるでしょう」


「数年かあ……。気の長い話だなあ」


「国家百年の大計と言うではありませんか。国の政治とは、百年先、二百年先の事を考えて行うものです」


「……今、この世界でそこまで考えてるのはアンタだけかもね」


「……」


 何の気なしに俺が感想を呟いただけなのに、プラタナスは唐突に作り笑顔を止めて、閉じていた両眼を開いて俺を見つめた。


 相変わらず目を開くと怖い男だ。


「……確かに、私の意見は全て無意味です。机上の空論に過ぎない」


「何で?」


「私がどんな意見を言っても、採用された事はありませんから」


「へえ? 何か失敗でもした事あるの?」


「何度か、カトレア教官と共に指揮官として反乱軍を討伐した事があります。カトレア教官は基本的に兵を指揮せず、ご自身で最前線に立ちますので、実質私が最高司令官でした」


「……ははん。解ったぞプラタナス。失敗したんじゃなくて、大成功ばかりしたんだろ?」


「……」


 プラタナスは両眼を開いたまま答えなくなった。


 おかしいとは思ったんだ。


 いくら神剣の姉妹剣を持っているようなカトレア教官やアイリス程ではないにしても、歴代最高の成績で士官学校を卒業した男が、ヒース王子とか、勇者シオンの家庭教師で収まってるのが。


 順当に考えれば、有事の際にカトレア教官の副官を務めたり、場合によっては大軍の指揮官になるべきなのに。


 プラタナスが、成績が良いだけで出世競争ばかりやってる無能な官僚と違って、本当に天才的な軍人、政治家としての実力があるとすれば、他の権力亡者に足を引っ張られてもおかしくない。


 だって、俺みたいな無能野郎ですら暗殺されそうになったわけだし。


 もうこの国の権力者は腐りきってるのかもしれないな。


 まあ、暗殺者に襲われてる俺よりはマシみたいだけど。


「とりあえず、プラタナスの意見は解ったよ。ありがとう」


「……ありがとうとはどういう意味です。私の意見を貴方が陛下に進言した所で採用される訳がありません。私が提示した沼地や海辺の干拓作業は、湖を干拓する時の倍以上の資金と時間が必要です。こんな案が通る訳がない」


「俺が言うんじゃなくて、シオンに言ってもらえば良い。どんな案でも通るよ」


 その時、プラタナスは俺が震えあがる程の形相で睨んできた。


「その方法は正しくない……。暴力に訴えて通した意見は、成否、善悪問わずに通ってしまう」


「? プラタナスの意見をゴリ押しすると悪い結果が待ってるの?」


「そうは言っておりません。私が陣頭指揮をとって、数年かけてこの国の食料生産量を増加させる自信ならあります。しかし、結果が良ければ手段はどうでも良いとは思えません」


「はあ? じゃあ手段が正しくて結果最悪の現状を永遠に変えなくて良い訳?」


「それは……」


「正直さあ。俺はもうこの干拓とかいう話を考えたくないんだよ。面倒くさいし。よく解らないし。アンタが陣頭指揮出来るようにするから、何とかしてくれよ」


「……」


「とりあえず、プラタナスの干拓事業に関する意見をまとめてレポートにしてよ。それをシオンに王様の前で呼んでもらえば、この件は全部解決だ」


 我ながら最高のアイデアだね。


 故郷の湖を干拓しないからアイリスはキレない。


 食糧不足に改善の兆しが出ればカトレア教官もキレない。


 不遇な扱いを受けていたプラタナスは思うがままに仕事が出来る。


 そして俺は何もしなくて良いから左団扇。


 完璧だ。


「じゃあ、後の事はよろしく」


「……解りました。よく解りましたよ……貴方の事がね」


 何故か、その時のプラタナスの視線に、俺はゾクっとした。




 プラタナスに干拓事業に関するレポートの作成と、シオンの説得を任せた俺は、仲間を全員集めて、王城内の円卓の間に入った。


 関係がギクシャクしていたアイリスとカトレア教官。そしてサフランと、


「……お前誰だ?」


「ヒースだ!」


 呼んでもないのに、顔に包帯を巻いて、ゾンビみたいな状態のヒース王子も来ていた。


 俺達五人は、全員で円卓の席に着いていた。


「ていうか、今回はマジで誰か解らなかったんだよ。何だその包帯」


「前に鎧の化物と戦った時にやられた傷が治ってないんだ。全身大火傷で生死の域をさまよったんだぞ!」


「はあ、そりゃあ気の毒だったな」


「他人事みたいに言うな! お前の立てた作戦のせいだろうが!」


 ヒースが言ってる鎧の化物とは、アマランスの事だろうけど、あんな化物が国王暗殺未遂事件の犯人だったとは想定していなかったしな。


 確かに、ヒースの負傷は俺の責任だろう。


 まあ、悪いけどコイツがどれだけ酷い目にあっても、俺は何とも思わない。


 とりあえず、俺は集まった四人の姉妹剣使いに、今後の計画を話してみた。


 それに対する皆のリアクションが、


「ブルードラゴンの湖に手を出さないならどうでも良いわ」


「食料が数年で増えるなら文句はねえ」


「ウチはそもそも興味無いしよく解んない」


「……プラタナスに頼んだのか……」


 というものだった。


 珍しい事に、ヒースの意見だけが耳に残る。


「どうしたんだよヒース。プラタナスに頼み事するのは不味いと思うか?」


「いや……そうは言ってない。あの男なら、軍事も政治もそつなくこなすとは思うが」


 プラタナスは元々ヒースの家庭教師だった。


 プラタナスの事を一番よく知っているのは、カトレア教官よりも、むしろヒースの方だ。


「プラタナスに頼み事する事には、どうも抵抗を感じる」


「は?」


「あの男は恐ろしく上昇志向が強いからな。与えられた役目はなんだろうと完璧にこなす。それが、僕みたいな国王の息子というだけの理由で、将来最高権力者になるガキの勉強を教える事でもだ」


「じゃあ、今回の頼み事も聞いてくれるんじゃないの?」


「表向きはな。しかし、本心では面白くないと思っている筈だ」


「……学生時代に空気を全く読んでなかったヒースに、人の本心を読めるかなあ」


 俺がわざと挑発的な事を言っても、ヒースは怒りもせずに、腕を組んだまま、考え込むそぶりを見せていた。


「長く一緒にいれば嫌でも解る。プラタナスは人前では常に笑みを浮かべているが、時々恐ろしく無表情に、周囲の人間を見下しているかのような顔になるんだ」


 その時、俺は思わず手を叩いて同意した。


「ああ! 解る解る! 怖いよなあ! 時々無表情になって!」


 すると、何故かヒースは驚いたかのように、俺を見つめた。


「お前、プラタナスが無表情になっている所を見たのか?」


「見たよ? 話す度に何回か無表情に睨んできたけど?」


「……プラタナスは人前で無表情になる事はないんだ。僕が見たのは、アイツが一人でいる所を遠目で見た時とか、いきなり後ろから声をかけようとした時だ。僕が見ていると気付くと、アイツはすぐに笑みを浮かべたよ」


「へ?」


「まして、無表情に相手を睨むなんて事は絶対にしない。三年以上一緒にいて、そんな所は見た事がない」


「んん? つまり、どういう事?」


「お前はプラタナスにとって、作り笑顔を浮かべる事を忘れるくらいに不愉快な相手だという事だ」


「はあ? 何でだよ? 俺の何処が不愉快なわけ?」


「……少なくとも、僕はずっとお前の言動が不愉快だったが」


「私も、学生時代は貴方の事、見てるだけで不快だったわ」


 黙っていたアイリスまで、ヒースに同意しやがった。


 ていうか、同級生二人に言動が不愉快とか不快とか言われるって、どんだけ人望ないんだ俺。


「だから! 俺の何処が不愉快なんだよ! もめごとなんか一切起こしてないだろ!」


「成績低い癖にデカイ顔をしていたな」


「授業サボってる事に何の罪悪感も感じてなかったわね」


「自分の課題や仕事を他人にやらせる事に一切躊躇しなかったな」


「そもそも、宿題とか課題の類を未提出の状態で平然としている所が理解不能だわ」


「うるさい! もう何も言うな!」


 ヒースとアイリスが交互に言うだすので、俺は両手で耳を塞いだ。


 なるほど。


 この二人も学生時代は好成績だった訳だが、こういう優等生にとって、俺みたいな不真面目で成績の低い野郎は見てるだけで不愉快なわけだ。


 というより、成績が低い状態を改善しようとしていない態度に呆れているようだ。


 もし、プラタナスにそういう傾向があるなら、あの男にとって、俺は……。


「お兄ちゃん……」


 その時、シオンが円卓の間に入ってきた。


 ノックもせず、何の前触れもなく、いきなり。


 背後にはホリーもいるし、背中には聖光剣も下げている。


「お兄ちゃん。ちょっと聞きたい事があるんだけど」


「何だ? プラタナスに干拓の事聞いたのか?」


「……? 干拓って何? そんな事聞いてないよ?」


 はて?


 じゃあシオンは俺に何を聞きたいんだろ?


 円卓の間に入ってシオンは、後ろ手で扉を閉めると、椅子に座っている俺の近くに寄ってくる。


 その間、その場にいた者は何も口にしなかった。


 何時も通りだ。


 シオンが俺と話している間、周囲の人間はそれを黙って眺める。


 勇者の機嫌を損ねないように。


 勇者であるシオンが、唯一慕っている俺との会話を、決して邪魔しないように。


 何もそんなにビビる必要はないと思うけど、とにかくそれがシオンと俺の日常だった。


 そして、


「ねえお兄ちゃん」


「なに?」


「お兄ちゃんはどうして私を助けてくれたの?」


「は?」


 その時、


「お兄ちゃんが奴隷だった私を助けたのは、どうして?」


「……」




 俺は、生涯最大の危機を迎える事になった。




「お兄ちゃんが私を助けたのは、私が勇者だったから? 勇者じゃなかったら、助けてくれなかったの?」


「……!」


 質問の意図を察した俺は、本気で戦慄した。


 シオンにとっては何の気なしに聞いているだけなのだろうが、俺にとっては生死に関わる重大な問題だった。


 俺が、奴隷だったシオンを、奴隷という境遇から救ったのは事実だ。


 その為に、かなり苦労したのも事実だ。


 俺が、シオンを助けたというのは間違っていない。


 間違いなく、シオンの生活環境が改善した原因は俺だ。


 しかし、それはシオンが勇者だったからだ。


 もし仮に、シオン以外の人間が勇者だった場合、俺は奴隷だったシオンを助ける事はなかっただろう。


 極端な話、シオンが嫌っている母親や、日常的に暴力を振っていたシオンの雇い主が勇者だった場合、俺はその人物に聖光剣を渡していただろう。


 シオンは勇者だったから、奴隷という境遇から解放されただけだ。


 俺が、シオンという一個人を助けたいと思って助けた訳じゃない。


「……」


 そんな事を、シオンに言えるだろうか?


 言ってしまって良いのだろうか?


 いや、そうじゃない。


 果たしてそんな話をして、俺は殺されずに済むだろうかという話だ。


 じゃあ、嘘をつくのか?


 頻繁に暴力を受けている奴隷の少女に同情して、助けたくなったと。


 いや、いっその事、ロリコンだと思われても良いから、一目惚れして助けたくなったとか。


「……」


 明らかに嘘だ。


 偶然助けたくなった相手が勇者で、その時俺が盗んだ聖光剣に適合したから、勇者だと判明した。


 そんな話が、信じられるとは思えない。


 シオンは元々頭が良いし、最近はそれに磨きがかかってる。


 戦闘力だけでなく、学力や知性という面だけでも急成長中だ。


 それは、ホリーの悪態に負けないだけの悪態をつけるだけでも解る。


 そんな子が、俺みたいなヤツの嘘を見抜けないわけない。


「……」


 じゃあどうすれば良いんだ?


 考えろ。考えるんだ。


 俺はどう答えるべきなんだ。


 俺はホリーから勇者が東方にいると教えられて、シオンのいる町に向かった。


 そして、無事に勇者を発見した。


 シオンが勇者だと解ったから、聖光剣を渡しただけだ。


「はあ、はあ、はあ……」


 俺は、シオンから目をそらし、椅子に座ったまま俯いて、必死に頭を回した。


 正直に話せば殺されるかもしれない。


 嘘をついても殺されるかもしれない。


 じゃあ、絶対にバレない嘘をついてしまえば。


 いや、そもそも何で嘘なんかつく必要がある?


 俺は何か悪い事をしたのか?


 ホリーから勇者が誕生した事と、魔王の復活が迫っている事を教えられた。


 だから勇者の元に聖光剣を届けに行ったんだ。


 自分が死にたくないとか、もし上手くいけば出世できるだろうなって打算はあったよ。


 それでも、俺なりに頑張って、見事に成功したんだ。


 勇者の下に神剣を届けて、魔王の復活に備える。


 それに成功したんだ。


 神剣に宿る聖霊にとっても、勇者にとっても、この世界に住む全ての人間にとっても、それは正しい事だったじゃないか。


 もし失敗すれば、皆が困ってた筈じゃないか。


 恩着せがましい事を言う気はないが、俺の努力は良い結果をもたらした筈じゃないか。


 それが、何で嘘のつき方を必死になって考えなきゃいけないんだよ!


「お兄ちゃん。早く答えてよ」


「……!」


 視線を向けた時、俺は息を飲んだ。


 シオンの容貌が、十八歳前後にまで成長している。


 感情的になっている所為なのか、聖光剣の機能である憑依を使って全盛期の肉体に急成長して、険しい表情を浮かべている。


 シオンの、全盛期。


 魔王を打倒できる、唯一無二の存在。


 その、勇者の全盛期の姿。


 間違い無く、事実上、絶対的に、この世界で最強の存在。


「……」


 この世界で最強って事は、絶対に逆らえないし、何を抵抗しても無駄って事だ。


 俺は今、国王に死刑宣告された時よりも、神剣の姉妹剣使いに襲われた時よりも、魔物に襲われた時よりも、魔王と出会ってしまった時よりも危険って事だ。


 だって、勇者って魔王より強いんだぜ?


 俺は今、魔王と鉢合わせした時より危険なんだよ。


 その時だった。


 シオンの背後にいたホリーが、


〈は。何を今さら。勇者でなかったら、誰が貴方みたいな小便臭いメスガキを助けるものですか〉


「……キョ!」


 何時も通り、定評のある空気読めない発言をしてくれるので、俺は生涯で上げた事の無い奇声を上げた。


「ホリーは黙っててよ」


〈な……!〉


 不機嫌そうにシオンが呟いた瞬間、ホリーの姿がかき消えてしまった。


 ええ?


 勇者って、聖光剣に宿る聖霊を消せるの?


 まあ、消滅とかじゃなくて、一時的に聖光剣の内部に封じたって感じだけど。


「ねえ、お兄ちゃん。ホリーが言った通りなの? 私が勇者じゃなかったら、お兄ちゃんは私を助けてくれなかったの?」


「……!」


 俺は答える事が出来ず、ガタガタを震える事しか出来なかった。


 ふと、視線を移すと、カトレア教官、アイリス、サフラン、ヒース王子が四人揃って、円卓の間にある席から立ち上がって、部屋の隅に固まって立っている。


 多分、今の俺の状況を察したんだ。


 察した上で、何も出来ないし、何も言えないから顔面を蒼白にして立ちつくしている。


 いや、サフランだけ、何故か俺を興味深そうに凝視している。


 畜生!


 他人事だと思って楽しみやがって!


「お兄ちゃん」


 畜生! 畜生! 畜生!


 なんてマヌケだ俺は!


 この日が、この質問をされる時を想定していなかったなんて!


 有り得た話じゃないか!


 何時かされるに決まってた質問じゃないか!


 なんであらかじめ想定しておかなかったんだ!


「……」


 ああ、そうか。


 想定しなかったんじゃなくて、したくなかったんだ。


 だって、この疑念をシオンが居抱いた段階で、俺は終わっていた。


 別に、俺は何も悪い事はしてない。


 それでも、シオンがこの質問を俺にしようと思った段階で、俺は終わる。


 だから、想定しても無駄。


 要するに、長くて百年前後。普通に生きて数十年で死ぬ事想定しても、備える事なんか絶対に無理。


 死ぬ事を想定して備えても、結局人間は死ぬ。


 無駄なんだよ。


 人間がする事なんか、なにもかも無駄。


 この世界で何を達成しても、何を残して、何を成し遂げても、何時かは死ぬじゃん。


 じゃあ、何もしなくても一緒だろ。


 人間なんか、生きてても何の意味もねえや。


 別に、明日全員死んでも良いじゃん。


「はは……」


 あまりの恐怖にさらされた結果。


 俺の思考はいきなり冴えわたった。


 明日死んでも、一年後死んでも、十年後死んでも、百年後死んでも一緒じゃん。


 じゃあ、決めよう。


 嘘ついて死ぬ?


 嘘つかないで死ぬ?


「そんな事、決まってるだろシオン」


 俺は立ち上がり、シオンを見下ろす。


 全盛期のシオンは、ホリーくらいの身長だった。


 だから、俺より少し低いので見下ろせる。


 良いね。


 すごく良い。


 大人になったシオンはすごい美人でスタイルも抜群だ。


 絶対の美女だ。


 この容姿で、世界最強の戦闘力。


 最高じゃないか。


 この世界で最高で最強の女を見下ろして死ねるなんて。


 死ぬ前に見るものとしては、最高じゃないか。


「俺が君を助けたのは……」


 だから諦めよう。


「君が勇者だからだよ?」


 生きる事を諦めよう。


「え?」


 シオンは、キョトンとしている。


「君が勇者じゃなかったら絶対に助けなかった。君のいた家の隣にいたヤツが勇者だったら、そいつを連れて町を出ただけだ。て言うか、勇者が別の町にいたら、君と出会う事すらなかったね。仮に出会ったとしても、勇者でもない奴隷なんか絶対に助けないね。仮に君が泣いて助けてって言っても、俺は助けない。俺は君が勇者だから、君を金で買おうとしたし、金で買えそうにないから誘拐した」


「……お兄ちゃん……」


 シオンは俺を見上げたまま、固まっている。


 思ったよりブチ切れるのが遅いな。


 もう少し話せそうだ。


「俺は誰も助けないよ。この世界では奴隷なんかいくらでもいる。君と同じくらい不幸な境遇のヤツはいくらでもいる。君より不幸なヤツもいくらでもいる。この世界には、俺が知りもしない不幸な境遇のヤツが腐るほどいる。俺は、この世界に不幸な人間が大勢いる事を知っているけど、絶対にそいつらを助けない。この世界でどれだけ不幸な人間が増えようが、俺自身が困らないなら絶対に助けない。絶対にだ」


「……どうして?」


「はあ? どうしてって? それが普通なんだよ!」


 やけくそになった俺は、自分の無力を棚に上げて怒鳴り声を上げる。


「俺がこの城で貴族みたいな生活してる間になあ! 餓死してるヤツがいるんだよ! 路頭に迷ってるヤツがいる! 悪党に殺されるヤツもいる! 病気になってるヤツもいる! 家族に死なれて泣き叫んでるヤツだっているし! 奴隷になって死ぬまで働かされるヤツもいる! 俺が想像も出来ないくらいに苦しんでるヤツがこの世界にはいくらでもいるんだ! それでも俺に出来る事が何も無いから! 俺は他人の不幸を見て見ぬふりしてのんびりしてるんだよ! のんべんだらりと贅沢三昧してるんだ!」


「……」


「俺はそういう人間だ! 自分が幸せなら他人が何人不幸になっても平気なんだよ! だって他人事だからな! 他人が何人不幸になっても何にも感じねえ! 俺が幸せなら他の全員が不幸でも全然構わない! だって俺は不幸じゃねえから!」


「……」


「それが普通の人間だ! 自分が良ければ他はどうでも良いって! そう思ってるけど、綺麗事言って頑張ってるふりして! 他人の苦しみと不幸に目を背けて! 何もしないで生きてるだけ! だって勇者じゃねえし! 弱いしバカだし金もねえ! 誰も助ける事が出来ねえゴミなんだよ俺は! 他の連中も皆そうだ! そうでなかったら不幸な人間なんか絶対に生まれない!」


「……」


「俺は君みたいに助ける相手と殺す相手を好きに選べるヤツじゃねえんだ!」


「……」


「君は……この世界で一番強い。だから……好きにすれば良いんだ。殺したいと思えば誰を殺しても良いし、助けたいと思った相手は全員助ければ良い。殺したいだけ殺して、救いたいだけ救え」


「……お兄ちゃん……」


「この世界で一番強い君は、この世界で一番自由なんだ」


 俺は、シオンの両肩を掴んで、そんな言葉を口にした。


 コレが、俺がシオンに残せる最後の言葉だから。


 シオンが魔王を倒した後、他の人間に利用されたり、虐げられたりしないように。


「誰を殺しても良い。誰を救っても良いって?」


「ああ……」


 うわあ。


 なんか目茶苦茶な事を言った挙句に死ぬのかあ。


 やっぱヤダなあ。


「私が救いたいのは、お兄ちゃん一人だよ」


「はい?」


「お兄ちゃんは、自分が弱い所為で、不幸な人間を誰も救えない事に苦しんでるんだね?


今の言葉を聞いて良く解るよ。お兄ちゃんは、この世界にいる不幸を見て見ぬふりなんかしてない。助ける事が出来ない事を苦しんでる」


「え……?」


「だから私がお兄ちゃんを救うよ。お兄ちゃんが救いたいと思う相手を、私が全部救って見せる。お兄ちゃんが弱いなら、私が代わりに強くなるよ。誰よりも、何よりも強くなって、お兄ちゃんを苦しめる原因を全部無くしてあげる」


「……何で?」


「だって、理由はどうでも良いよ。私を救ってくれたのは、間違いなくお兄ちゃんだから。お兄ちゃんだから、私を救えたんだよ」


「……」


 そういう解釈になるの?


 さっきの情けないヤケクソ発言が?


「お兄ちゃんは何でも悪い方に考え過ぎなんだよ」


 なんて事を言いながら、シオンは俺に抱きついてくる。


 全盛期の身体で。


 胸デカ! 体全部柔らか!


「私が勇者じゃなかったら助けなかったって? 私だって、助けてくれたのが別人だったら、その人の事を好きになってたよ。別人でも良かったって言うなら、私もおんなじ。変な事じゃないよ」


「あ、はい……」


「私が勇者で、お兄ちゃんにだけホリーが見えるっていうのはね、きっと運命だったんだよ。私とお兄ちゃんにしか見えないホリーはね、私達にとっては運命の赤い糸なんだ」


「あ、そうですね、はい」


 抱きしめられていた俺は、逆らう事も出来ずにそんな事しか言えない。


 心配そうに見ていたカトレア教官とアイリスは、二人揃って半眼になってる。


 ヒースは何故か、笑みを浮かべて頷いているし、サフランは未だに俺を興味深そうに凝視していた。


「でもねえ、いい加減私のワガママを聞いてよお兄ちゃん。一緒にお風呂入って」


「あ、はい……ってええ!?」


 そんな要求の為に質問してたの!?


 そんな事で俺は死の恐怖を感じてたの!?


「私とお兄ちゃんが一緒にいる事を周りでぎゃあぎゃあ避難してるヤツ入るよね。ロリコンだの、勇者様を洗脳してるだの、利用しようとしてるだの。そういう事言う連中は皆私が何時でも消してあげるから、お兄ちゃんは誰はばかることなく私と一緒にいて良いんだよ。何でか解る? 私が一緒にいたいからだよ。解るよね?」


「はい。解ります。はい」


 俺はもの凄い力で抱きしめられながら、シオンの言葉を肯定していた。


 怖いよう。


 愛が重いよう。


「勇者シオン」


 俺がシオンに抱きしめられている最中、無言だったヒースが近づきながらシオンに話しかけた。


 シオンは俺に抱きついたまま、長身のヒースを見上げた。


「……誰?」


 そして、きょとんとした様子でヒースの事を微塵も覚えていないと口にした。


 ひでえ。


 俺もよく冗談で言ってたけど、二度と言わないようにしよう。


 アンタ誰だっけって、かなり無礼な態度だよな。


「シオン。ヒース王子だよ。王様の息子」


「ああ、あの偉そうなヤツの息子なんだ……。あれ? コイツって前にお兄ちゃんを殺そうとしてた……」


 ヒースの代わりに名前を教えてやった俺から離れたシオンは、いきなり凄絶な笑みを浮かべ、


「よく私の前に顔出せたね……! 今度こそ殺してあげるよ」


 なんてトンデモ発言を言う。


 ヒースが本気でビビり倒しているので、俺はシオンの肩を掴んで止める。


「待て待て! 殺したら駄目だ!」


「何で? 殺したい相手はいくら殺しても良いでしょ? だって私は世界一強いんだもん」


「駄目だっての! そういう意味で言ったんじゃないから! そいつも一応俺の友達だから! 許してやってくれ!」


「ふうん。お兄ちゃんってロクな友達いないね」


 シオンって、ヒースにはとことん辛辣なんだな。 


 まあ、一度とはいえ、俺を殺そうとしたのが尾を引いてるんだろうけど。


 その理屈で言えば、聖光剣を盗んだ時に俺を思いっきり蹴飛ばしたアイリスと、逃げてる俺を爆炎剣で吹っ飛ばしたカトレア教官と、ガチで暗殺しに来たサフランもヤバいだろうけど。


 ていうか、考えてみると、俺の身内って一回は俺の事ボコボコにしてるね。


「ゆ、勇者シオン……」


 ビビりまくっているヒースは、気を取り直したのか、再度シオンに話しかけた。


「今の疑問、クロウに質問しようと思ったのは何故だ? 只のきまぐれなのか。それとも、誰かに聞いてみるように促されたのか?」


 ヒースは、意味が解らない事を聞いた。


 するとシオンはあっさりと、


「プラタナスが聞いてみろって言ったから聞いてみただけ」


 なんて事を答えた。


「お兄ちゃんは私を利用する事しか考えてないから、私を愛してるとか大事に思ってるとか言うだろうけど、そういう事を簡単に言うヤツは信用出来ないってしつこく言うから、試しに質問しようかなって。お兄ちゃんはそんなチャラ男じゃないって知ってたけどね」


「……」


 ヒースは、やはり、と言いたげな顔をしている。


 んん? つまり、今回俺がビビり倒す事になったのは、


「プラタナスはお前を殺そうとしている」


 という事なのか?


「……」


 何で俺の身内は一度は俺をボコるのかね。


 全員やり方が違うのが辛いよ。

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