4/第二章 あちらを立てればこちらが立たず

「なあホリー。もうシオンと仲良くなれとか余計な事は言わないけどさあ。必要以上に刺激するのは止めてくれよ」


〈……〉


 就寝前の日課であるチェスをしながら、俺はホリーに話を切り出した。


「なんだって一緒に温泉に入ったとか教えるわけ? おまけにシオンと一緒に入らない事を信頼度の差とか言うしさあ」


〈……〉


「まあ、君は本音と建前の使い分けが出来ないんだっけ? 思った事がダイレクトで相手に伝わるから」


〈……〉


「それでもさあ、必要以上にシオンをイラつかせないように、少しだけ気をつける程度の事はしてくれないと」


〈……〉


 あれ?


 何で返事しないんだろ。


 さっきからチェスの駒を動かす事に集中して、一切会話に応じないぞ?


 まあ、俺が駒を動かすとすぐにホリーも駒を動かしてるから、別に機嫌が悪いわけでもなさそうだけど。


 というか、なんだか盤面を凝視して、腕を組んでいるぞ?


「……」


 非常に珍しい、というか、初めての事だけど、今回の対局は俺が優勢だった。


 という事は、チェスに集中しているという事か。


 なにも、こんな会話の合間に長考もせずにやっている遊びで本気にならなくても良いだろうに。


 ホリーが駒を動かす度に、俺は数秒も考えずに駒を動かす。


 そして、珍しい事にホリーの方が長く考え込む局面が増えてきた。


「ん? なんか俺が優勢だな。はは。初めてホリーに勝てるかもな」


〈……〉


 ホリーは返事もせずに、チェス盤を見つめて固まっていた。


 有利も何も、既に勝敗はついているような気もするけど。


「ホリー? どうしたんだよ? 顔色悪いけど? 体調悪のか? いや、それはないか」


〈……有り得ない……〉


「は?」


〈この私が人間風情に破れるなんて……〉


「はあ? いや人間風情って……」


 かれこれ一年以上一緒にいて、毎日のように対局している相手によくそんな事が言えるな、と思ったが、こういう女だと理解すると怒る気も起きない。


「まあ、今日は調子が悪かったんじゃないの? たまにはこういう事もあるでしょ」


〈有り得ない……有り得ない……有り得ない……〉


「いやいや。そんなマジになるなよホリー。一回負けるくらい良いじゃないか」


 ていうか、俺は一体何回負けたと思ってるんだろ?


 暇な時に対局してるから、一日平均十回対局してるとして、一年で三六〇〇回くらい。


 対局を初めてから一年半くらいだから、大体五〇〇〇回くらい負けたのかな。


 それだけの回数負けたのに文句も言わずに毎日相手をしていた俺が、一回くらい勝ったくらいで……。


〈キエエエエエエエ!〉


「ギャアアアアアア!」


 ホリーは奇声を上げてチェス盤をひっくり返し、俺の顔面にブチ当てた。


「何するんだよ!」


〈調子に乗らないでもらえますかね! たまたま優勢だったからって!〉


 チェス盤をひっくり返したホリーは、顔を真っ赤にしながら腕を組んでした。


「いや、俺は全く調子に乗ってなかったと思うけど……」


〈私の頭脳は人体の限界を超越した特別製! 美貌においても知能においても人間風情に劣る所は微塵も無い!〉


「ああ、そう……」


〈だから私が人間と頭脳戦で敗北する事など断じて有り得ないのです!〉


「ああ、解った解った」


 ぼやきながら、俺は床に散らばったチェスの駒を拾って回る。


 ていうか、何気に駒が顔面に突き刺さって痛かったんですけど。


 負けそうになったからってチェス盤をひっくり返そうとするかね?


 なんて幼稚なヤツなんだろ。


「じゃあ、今日はもう止めとく? 調子が悪いみたいだし……」


〈はあ!? 勝ち逃げする気ですか!〉


「いや、勝ってないだろ……。君がぶっちゃけたから」


〈このままじゃイラっとするんで終われませんよ! 早く駒を並べなさい!〉


「別に良いけどさあ。今度は負けそうになったからってチェス盤をひっくり返したりするなよ」


〈ああ!? 一回勝ちそうになったからって調子こいてんじゃねえぞタコが! 格の違いを見せてやらあ!〉


「解った、解ったからそんなに熱くなるなって。別に只の遊びなんだから……」


 俺は駒を並べ直すと、再びホリーと対局を始めた。


 まあ、ホリーは本当に尋常じゃないくらいに強いから、頭脳面で人間を凌駕しているのは事実なんだろう。


 だって、殆ど一瞬で最善手を打ってくるし。


 だからもう一回対局して俺が何時も通りに負ければ機嫌が直るだろう。


「……」


〈……〉


 そう思っていたのだが、次の対局でも、局面は俺の優勢だった。


 俺が駒を動かす度に、ホリーの顔色がどんどん悪くなっていく。


 そして、


〈有り得ない……有り得ない……有り得ない……〉


 なんて事を再びブツブツと呟き始める。


「ああ……今日は本当に調子が悪いんだなホリー。たまにはこういう日もあるさ」


〈……〉


「という事で、今日はこれくらいに……」


〈キエエエエエエエ!〉


「ギャアアアアアア!」


 再びホリーはチェス盤をひっくり返して俺の顔面にブチ当てた。


「だからソレ止めろって! 地味に痛いんだよ!」


〈調子こいてんじぇねえぞクソが!〉


「いや調子こいてませんけど! まったく調子こいてませんけど!」


〈うるさいうるさいうるさい! 生意気なんですよ! 私に勝つなんて!〉


「そんな本気で悔しがるなよ……。今日は調子が悪いだけだろ」


 というか、勝つか負けるか解らないから勝負事って面白いんじゃないの?


 俺は負けた事しかないから知らんけど。


「じゃ、今日はこれでお終いという事で……」


〈ふざけんなボケ! さっさと駒を並べろ!〉


「嫌なんですけど!? また痛い目に合うのが目に浮かぶんですけど!?」


〈ああ!? また勝てるとでも思ってんのかコラ! 奇跡は三度も起きねえんだよ!〉


「いや……まあ良いけどさあ……。もう同じ事はするなよ? 大人気無い……」


 そして、俺達は三度対局し、


「……」


〈……〉


 局面は、三度俺の優勢に……、


〈キエエエエエエエ!〉


「だから止めろっての!」


 今回は阻止した。


 ホリーが奇声を上げてチェス盤をひっくり返そうとすると、チェス盤を押さえて止めた。


〈キイイイイイイイイイイイイイイ!〉


 ホリーは奇声を上げながら空中で何回転もしている。


 なんて大人気無い女なんだろ。


「そんなに負けるのが嫌なら、もう止めれば良いだろ……」


〈ヤダ!〉


「いや、ヤダって……」


〈負けるのヤダ! 絶対ヤダ! 勝てないなんてヤダ!〉


「はあ、じゃあ、俺がわざと負ければ良いわけ?」


〈ヤダヤダヤダ! 勝てないなんてヤダ!〉


「ええ……」


〈私がクロウに劣る部分があるなんて絶対にヤダアアアアアアア! わあああああん!〉


 ホリーは両手で顔を覆いながら号泣していた。


 ていうか、悔しがり方がいちいちムカつく女だ。


 毎日、休む事無く相手してやってたのに、終始上から目線だった訳だ。


「あのなあホリー。絶対に負ける勝負を一年以上続けた俺の身にもなってくれよ。俺だってたまには勝っても良いんじゃないの?」


〈嫌です。常に負けてください〉


 泣いていたホリーは唐突に素に戻った。


 怒りやすいが、冷静になるのも早い女だ。


「ふざけんな! 必ず勝てる勝負し続けて面白いのか!」


〈私は必ず勝てる勝負しかしない主義なんです〉


「最低の発想だな!」


〈なにおう! 私の発想は何時だって最高に決まってるでしょうが!〉


「……あのなあ。俺は君に何千回負けたと思ってんの? 今日二、三回勝っても、君の勝率は九割以上だよ」


〈嫌です。勝率十割じゃないと嫌です〉


「……」


 なんてヤツだコイツ。


 まあ、こういうヤツだから絶対に魔王に勝ってきたのかもしれないけど。


「まあ、チェスなんて遊びなんだから、これで負けても君の戦績に傷は付かないだろ? だって君が敗北するって事は人類の滅亡を意味するんだから」


〈ふふん。そうですね〉


「君は勇者を育てて、魔王を倒すのが使命なんだろ? チェスで負ける相手がいるくらい許容しろよ」


〈ふん! 偉そうに説教垂れてんじゃねえぞボンクラ野郎!〉


「……」


 コイツ、本音と建前を使い分けるとか以前の問題だな。


〈暇つぶしに相手してやってたのに生意気にも私に勝ちやがって……〉


 そうなんだ。


 ホリーの中では俺と遊んでやってる気分だったのね。


 毎回誘ってたのはホリーの方なんだけど。


「ていうかさ、もう眠いから本当に終わりにして良いかな? 睡眠不足で疲労困憊になるまで対局すれば、何時かは君が勝てるかもしれないけどね?」


〈ああ!? そんな汚え真似するわけねえだろうが! 私と戦う時はコンディション最高にして来い!〉


 なんて言葉と共に中指を天上に突き出すと、ホリーは壁を通り抜けて隣の部屋にいるシオンの所に戻った。


 フェアプレイ精神はあるんだよな。一応は。


 わざと負けるのは嫌とか言ってたし。


 まあ、自分の敗北を許容できない段階でかなり幼稚だけど。


「……」


 俺は、自分が優勢になっているチェス盤を眺めて、ふと思った。


 ホリーは本当に強い。


 人間離れしている、を通り越して、計りしれない程、チェスが強かった。


 生身の肉体を持ってないからなのか、一切考え込む事無く、即断即決で最善手に至る。


 連戦による疲労も皆無。


 はっきり言って、生身の人間が叶う相手じゃないと思った。


「……」


 そんな相手に、三回連続勝てる俺って、一体……


「ホリーどうしたの? 不機嫌だね?」


〈うるさい。子供は早く寝なさい〉


「お兄ちゃんにチェスで負けたのがそんなに悔しいの?」


〈解ってんなら聞いてんじゃねえぞクソガキが!〉


「ぷぷぷ。唯一の取り柄で負けちゃって可哀そう」


〈唯一じゃねえよ! 私は超多才だっての!〉


 なんて会話が隣の部屋から聞えた時、俺はもうホリーに勝てた事がどうでも良くなった。 


 大した事じゃねえや。


 あの女に勝てる事なんか。




 翌日。


 暇を持て余した俺は、久しぶりにシオンの修行風景を眺めてみる気になった。


 考えてみれば、シオンの日課である聖光剣の扱い方に関する訓練をしっかり見た事はなかった。


 一体どんな訓練をしてるんだろう。


 そう思った俺はシオンが訓練に使っている王城の中庭を、二階のバルコニーから見下ろしてみた。


「はあああああああああ!」


〈脇が甘い! 隙だらけですよ!〉


「いやああああああああああ!」


〈切り返しが遅い! もっと早く!〉


「たああああああああああ!」


〈考えるんじゃない! 感じるんです! 自分の直感を信じなさい!〉


 斬り合ってた。


 シオンは憑依で成人化した状態で、ホリーと斬り合っていた。


 聖光剣を振り回すシオンの剣戟を、ホリーはごく普通の剣を握っていなしていた。


「……」


 そりゃあ、勇者と神剣が傍にいれば、ホリーはかなり重い物を持ち上げれるようになってたけど、考えてみれば、普通の剣を凄まじい速度、錬度で振りまわす事も出来る訳だ。


 ホリーは歴代の勇者が魔王を倒した際に使用していた聖光剣に宿る聖霊。


 その剣技は、達人という表現すら生ぬるい領域に到達している筈だ。


 そんなホリーの稽古を連日受けている為か、シオンの動きも尋常じゃなかった。


 しかも、ホリーは生身の身体持ってないから、遠慮無くぶった切ろうとしてるし。


 結果、シオンとホリーの斬り合いは、絶世の金髪美人と銀髪美人の凄惨な殺し合いになっていた。


 前にシオンとアマランスの斬り合いを見た時も思ったけど、早すぎてどんな動きしてるか解らないくらいだ。


 ま、俺以外の人間には、独りでに動く剣を相手に、シオンが一人で聖光剣を振り回しているように見えるんだろうけど。


 どうりでシオンが訓練中は誰も近づかないわけだ。


「この世の物とは思えない光景ですね」


 そんな事を考えていた俺の背後に、長身の男が立っていた。


「……」


 ダークグリーンの髪をオールバックにした長身痩躯。


 閉じられたかのように見える細眼を協調させる作り笑顔。


 シオンの家庭教師を務めている士官学校首席卒業者のプラタナスだった。


「クロウ様はどう思われます? 勇者の力を目の当たりにして」


「クロウ様なんて呼ばないでくださいよ先輩。俺は只のガキですから」


「いえいえ。そちらこそ、そのような口調はよしてください。どうかプラタナスとお呼びください」


「……じゃあ、プラタナス。そっちも敬語で話すの止めたら?」


「それは無理です。私の場合、この話し方しか出来ませんので」


「ああ、そうっすか……」


 やっぱり、なんか苦手な人だなあ、このプラタナスって人。


 背は高いし、妙な圧迫感というか、威圧感があるんだよな。


「シオンの勉強はどう?」


「文字通り、水を吸う真綿のように、私が教える事を吸収しています。非常に物覚えが良い方です。さすが勇者と言うべきなのか、それとも彼女独自の才覚なのか」


「歴代勇者の中でも最強の素養らしいよ。本当に規格外なんじゃないの」


「そうですね。私の目から見ても、本物の天才を目の当たりにした気分です。彼女は残酷な程に天才だ」


 残酷な程の天才?


 何言ってんのこの人?


「天才は、無邪気に他人の努力を踏みつけるものです。口ではなく、態度でもなく、単純に実力者で周囲の人間を傷付ける」


「え?」


「端的に言えば、彼女は周囲の人間全てにこう言っているのですよ。『お前の努力は全て無駄だ』と。凡人に過ぎない私では、近くにいるだけでこの身が焼き尽くされそうな思いです」


「いやいやいや! アンタ凡人じゃないでしょ。士官学校を首席で卒業したアンタが凡人なら、俺なんかどうなるの? 他の人間は? 殆どの人間はアンタに敵わないと思うよ? アンタだって天才だよ」


 俺がそう言った時、プラタナスは閉じていた両眼を見開き、作り笑顔を止めて、俺を無表情に見下ろしてきた。


 怖!


 イケメンだけど、無表情な長身の美形野郎って目茶苦者怖いな。


「私は自分の学力、体力が高い事は自負していますが、それは修練で得られる程度のモノ。私は自分が秀才とは思いますが、天才とは思えませんね」


「あ、はあ、そうっすか……」


 無表情に見下ろされている俺は、若干キョドっていた。


「秀才は、何処までいっても秀才どまりです。天才には決してなれない。特別な存在にはなれないのです」


「……」


「それに、主席など毎年輩出されます。吐いて捨てるほどいるでしょう。この世で唯一無二、たった一人の存在にはなれない。他に代わりがいくらでもいると思う人生など、儚い


と思いませんか? クロウ様」


「……」


 驚いたなあ。


 まさか、俺と同じ事を考えているヤツがいるなんて。


 それも、俺と間逆の好成績野郎が。


 特別な存在になりたい、なんて恥ずかしくて言えなかったけど、プラタナスの言葉は全くもって同意見だよ。


 ま、俺は特別になる為の努力を一切してないけど。


「へえ。プラタナスも勇者に憧れてたんだ?」


「は?」


「え? 違うのか? 唯一無二の特別って、要するに勇者になりたかったって事だろ? だから士官学校に入学して、神剣選定の時も毎回期待してたりした?」


「ああ、そういう事ですか……。いえ。私は勇者になりたいわけではありません」


「……んん?」


「勇者になるという事は、全人類の命を背負うという事。私はそこまで器が大きい訳ではありません。聖光剣に選ばれたとしても、重圧に耐えられたとは思えませんね?」


 へえ。勇者の重圧ね。


 俺は単純に世界最強に成れれば、自由に好き勝手出来るなあ、と考えてたけど。


「クロウ様。貴方は勇者発見の最大功労者として、これから……」


「クーローウー」


 何か言いかけたプラタナスを遮る形で、サフランの声が聞こえてきた。


 見ると、廊下を歩いているメイド服姿のサフランが手を振りながら俺に近づいてくる。


「あ? 何か取り込み中?」


「いえ。ではクロウ様。また機会があればゆっくりとお話ししましょう」


 なんて会話をサフランと交わしたプラタナスは、俺に背中を向けて去ってしまった。


「ねえねえクロウ。面白い事が起きてるから見に行こうよ」


「面白い事?」


 サフランは退屈を嫌い、修羅場を心底楽しむという真正のド変態だ。


 そんなサフランが面白がる事が、俺にとって楽しいわけないんだけど。


それに、今現在、繰り広げられているシオンとホリーの訓練くらいにインパクトのある件が早々あるとは思えないけど。


「面白い事って何?」


「カトレアとアイリスが喧嘩して殺し合いになりそう」


「まったく面白くないんですけど!?」


 いや、というより悪質な冗談か勘違いであってほしい。


 カトレア教官とアイリスは、士官学校の教官と生徒だった時から馬が合っていた筈だ。


 そして、今となっては神剣の姉妹剣を持つ者同士であり、付き合いの長い同性同士という事で、何重にもシンパシーを感じる面がある。


 俺の目から見ても、大人になったシオンのパーティーメンバー筆頭になるのはあの二人で間違い無いと思っていた。


 その二人が殺し合い寸前の喧嘩?


「何でそんな事になった?」


「解んない」


 サフランは心底どうでも良さそうに答えた。


 事の重大性が解ってないようだ。


「ねえねえ。あの二人が戦ったらどっちが勝つかなあ」


 違った。


 解った上で、楽しもうとしている。


「爆炎剣と氷結剣。炎と氷か。良いねえ。シオンとか、絶対に勝つのが解ってるヤツが戦っても盛り上がらないけど、実力伯仲のヤツが戦うのって面白いよねえ?」


「面白くない」


「場数はカトレアの方が上だけど、アイリスはウチと一緒にダンジョンを攻略してから一皮むけてるっぽいしね。良い勝負になるんじゃないの」


「いや、まずは止めろよ……」




 サフランの案内でカトレア教官とアイリスがいる場所に向かった俺は、思わず息を飲んだ。


 その場所とは、カトレア教官の私室だったのだが、部屋の中から蒸気が噴き出しえいる。


 まだ部屋に入ってないのに、嫌な予感しかしない。


 俺は溜息を吐きながら、カトレア教官の私室に入る。


「うお!?」


「ええ!?」


 室内にいた二人、つまり、カトレア教官とアイリスは、びっしょりと汗を掻いていた。


 そして、下着姿だった。


「……」


 俺は汗まみれになっている下着姿の二人を見て、ああ、俺って、なんてノックせずに入っちゃったのかなあ。死にたくないなあ、と思いながら、神剣の姉妹剣を抜き放つ様子を眺めた。




 そこから先の事は語るまい。


 怒った二人が大人気無く爆炎剣と氷結剣の放出を使って、俺を容赦なく攻撃したとか、サフランはとっくに逃げて安全圏にいたとか、俺の全身が軽度の火傷と霜焼に見舞われたとか、そんな事はどうでも良いさ。


 女の裸を見ちゃった男の言い訳なんて、どうでも良いじゃないの。


 まあ、とりあえず、二人が下着姿になってた理由だけど。


 サフランの言う通り、本当にカトレア教官とアイリスは喧嘩になっていたらしい。


 その時、二人は無意識の内に互いの神剣の能力を使用してしまい、爆炎剣から熱気が、氷結剣から冷気が出てしまい、室内が蒸し風呂状態になった。


 で、全身ずぶ濡れになったから、とりあえず落ち着いて話し合おう。


 そのためにも、まずは着替えよう。


 その時アイリスは自分の私服がある私室に戻ろうとしたらしいが、カトレア教官がバスローブを貸してやるから、このまま話にケリをつけようぜ、なんて言うから、二人で素っ裸になろうとした矢先に、俺がノックもせずに入っちゃったと。


 まあ、あえて思うけど、サフランから喧嘩しているという情報を聞いた俺が、心配して部屋に入ろうとした事は別に悪い事じゃないような気が……。


 いや、良い訳はするまい。




「え? ブルードラゴンに行くんですか?」


「ああ。まあな……」


 バスローブ姿のカトレア教官は、以前俺達が水枯れ事件の調査に向かった際に訪れたブルードラゴンに向かうと言いだしたのだ。


 同じくバスローブ姿のアイリスは、説明をカトレア教官に任せようとしているのか、不機嫌そうに腕を組んで黙っていた。


 サフランは、そもそも話しに興味がないようだったが、俺達全員分の紅茶を入れて、茶菓子を用意していた。


 普段は面倒臭そうにしているが、普通にメイドの仕事やってもそつなくこなすんだよな。


 そして、俺達三人は同じテーブルを囲んで話し合っていたが、サフランだけは俺の背後に立っていた。


「前に水枯れ事件が起きて、お前らが三人で行って解決してきただろ?」


「はい。あの後、水枯れの原因は無くなりましたので、ブルードラゴンにある湖の水嵩は少しずつ元に戻っているらしいですね」


「問題はそこだ」


「はい?」


 水枯れ事件が解決して、水嵩が下がっていた湖が、元の状態に戻ろうとしている事が問題?


 どういう事だ?


「実はな。近い内にあの湖を干して、新しい農地にしようって計画が合ったらしい。水嵩が下がってるなら好都合って事で、完全に元に戻る前に、湖の水をどうにかして抜いて、完全に干してしまおうって事に決まったらしい」


「いやいや。ちょっと待ってくださいよ。湖を干して畑なんか作れるんですか?」


「ああ。干拓ってヤツだ。山とか森を削るのは開墾で、湖とか沼とか海を干すのは干拓」


「へえ……」


 まったく知らなかった。


 まあ、俺が知っている事の方が世の中多いだろうけど。


 しかし、あの広大な湖を全部干して畑に出来るなら、かなり巨大な水田が出来るだろうな。


 食料も大量に得られるし、良い事ずくめだ。


「……で、その干拓という事業が始まるのに、何でカトレア教官とアイリスが揉めるんです?」


「そんな単純な話じゃないのよ。干拓って」


 カトレア教官の代わりに、アイリスが答えた。


「湖を干せば、二度と元には戻せない。あの湖から得られていた水産物は無くなるし、水源も失うわ」


「ああ……」


「元々湖だった土地を畑にしても、大雨が降れば水没する。それに、湖を失った後のブルードラゴンの何処から水を得るの? 広大な畑には大量の水が必要なのよ?」


「うん……」


「大雨じゃなくて、干ばつが起きれば? 水源を失った後に雨が降らなくなったら、巨大な畑は不毛の大地になるわ。その後、湖を干した事を後悔しても遅いのよ?」


 なるほどなあ。


 水不足。水没。干ばつか。


 そんな事態を招くわけにはいかないな。


 湖を干すのは止めた方が良いだろう。


「待ちなクロウ。この国の官僚も間抜けじゃねえ。今まで沢山の湖と沼地を干拓して、広大な田畑を作りあげたって実績があるんだよ」


「へえ……」


「その連中が目星をつけた土地がブルードラゴンだぜ? あそこの食料生産が盛んになれば、毎年増え続けてる餓死者も助かるってもんだ」


「はあ……」


「ああ? はあとかへえじゃねえよバカ。お前も元孤児なら飢えの苦しさは知ってるだろうが。自分が食うに困ってねえからって、貧困層の現状から目を背けんじゃねえよ」


「はい……」


「良いか? 本当の士官ってのは、戦争するだけが能じゃねえ。国と、民を守ってこその軍人だろ」


「カトレア教官。美談みたいな言い方で済ませないでください。湖を干した方が良いか悪いかはやってみないと解らない。でも、やった後でやり直しは効かないって話です」


 再び、アイリスが口を挟んだ。


 ていうか、珍しいな。


 優等生のアイリスがカトレア教官にこんな高圧的な態度とるなんて。


「ああ? アイリス。お前、自分の実家が湖で生計立ててる漁村の網本だから湖を残したいんだろ? 天下国家を論じる時に私情を挟むつもりか?」


「挟みますよ。当然でしょ。私はそもそも国なんか信用してません。常に自分の判断と、身の周りにいる大事な家族と友人を信じてます。その大事な人の中にはカトレア教官も含まれていますが、今回に関しては賛成しかねます」


「国を信用できない? 士官学校を卒業したお前が? それは無いだろアイリス」


「私からすれば国の決断を信用出来るカトレア教官の方が理解出来ません。良いですか? この国の王族はカトレア教官を無実の罪で処刑しようとしたんですよ? 反乱が起きればすぐにカトレア教官を最前線に放り出してた癖に」


「それはアタシが神剣の姉妹剣を所有してるからだ。圧倒的に強い個人になった以上、率先して危ない橋を渡る羽目になるのは仕方ねえ。それはお前も同じだぜ?」


「士官学校に入学した時から、戦場に出る事は覚悟しています。しかし、王族や貴族の都合に振り回されたり、処刑されそうになるのは御免です」


「それは今の話とまったく関係無いだろ!」


「ありますよ! カトレア教官を処刑しようとした連中の決定なんか一切信用出来ません! そんな連中の考えで自分の故郷を壊されるのは嫌です!」


「じゃあ毎年増えてる餓死者はほっといて良いってのか! アタシは孤児が飢えて死ぬなんて事は我慢出来ねえんだよ!」


「……」


 俺は二人の話を無言で聞いていた。


 黙っているのは話を聞く事に集中する為じゃない。


 本当にどっちが正しいのか解らない。


 ていうか、議論って正論同士がぶつかる事もあるんだな。


 まあ、よくよく聞いていると、お互いに相手の事を大事に思う気持ちがあるようだし、喧嘩してるわけじゃなさそうだ。


 このまま結論は二人が話し合って決めるしかないだろう。


「おいクロウ! お前はどう思う!」


「そうよクロウ! 貴方の意見は!」


「え!?」


 ここで俺の意見を求めるの?


 俺は思わず助けを求めるかのようにサフランの方を見たが、サフランはもういなかった。


 あの女逃げやがった!


 まあいても何の意見も言わないだろうけど。


「……」


 餓死者が増えてるから畑を増やそう。


 湖が無くなると水源を失うから駄目。


 別にどっちも間違った事は言ってない。


 正論と正論だ。


 いや、正確には、どちらかが本物の正論なのだ。


「……」


 いやいや。ちょっと待て。


 正論に偽物と本物ってあるのか?


 あったとして、それをどうやって見分けるんだよ。


 俺には解らねえよ。


 だって、考えてるヤツが俺だぜ?


 士官学校を最下位の成績で卒業した、干拓って言葉もついさっき覚えた十八歳のガキが、湖を干拓する事で得られる利益と不利益はどちらが多いか、なんて解るわけねえじゃん。


 魔王は倒そう。


 悪は滅ぼせ。


 迷宮は攻略。


 世界を守ろう。


 人類を守ろう。


 勇者がそれをやってくれるさ。


 なんて、超単純な理論だけじゃ駄目だったのか?


 俺はごく普通の凡人だぞ?


 勇者様。世界を守ってくださいって言うだけのヤツだ。


 そんな俺が、食料問題とか、環境問題を考察して答え出す必要が……、


「クロウ! 黙ってないで何か言え!」


「ちょっと待ってくださいよ教官……。そもそも俺が何か意見言って結論が変わるんですか? もう国は干拓するって決めてるんでしょ?」


「それを現地の人間が反対して反乱軍が形成されてるんだよ! アイリスのオヤジさんも参加してる!」


「ええ!?」


 俺が絶句していると、


「もし仮に、反対運動をしている現地人を無理矢理排除しようって言うなら、カトレア教官が相手でも私は故郷を守る為に戦いますよ」


 アイリスが更にトンデモ無い事を言いだす。


「ああ? 上等じゃねえかアイリス。この干拓作業を邪魔するってんなら、容赦しねえ」


「駄目ですよ教官!」


 俺は想像を絶するくらい状況が悪化してきたので、これ以上無いってくらいに慌てた。


「二人が戦うなんて事は絶対にあっちゃいけません! それだけは駄目です!」


「じゃあお前が何とかしろ!」


「無理ですよ!」


「代案もねえのにアタシの邪魔してんじゃねえぞ!」


「教官は安直過ぎますよ!」


「……あ? 安直?」


 ふと、俺が口にした言葉を聞いて、カトレア教官がきょとんとした。


「実際そうでしょ? 食料増やしたい。餓死者減らしたい。だから反対するヤツとは戦うって。そんなすぐに暴力に訴えないでください」


「……」


「もうちょっと考えてから行動してくださいよ。殺される前に殺せ、とかよく言ってますけど、敵と味方の区別はつけないと、それこそ軍人失格です」


「……」


「……教官?」


 その時、無言で俺の言葉を聞いていたカトレア教官は、何故か俺を凝視したまま固まっている。


 あれ? どうしたんだろう?


 なんて思っていると、カトレア教官の両眼から、いきなり涙がぶわっと溢れた。


「ええ!? 教官なに泣いてるんですか!?」


「うわああああああ!」


 カトレア教官はいきなり立ち上がって、俺の胸倉を掴んで無理矢理立ちあがらせると、両手をグーの形にして、ポカポカと殴ってきた。


 うわ、また出たよ。


 切羽詰まると起きるカトレア教官の幼児退行が。


 号泣しながらのポカポカパンチが。


「アタシをバカにしてんじゃねえぞバカ! お前にバカにされるのは我慢できねえんだよバカ! 畜生このバカ!」


「いや、別にバカにしてませんけど……」


「うるさいバカ! お前はアタシをバカにしちゃいけねえんだよバカ! 許さねえからなバカ! うわあああ!」


「ちょ、ちょっと教官落ち着いてください」


「お前はアタシを尊敬しろ! 懐け! 慕え! 好きになれ!」


 何を言っちゃってるんだこの人は……・


 今回の幼児退行はかなり酷いな。


 アイリスも、なんか俺とカトレア教官を見てドン引きしてるし。


 別に良いけど、何でカトレア教官だけじゃなくて俺の事も引いてるんだろ。


「いや、俺は教官の事は尊敬してますよ?」


「……本当?」


 カトレア教官は涙目のまま、俺を見上げて首を傾げる。


 うわ……。


 可愛いけど、カトレア教官の実年齢を考えるとかなりキツイ仕草だ。


 まあ、本当はカトレア教官の実年齢は知らないんだけど、爆炎剣を使って十五年以上たつとか、数年前に氷結剣と雷鳴剣を悪用したヤツを始末して、姉妹剣を奪ったという凄まじい武勇伝から判断すると、三十歳近くにはなる筈だし。


「はい。士官学校に入学したヤツは全員同じ考えでしょうけど、俺はカトレア教官程に尊敬出来る大人を見た事がありません。皆が教官の事を尊敬してますよ」


「……そう?」


「当然です。なあアイリス?」


 いきなり話を振られたアイリスは、


「え? ええ……尊敬してるわ。て言うか、してたわ……」


 最後の方は、聞き取れないほど小さい声で呟いていた。


「だから、そんなに焦って結論を出そうとしないで、もうちょっと穏やかに、話し合いで解決しようじゃないかって言っただけですよ」


「うん……怒ってごめんね……」


「……」


 駄目だ。


 何年一緒にいても、この人の挙動には慣れない。




「で? 結局どうするんだよ? ちゃんと代案出せよな」


 散々泣きまくった後、カトレア教官は元に戻った。


 もう俺とアイリスからの印象は、一生元に戻らないだろうけど。


 しかし、結局カトレア教官とアイリスが対立している問題は解決してないんだよな。


 解決策も浮かばないし。


 アイリスの故郷ブルードラゴンにある湖を、干拓するかどうか。


 そして、干拓しないというなら、食料生産量をどうやって増やすかどうか。


「……決めました」


 俺は結論を出す。


 カトレア教官とアイリスが食い入るように俺を見つめる。


「俺じゃいくら考えても解らないんで、もうこれ以上考えません」


「「ああ!?」」


 俺の下した結論に、カトレア教官とアイリスがキレていた。


「俺の頭じゃ何が正しいのか解りません。だから、俺はもう答えを出す事を諦めます」


「ふざけんな!」


「ふざけてませんよ。解らないものは解らないし、出来ない事は出来ないんです」


 カトレア教官が怒鳴ってくるが、俺は腕を組んだまま意に返さない。


「こういう時は、別人に考えて貰うんですよ。俺たちみたいな素人じゃなくて、専門家に」


「専門家? この国の官僚って事?」


「違う」


 アイリスの質問を、俺は即座に否定した。


「官僚は高成績のヤツとか、身分が高いヤツを集めただけで、何の専門家でもない。権限はあっても、責任はとらない。決定権はあっても、決断力はない。常に国の行方を左右しているけど、創造力も超能力も持ってない凡人集団だ」


 ボロクソな俺の官僚論に、カトレア教官とアイリスは息を飲んでいた。


 まあ、俺の貴族や官僚みたいな権力者に対する嫌悪感は、養父の受け売りだけどな。


 国の法律を決めてるのは全部官僚だ。


 腕力、暴力、知略、財力なんて力は目に見えるけど、権力は見えずらい。しかし一番大きい力だ……なんて事を、オヤジはよくボヤいてたっけな。


 まあ、国の行く末を決めてる権力者連中が、能力的、人格的に問題のない集団だったとしたら、この世界に貧困や戦争なんて概念はない筈だ。


 そもそも、大きな権力を持ってるヤツの使命は、出来るだけ市民が死なないようにする事の筈だ。


 市民が作りだすもの全てを、活かさず殺さず吸い尽くして財を得てるんだから、それくらいはするべきだろう。


 で、実際の所、格差と差別と混乱のオンパレード。


 つまり、権力者に権力者である資格なんか無いんだ。


 何時だって、何処だってな。


 文字通り、神様みたいなヤツに支配してもらわないと、人間様ってヤツは平和に暮らせないのかもしれないな。


「普通に考えて、知り合いの中で一番頭良いヤツに相談すれば良いじゃないですか。この三人で話し合って、解決策見つかるわけないですよ」


「「?」」


 俺は戦えないから、別人に戦ってもらう。


 だから、解らない事は、別人に答えを教えてもらうさ。




 知り合い、と言って良いかは微妙だし、開墾や干拓の専門家ってわけでもない。


 それでも、俺が知っているヤツの中で、一番賢いヤツと言えば、やっぱりプラタナスなんだよな。


 王立士官学校首席卒業者にして、勇者の家庭教師をしている男。


 きっと、多種多様な知識を持っている筈だ。


 少なくとも、即座に暴力に訴えるカトレア教官やアイリスよりはマシだ。


 俺は、カトレア教官とアイリスを残して、シオンの私室に向かった。


 そろそろ訓練を訓練を終えたシオンに、プラタナスが勉強を教えている筈だ。


 そのタイミングで、プラタナスに相談してみよう。


 シオンの部屋の前に着いた俺は、一応扉をノックする。


「シオン? 俺だけど」


〈クロウですか? どうぞ入ってください〉


「……?」


 何故か、シオンではなくホリーの返事が返ってきた。


 いや、訓練中はずっと一緒にいるから、今も一緒にいても変ではないけど、何でシオンが返事せずにホリーが?


 ホリーの声は俺とシオン以外に聞こえないから、誰かに対する返答をホリーにしてもらう事は、基本的に無意味なんだけど。


 怪訝に思いながらシオンの部屋に入った俺は、


「……」


 室内の光景を見て、驚愕していた。


 いや、別に全裸のシオンがいた訳じゃない。


 シオンがベッドの上でうつ伏せで眠っていた。


 そのシオンの身体を、ホリーが揉みほぐしていたのだ。


 あのホリーが、女子供の事を反吐が出るくらいに嫌いだと言っていたあのホリーが。


 シオンにマッサージしている。


「……」


 いや、これはきっと何かの間違いだ。


 ホリーはそんな女じゃない。


 訓練で疲労困憊になったシオンの身体をマッサージでケアしてやる、なんて愛情あふれる行為をシオンにする訳がない。


「……何してんの?」


〈マッサージですけど〉


「……何で?」


〈はあ? 何でってどういう意味です? 今日の訓練は白熱したんで、シオンの身体に乳酸が溜まってるんですよ。だから念入りに揉みほぐしとかないと〉


 そう言ったホリーは、うつ伏せで熟睡してしまっているシオンの両足を太股から足裏まで丹念に揉んでいる。


 うっそ~ん。


 目茶苦茶優しい手付きなんですけど。


 シオンが超気持ちよさそうな顔してるんですけど。


 ていうか、乳酸ってなんだ乳酸って。


 何気に俺の知らない単語を口にしないでくれ。


「ええ……? ちょっと待ってくれよ……」


 ホリーってシオンにそういう優しい行為とか出来た訳?


 シオンってホリーに全幅の信頼を寄せられた訳?


 マッサージって、信用してないヤツから受けるとくすぐったいんですけど。


 この二人って「クソババア」〈クソガキ〉って呼び合う仲じゃなかったの?


〈何を待ってほしいんですか? 別に何時もの事ですけど〉


「何時も!? え!? 君って何時もシオンを揉んでるの!?」


〈疲れてる時はね。最近は勉強の後の肩こりが酷いですねえ。今日は訓練で疲れたみたいなんで、勉強の方は休ませてあげてくださいよ〉


「休ませてあげてください……だと……」


 なんて慈愛に満ちた言動だろう。


 疲れている少女の全身を揉みほぐし、今日は休ませてあげてほしいだなんて。


 ヤバい。


 なんか俺泣きそうになってきた。


 何時も喧嘩してるから、どうやって二人の間を取り持とうか苦心してたけど、全部杞憂だったんだ。


 この二人は、不器用で、照れ症だっただけで、本当は信頼しあった相棒だったんだ。


 ちゃんと、勇者と神剣としての関係を築いていたんだ。


 良かった良かった。


 これで魔王との戦いにおける心配事は無くなった。


〈ふふふ……熟睡しましたね……〉


 その時、ホリーはうつ伏せで寝ているシオンを見下ろして笑みを浮かべた。


 そして、おもむろに立ち上がると、そのままシオンの後頭部に足の裏を乗せる。


〈ククク……揉むとすぐに寝やがってバカが……。何時も何時も生意気なんだよクソ〉


 ホリーはベッドの上でうつ伏せになっているシオンの後頭部をグイグイと踏んでいる。


「……」


 やっぱり駄目だった。


 俺は再び、二人の関係が悪化する原因を一つ知ってしまった。


「ん……むにゃ」


 シオンは苦しくなったのか、うつ伏せから仰向けに姿勢を変えた。


〈ふふふ……〉


 すると、ホリーはシオンの両手を掴み、自分の胸をシオンの顔に押し付け始めた。


「……むぐ……むう! むうう!」


〈苦しいですか? 苦しいですねシオン? コレが大人の女の力ですよ。美の象徴である乳房の使い方ですよ〉


 違うだろ。


 何言ってんだコイツ。


「もう! いつもいつも止めてよ!」


〈止めてほしかったら口の聞き方に気をつけなさい〉


「うっさいババア! どうせ私が何言っても気に食わない癖に」


〈よく解ってらっしゃる〉


 俺は口論を始めた二人を放置して、部屋を出て行った。


 カトレア教官とアイリスは修羅場になるし、シオンとホリーは喧嘩ばっかり。


 なんかもう、今日は疲れた。

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