3/第六章  最強の姉妹剣使い

「お前はバカか! どういうつもりだバカ! 何考えてんだバカ! とりあえずバカ!」


 カトレア教官の処刑が表向きに執行されてから数日後、ほとぼりが冷めたのを見計らって、俺はカトレア教官の潜伏先である貴族の別荘を訪れたのだが、顔を合わせたカトレア教官の第一声がそれだった。


 カトレア教官と一緒に潜伏しているサフランと、俺と一緒にスレイプニルに乗ってやってきたアイリスが、二人とも眼を半眼にしている。


 教官は派手に泣きながら、俺を見上げて両手をグーの形にしてポカポカ殴っている。


 この人のキレた時の癖なんだろうが、はっきり言って見た目以上に幼稚な言動だ。


「今回は何でキレてるんですか教官。事前に助ける方法を教えなかったからですか?」


「違えよバカ! お前、こんな事してるのがバレたら、お前らまで反逆者になっちまうだろうが! アタシの為に危ない橋渡ってんじゃねえよバカ!」


「はあ、まあ、そんなに言う程危なくないと思いますけどね」


「アタシは教え子を危ない目に会わせたくて教官になったんじゃねえんだぞ!」


「そう言われましてもねえ、教官の教え子の中で、教官を見殺しにしても良いと思うヤツはいないと思いますよ? ヒース王子とか、プラタナスまで教官を心配してましたし」


「う、うるせえバカ! そんな事言っても許さねえぞバカ!」


「……勘弁してくださいよ教官。俺達に教官を助けない、なんて選択肢は無かったんです。別にバレても問題ありませんし」


「ああ!? どういう意味だコラ! バレたら大変だろうが!」


「いや、教官が死ぬくらいなら、国を敵に回した方がマシじゃないですか」


 その時、カトレア教官の顔面が「ボン!」と音を立てながら赤面した。


 何でだろ?


「……クロウって、やっぱりロリコンなんじゃないの?」


 サフランがそんな事を呟くと、


「どういう意味だコラ! アタシは年上なんだぞ!」


 カトレア教官がプンプンとサフランに対して怒り狂い始めた。




「……で? お前らこれからどうするつもりなんだ」


 ひとしきりキレた後、カトレア教官は何時もの教官に戻った。


 既に、教官の奇行を見てしまったアイリスとサフランは微妙な表情になっているが。


 俺達は、潜伏先に使っている貴族の別荘内に入り、四人でテーブルを囲んで紅茶を飲んでいた。


 国にバレてはいけない行為に及び、隠れてコソコソしている割には、全員が余裕綽々としている。


「とりあえず、新犯人がもう一回、国王の命が狙うのを待ちます。その瞬間に、相手を捕まえれば、教官の無実は証明されますから」


「そんな都合良くいくか? ていうか、それだと陛下をおとりに使う事にならねえか」


「なりますけど、それがどうかしたんですか?」


「は? お、お前、陛下が死んだらどうするんだよ」


「別に死んでも良いじゃないですか」


 俺がそう言った時、何故かカトレア教官は絶句していた。


 そんなにおかしな発言でもないと思うけどなあ。


 あのダリア国王は、確かに悪い王様ではない。


 人の意見に耳を傾けるし、俺のような男を信頼するほどのお人よしだ。


 しかし、人の意見に耳を傾けてはいるものの、忠告と甘言の聞き分けが出来ていない。


 ヒースが処刑した方が良いと言えば、速攻で処刑を決めるし。


 要するに、自分の意志が無い。


 周囲の人間全員が忠臣で、立派な連中に囲まれていれば、稀に見る名君に成れただろう。


 だが、なれない。


 今、自分の権力を守る事に固執している貴族や官僚しか周囲にいない状況では、名君にはなれない。


 あの国王は、極めて優秀な士官学校の教官であり、強力無比な爆炎剣を自在に扱うカトレア教官を、全面的に信頼するという、俺でも簡単に出来る事すら出来ない。


 並の暴君よりもはるかに性質が悪い。


 だから、俺が能動的に死ぬように追い込む程の脅威ではないが、率先して守らなければならない相手でも無い。


 おとりに使った結果、死んでしまっても問題の無い王だ。


「ねえ、クロウ。ウチは何時まで隠れてれば良いわけ? いい加減、カトレアと二人っきりって状況にうんざりしてきたんだけど」


「ああ!? アタシだってお前と二人きりなんて嫌だよ!」


 何でこの二人も仲良くならないんだろ。


 アイリスがシネラリアに拉致された時に共闘してから、互いの実力を認め合っているっぽいけど。


 やっぱりアレかな。


 元々サフランが俺の事を殺そうとしていた事が、カトレア教官の中で尾を引いているのかな。


「カトレアって野菜食えってうるさいしさあ。相手するも面倒なんだよね」


「相手って何だ相手って! アタシは年上なんだぞ! ちょっとは敬え!」


 違った。


 既に、母と娘のような距離感になっているだけだ。


 少しはホリーとシオンに見習ってもらいたいくらいだ。


「……国王を暗殺しようとした新犯人が、もう一回国王に襲いかかれば良いんですけどね。どうすればもう一回暗殺事件を起こしますかね」


 俺が話を本題に戻す。


 すると、国王をおとりに使う事に難色を示していなかったアイリスが口を開く。


「暗殺するチャンスだと、相手に思わせれば良いんじゃないの?」


「おう。だったらサフラン。お前元々暗殺者だっただろ? 暗殺しやすい状況ってどんな時か言ってみろよ」


 なんて事をカトレア教官が言うと、サフランが両手を後頭部に当てながら考え込む。


「んん? ウチって暗殺の頃合いなんて一々考えてないよ。殺すって決めた時が殺し時なんだよ」


 殺し時って何だ殺し時って。


 物騒な事しか言わない女だ。


「そんな訳ねえだろ? バレないようにとか、殺すのを失敗しないようにとか、殺した後に逃げきれるようにとか、考える事山積みじゃねえか」


「ふふん。ウチは達成困難な暗殺程、燃える性質でねえ。護衛が何人いようが、相手のいる場所に侵入するのと、殺した後に逃走するのがどれだけ難しくても、必ず殺して見せるよ! むしろピンチになりたい派だよ」


「……お前、かなりのド変態だったんだな……」


 二人の会話を聞きながら、俺は暗殺しやすい状況、というものを考えてみる。


 確かに、教官の言う事は最もだ。


 殺すのを失敗したら意味が無いし、殺した後に逃げきれなくても意味が無い。


 例えば俺みたいなごく普通の人間が暗殺の犯人だった場合、国王のような最高権力者を殺すのは困難を極める。


 当然、護衛がいない、国王が一人の時を狙って殺し、暗殺が露見するまでの時間を稼いでから逃げる算段をつけるだろう。


 だが、姉妹剣使いのように強力無比な戦闘能力の持ち主なら、そんな事を考える必要はない。


 カトレア教官やアイリスなら、護衛ごと国王を暗殺出来るし、サフランなら透明化して、護衛に気付かれる事無く国王を殺し、逃げきる事も可能だ。


「……鬼神剣……」


 ホリーの推測では、今回の暗殺事件の犯人は、鬼神剣を使用している。


 鬼神剣の特性は、一発限りの強力な破壊魔法。


 つまり、一度しか暗殺の機会が無い姉妹剣だ。


 しかも、鬼神剣は身体能力の強化が行えないらしい。


 暗殺を実行した後、逃げるのも難しい。


 という事は、カトレア教官たちより、俺と似たり寄ったりの発想で暗殺しようとするかもしれない。


 国王が、護衛も連れずに、不用心で行動している最中にさっさと殺し、逃げる。


 そんな状況は、


「……あ」


 無いようで、あった。




「……鷹狩、だと?」


 カトレア教官の潜伏先から戻った俺は、王城内にあるヒースの部屋を訪れていた。


「そうだよ。お前がダリア国王を鷹狩に誘って、城外に連れ出せ。そうすれば、暗殺の新犯人が動くかもしれない」


「……お前、父上をオトリに使おうとする事を隠しもしないんだな」


「別に問題無いだろ? お前がきっちり国王を護衛すれば」


 どうでも良いが、国の最高権力者である国王の息子のいる部屋に顔パスで入れるようになるとは、俺も結構な御身分になったものだ。


「僕が傍にいる状況で、暗殺者が動くだろうか? 僕も姉妹剣使いだという事は、割と有名だと思うんだが」


「そこは大丈夫だろ。城内にお前とカトレア教官がいる状況で、城の一角をぶっ壊すような相手だぜ? 今は姉妹剣使いの人数が減ってると思って、逆にチャンスだと思うかもな」


「なるほど。父上も、カトレア教官を処刑した事で落ち着きを取り戻しつつある。僕が誘えば鷹狩に出るだろうな」


「当然、お前と国王の近くに、アイリスとサフランがきっちり控えてるよ。透明化で隠れながらな」


「そして、暗殺者が現れた時に、三人がかりで捕まえる、か。父上もその状況ではカトレア教官の無実を信じるしかあるまい。悪くない案だ」


「後からカトレア教官を表に出す時にさ、匿ってたのはお前って事にしろよ。国王相手にドヤ顔できるだろ?」


「……僕を見くびるな。他人の手柄を横取りするような真似が出来るか。カトレア教官を救えたのはお前のおかげだ」


「……いや、俺、実際には何もしてないけど……」


「お前の言う通り、父上を鷹狩に誘っておこう。その後の事はお前に任せるぞ」


「……」


 コイツ、学生時代の時みたいに突っかかると鬱陶しいけど、こんな素直に賛同してくれるのも、なんか気持ち悪いな。


 まあ、どうでも良いけど。




 数日後。


 ヒースの提案で、ダリア国王は鷹狩に出かけた。


 場所は、王都付近にある、御狩り場と呼ばれる立ち入り禁止区域である山だ。


 俺は、馬に乗り、鷹匠、勢子、荷物持ち等を数十人引き連れて、鷹狩に出発するダリア国王と、ヒース王子率いる一段を、天馬剣スレイプニルに跨り、空中から見下ろしていた。


 スレイプニルには、馬車を繋げてある。


 馬車のなかには、アイリスとサフラン、そして潜伏中のカトレア教官もいた。


 当初、一緒に来るように誘った時、カトレア教官は、


「ああ? 姉妹剣持ってねえアタシが行って何の役に立つんだ? そりゃあ、筋力はあんまり落ちてねえし、いざとなりゃあ、王城に保管してある爆炎剣を展開で呼びだせるかもしれねえが……」


 同行する事に難色を示していたのだが、


「教官。俺はいまいち、今回の事件を起こした犯人の目的を掴めていないんです。もし、犯人の目的が国王暗殺にあるのなら、教官には隠れてもらった方が良いと思います。でも、仮に教官を陥れて、姉妹剣の所有権を剥奪する事が真の目的だった場合、教官を単独行動させるのは危険だと思うんです」


「お、おう……」


「だから、サフランに護衛を頼んでいたんですが、今回、国王をオトリにして犯人を誘い出す事に成功した場合、アイリスだけで犯人と戦わせるのも危険です。サフランにもいてほしい。だから、教官も一緒にいた方が好都合なんです」


「そ、そうか……」


 教官は割とあっさりと同行する事を承諾した。




「……ふわあ……」


 俺は、空中からダリア国王達が行う鷹狩を見ている内に、退屈になって欠伸を出した。


 国王から報酬として貰ったスレイプニルが、空中を駆ける天馬剣だった事を、俺は仲間以外に教えていない。


 だから、スレイプニルの全容を把握させたくないので、俺はかなりスレイプニルと馬車の高度を上げて、下の様子を伺っている。


 これほど高度が高ければ、下から見上げられても鳥か何かだと勘違いするかもしれないし。


 バレたとしても、その時はその時だ。


 見張りを交代制にしているので、今の俺は馬車の中で横に寝転がっていた。


 今はカトレア教官が見張る番なのだが、何故かサフランも一緒に下の様子を馬車の窓から顔を出して覗きこんでいる。


「ねえねえクロウ」


 そのサフランが、馬車から顔を出したまま、俺に話しかけてくる。


「……なんだよ。何か起きたのか?」


「別に。でもさあ、下にいる連中、アレ何やってるの?」


「鷹狩だよ」


「鷹を狩るの?」


「……違う……鷹匠が育てた鷹を使って、獲物を狩るのが鷹狩。鷹自体を狩るんじゃない」


「何で犬とか連れてるの?」


「鷹が獲物を捕まえやすいように、山とか林の中で吠えて、獲物を移動させてんだよ」


「あの、長い棒を振り回してワーワー叫んでるその他大勢は何?」


「……その他大勢とか言ってやるなよ。アレは勢子って言って、隠れてる獲物を追い出す為にいるの」


「それで都合良く鷹に狩られる獲物がいるの?」


「そりゃ出るよ。御狩り場は貴族御用達の狩り場だぜ? 一般人は立ち入り禁止にして、誰も狩り出来ないようにしてんだから。獲物は豊富にいる筈だ」


「ふ~ん。で、アレの何が面白いの?」


「はあ? そんな根本的な事俺に聞くなよ……。自分が持ってる鷹が、どれだけ狩りが旨いのかは、貴族の自慢話の一つなんだぜ? こういう時に、自分の鷹の凄さをアピールするんだろ?」


「でも、自分で狩りしてるわけじゃ無いじゃん。凄い鷹持ってても自慢にはならないじゃん」


「……そういう哲学的な事を俺に言わないで……」


「……ていうか、さっきから鷹を扱ってるのが国王本人じゃないんだよねえ……」


「鷹を操るのは、日頃、狩りを教えたり育てたりしてる鷹匠の仕事なの」


「はあ? じゃあ、自分で育ててもいない鷹の自慢をしてるの?」


「そうだよ。それが貴族のステータスだよ。名馬とか自慢してる貴族だって、別に自分で馬の世話してるわけじゃねえし」


「ていうかさあ。さっきから見てると、国王とか王子とか、ごく少数のヤツが遊ぶ為に、すごい数の人間が必死に働いてるね」


「それがこの世の図式なの。ていうかもう質問攻め止めてくれよ。俺だって別に詳しくねえし」


「いや、詳しいでしょ……」


 そう言ったのは、質問攻めにしていたサフランではなく、寝転がっている俺の傍らで座り込んでいたアイリスだった。


「貴方、随分鷹狩の方法とか、御狩り場の事に詳しいのね。私も良く知らない話だったわ」


「ああ。昔、御狩り場に良く来てたしな」


「は? どういう事?」


「キツネとかシカが豊富にいるからな。オヤジと一緒に侵入して狩りやってたんだ」


「はあ!? あ、貴方、進入禁止区域に入ってたの!?」


「入ってたけど?」


「いやいや! 犯罪でしょ?」


「まあ、バレたら処刑だったな。今考えるとぞっとするぜ。オヤジも凄い悪党だったもんだ……」


「全然悪びれないのね、貴方……」


「まだ子供だったし、弓とか下手クソでまったく上達しなかったし。ていうか、犯罪だったかどうかも知らなかったよ」


 しかし、あの時養父に罠の張り方と、狩った獲物を殺し、捌き、食い、皮を剥いで売る方法を教わった。


 弓矢を何度討っても命中せず、落ち込んでいた俺に、オヤジは、


「自分に出来ねえ事ばっかり考えるな。自分に出来ねえ事は他のヤツにやらしゃあ良いんだ。自分に出来る事を力一杯やってりゃあ、何でもどうにかなるもんだ」


 なんて事を言いながら、罠の張り方を教えてくれた。


 変なオヤジだった。


 縁もゆかりも無い俺を拾って育てて、士官学校に入学する金まで用意して。


 それで、俺の事を、自分が生きてる理由だった、なんて訳の解らない言葉を残して、死んでいった。


 あんな風にはなれない。


 あんなに、強くて優しい大人に、俺はきっとなれない。


 でも、まあ、俺が王子であるヒースに何を言われても、何をされても反抗的だったのは、今思うと、オヤジのように成りたかったからかもしれない。


 生まれた家が貴族だという理由だけで、全てを自分達の都合で決める連中に、オヤジは常に反抗的だった。


 結局、俺の言動は、養父の受け売りでしかないのかもしれない。


「……は」


 親子そろって、取るに足らないその他大勢で、ごく普通の市民だったなあ。


 本当に、何処にでもいるごく普通の人間だった。


 その時、何故か見張りを担当していたカトレア教官が、俺の方を見つめていた。


 しかし、別に何も口にしなかった。




 ドクン!




 その時、鼓動が聞こえた。




「……!」


 それは、俺自身の心臓がなる音だった。


「……! な、なんだ? 何か……!」


 俺は、急激に体調が悪くなってきた。


 周囲の様子を伺うと、馬車の中にいた他の三人も、急に顔色を悪くしている。


 病気や、毒の類が原因じゃない。


 今、俺達は精神的な事が原因で気分が悪いのだ。


 俺達は、緊張している。


 恐ろしく、緊張している。


 しかも、自分達が緊張している原因が解らない。


 何故か解らないが、急に恐怖感と緊張感が俺達の身体を支配していた。


 理由も解らないのに、急に怖くなって、この場から離れたい衝動に襲われている。


 何時も、動揺ばかり繰り返してきた俺だけでなく、あの姉妹剣使い達ですら。


「……これは……すごいねえ……」


 初めに口を開いたのは、暗殺者だったサフランだ。


「本当に……すごい殺気……」


「やっぱ、これは殺気か……」


 実戦を経験しているカトレア教官が、サフランに同意を示す。


 アイリスは、全身を小刻みに震わせながら、無言を貫いている。


 俺は、冷や汗を流しながら、馬車の窓から顔を出した。




 死屍累々。




 そうとしか形容できないあり様だった。


 勢子を務めていた連中が、全員倒れ伏し、御狩り場が焼け野原になっている。


 その焼け野原で、ダリア国王が腰を抜かし、ヒースが雷鳴剣を構えている。


 ヒースは雷鳴剣を構えながら、下の惨状を作った原因と対峙している。


 おそらくは、国王暗殺未遂事件の新犯人。


 鬼神剣の姉妹剣使い。


 その姿を確認した時、


〈……な!?〉


 俺の傍らで、ホリーが絶句している。


 人前では話さないでの、いるのかどうかも忘れそうになるが、ホリーはずっと俺の傍にいる。


 俺の傍で、あらゆる知識を惜しげも無く披露し、どんな姉妹剣を見ても動揺せず、余裕綽々と機能を説明してきた、あのホリーが絶句している。


 鬼神剣を持っているであろう、国王暗殺未遂事件の犯人を見て、ホリーは未だかつて無い程の動揺している。


「ホリー! どうした? アイツが鬼神剣の姉妹剣使いなんだろ? アイツの姉妹剣は、一回しか使用できないんだな?」


 そう。


 鬼神剣はその高い性能故に、一度使用しただけで所有者の魔力を使い果たしてしまう、燃費の悪い失敗作。


 つまり、初撃をしのげば絶対に勝てる相手なのだ。


 ヒースなら、勝てる相手の筈だ。


 そうでなくても、今からアイリスとサフランが加勢する事だって出来る。


 必ず勝てる相手だ。


 にも拘らず、ホリーは目を見開いて、口を手で押さえて絶句している。


 何か、信じられない者を見ているかのように。


「ホリー! どうしたんだ! あの鎧を着てるヤツは一体何だ!」


 そう。


 鬼神剣らしき、両手大剣を持ち、ヒースの前に立ちはだかっているヤツは、黒い甲冑に身を包んでいた。


 しかも、鎧から黒い陽炎のようなものが産み出され、それがヤツの周囲を揺らめいている。


 まるで、闇が鎧の形になって、人の身を包みこんでいるかのように。


〈あ、あの鎧は……! あの鎧は羅刹剣タルンカッペ……!〉


「何!? じゃ、じゃあアイツが持っている剣は姉妹剣じゃないのか!?」


〈い、いいえ! あの大剣は鬼神剣グラムです! ア、アイツは、鬼神剣と羅刹剣を一人で扱っている!〉


「はあ!? 一人で複数の姉妹剣を扱うヤツなんかいるのか?」


〈い、いません……いる訳が無い……! だって、これまで一度だってそんなヤツは現れなかった!〉


「……!」


 姉妹剣を、複数同時に使用する。


 それが可能だった者は、未だかつていない。


 ホリーが、勇者と共に魔王と戦ってきた長い歴史において、一度も現れなかった存在。


 しかも、


〈あ、あり得ない……! 所有者を決めるのは姉妹剣なのに……! 複数の姉妹剣から同時に認められるヤツなんて……! しかも、それが鬼神剣と羅刹剣なんて! そんなの絶対にあり得ない!〉


 ホリーをして、性能が高すぎるが故に、長らく所有者不在だと言わしめた失敗作、鬼神剣と羅刹剣の両方から、所有者だと認められた存在。


 それが、この件の新犯人。


 俺は頭の中で、ホリーから事前に与えられていた情報を思い出す。


 今まさに、新犯人とヒースが互いに神剣の姉妹剣を構えて対峙している最中に、呑気にも考え込む。




 鬼神剣は絶大な破壊力と引き換えに身体能力を強化出来ない。


 羅刹剣は最大の身体能力強化が行える代わりに魔術や特殊能力の類が無い。




 その二本を同時に使用出来る相手。


 さてどうするべきか。




「あ……バカ王子がやられた」


 サフランが、馬車の窓から下を覗きこみ、他人事のように呟く。


 俺も確認してみる。


 すると、ヒースは鎧を着ている犯人から数百メートル離れた位置で、体を明後日の方向に曲げながらピクピクと痙攣している。


「ヒースはどんなやられ方をした?」


「なんか、剣振りかぶって向かって行ったけど、剣は鎧に弾かれて、グーで殴られて吹っ飛んじゃった」


「……」


 シオンにやられた時みたいな状況だ。


 ということは、やはり俺の予想通り、あの鬼神剣と羅刹剣の使い手は、シオンと同じくらい強いヤツらしい。


〈クロウ。提案があります。今すぐ王都に戻ってシオンをここに連れてくるべきです。それ以外にこの状況を打破する方法は無い〉


「よし。それでいこう。撤収だ」


 俺は馬車の御者台に座り、スレイプニルの手綱を握ろうとした。


「はあ!? ちょっと待てクロウ! お前逃げる気か!?」


 すると、背後からカトレア教官が俺に掴みかかってくる。


「はい。逃げます。気付かれない内に」


「ふざけんな! あのままだとダリア国王もヒースも死んじまうぞ!」


「仕方がありません。俺の見通しが甘かったようです。今から全員で下に降りても全滅します」


「お前……! 自分の提案で誰かが死ぬ事になって良いと思ってんのか?」


「仕方が無い事です」


 その時、カトレア教官は何やら衝撃を受けた様子で、フラフラと馬車の中で尻もちを付いていた。


 確かに、今回、ダリア国王をオトリに使おうと言いだしたのは俺だ。


 ここまで強力な姉妹剣使いが現れる事は想定外ではあるが、そうでなくても暗殺が成功してしまう可能性は十分にあった。


 護衛にあたるヒースも危険だったろう。


 しかし、俺にはどうでもいいことだ。


 王族の連中が生きるか死ぬか、なんて事は、俺には何の関係も無い。


「……私もクロウと同意見です。ダリア国王を守る為に危険を冒したいとは思いません」


「ウチは下のヤツと戦ってみたい気はするけど、勝ち目無いっぽいし、逃げても良いよ?」


 その時、アイリスとサフランが二人して俺の提案に乗った事で、カトレア教官は尚更ショックを受けていた。


「お、お前ら……どうしてだよ……?」


「教官を処刑しようとした連中なんか、私にはどうでも良いです。他人が殺してくれるなら好都合ですよ。ねえ? クロウ」


「アイリス……それは……!」


「教官。殺される前に殺せって教えたのは教官でしょ。今度同じような暗殺未遂が起きれば、疑われるのは私なんですよ。もうあんな連中に付き会うのは御免です」


 俺はアイリスの、無表情な顔を見つめた。


 まさか、国王によるカトレア教官の処刑命令を、ここまで嫌悪感を持って眺めていたとは。


 王立士官学校でカトレア教官の勲等を受けた連中は、多かれ少なかれ同じ感情を抱いていただろうが。


「とにかく、今はこの場から離れる事が先刻です」 


 今度こそ、俺は本当に御者台の上で、スレイプニルの手綱を握った。


 シオンの力を当てにするのは本当に主義に反するが、これは人間同士の戦闘や戦争というよりも、姉妹剣を私的に使用し、勇者と協力関係になろうとしない、という想定外の自体が何度も起きたからだ。


 この、姉妹剣使いによる行動に関しては、シオンがホリーと共に当たるべきのような気がする。


 まあ、死にたくない俺の言い訳にしかならないけど。




 その時、俺は本当に自分の立場を忘れていた。




 その時、俺は本気で自分の立場を思い出した。




 眼前に、鎧姿の姉妹剣使いがいる。




「なあ!?」


 遥か上空に浮遊しているスレイプニルに、ここまで肉薄している?


 どうやって?


 混乱の極み達している俺を嘲笑うように、鎧姿の姉妹剣使いは、空中で鬼神剣を大上段に構え、躊躇無く振り下ろしてくる。


「うおおおおお!?」


 鬼神剣の切っ先から、ヒースの持っている雷鳴剣とは比べ物にならない程の閃光が走る。


 それはもう、シオンの持つ聖光剣に匹敵するレベルの発光だ。


 膨大な熱量を伴った光の刃を、俺はスレイプニルの手綱を操って回避する。


 そんな芸当が出来たのは、俺が馬術の達人だからじゃない。


 ホリーが俺の体内に憑依し、スレイプニルを操っているのだ。


 それでも、完全に回避する事が出来なかった。


 俺と、馬車に乗っていた三人に、容赦なく雷撃が襲いかかる。


 全員、悲鳴を上げる事も出来ない衝撃を受けている。


 スレイプニルに引かれていた馬車がコントロールを失い、きりもみしながら落下していく。


 俺達が受けた雷撃は、おそらく鬼神剣が放った閃光の本体ではなく、その周辺を流れる余波のようなものだろう。


 光の刃を直撃したのではなく、ほんの少し掠っただけ。


 自分達が乗っていた馬車が、光の刃を食らったわけじゃない。


 間近に、光の刃が通り過ぎただけ。


 それでも尚、甚大な被害を俺達にもたらしてくれた。


「……! クソ……!」


 俺は雷撃を受けながら、歯を食いしばってスレイプニルを操作する。


 ダリア国王や、ヒース王子はどうでも良い。


 はっきり言って、一度俺を処刑しようとした時から、死んでも良い相手だと思っていた。


 しかし、後ろの馬車にいる三人は違う。


 アイリスもカトレア教官もサフランも、絶対に死なせる訳にはいかない連中だ。


 俺が死んだとしても、この三人を死なせる訳にはいかない。


 俺の変わりは、吐いて捨てる程いるが、三人を失った損害は計り知れない。


 この三人は、シオンにとって絶対に必要な仲間だ。


「……つう! ぐう!」


 俺が必死に操作したのが通じたのか、スレイプニルが落下寸前に減速してくれた。


 そのおかげで、俺達は地面に激突する事は避けられた。


 しかし、スレイプニルは地面に着地した瞬間に倒れ込み、馬車も横殴りに倒れてしまい、俺は御者台から地面に叩きつけられた。


「……」


 俺は、地面に倒れ込んだまま、馬車の中の様子を確認しようとしたが、


「……貴殿が噂に聞く、勇者発見の最大功労者、クロウか」


 地面に顔をつけていた俺の眼前には、黒い甲冑の両足しか見えなかった。


 見上げると、鎧姿の姉妹剣使いが直立不動で俺の眼前にいる。


「なるほど。姉妹剣の中には天馬剣というものがあるが、それの適合者だったのか」


 甲冑越しに俺を見下ろしているヤツは、そんな事を呟く。


「……お前は……」


「貴殿に名乗る言われは無いが、冥土の土産に教えておこう。我が名はアマランス」


「……何で……鬼神剣と羅刹剣を……」


「ほう? 私が持つ姉妹剣の名称も知っているのか。中々の慧眼、恐れ入る」


「……」


「噂はかねがね聞いていたが、想像以上に厄介な御仁のようだ。主の命ではないが、今後の憂いを無くすため、貴殿には消えていただこう」


「……」


 コイツ、バカだ。


 明らかに、コイツは頭が悪い。


 わざわざ自分の本名を名乗って、しかも主がいる事まで話しやがった。


 人に仕えて暗殺する者としては、最低の性質だ。


 しかし、言い換えると正直なのだ。


 有無を言わさず殺そうとする割に、こっちの質問に素直に答え、聞いてもいない事を話す。


 それは、バカ正直なのだ。


 と、いう事は……


「何で……国王の命を……」


「国王などどうでもいい。我々は既存の支配体制を守る為、その最大の障害になるのが官僚制度に移行しようとしている勢力と見なした。よって、現国王を殺害する事によって、世襲制から官僚制に移行しようとする勢力を駆逐する」


「……俺を殺す理由は……」


「貴殿は勇者を利用して、己が権力を掴もうとしている可能性がある。どのような陣営に所属しているのかは判明していないが、生かしておくのは危険すぎると判断した」


 コイツ、本当にどこまでバカなんだろうか。


 何で、こっちの質問に丁寧に答えているんだ。


「俺を殺すと、勇者が怒るんだけど……」


「問題無い。勇者本人もいずれ始末すべき対象だ」


「はあ!? 何言ってんだお前!」


 俺は思わず、自分が殺されそうになっているのを忘れて、ヨロヨロとふらつきながらも立ち上がってしまった。


「勇者を殺す? そんな事したら、誰が魔王を倒すんだよ!」


「私だ」


「は?」


「私が魔王を倒す。だから勇者は必要ない」


「……え? 魔王って勇者以外に倒せないんだけど……」


「それはデタラメだ。私なら魔王を倒せる」


「……何を根拠にそんな事を言ってんの?」


「我が主がそう仰っている。だから私が魔王を倒す事は出来る」


「……」


 想像を絶するバカだった。


 バカである事は当たっていたが、俺が想定しているのを遥かに超えるレベルのバカだった。


 自分の主の言葉を盲信して、力の使い道や、その限界を全く把握していない。


 ただひたすら、その主とやらの言葉に従う事だけを考えている。


「お前の主は嘘を言ってんだよ! 勇者以外に魔王を倒す事は出来ない!」


「嘘を言っているのはお前だ。私の主は嘘など言わない」


「お前は何を根拠にして主を信じてるんだ!」


「主を信じるのに、根拠や理由など必要ない。私はただ、信じ、尽くすのみ」


「バカ言うな! 俺の事はどうでも良いけどな、勇者には手を出すんじゃない!」


「断る。勇者は始末すべき対象だと主が仰った。だから殺す」


「そんな事したら世界が滅んじまうぞ!」


「滅びはしない。私が守るからだ」


「だから! それは無理なんだよ!」


「無理だと決めるのはお前ではない。主だ。主に出来ると言われた事は、私に必ず出来る」


「お前……! 勇者が死んで、魔王を倒せないって事になったら、お前も、その主だって死ぬんだぞ!?」


「そんな事にはならない。何故なら主は私が必ず守るからだ」


「……!」


 なんて事だ。


 人はここまで他人を盲信出来るものなのか。


 というか、俺は激しいデジャブを感じる。


 コイツの堅苦しい話し方はともかく、発言内容や思考回路。


 そして、圧倒的な才能と、使い道を他人に委ねる正確。


 シオンだ。


 シオンが今のまま、大人になったかのような性格だ。


「……」


「なんだ? 言いたい事が無いなら、私はもうお前を殺すぞ」


「……お前さあ」


「なんだ?」


「女だろ」


「何故それを!?」


「声聞けば解るよ!」


「っく! 貴殿が質問攻めにするからだ。私をハメたな!」


「……」


 駄目だ。


 コイツと話してると頭痛がしてくる。


 だが、ここまで人の質問にバカ正直に答えるなら、


「アマランスとか言ったな?」


「何故私の名前を!?」


「自分で名乗ったんだろうが!」


「く……! 誘導尋問を使ったのだな! 主に名前を教えてはいけないと言われていたのに……不覚!」


「……」


 こちらにとって有効な情報を仕入れながら、時間稼ぎを出来るような気がしたのだが、想定以上にバカなだけでなく、かなりヤバいヤツのようだ。


 五分前に自分が名乗った事すら忘れている。


 これで、特定の個人に忠誠を誓っているというのだから訳が解らない。


「お前の主ってのは、一体誰なんだ?」


「主の名前は絶対に教えない。これ以上、貴殿に情報を与える訳にはいかないな。無駄口は叩かずに殺すとしよう」


「……!」


 マズイ。


 会話で時間を稼いでいれば、コイツが墜落させた馬車の中にいるアイリスとサフランが起き上がって、反撃の糸口がつかめると考えていたのだが、さっきから馬車の中にいる女性陣は全く動く素振りを見せない。


 まさか、俺程度で耐え抜けた雷撃が原因で死んだりはしていないだろうが、意識不明の状態にまで追い込まれているようだ。


「……」


 信じられない。


 俺が、何とか立ち上がれる程度の雷撃で、あの馬車の中にいた連中が失神して、動けないまでになるなんて。


 というか、何で俺は動けるんだ。


 ホリーが憑依しているからか?


「ホリー……ホリー!」


 ホリーは答えない。


 さっきから姿が全く見えないから、馬車を操っていた時のように、俺の体内に憑依しているものとばかり思っていたが、いない。


 何処にもいない。


「……まさか……!」


 王都にいるシオンを呼びに行った?


 ここからおおよそ五キロ離れた王都に?


という事は、スレイプニルが合っても往復で数分はかかる場所。


 徒歩だと小一時間はかかる。


 霊体であるホリーがどれ程の速度でシオンの元に辿りつけるのかは解らないが、生身の身体を持つシオンがこの状況を知って飛び出した所で、間に合う筈が無い。


「クソ……詰んだ……!」


 俺は、目の前にいるアマランスを見て、もう駄目だ、と単純に諦めそうになった。


 どう考えても、俺にこの状況を打破する方法は無い。


 勇者であるシオンを発見して、サフランを仲間にして、アイリスと助けて、カトレア教官を保護したが、それで調子に乗ってしまった。


 何をそれだけ達成しようが、俺自身が無力である事は全く変わっていない。


 こうして、本当に強いヤツと対峙すれば、黙って殺される以外に無い。


「さらばだクロウ。貴殿の名はこの胸に留めておくとしよう」


 そんな、全く嬉しくない言葉を口にしながら、アマランスは鬼神剣を振り上げ、俺に向けて躊躇無く振り下ろしてくる。


 お前みたいに五分前の会話すら忘れるヤバい女が、俺みたいなヤツの名前を覚えていられるわけ無いだろ。


 そう毒付きたい気分だったが、


「……?」


 アマランスは、何故か鬼神剣をゆっくり振り下ろしている。


 意味が解らないが、俺はゆっくり振り下ろされる鬼神剣を避けた。


「む?」


 鬼神剣を避けられたアマランスは、俺に向かって何度も何度も斬りかかってくる。


 しかし、その動きは酷く鈍かった。


「貴殿! なんだその動きは! それが天馬剣の能力か!」


「は?」


「私の斬撃を悉く回避するとは!」


「……」


 コイツ、ふざけている訳ではなさそうだ。


 こんな鈍い斬撃を避けられただけで驚愕している。


 一体どういう……


「ぐは!」


 その時、俺は突然、心臓が破裂寸前まで動き、全身の筋肉に凄まじい激痛が走っている事に気付く。


 痛い。


 全身の筋肉と、関節に激しい痛みが襲ってくる。


 違う。アマランスの動きが遅い訳じゃない。


 俺の動きが、彼女の動きと遜色の無いレベルのものだったんだ。


 以前、ホリーに憑依された時、能力を何段階か上げられた所為だ。


「っぐ! う……!」


 俺は、何度も何度もアマランスの斬撃を避け続けた。


 その動きは、きっと傍から見れば達人級の動きなんだろう。


 だって、空振りしたアマランスの剣は、地面に隕石が落下したかのようなクレーターを産み出し、周囲にあった木々をあっさりと切り倒している。


 その際生じた粉塵や、倒れて行く木々の動きもスローに見える。


 だが、無理だ。


 この動きを維持するのは無理だ。


 あれほどゆっくりに見えていたアマランスの動きが、徐々に目で追えなくなっている。


 全身の痛みも増し続けている。


 これは、代償だ。


 凡人が、達人と同じ運動行為を行っている代償。


 この動体視力と、回避運動は、ホリーに憑依されてきた副産物なのだろうが、彼女の補助無しにこんな動きは出来ない。


 その証拠に、全身から経験した事の無い量の汗が流れている。


 まるで、薬物で無理矢理強くなった兵士だ。


 傭兵や、軍人の間で流行っている、恐怖感を和らげる麻薬。


 それにだけは手を出したりするな、とオヤジに口を酸っぱくして止められた薬。


 それを原液で、心臓や頭に無理矢理ブチ込んでいるようなものだ。


 死ぬ。


 絶対に死ぬ。


 だが、止めても死ぬ。


「……! クソ! 俺は……! こんな!」


 幼少時から、あこがれて止まなかった勇者の力。


 その力の一端を使っているだけでこの体たらく。


 最悪だ。


 最高に身の程知らずって事じゃないか。


「……見事! だがここまでだ!」


 その時、アマランスの蹴りをまともに食らった。


 自分のアバラが砕ける音を、俺は聞いた。


 俺は、信じられない程の速度で、後方に向かって吹き飛んだ。


「……」


 もう、無理だ。


 立てない。


 地面に倒れ込み、動けなくなっている俺に、アマランスが近づいてくる。


 なんだか、俺の「凡人なりに頑張っている」というアイデンティティが崩壊しそうな勢いで頑張ってしまったが、それもここまでのようだ。


 まあ、俺にしては割と上出来だと思ったが、後からここに辿りつくシオンは、俺の死体を見た時にどう思うだろうか?


「……」


 自分が死んだ後の事はどうでも良いが。


 それでも、折角ここまで頑張ってきたのに、勇者の少女が絶望して世界が終る、なんて結末は見たくないなあ、なんて思う。


 死ねば見れないけど。


「では、さらばだ」


 俺の眼前にまで近づいたアマランスが、俺の頭に鬼神剣を叩きこむ。


 ああ、ヤバい。


 走馬灯が見える。


 いや、走馬灯じゃなくて幻覚が。


 シオンがグラマラスな金髪美人の大人になって、俺に向かって走ってくるのが見えるよ。


 俺、あんな幼女がここまで大きくなるのを待って手を出そうとしてたのかなあ。


 変態じゃん。


「お兄ちゃん!」




 ギイン! と激しい金属音と共に、鬼神剣の動きが止まる。




 俺の頭を切り落とそうとする鬼神剣と、大人になったシオンの聖光剣が、俺の眼前で鍔迫り合いをしている。


「む!」


 アマランスが、後方に大きく跳躍して、距離を放す。


 そのアマランスから、俺を庇うように立ちはだかっているのは、


「お兄ちゃん! 大丈夫!?」


〈間に合いましたねえ。何とか〉


「ホリーの役立たず! だから私がいないと駄目だっていったのに!」


〈ああ!? だから想定外だっつてんだろ! お前以外にあんな化物いるなんて思うか!〉


 何時も通り、悪態を付いているシオンとホリーが、一体化していた。


 口調こそ何時も通りだったが、今のシオンの姿は十八歳前後。


 全盛期の姿を先取りしていた。


 やはり、ホリーが霞むくらいに美人でグラマラスだ。


 その体を、俺の私服で包んでいる。


 黒いブーツとズボン。そして黒いジャケット。


 全身黒装束。


 はっきり言って、男装だが超似合っていた。


「お兄ちゃん、もう大丈夫だよ。すぐにアイツを始末するからね」


 そう言いながら、シオンは聖光剣を構える。


「ホリー。一撃で決めよう。最大出力の放出だよ」


〈駄目です。あの鎧は魔術で破壊できません。近接戦で鎧の隙間を狙うのです〉


「じゃあ、憑依だけで戦った方が良いって事?」


〈ええ。全魔力を憑依に回すのです〉


「オーケイ。ホリーは強化だけして。身体の支配権は私が握るよ」


〈承知〉


 君達、仲良いね。


 出来れば何時もそうしてくれないかな。


 肋骨が砕けた所為で立てなくなった俺の目の前で、シオンが地面を蹴った。




 瞬間、俺は衝撃波で吹き飛んで地面を再び転げ回った。


「イダダダダ!」


 肋骨が折れてるから超痛い。


 シオンが地面を蹴ったからじゃない。


 シオンとアマランスの持っている神剣が激突した時の衝撃が周囲を襲い、その余波で俺は吹き飛んだのだ。


「……」


 俺は、シオンとアマランスの剣戟を見た。


 聖光剣を振り回すシオンと、鬼神剣を振り回すアマランスの剣戟を。


 なんという、形容しがたい光景だろう。


 二つの神剣が激突する度に、轟音が鳴り響き、衝撃が走る。


 その激しい衝撃音は、徐々にその暇を失い、速度と重さは際限なく上昇していく。


 ものの数分、いや、数秒の攻防。


 その間、一体幾度剣戟が響いたのか。


 ド素人の俺じゃあ、二人がどんな軌道で剣を振っているのか見えやしない。


 ただ、激しい金属音が鳴っているから、神剣と神剣がぶつかり合っている。


 そう解るだけだ。


「……」


 アレが、本物か。


 アレが、本物の勇者か。


 俺は、今まさに、近づけば即座に死んでしまうような嵐のただ中にいたが、食い入るように二人の剣戟を見つめていた。


 いいや、俺は二人の剣戟に見惚れていた。


 アレが、アレこそが本物だ。


 本当に、物語で主人公を務める者達の戦いだ。


 すごい。


 凄まじい。


 素晴らしい。


 他の誰が、あんな速度で剣を振り、あんな膂力で剣を叩きつけれる?


 ただの一撃ですら、避ける事も防ぐ事も許されない。


 あらゆる対象を一撃で叩き伏せる斬撃。


 それを二人は、悉く防ぎ、避け、反撃を繰り返す。


 こんな剣戟、勇者と魔王が戦っても起きはしない。


「……すげえ……!」


 これほどの攻防。


 これから見る機会なんて一生無い。


 そう思うと、俺は死ぬかもしれないのに、食い入るように見つめてしまう。


 ああ、コレだったんだ。


 子供の頃から、無力だと諦めて、夢見る事すら無かった存在。


 世界の命運を左右し、全人類の命を背負う存在。


 勇者。


 誰もが、一度はなってみたいと思い、あこがれる対象。


 俺が、心の底から恋い焦がれた存在が、今、目の前に二人もいて、しかもそれが戦っている。


「……ああ……」


 俺は、よく解った。


 恥ずかしくて、誰にも言えなかった願望。


 俺は、こういう存在になりたかったと。


 こういう存在にあこがれ続けていたと。


 今ならはっきり自覚出来る。


 俺はずっと、こんな化物じみた強さになりたかったんだ。


 心の底から、世界中の人間の生殺与奪権を持つ個人になりたかったんだ。


 本心では、勇者という圧倒的個人に、漠然とした羨望と憧れがあったんだ。


 無理だから。


 こうなるのは無理だから、見て見ぬふりをした。


 だが、もう無理だ。


 こんな光景を見せられたら、もう眼が離せない。


 自覚せざるをえない。


 俺が、憧れて憧れて仕方がなかった存在は、


「今! ここにいる!」


 俺は折れた肋骨が内臓を傷付け、喀血するのも無視して絶叫した。




 とまあ、俺が若干トチ狂い始めたのは置いといて、シオンとアマランスの戦闘は終わる気配を見せない。


 冷静に観察してみると、信じがたい事態だ。


 勇者であるシオンと同等に戦うとは。


 やはり、鬼神剣と羅刹剣を同時使用出来るアマランスは規格外の姉妹剣使いという事になる。


 が、ここまで来ると、もはや俺に出来る事は何にもない。


 何時も偉そうに姉妹剣使いに命令しているが、アレはホリーからの情報を他の人間に教えているだけだし。


 もうシオンとホリーのコンビを信じるしかない。


「……さすが勇者。聞きしに勝る強さ。だが確信を持った。貴殿程度に倒せる魔王など、私の敵ではない」


「……」


 アマランスの言葉に、シオンは何も答えない。


 この辺りは、戦闘に関してはシビアなシオンらしい。


「では勇者殿。そろそろ決着をつけさせてもらおうか。全力で向かってくる事をお勧めしよう」


 そんな事を言いながら、アマランスはシオンとの剣戟を止めて、後方に跳躍して距離を取る。


 たった一歩で二十メートルは後方に飛んでいる。


 異常な跳躍力だ。


 シオンはその時、追撃せず、何故か俺の近くにまで後退してきた。


「……え?」


 あの、シオン?


 そんな俺に近居場所に来られたら、高確率で巻き添え食って死ぬんですけど?


「……うげ!」


 俺は間の抜けた声を上げた。


 アマランスの持っている鬼神剣が、発光している。


 黒紫という、禍々しいことこの上ない色に発光している。


〈バカな……もう二発は撃っている筈ですよ……! 一日に三発も鬼神剣を撃てるなんてあり得ない……! 羅刹剣と併用しながら、鬼神剣を乱発するなんて、それこそシオン級の魔力が必要ですよ〉


「ホリー。こっちも撃つよ」


〈ええ、相殺します〉


「あの鎧は剣も魔術も効かない。だったら、放出の後に消耗した瞬間を叩く」


〈貴方自身の消耗も考慮しなさい。その姿でいられる時間は残り少ないですよ〉


「私とホリーがあんなザコ相手に負けると思う?」


〈……全然〉


 シオンは聖光剣を上段に構え、刀身を眩く発光させる。


 アマランスが鬼神剣を振り下ろすのと、シオンが迎撃の為に聖光剣を振り下ろしたのは、殆ど同時に見えた。




 その先の光景を、俺は見れなかった。




 シオンとアマランスの剣戟を食い入るように見ていたが、物理的に眩し過ぎて何も見えない。


 膨大な量の光がぶつかり合い、目が焼けつきそうな光と、鼓膜が破れそうな轟音が響く。


 何が起きているのかもの凄く気になるが、何も見えない。


 これは、常人に立ち入れない世界、という事だろう。


 俺は目を腕で庇いながら、閃光と轟音が収まるのを待つ。


 見てないから何が起きてるか全く解らないが、聖光剣と鬼神剣の放出による光の斬撃がぶつかり合い、相殺し合っているのだろう。解らんが。


「……」


 光や音が収まった頃を見計らい、俺は周囲の様子を伺ってみる。


 見た瞬間にシオンが負けて倒れてるんじゃないだろうな。


 内心戦々恐々としていたが、


「はああああああああああああああああああああ!」


 何か、シオンが女の子が上げる気合の雄たけびとしては、かなり相応しくないのを上げているのを聞いた。


 しかも、聖光剣を俺の近くにほっぽり出して。


「……はい?」


 その時、俺は本当に眼を丸くした。


 眼を疑った。


 聖光剣を、放置して、シオンがアマランスに向かって行く。


「ちょっ! シオン! 何やってんだ!?」


 勇者の力の源である聖光剣を手放し、丸腰で最強の姉妹剣使いに向かって行く。


 正気の沙汰とは思えない。


「錯乱したか! 素手でこの私に挑むだと!」


「……」


 アマランスが、鬼神剣をシオンに向けて振り下ろす。


 全身を羅刹剣で守り、鬼神剣を軽々と振り回すアマランスに、徒手空拳で挑む。


 一体何故そんな事を……


「ぐはあ!」


 そんな俺の疑問は、一瞬で解けた。


 シオンは鬼神剣を軽々と回避し、アマランスの懐に飛び込んで、甲冑ごと殴りつける。


 俺程度の凡人が、ホリーによる憑依を受けただけで、本の数分とはいえアマランスの斬撃から生き残れる程強化されたのだ。


 まして、本物の中の本物。天才の中の天才としか形容できないシオンなら、アマランスの剣戟を避けて、懐に飛び込み、打撃を浴びせるのは造作も無いだろう。


 しかし、聖光剣でも羅刹剣は破壊出来ない。


 ならば、


「あああああああああああああああああああああ!」


「ぐ! あ……が!」


 鎧を壊せないなら、中身を壊す。


 拳や蹴りという打撃で、内部の肉体に衝撃を与える。


 フルプレートアーマーを纏う騎士に、剣による斬撃と槍による刺突は効かない。 


 しかし、メイスやフレイルの類による打撃は、時として相手を骨折させかねない程に有効だ。


 まあ、だからって剣で切るより、拳で殴る方が効果的、なんて事は通常ありえないのだが。


 シオンは、まあ、普通じゃないし。


 アマランスは一方的に殴られ、反撃も出来ずに吹き飛ばされ、吹き飛んだ先にシオンが先回りして蹴り飛ばされ、空中を舞うと、跳躍したシオンの拳を腹に受けて、地面にめり込む程の勢いで叩きつけられた。


「デタラメだ……」


 俺は、シオンのあまりに人間離れした動きに絶句するしかなかった。


「お兄ちゃん。もうすぐ終わるからね。もう大丈夫だよ。今からコイツの首をねじ切るからね」


 なんておっかない事を言いながら、シオンは倒れたまま動かなくなったアマランスに伸しかかる。


「……」


 今さらだが、一度所有者と見なされると、ある程度持ち主と神剣が離れても、身体能力に低下は見られないんだな。


 そう言えば、サフランが真空剣を投擲しても、展開で手元に戻せるし、持ち主から遠く離れた状態からでも展開を使用していた。


 今のシオンは、聖光剣を手放したとして、あの筋力を発揮できるのだ。


「……シオン、ちょっと待ってくれ」


「……なあに?」


 アマランスの頭を両手で掴んだまま馬乗りになっていたシオンは可愛らしく小首を傾げる。


 今まさに、相手の首をねじ切ろうとしている者の表情とは思えない。


 しかし、それよりも、俺はアマランスを殺す事に抵抗を感じた。


 アマランスは、どこかシオンに通じる所がある。


 これまで出会った相手の中で、危険度が圧倒的に高い女だが、悪人ではない。バカなだけだ。


 こんな、特定の人物の言葉を盲目的に信用しているだけの女を、敵対しているという理由で殺して良いのだろうか。


 危険すぎるとも思えるが、勇者無しに魔王討伐は不可能だと理解すれば、勇者を殺せと命令した主の言葉が嘘だった事に気付く筈だ。


「……」


 それに、俺には確信出来る。


 アマランスこそ、シオンにとって最も心強い味方になりえる。


 彼女こそ、最強の仲間だ。


 説得を試みないわけには……


「ちょっと待ってねお兄ちゃん。すぐに殺すからね」


「いやいやいや! 殺すのは待ってくれシオン!」


「駄目。コイツ嫌い。お兄ちゃん殺そうとしたヤツは殺す」


 シオンは俺の言葉を無視して、アマランスの頭を両手で強く掴み、首をひっこ抜こうとする。


「……アレ?」


 その瞬間、アマランスに馬乗りになっていたシオンの傍らに、亜麻色の髪をした女が唐突に現れる。


「あ、アイツは!」


 その女には見覚えがある。


 以前、冥府剣を持っていたシネラリアと一緒に逃げた女。


 転移剣の所有者だ。


 武道着に身を包んでいるその女は、シオンに向けて転移剣を叩きつける。


「げ!」


 俺は思わず悲鳴を上げた。


 シオンはその攻撃をあっさり回避したのだが、シオンが馬乗りになっていたアマランスに大して、巨大な斧の形をしている転移剣が思い切り叩きつけられたのだ。


 鎧の形をした羅刹剣と、斧の形をした転移剣が激突し、けたたましい金属音が鳴り響く。


 多分、同等の硬度を持つ甲冑を着ている事を前提にした行為なんだろうけど、なんて乱暴なんだろう。


 一応、助けようとしているという事は、あの二人も仲間?


「……現段階で勇者と事を構えろとは命令されていませんわよ」


「面目無い! 助かったぞジャスミン!」


「ちょっと! 人前で私の名前を口にしないでくださいな!」


「む! すまないジャスミン」


「……もう良いです。国王の抹殺は終了しましたの?」


「あ……」


 アマランスは、周囲を見回す。


 ダリア国王なら、とっくに俺達を身捨てて逃げ出していた。


 今頃、王都付近にまで戻っているだろう。


 シオンは、俺の近くにまで戻ってくると、聖光剣を握り直して警戒している。


 多分、敵と思われる相手が二人に増えたから、相手を倒す事よりも、俺を守る事を優先してるんだ。 


 一人と戦っている最中に、もう一人が俺を襲うと危険だから。


 足手まといでごめんよ……


「……まあ、王都内の将兵に慕われているカトレアを、他ならぬ国王自身の判断で処刑させる事が出来ただけで良しとしましょう。王家の求心力は地に落ちましたわ」


「むむ……」


「新たにダンジョンのボスも卷族化出来ましたし、計画は順調ですわ」


「おお! では、シネラリアも喜ぶな!」


「……だから……仲間の名前を人前で叫ばないでください」


 ジャスミンと呼ばれた女は、心底呆れているようだ。


 アマランスは、戦闘中、手放してしまった鬼神剣を展開で回収すると、俺とシオンをビシッと指さす。


「今日はこのくらいで勘弁してやろう! 次はこうはいかんぞ!」


 なんて捨て台詞を残して、ジャスミンの肩を掴む。


 瞬間、二人の姿が消えた。


「……」


 サフランのように透明化したんじゃない。


 本当に、目の前から消えたんだ。


 多分、ジャスミンと呼ばれた武道家が、転移剣で別の場所に転移したんだ。


「……」


 俺は、アマランスとジャスミンの会話を頭の中で半数しながら、絶望的な気分を味わっていた。


 やはり、いた。


 姉妹剣と、姉妹剣使いを集めて、何かを企てているヤツだ。


 しかも、既に複数人集めている。


 アマランス、ジャスミン、そしてシネラリア。


 最強、神出鬼没、死体使役。


 尋常じゃない姉妹剣使いを、全員使えさせているヤツがいる。


 そして、そいつは、俺に対して明確に敵対の意志を見せている。


「……ホリー」


〈なんです?〉


 シオンの体内から、ホリーが飛びだしながら返事する。


「姉妹剣……全部集まりそうだね……」


〈ええ。世間って狭いですね。人口三千万なのに〉


 なんて事を、俺達は苦笑しながら言い合った。


 その時、


「もおおお! 勝手に憑依を解除しないでよホリー! 身体が子供に戻ったじゃん!」


 俺の黒装束を拝借していたシオンが、元の十一歳児に戻った所為で、服がダボダボになっていた。


 そんなシオンが文句をホリーに言い続けているのを見ると、俺は思わず頬が緩んだ。


 まあ、大丈夫だ。


 シオンがいる。


 ホリーがいる。


 アイリスもカトレア教官も、サフランは、まあ味方かどうか微妙だが頼りになる。


 皆がいるから、まあ、大丈夫だろう。

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