3/第二章  勇者の家庭教師

 アルスガルド大陸の首都ペンドラゴンの王城内にて、勇者であるシオンが剣術の鍛錬に励んでいる間、やる事が何も無く、仮に合ったとしても何もしたくない俺は、暇を持て余して廊下を歩いていた。


 すると、


「何回も言わせんなよアイリス。駄目だって言ったら駄目だ」


「教官……ちょっと心配症が過ぎますよ」


 なんて会話が聞こえてくる。


 見ると、廊下でアイリスとカトレア教官が向かい合って、何やら良い争いをしていた。


 二人は何時も通り、青と赤という色違いの燕尾服を着こみ、腰に神剣の姉妹剣を下げる、という出で立ちだった。


「……」


 俺は、学生時代から王立士官学校の優等生だったアイリスと、カトレア教官が良い争いをしている光景など見た事が無い。


 珍しい事もあるものだ。


 とはいえ、放置するわけにもいくまい。


 二人はシオン程で無いにしても、常識はずれに強い神剣の姉妹剣使い。


 良い争いが喧嘩に発展したら、多分この城は半壊する。


 まあ、俺が間に入っても即死するだけだが、一応最善は尽くそう。


「……教官。どうしたんですか?」


「おう、クロウか」


 俺が二人に近づき、会話に加わると、カトレア教官は俺を見上げて、何やら不機嫌そうに顔を膨らませる。


「アイリスがな、里帰りするって言うんだよ」


「はあ。それがどうしたんですか?」


「どうしたんですかじゃねえよバカ。お前この前アイリスが誘拐、拉致、監禁されたの忘れたのかよ」


「いや、忘れてませんよ。助け出す時、苦労しましたし」


「……」


 その時、アイリスは自分の不覚を話題にされたので、目に見えて不快そうな表情になる。


 そりゃそうだ。


 戦場で他の姉妹剣使いに敗北して、捕虜になった挙句、俺みたいな役立たず野郎に救出された話なんか、思い出したくも無いだろう。


 最も、アイリス救出は、ほぼ全てカトレア教官とサフランの功績なのだが。


「はあ、つまり教官は、またアイリスが拉致されるんじゃないかと心配して、外出を控えろと言いたいわけですか?」


「そうだよ。コイツを見ろよクロウ。こんな若い美人が一人で外をうろついてみろ。絶対に暴漢に襲われるよ」


「はあ……」


 まあ、否定はしないが、そのアイリスに襲いかかった暴漢は、九分九厘、首を刎ね飛ばされるか、胴体を両断されるか、氷漬けのオブジェみたいな状態で死体になる。


 確かに、アイリスのような姉妹剣使いに、外出を控えるように言うのはおせっかいにも思える。


 しかし、教官の気持ちも解る。


 アイリスが捕虜になったのは、事実だし、現状、貴重な戦力である姉妹剣使いが単独でうろつくのは危険だ。


 俺の命を狙う連中も含めて、権力を欲する連中にとって、姉妹剣使いはどうしても手中に収めたい対象だからだ。


「ところで、アイリスは何で実家に戻りたくなったんだ? 親に会いたいのか?」


「違うわよ。私の実家が有る場所、ブルードラゴンなんだけど、そこにある湖の水笠がどんどん下がってるらしいの。あちこちで水枯れも起きてるらしいし」


「……へえ」


「へえって貴方……ブルードラゴンがこの世界の水源だって知ってるわよね? そこで水枯れが起きたらヤバい、くらいは考えられないの?」


「いや、ブルードラゴンが水源だなんて話、初耳っていうか、そもそもブルードラゴンが何処にあるかも知らねえけど」


「はあ!? 私の故郷が辺境だから興味無いってわけ!?」


「いや、そんなキレるなよ。辺境も何も、俺は地理とか歴史全般に興味無いんだよ。ていうか、俺が興味ある事自体が少ないって言うべきか」


「……」


 その時、アイリスは俺の事を、心底見下げ果てたヤツ、を通り越して、ゴミを見るかのような視線を向けてくる。


 懐かしいなあ。


 学生時代、よくこの視線浴びたなあ。全校生徒から。


「それで? この世界の水源であるブルードラゴンで水枯れが起きたらヤバいってのは解ったよ。だからってアイリスが現地に行って何が出来んの?」


「はあ?」


「いや、だから何でお前は終始キレてんだよ。だってお前って別に地質とか水質の調査専門家でもないだろ? 単に王立士官学校を首席で卒業したってだけの女だろ? それが水枯れ起きてヤバい土地に行って、何が出来るんだ?」


「……」


「水枯れの原因究明か? 解決方法を見つけるとか? どっちも素人じゃ無理だろ。そういう事は、頭の良い専門家に任せて、素人は黙って成り行きを見守ってれば良いんだよ」


「……」


 あ、ヤバい。


 アイリスのこめかみに血管が浮かび上がって、今にも本気でキレそうになっている。


 怖いなあ。


 優しくしてほしいなあ。


 俺って一応、コイツのピンチを偶然にも助けてやったのに。


「今回ばかりはクロウの言う通りだな」


 そんな時、カトレア教官が珍しく俺を擁護するかのような発言をした。


「アイリス。お前は何でもかんでも自分一人で調べて解決しようとし過ぎだ。いくらお前が優秀でもな、お前一人で出来る仕事なんか、たかがしれてるんだよ」


「教官……私は……」


「アタシはお前の事は高く買ってるんだぜ? 多分、アタシの教え子の中で一番優秀なのはお前だよ。でも、その何でもかんでも自分で何とかしようとする所はいただけねえな。少しはクロウのいい加減さと無責任さを見習えよ」


 教官。


 貴方は俺を褒めたいのですか、貶したいのですか。


「私にクロウみたいなサボり魔の怠け者になって、日々を無為に過ごせって言うんですか?」


 アイリス。


 いくらなんでも言いすぎじゃねえの。


 俺、結構頑張ってるよ、最近は。


「故郷の危機を心配して何が悪いんですか?」


「今は一人で迂闊に出歩くなって言ってるんだよ」


 ううむ。


 どちらの言葉も正論だから、何とも言えないんだよな。


 しかし、ブルードラゴンか。


 神剣の姉妹剣を探しだす為に、ホリーと一緒に天馬剣を使って、あちこち飛び回ってみようと考えていたが、場合によっては丁度いいかもしれない。


「じゃあ、アイリス。俺と一緒に行くか?」


「は?」


「俺と一緒なら、天馬剣を使ってすぐに目的地に着くよ?」


「え? なんで……」


「ホリーに言われてさ、他の姉妹剣を探す為にあちこち行こうと思ってたんだけど、俺一人じゃ危ねえから、護衛が欲しかったんだよ。一緒に来てくれないかな」


「ちょ、ちょっと待って。天馬剣って、この間、私達を乗せた馬車ごと浮いた、あの馬の事よね……? 前から気になってたんだけど、貴方、どうしてあの馬を扱えるの?」


「ホリーが近くにいるからだよ。本当はシオン以外に扱える姉妹剣じゃないんだけどな」


 俺がそう言うと、何故かアイリスは戸惑いがちに口をパクパクとしている。


「そりゃいいな。行って来いよアイリス。クロウがいればすぐに往復出来るだろ」


 カトレア教官は、何故か俺が一緒なら安心だ、みたいな雰囲気を出している。


「ついでにクロウ。お前が水枯れの原因突きとめて解決しちまえよ」


「はあ? 無茶ブリしないでくださいよ。俺にそんな事出来るわけ無いでしょ?」


「解んねえぞ? お前には勝利の女神様がついてるからなあ」


 ケラケラと笑いながら、カトレア教官は俺を小突いてくる。


 おかしい。


 何で俺はこの人から全幅の信頼を寄せられてるんだろ。


 身に覚えが全く無いのだが。


「それで? どうするアイリス」


「私は、ブルードラゴンの様子を確認出来るなら、何でも良いわ」


「じゃあ、明日の朝に出発な。馬小屋の前で集合しよう」


「解ったわ」


「カトレア教官はどうします?」


「アタシは、前に命令無視して王都から無断で外出しちまったからな。これ以上、心証を悪くしたくねえし、今回は留守番しとくよ」


「解りました。じゃあ、俺は準備してくるんで」


 俺はそう言い残して、満面の笑みを浮かべるカトレア教官と、怪訝そうな表情を浮かべるアイリスを残して、自分の部屋に戻った。




 明日の朝、王都ペンドラゴンから外出する為の準備云々をすませようとしていた矢先、俺は自分に与えられた私室の中で、眉間に皺を寄せていた。


 俺の部屋のベッドで、サフランが大の字になって爆睡している。


 元々は、俺の命を奪う為に現れた暗殺者。


 それが今は、メイド服を着て、俺やシオンの身の周りの世話をしている、という表の顔と、周囲から姿を消し、声や足音すら遮断する事が出来る真空剣の使い手として、日夜情報収集に励むスパイという、裏の顔を使い分けているのだが。


 そのサフランが、俺のベッドで爆睡している。


「……」


 コイツ、一体どういう神経をしているんだろう。


 勝手に人の部屋に入って、勝手に人のベッドを使って爆睡する。


 しかも、表向きはメイドなのに。


 元暗殺者とは思えないくらいに隙だらけだ。


「ん?」


 待てよ。


 いくら十四歳といっても、元々暗殺で生計を立てていたサフランが、ド素人の俺が接近している事に気付かずに眠り続ける、なんて事があり得るんだろうか。


 肝が据わっていると言っても、暗殺者なんて連中は、針が落ちた程度の音で目を覚ますものではなかろうか。


 まあ、そんな人種は不眠症で勝手に過労死するだろうが。


 実際問題、サフランは俺に対する暗殺失敗を理由に他の暗殺者からいくら命を狙われても、悉く返り討ちにしているらしいし。


 それが、俺が目の前まで接近して気付かないなんてあり得ないだろう。


 そう考えながらサフランを観察してみると、彼女の喉がコクリと動くのが見えた。


「……おい」


 人間は、熟睡している最中は唾液を呑み込まない。


 寝ている最中に喉が動いているヤツは、寝たふりを決め込んでいるのだ。


「何で寝たふりしてんのさ」


「あは。バレちゃった」


 サフランは目をパカリと開けると、俺のベッドから跳ね起きる。


「俺の部屋で何してんのさ」


「暇で死にそうなの」


「はあ?」


 また、例によって例の如く、サフランの病気が始まった。


 やる事が何も無いと、彼女は死にそうになるらしい。


 俺には全く理解出来ない感情だが、サフランはやる事が何も無いという状況が何より嫌いらしい。


「キッチンメイドになって料理したり、ランドリーメイドになって洗濯したり、ハウスメイドになって掃除すれば?」


「嫌だよ。ていうか、何でメイドの呼び名にそこまで詳しいのかウチには疑問だよ……」


「え? ドン引きするなよ。一般的な知識だろ」


 いつものように会話しながら、俺はサフランに対して警戒心を持っていた。


 サフランは、つい先日、何者かの命令で俺を監視しているかのような素振りを見せていた。


 彼女程の暗殺者が、しかも神剣の姉妹剣を所有している者が、いきなり俺の味方になるのはあまりに都合が良すぎると思っていたが、やはり現段階で味方かどうかは微妙だ。


「メイドの仕事はしたくないけど、暇なのは嫌だって……結局君は何がしたいのさ」


「トラブルと修羅場に巻き込まれたい」


「どういう思考回路だよ!?」


「ウチはねえ。物心がついた頃から生きるか死ぬかの瀬戸際ばかり歩いてたからね。極限の命のやり取りの最中でしか、自分の生を実感できないんよ」


「……なんか壮絶な過去を背負ったカッコいいヤツみたいな事言ってるけど、はっきり言ってそれはド変態だろ」


「クロウもさあ、一緒にいてつまんない男だよねえ」


「……何気に傷つく事言ってくれるね」


「自分でトラブルメーカーとか言ってたから、さぞかし面白い事件が頻発すると思ってたのに、何にも起きないしねえ」


「俺からしたらその方が良いんだけど……じゃあ、君は俺が殺されそうになれば面白おかしく生きられるわけ?」


「いや……まあ、クロウの寝室に侵入しようとした黒装束の連中とか、渡り廊下を歩いている最中に狙撃しようとしてた弓使いとか弩使いは何回か始末してあげたけど、そんなの全然楽しくないしね」


「そんな話初耳ですけど!? 何で報告しないの!?」


「聞かれなかったから」


 なんてこった。


 ホリーが俺の飲食物に盛られている毒を抜きとったり、事前に盛られる事を阻止してくれているのは知っているが、まさか暗殺や狙撃などとい物理的に殺そうとする連中までいるとは。


 まあ、その筆頭はサフランだけど。


「そんな連中、よくいる事に気付けたな……」


「近くで殺気出してるヤツいたら、死角にいても解るじゃん」


「解るか!」


「あ? ひょっとしてウチに人殺しさせるのが嫌とか言う話ぶり返す?」


「いや……正当防衛に口出す気は無いけど……」


 それでも、なんか嫌だなあ。


 こんな女の子が他人を殺しまくる事を許容して生き長らえている、という現状は。


 だからって、俺を殺そうとしている暗殺者を殺すな、なんて事言うのは命取りになりそうだし。


「……」


 しかし、サフランは一体何がしたいんだろう。


 俺の命を能動的に守っている割に、監視を止める気も無いようだし。


「クロウってこの前、アイリスを助け出す時に大活躍したよね」


「いや、大活躍したのは君とカトレア教官だと思うけど……」


「ウチはてっきり、あの件でアイリスとアンタの仲が急接近すると思ってたけど、微塵もそうならなかったね」


「だから、大活躍してないからだろ……」


「ウチはねえ、アンタがアイリスとシオンに取り合いされて修羅場に巻き込まれる絵ズラが見れると思って楽しみだったのに、全くそんな展開にはならなかったね」


「……君が見たい修羅場ってそういうヤツなの?」


 俺は手の平で顔を覆いながら呟いた。


 まあ、殺し合いの最中にしか生を実感出来ない、なんて話よりは普通の女の子っぽいけど。


「前から思ってたんだけど、クロウって何で全くモテないの?」


「知るか! ほっとけ!」


「普通クロウくらいに金と権限が合ったら愛人の一人や二人はいるもんだよ。それに、シオンとのやり取りを見る限りにおいて、別にロリコンって訳じゃないよね」


「当然だ」


「ロリコンじゃないのに、何で若い娘に手を出すそぶりを一切見せないの? ホモなの?」


「……」


 俺は眉間に皺をよせながら、本気でイラついていた。


 何でロリコンじゃないと、即ホモになるんだろ。


 ごく普通に女の子に興味が有るけど、相手がいないだけの若者って腐る程いると思うけど。


「あ、それと、ちょっと気になる事が有るんだけど」


「何?」


「シオンって、文字の読み書きが一切出来ないっぽいね」


「ああ。教育を受ける機会が無かったからな」


「誰か勉強教えた方が良くない? 別に世界を救う勇者様に必要な事だとも思えないけど、全く勉強できない状態で大人になったら可哀そうじゃない?」


「……」


 その時のサフランの発言は、至極ごもっともだ。


 しかし、話が唐突過ぎるような気がする。


 まるで、この本題に入る為に、不毛な雑談を間に挟んで、自然な会話を演出しているかのようにも見えるが。


 まあ、その演出はあまり旨くないけど。


 という事は、この「シオンに勉強を教えた方が良い」という話題は、サフランを使って俺を監視している雇い主の目的を特定するヒントになるのではないだろうか。


「確かになあ。将来の事を考えると、文字の読み書きや計算とか、基本的な勉強は習った方が良いかもしれないなあ」


「だよね」


 俺はサフランを怪しんでいる感情を隠し、すっとぼけながら会話を続ける。


「誰が教師になれば良いのかな?」


「普通にクロウで良いんじゃないの? シオンも喜ぶでしょ」


「いや、俺は人に勉強教えられる程頭良くないし……」


「う~ん。ウチもあんまり頭良くないんだよねえ」


「やっぱり、士官学校を首席で卒業したアイリスが無難かな?」


「あ、それは止めた方が良いっぽいよ」


「え? 何で?」


「シオンってね。年上の女が嫌いっぽいし」


「……」


 俺は思わず、無言でサフランを見つめてしまった。


 確かに、シオンは実の母親に捨てられた事がトラウマになっており、年上の同性を極端に嫌う性質だ。


 神剣に宿る精霊のホリーが、近頃その性質に歯止めを聞かせるどころか、増長させているようだし。


「ええ? シオンって、アイリスの事も気に食わないのか? 年上も何も、アイリスは十八歳だぜ?」


「ていうか、クロウの近くにいる女性陣は軒並み嫌われてるっぽいけどね。ウチも含めて」


「はあ? 何でだろ? カトレア教官とか超良い人なのに……」


「……そこは普通に子供心解ってやれって話だけど……」


 サフランはふと、部屋の外に視線を移し、目を一瞬細めると、


「じゃあ、ウチは自分の部屋に戻るよ。シオンに勉強教える人は、専門家が良いんじゃないの? 城にいる誰かに頼みなよ」


 なんて事を言いながら、サフランは部屋の窓から飛び出してしまう。


 普通に扉から出れば良いと思ったが、その扉からシオンがホリーと一緒にノックもせずに入ってきた。


 どうやら、彼女の接近を察知したサフランが、俺と部屋の中で二人きりだった事を知られまいとして飛び出したらしい。


「お兄ちゃん、訓練終わったよ」


「ん……御苦労さん」




 そして、いつものように、俺はシオンの足の裏を、水桶の中につけながら擦って洗ってうやる。


 こんな事を毎日していると他人に知られたら、確かに幼女の愛の裏に異様な拘りを持っているド変態に見えなくもないだろうが、はっきり言って他人の足の裏を洗う事に喜びを見出す程、俺は高等な趣味はしていない。


 だが、誰が言えると言うのだ。


 世界を滅亡させる力を持つ魔王を、単独で打倒できる勇者に、


「もう、足の裏を洗うのは面倒なので勘弁してください」


 なんて言葉を。


 ていうか、この程度の行動で機嫌がとれるなら安いものだと思う。


「なあ、シオン」


「なあに?」


「君さあ、文字の読み書き出来ないよな」


「うん」


「ちょっと、家庭教師を雇って勉強してみないか?」


「どうして?」


「いや、どうしてって……」


 子供に勉強を教える理由はなんだ、といきなり聞かれても、何と答えれば良いのか解らない。


 学問ってヤツは、半端にかじっても出世の役には立たない。


 文字通り、トップレベルの学力にならなければ、官僚や学者の類にはなれないのだ。 


 だからと言って、文字の読み書きや、簡単な計算が出来ない程額の無いヤツは、商売や農業に関する事で、契約相手に不利な取引を申し込まれても気付けず、ぼったくられる事が多々ある。


 だから、どんな人間もある程度は学が有った方が良い。


 それは間違いないのだが。


「……」


 俺は無雑作に両足を委ねているシオンを見た。


 現段階で、世界最強の戦闘能力を持つ、勇者の少女。


 その気になれば、世界征服なんて余裕で出来る少女。


 そんな少女に、勉学を修めるメリットなんてあるんだろうか。


 多分、限界まで勉強して、極限まで頭の中に知識を詰め込んで、最高に賢くなったとして、今のシオン程の立場にはなれないような気がする。


 それに、シオンには悠久の時を生きているっぽい、ホリーが傍らについている。


 常日頃、俺に対する見下した態度を差し引いても、ホリーは知恵袋としては優秀だ。


 他の誰よりも強く、信用の出来る相談役に恵まれたシオンに、勉学を教える意味はあるんだろうか。


 そこで俺は、シオンの背後に浮いていたホリーに視線を移す。


「なあ、ホリー。君はシオンに勉強を教えた方が良いと思うか?」


 ていうか、冷静になってみれば、家庭教師役はホリーが適任のような気がする。


 他の人間では、どうしても勇者に対して、萎縮するか、利用しようと画策するのでは、という懸念が残る。


 何より、言いだしっぺがサフランというのが気にかかる。


 だからこそ、ホリー以外にシオンの教師役は務まらないのではないのか。


「というよりホリー。訓練だけじゃなくて、勉強も君が教えたら?」


〈何で私がこんなバカを人並みの知性にするという困難極まりない苦行をしなきゃいけないんですか?〉


「んな……!」


 ホリーの暴言に、俺は血の気が引いた。


 時々忘れそうになる程、理解に苦しむが、ホリーはシオンの事が本当に気に食わないようなのだ。


 それも、別段たいした理由も無しに。


〈このガキが人間並みの知性が有るって言うなら、教え甲斐もありますけどねえ。人並み以下のバカを人並みにする、なんて不毛な事に時間を費やすのは嫌ですねえ。はっきり言って時間の無駄です。このガキはこのままバカのままにしておいた方が、貴方にとっても好都合なんじゃないですか。バカなんだから貴方の言う事聞いてれば後はどうでも良いと思う程の短絡的な思考しかないし〉


「……な、なんて事を……!」


〈犬とか猿なら芸を教えて生計を立てる事も出来ますけど、このバカを今よりマシなバカにするなんて事しても、それに費やす時間と労力が、結果と釣り合うとは到底思えないんですけど〉


「……」


 俺は、あまりに酷い暴言の数に、何も言えずに絶句した。


 いくら本音と建前が使いわけられないと言っても、言い過ぎにも程がある。


〈ま、頭はカラッポでも、戦闘に関しては私が引く程才能ありますし、魔王を倒すまでは適当に育てて、その後は放置してしまえば良いんじゃないんですか? 魔王がいなくなった後に限って言えば、ここまで強いバカは危険でしかありませんし〉


 俺と出会ったばかりの頃、ホリーの俺に対する罵詈雑言は聞くに堪えないものだったが、ここまで酷くは無かった。


 どうやらホリーは、俺が想定していた以上に、女子供が嫌いらしい。


 以前、見ているだけで反吐が出ると言ったのは伊達では無い。


 そこでふと、俺はさっきから無言でいるシオンの表情を覗きこんだ。


 さぞかし怒り狂っているか、そうでなければ泣きだしかねないと懸念していたのだが、


「……シオン?」


「なあに? お兄ちゃん」


 当のシオンはあっけらかんとしていた。


 その表情には、微塵の動揺も見られない。


 これは一体どういう事だろう。


「あ、あのな、シオン……ホリーの言った事は全然気にしなくて良いからな?」


「え? 今ホリー何か言ってたの?」


「は?」


「私、バカだから半永久的に独身のクソババアの言葉が解らないの」


〈ああ!? テメエ今なんつった?〉


「半永久的に独身のクソババア」


〈なんだとこのクソガキが!〉


「ゴメンねホリー。私はバカだからホリーみたいな救いようの無い女を救う方法が解らないよ。私がもう少しだけ賢ければ、ホリーみたいに良い所が全く無い最低のカス女が幸せになる方法が見つけられるかもしれないけど、残念ながら私程度の頭じゃホリーを幸せになる可能性が万に一つも無いとしか思えないんだ。本当にゴメンね?」


〈なんだその悪意しかない謝罪はよう……! 舐め腐った態度取りやがってメスガキが!〉


「私、世界は救えても、たった一人のクソババアさえ救えない事が、本当に悲しいよ。いくらこんな救いようの無い万年男日照りの露出狂でも、少しくらい幸せになる権利はあると思うけどね。ほんのちょっとの美点も無いんじゃどうしようもないよね? お兄ちゃん」


〈可愛く小首傾げてんじゃねえよ小娘が……! その可愛らしい表情を若干でも私に対して向けてみろや……!〉


「可愛いだなんて。私なんてホリーの若づくりの美貌に比べれば全然敵わないよ。ホリーって凄い美人だもん。見た目だけは」


「……」


 ヤバい。


 ヤバすぎる。


 日に日に関係が悪化している。


 そして、シオンは口の悪いホリーの悪影響をモロに受けて、相手に対する罵詈雑言に関してのみ、ボキャブラリーを増やしまくっているようだ。


 若干十一歳の少女とは思えない程の悪態だ。


 まあ、かれこれ一年近くホリーと一緒にいればこうなるか。


 駄目だ。


 これは絶対に駄目な状況だ。


 こんな、人を人とも思わないホリーとの悪口合戦だけを繰り返すような生活は断じて改めなくては。


 まあ、既に二人の関係は修復不可能なレベルで悪化しているように見えるが、それでもシオンとホリーは魔王討伐の切り札であり、唯一無二のパートナー同士。


 二人の協力関係なしに、人類の明日は無いのである。


 だが、もうこれは俺の手におえる状況ではない。


 ホリーの姿が見えず、声も聞こえないアイリスやカトレア教官は、事態を楽観視するだろうが、ここまで冷え切った関係になった勇者と神剣を放置するのは不味い。


「……よし!」


 俺は決心する。


 国王に依頼して、良い家庭教師をつけよう。


 その教育課程の中で、これまでホリーが行ってきた魔王討伐に関する知識を得れば、シオンだってホリーに対する印象が変わるだろう。


 多分。


 若干は。


 そして、勇者である己の存在が、どれだけ重要なのかも、客観的に知る必要がある。


 言わば、使命感に目覚めて貰うのだ。




 今の俺の結論と、その後の行動全てがサフランの思惑通りなのかどうかは判断しかねる。


 少なくとも、連日暇で死にそうだとボヤいていた、あの物騒な女が、さして興味を持っているとは思えないシオンの将来を憂いて、教育を施すべきだと、俺に提案する事には納得しかねるものが有った。


 しかし、俺は将来云々を無視してでも、シオンにごく普通の人間による、ごく普通の教育というものを受けさせる事の必要性を痛感した。


 翌々考えてみれば、シオンは実の母親に捨てられ、その後親戚の家をたらい回しにされた挙句に奴隷にされていた少女。


 そんな少女に必要なのは、何よりも、周囲の人間からの愛情の筈だ。


 だが、彼女の周囲にいる女の筆頭がホリーで、男の筆頭が俺。


 これは最悪だ。


 女子供を毛嫌いするホリーと、怠惰と無知と無神経を煮詰めて固めたかのような俺が周囲にいても、シオンに与えるのは悪影響でしかない。


 これは早急に、優秀な家庭教師による教育を受けさせなければ。


 そんな結論に達した俺は、謁見の間にいたダリア国王に対して、現代の勇者に対する教育の必要性を熱く語った。


 面倒くさがりの権化である俺が、能動的に国王に対して直談判した。


 もう、自分でも何を言っているのか解らないくらい、本当に訳の解らない小難しい理屈をこねくり回して語った。


 勇者発見の功労者としてだけでなく、先日起きたアイリスの行方不明事件解決の立役者として、国王から好印象を受けていた俺の提案は、


「うむ。そちの言う事も最もだな」


 あっさり受け入れられた。


「それでは、我が息子のヒース……」


「それは問題外ではないかと」


 速攻で、俺は国王の提案を拒絶した。


 一国の国王が、自分の息子を家庭教師役に提案した瞬間の拒絶。


 命がいくつあっても足りない程の愚行だが、本当にその提案は問題外だ。


 ヒース王子。


 今、俺の目の前で玉座に座っているダリア国王の息子で、俺やアイリスの同級生。 


 コイツに対する印象を一言で言おう。


 バカ王子だ。


 こんな男から教育を受けて、シオンに良い影響が有る訳が無い。


 それなら俺が教えた方が百倍マシだ。


 しかし、国王は俺の不遜とも言える言葉を聞いていなかったのか、


「いやいや。ヒースではない。ヒースの家庭教師を務めていた者はどうかな、と思ったのだ」


 なんて事を言ってくる。


「クロウ。余も我が息子が、勇者様に何かを教える程の器でない事はよく理解しておる」


 違った。


 俺がヒースを家庭教師役にするのは問題外だと言った事はきっちり理解している。


「こ、これは、大変失礼な事を……」


「気にするな。事の是非を確認する事も無く、自分を処刑しようとした者に好意を抱ける訳もあるまい。あの時の事は、余も同罪だがな」


「……滅相もありません」


 本当に、この国王は人の言葉に良く耳を傾ける方だ。


 まあ、悪人の甘言も良く聞く人だが。


「ヒースも士官学校の成績は悪くなかった筈だが、それにはヤツの教育係の力が深く関わっておるのだ」


「そうなのですか? 殿下を教育した方とは、一体どういう人物なのです?」


「そちやヒースにとっては先輩に当たるな。王立士官学校において、歴代トップの成績で卒業した男だ」


「そんな優秀な人が……」


「年は……そち達の五年前に卒業した筈だから、二十三歳だ」


「……」


 王立士官学校の首席卒業者による教育か。


 それなら、別にアイリスでも構わないような気がしてきたが、国王が推薦する程の人材だ。


 その男に任せて問題無いかもしれない。


 俺はとりあえず、


「解りました。シオン本人に了承を得てきます」


「うむ」


 なんて言葉で、お茶を濁しておいた。


「それから陛下。この国の水源であるブルードラゴンにて、水枯れの報告が相次いでいるとか」


「ほう……耳が早いなクロウ。余も頭を痛めていた問題だ」


「あそこはアイリスの故郷ですので、彼女の知人からの報告です」


「うむ」


「実は、アイリスからの提案で、明日にでも水枯れの原因を調べてみようと考えていたのですが、外出の許可を願えないでしょうか?」


「ほう。クロウ。そちはそんな問題にまで骨を折ってくれると言うのか? 余は常々そちに対して感銘を受けていたが、ますますそちを気に入ったぞ」


「……いえ、勿体無いお言葉……」


 ヤバい。


 どうにも出来ない仕事を自分で作ってしまった。


「許すも許さないも無い。こちらから願いたいほどだ。是非、水枯れの原因を究明してほしい」


「っは!」 


 俺はダリア国王に対して頭を下げながら、再び無茶ブリされている、という状況が原因で、大量の冷や汗をかいていた。


 まさか、アイリスが気にしていた故郷の水枯れが、国王にとっても大事だったとは。


 こんな風に大言を吐いてしまったら、何の手がらも無しに帰れなくなった。


 とりあえず、俺は謁見の間から出る時、一度だけ振り返った。


「そう言えば陛下。その、成績優秀な士官学校の卒業者は、何という名です?」


「うむ……。言っていなかったな。ヤツの名は……」




「プラタナス~?」


 謁見の間を出た俺は、カトレア教官の私室を訪ね、ダリア国王から聞いた男の名を上げてみた。


 王立士官学校の卒業者である以上、当然の事だが、カトレア教官とも面識が有る筈だ。


 なにせ、カトレア教官は長年に渡って王立士官学校の教官を務めている人だ。


 プラタナスとかいう首席卒業者の事も知っているだろ。


 しかし、室内のテーブルで、紅茶と茶菓子を用意していたカトレア教官は、眉間に皺を寄せていた。


 まあ、教官は童顔なので、険しい表情を浮かべても愛らしいが。


 お茶の用意をすませ、テーブルを挟んで俺の真正面にドカリと座った教官は、腕を組んで天井を見上げた。


「プラタナス。プラタナスなあ……」


「覚えてないんですか? 俺達より五歳年上で、歴代トップの成績で卒業したって聞きましたけど」


「あ、アイツか……全部の筆記試験で毎回、満点取ってたヤツだ」


「……」


 そんな規格外に好成績な生徒を、何でこの人はうろ覚え状態なんだ。


「つまんねえヤツだったなあ。課題も訓練もそつなくこなしてさあ」


「いや、つまんないって……優等生じゃないですか?」


「優等生過ぎるんだよ。教えてもねえ事知ってて、どんな武術も並はずれてたし、アタシが教える事なんか何も無かったよ。異様な記憶力の良さと、身体能力の高さだったぜ」


「……いや、だからそれの何がつまらないんですか? そんな出来の良い生徒なんか、教え甲斐が合ったでしょ?」


「だから、何も教えなくても何でも完璧にこなすから、教える側としてはつまんねえんだよ。特に問題行動も起こさねえし、他の生徒との関係も悪く無かったしな。絵に書いたような優秀野郎だったよ」


「そこは普通に褒めれば良いのに……。教官にそこまで言わせるなんて、相当なヤツですよね?」


「ああ、まあ、優秀なんじゃねえの。こうして改めて考えてみると、お前と完全に間逆な野郎だったな」


「そうかもしれませんね」


「って事は、出来の悪い教え子程、可愛く感じるってのはマジだったんだな。お前の事は割と気に入って一緒に飯食ってたけど、アイツの事は全く印象に残ってねえもん」


「……その言い草だとあんまり嬉しくないんですけど……」


「んで? そのプラタナスがどうしたんだよ?」


「シオンに家庭教師をつけようと思って、国王に相談してみたら、そのプラタナスってヤツを紹介さてました」


「アイツを家庭教師に? そんな仕事受けるかなあ、アイツ」


「ええ? でも、プラタナスはヒースの家庭教師をやってたらしいですよ? 王子の家庭教師するくらいなんですから、勇者の家庭教師役だって買って出るような気がしますけど」


「……アイツ、ヒースの家庭教師なんかやってたのか……?」


 そこでカトレア教官は、突然表情を暗くした。


「教官?」


「……今の今まで忘れてたんだけどな。プラタナスは本当にお前とは間逆の男だったよ。成績が優秀で、何をやっても完璧にこなす野郎だったのに、アタシが傍から見てて引くぐらい予習だの復習だのを繰り返して、自習も鍛錬も休む間もなくやってた。病的にストイックなヤツだったよ」


「へえ。それは確かに俺と間逆ですね」


「一回、アタシもあんまり無理するなって言った事あるんだけどな、夢を叶える為に休む暇なんか無いとか、人生は一度きりだから後悔したくないとか、時間は有限だから無駄には出来ないとか、タラタラ面倒臭い事を連呼してたよ」


「ええ……俺には全く理解出来ない考え方ですよ。一回しか人生無いなら尚更サボって怠けて楽して生きれば良いのに」


「……それはそれでどうかと思うけどな……」


「プラタナスがそこまでして叶えたい夢って何だったんでしょうね? 世界征服ですかね?」


「何でストイックなヤツの夢が、世界征服なんだよ。お前どういう発想してんだ?」


「え~? 俺って世界征服くらい出来ないなら、絶対に頑張って勉強とか訓練なんかしませんよ。いくら頑張っても世界征服できないって解ったから、俺は潔く授業をサボってたんです」


「……お前……割とヤバいヤツだったんだな……」


「ヤバくないでしょう、別に。素直に諦めたんですから。それより、プラタナスの夢に心当たりは?」


「ああ、アイツは神剣制定で聖光剣に選ばれなかったし、雷鳴剣からも氷結剣からもシカトされたからな。身分も中流階級だった。姉妹剣使いでも貴族でもねえ自分は、誰よりも優秀になる事でしか、出世できない。だから誰よりも努力するとよ」


「……」


 本当に、俺と間逆の男のようだ。


 夢の内容を聞いても、思考が全く理解出来ない。


 俺は身分が高い訳でも、学力が高い訳でもないから、出世コースから外れる事は確定している。


 出世して、多くの人間を部下に持ちたいとも思えないし。


 身分なんて結局、法を決める少数の人間が、法に従う大多数の人間を従わせる制度だ。


 全ての人間に対する最大幸福を保証する制度ではない。


 上に立つ少数の人間が、マシな思考回路をしていれば平和になって、最低の連中だった場合は戦争だの政争だのが始まって、国が荒れるだけの事だ。


 だから、俺には関係の無い話。


 俺は常に、他人に生殺与奪権を預けている側だ。


 今だって、シオンやホリーに命を預けている。


 彼女達が、俺を見限れば?


 加えて、アイリス、カトレア教官、サフランの誰かが、何らかの理由で俺を殺そうとすれば?


 すぐに死ぬ自信がある。


 要するに、俺は自分の意志で生きているかのように振る舞っているが、その実、他人の力で生き長らえている男なのだ。


 そしてそれは、大多数の民衆と同じだという事だ。


 この世界に生きる者は、殆ど全員が権力者の都合で、生き残れるかどうか決まる。


 まさに、その他大勢。


 物語の主要人物になる事も無く、戦争や災害が起きた時、名前ではなく、同時に死んだ人数でだけ数えられる存在。


 だから俺は夢とか目的を叶えようと努力したくないのだ。


 この世界で何を成そうが、はっきり言って大した意味なんか無いのだから。


「……教官……この世界ってヤツは、何でこんなに儚いんですかね?」


「お前……そういう事は努力してるヤツしか言っちゃいけねえ気がするんだが」


「ええ? 最近の俺、割と頑張ってません?」


「まあ、割とな……割と……」


「でも、そのプラタナスが家庭教師役にピッタリって気はしてきましたよ。勇者相手に勉強を教えるって、プレッシャーが有ると思ってましたけど、国王の息子に勉強教えれるヤツなら楽勝でしょ?」


「……う~ん。誰よりも努力して優秀になるって熱弁してたヤツが、王子の家庭教師ねえ……なんかキナ臭いよなあ。アイツ今、何考えてんだろ……」


「世界征服ですかね?」


「だからどういう発想だよ!」

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