終章 伝説の晴れやかなる終わり

第153話 二人の道

 ロクサーナ聖教本部の一角にある文書管理室。普段はどことなくのんびりとした空気に包まれているこの部屋は、最近妙に殺気立っている。


 紙をめくり、あるいは運ぶ音に混じって、時折とげとげしい声が飛ぶ。そのほとんどは短文の会話、ないしは指示だ。


 壁中を埋め尽くす本棚を、さらに紙や石板が埋め尽くす閉塞感満載の部屋では、ささやく声も大きく響く。一応許可を得てここに踏み入ったイゼットも、ついつい体を縮こまらせてしまっていた。


 ひりついた空気と突き刺さる視線を感じながらも、イゼットは歩を進める。ほどなくして、足を止めた。探し人の姿を見つける。


 彼の探し人は、部屋の奥で書物の山に埋もれていた。その約半数が石板、四分の一が巻物、もう四分の一は書付であるらしい。顔を引きつらせつつ彼の背後に立ったイゼットは、黒い頭に顔を近づけて、ささやいた。


「ファル」

「んー? ……あれ、イゼットじゃないか。どうしたの」


 突っ伏しかけていた青年――ファルシードは、わずかに肩を震わせてから、振り返った。相変わらず淡白だが、いつもより目が死んでいるような気もする。


「手伝いに来た」


 イゼットは、端的に答えた。それを聞いたファルシードは、数回瞬きをしてから、雑に頭をかく。その段になってようやっと、体をイゼットの方に向けた。


「それは助かる。毎日悪いね」

「気にしなくていいよ。この事態は俺が招いたようなものだし」


 イゼットは微笑に苦みをにじませる。その胸中を薄々察したらしいファルシードは、両手を挙げて「それこそ気にしなくていいよ」と返した。


 青年に許可を得て、イゼットは隣に歩み寄る。作業の進捗を聞いてから、書付をまじまじとながめた。内容はほとんどが、「御使い」や月輪の石にまつわるものだ。


 イェルセリア古王国の浄化以降、ロクサーナ聖教は在り方を見直す必要に迫られた。当代の聖女が月輪の石の本体を宿していないこと、その従士が宿主であるという事実が、明るみに出てしまったからである。


 今、文書管理室で行われている作業も見直しの一環だ。かつての天上人アセマーニーや呪物との関わり方を探り、今の聖教に取り入れる。そのための、資料の洗い出し。


 そういう資料は、予備知識のない者には見つけるのが難しい。見つけたとしても、今度は解読が難航する。昔の言語や言い回しで書かれたものが多いからだ。その中から必要な情報を早急に見つけだせ、と命じられた文書管理室の面々は、この数か月、古の知とのあくなき戦いを繰り広げている。


 事を引き起こしたのが自分たちだという自覚があったため、イゼットは業務の合間を縫って資料探しを手伝うことにしていた。なりたて従士ということもあり、最初は煙たがられていたが、最近はむしろありがたがられることが増えた。他の人々では気づけないような記述に、イゼットが気づくということが多いからだ。むろん、それは天上人アセマーニーについて調べ続けていたからこその気づきである。〈使者ソルーシュ〉の友を名乗る青年に色々と聞いていたのも大きかった。


「従士としてもかなり多忙でしょう。どう? 少しは慣れた?」


 作業に関係ありそうな書物をいくつか見繕い、手に取っていく。黙々と仕事をするイゼットのそばで、何やら慌ただしく書付を取っていたファルシードが、ふいに口を開いた。


「まあ、ちょっとずつかな。聖院で習ったことばかりではないから大変だけど、楽しいよ」

「それならよかった」


 イゼットが軽い声色で答えると、友人の淡白な横顔にも微笑がにじむ。


 イゼットは、書棚の奥に入りこんでいた巻物を取り出すと、今までかき集めた書物の山をファルシードの隣に置いた。自分が見つけた記述なども、一応教えておく。青年は小さく顎を動かして「ありがとう」と応じた。


「この間の大祭たいさいは盛り上がったね」

「あれは……緊張した……」

「君もかっこよかったよ。まさに聖女様の影って感じ」

「そういうこと淡々と言うなよ。恥ずかしい」


 友人は本をめくりながら、しれっと爆弾のような話題を持ってくる。イゼットは思わず突っ伏しそうになった。気恥ずかしさをごまかすつもりでそばの石板を手に取る。なぜかアルサーク語で書かれているその文章は、呪物の伝承を残すもののようだ。


 時折笑い話を挟みつつ、そういった手がかりを拾い上げていく。地道な作業を繰り返すうち、気づけば一刻が経っていた。



 文書管理室を辞したイゼットは、その足でアイセルの元へ向かう。ちょうどお呼び出しを受けたからだ。


 そのとき、アイセルは聖堂の奥の小さな部屋にいた。儀式に使う道具がしまわれている部屋のうちの一つだ。どうしてこんなところにいらっしゃるのだろう、と首をかしげつつも、イゼットは少女の前に立つ。彼がすばやくひざまずくと、アイセルは穏やかにねぎらってくれた。


 生真面目な従士に顔を上げるよう命じたアイセルは、それから静かに本題を切り出す。


「実は、新しい『よどみの大地』が見つかったの」

「本当ですか」

「ええ。それ自体はずいぶん前から存在したみたいなんだけど、改めて情報提供があったそうよ」


 そののち、彼女はよどみの大地にまつわる詳しい情報を教えてくれる。所在地を聞いて、イゼットは眉を寄せた。


「遠いですね」


 そうでしょう、とアイセルはおどけて笑った。が、すぐに表情を引き締める。


「周辺に人も暮らしているようだし、いきなり祭司や巫覡シャマンを率いていくのは厳しいわ。そこで、イゼットに事前の調査をお願いしたいの」


 実際に人の目でその場所を見てくること。周辺に暮らす人々に話を聞くこと。可能なら、聖教関係者が足を踏み入れる許可を取ってくること。これを、イゼットに任せたいと聖女は言う。


「大変な仕事になると思うけれど、お願いできるかしら」

「は。その任、謹んでお受けいたします」


 イゼットは受諾した。迷いはない。もとより、彼は『浄化の月』の宿主である。よどみの大地を無視することはできない。


 アイセルとイゼットは、その場で調査の計画を立てた。せめて移動だけでもフーリに協力をお願いできないか、という話になったのは、自然なことだろう。


 そして、ひそやかな話し合いのさなか――聖女は、なぜか悪戯っぽくこんな言葉を付け足した。


「今回、周辺に詳しい人に案内役をお願いしているの。まずはその方と合流してね」



 フーリの協力は案外あっさり取り付けられた。よどみの大地に関わる事案であるし、聖教の任務とはいえイゼットの単独行動だ。彼としても、断る理由はなかったのだろう。


 命を受けた三日後、旅支度を整えたイゼットは、愛馬ヘラールとともに聖都近くの町へ赴いた。そこで白い子どもと合流し、人目につかないところで転移をさせてもらった。


 飛ばされた先は、トラキヤ南部、ヒルカニアとの国境近くである。町の外れであるが、あたりは静かで、人の往来も今はない。ここからでも現場までは早馬で四日ほどかかる。現場の手前に直接行かなかったのは、案内人と合流するためだ。


 茶色い大地に草木がぽつぽつと生えるだけの風景をながめて、イゼットは首をひねった。


「とりあえず、猊下に指示されたあたりに飛ばしてもらったけど……本当にここで合ってるのかな……」


 呟いて、思わずヘラールを見る。彼女は、鳴きもしなかった。「私に訊くな」といわんばかりにそっぽを向かれる。イゼットは、肩をすくめた。


 少し待ってみて、それでも人影は見えない。いよいよ若者が不安を覚えたとき――ヘラールが、ふいに何かに反応した。しかも、少し嬉しそうだ。何事だと身構えたイゼットの耳に、馬蹄の響きが流れこんでくる。


 かすかに、確かに、近づいてきた。その音が聞こえるのは、東南。イゼットがその方を見れば、人馬の影があった。影はあっという間に輪郭と色彩を得る。


 イゼットは、思わず息をのむ。


 牡馬に乗ったその人物は、何度か手を振っていた。赤を基調とした独特の衣装が、風になびいてひらひらと舞う。身に着けている銀細工の飾りが動作に合わせて揺れ、強い陽光を弾いた。透き通るようなその音は、イゼットの耳にはひどく懐かしい。


 は、イゼットの十歩ほど手前で止まった。軽やかに馬から下りると、その場で礼を取る。胸の前で指を組む、これまた独特の動作だ。


「イゼット、お久しぶりです!」


 元気よく挨拶されたイゼットは、目を白黒させる。


「ルー? え、な、どうしてここに」

「今日のボクはお仕事で来ているのです」

「お仕事って――あ」


 クルク族の少女は、得意げに胸を張った。それでも若者の中の戸惑いは消えない。黙考して、イゼットははっとした。彼女の言葉と自分の任務が結びつく。


 頭の中で地図を描いた。よどみの大地が見つかった地点は、アグニヤ氏族ジャーナの集落からそう遠くない。思いっきり彼らの行動圏内だ。


 少し考えればわかることだった。それがわかった瞬間、じわじわとおかしさがこみ上げてくる。イゼットは思わず、その場で吹き出した。


「これは、一本取られたなあ」


 喉を鳴らして笑うイゼットを見上げて、ルーは首をかしげている。その顔からは、隠し切れぬ喜びがにじみ出ていた。


「かなり前のことなのですが、うちの集落に聖都からの使者さんがいらっしゃったのです。よどみの大地を調べたいから、調べにきた人を案内してほしい、って。そこで族長がボクをすいせんしたそうです」

「な、なるほど」


 事情を聞いて、イゼットは笑顔を引きつらせる。ヤグン族長も、いくらかは楽しんでいたのかもしれない。そう思うとますますおかしくなってきたが、とりあえず笑いは堪えた。


 少女と向き合う。彼女は、「では、改めて」と笑った。その場で再び礼を取る。銀細工が鳴り、あしらわれた赤い石が輝いた。


「アグニヤ氏族ジャーナは勇猛なる戦士ジャワーハルラールの娘にして、新たに戦士の名を賜ったルシャーティと申します。今回は、この地の案内をさせていただきます。よろしくお願いします」


 いつかのように。いつかよりも、穏やかに。少女は流麗な名乗り口上を奏でる。


 イゼットは、すぐ彼女の名乗りに応じた。――今度は、聖教式の礼で。


「ロクサーナ聖教の騎士にして、聖女アイセルの従士を務めております、イゼットと申します。あなた方の土地に足を踏み入れるお許しを頂けたこと、戦士自ら案内していただけること、心より感謝申し上げます。そして――しばらくの間、よろしくお願いします」


 言葉の終わり。少し語気をやわらげて、イゼットが目を細めれば、ルーも頬を染めて笑い返してくれた。


 静かに再会を喜びあった二人は、それぞれの馬に乗る。月と太陽の名を持つ馬たちも、どこか張りきった様子だ。


「そういえば、イゼット、物資の方は大丈夫ですか?」

「大丈夫。ここまではフーリさんに飛ばしてもらったんだ」

「なるほど! それなら問題ないですね。では、しゃきしゃき行きましょう!」

「うん、よろしく」


 軽やかに言葉を交わした二人は、馬たちに出発の合図を出す。


 目指すは新たなよどみの大地。彼らをそこへいざなう道は、青い空をも貫くように伸びていた。



 時代の変わり目を生きた聖女の従士と、彼を支えた一人の少女。

 二人の旅路は、こうして幕を閉じた。


 そして、その物語は伝説となり、のちの世に語り継がれることとなる。



(月と炎の伝説・完)

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