第146話 信徒たちの戦い
「神聖騎士団が?」
「なんでまた、そういう展開に……」
ルーが目を丸くして、イゼットが少し眉をひそめる。その反応をシャハーブはおもしろそうにながめていた。
元々の計画では、あくまで神聖騎士団には「よどみの大地の調査を中止してもらうこと」と「こちらの邪魔をしないこと」を受け入れてもらえればよい、という話だったはずだ。一体、聖教本部で何が起きたというのだろう。
イゼットの渋面から内心の疑問を察したのだろうか。シャハーブは、髪をかき上げながら天を仰ぐ。
「俺が頑張って説得しているところにフーリが飛んできて、状況がひっくり返った。
イゼットとルーは、再び顔を見合わせる。それがいつのことなのか、二人にはわかっていた。フーリの背中を押したのが彼ら自身だということもあり、一瞬背中がひやりとする。
シャハーブの表情は変わらない。彼は、フーリたちがいるであろう方角に視線を投げた。
「おかげでよどみの大地の調査を中止させる件はとんとん拍子で話が進んだ。問題はここからだな。フーリの話を聞いた一部の奴らが、ここの浄化に協力したいと言い出した」
「フーリさんは、止めなかったんですか」
「俺もそれを期待したんだが、実際は逆だった。『あそこはよどみが全体的に薄いから問題ない』と言ったんだ」
「ま、腐っていてもしかたがない」
若者の困惑をよそに、シャハーブはけろりと話を変える。細められた切れ長の目が、鋭くイゼットをとらえた。
「俺たちのやるべきことはひとつだ。――浄化を始めようぜ、『月』の宿主殿」
シャハーブを見つめてから、荒涼とした大地を振り返る。そして、イゼットはひとつうなずいた。
※
かつて粛然と聖教を伝え続けたイェルセリア古王国の地は、常に曇天であるようだった。時折細い陽光が差してきても、灰白色の雲がすぐに覆い隠してしまう。まるで、古王国の地そのものを隠蔽しようとするかのように。
そんな薄暗がりの中、地平を埋め尽くすほどの人影を見出して、ハヤルは唇を引き結ぶ。
その驚きも、自分の足で荒野に入ったらだいぶ冷めた。対峙すべき相手を見つけた今となっては、それよりも静かな熱が胸の内を満たしている。
ハヤルは、ひとつ咳ばらいをして、自分の部下たちを振り返った。
「さて、みんな。これから戦いになるぞ。準備はいいか?」
声を潜めた隊長の問いに、第三小隊の騎士たちはうなずいたり拳を上げたりして応じる。ハヤルは彼らによし、とうなずきを返して、言葉を足した。
「『極力殺さぬように』というのが、アイセル猊下と団長のご命令だ。だが――みんなは、殺すつもりでかかれ」
一見矛盾した命令。当然、騎士たちは困惑する。わかりやすく互いの顔を見合わせはじめた彼らに対し、ハヤルはあくまでも淡々と説明した。
「むこうは俺たちを排除すべき敵としか思っていない。本気で殺しにくるだろう。そんな相手に生半可な覚悟で挑んだところで、犠牲者が無駄に増えるだけだ。だから、殺すくらいの気持ちで行け。いかにご命令を守れるように動くか――それを考えるのは、俺や、もっと上の人たちの仕事だ」
神聖騎士団は、ただでさえ
だから、ハヤルはあえて部下たちを強めに煽った。事実、中途半端な気持ちでぶつかれば逆にやられてしまうだろうから。
先の言葉は、自分に言い聞かせるためのものでもあったかもしれない。
次にハヤルが見渡したとき、騎士たちの顔から戸惑いの色は消えていた。本当の意味で理解できた人がどれほどいるかはわからない。だが、それでいいのだ。彼らはハヤルの意図を完全に理解する必要などない。自分なりに納得して、彼と彼の上官の指示通りに動いてくれればいい。そうして期待に応えてくれる彼らを生かすのが、ハヤルの仕事なのだ。
ちょうどそのとき、野太い号令が一帯に響き渡る。第三小隊の面々も、それ以外の騎士たちも、一斉に姿勢を正した。前線が、相手の集団と接触したらしい。
サイード団長が、みずから前に進み出た。彼は雄々しく声を張り、相手に語りかけている。第三小隊の位置からだと、言葉の詳細までは聞こえない。が、名も知らぬ彼ら――「
我々は無益な戦いを望まない。この地に害なす者たちを崇めることをやめれば、あなた方を傷つけることはしない。そういったことを、団長は腹の奥に響くような低音で語りかけた。相手はどのような反応をしているだろうか。ハヤルはちらとそんなことを思ったが、当然、この人垣の中からでは見通せない。だが、予想はできた。
「彼らは応じないでしょうね」
かたわらで、ユタがそっとささやく。ハヤルは、無言でうなずいた。
彼らは、
むこうから、強い声が返ってきた。サイード団長の声よりずっとぼやけて聞こえる。だが、続く言葉ははっきりと耳に届いた。相手の集団が、声を揃えて唱えたからだ。
「我々は聖教に屈しない! 穢れた聖教徒を許すな!」
「真の天の智者に栄光を!」
熱のこもった音が、天地をびりびりと震わせる。その熱気はどこかどろりと黒ずんで、麻薬的な色をまとっているように思われた。
ハヤルは思わず、体を抱える。ぞわり、と鳥肌が立った。
もはや対立は避けられない。そんな思考が青年の頭をよぎったとき、サイード団長の声が響き渡った。
「話し合いは決裂した。これより、
剣を抜き、突き上げたサイード団長はそう宣言した。
群衆の声を打ち消すほどの大音声は、神聖騎士団陣営に余すところなく届く。ハヤルとユタも、表情と心を引き締めた。自然と、腰に手が伸びる。ハヤルの指が剣の柄にかかったとき――
「――総員、突撃!」
団長の剣が振り下ろされた。
雄叫びと、人馬の足音が大地を揺るがす。一斉に駆け出した神聖騎士団の軍勢を見て取り、狂信者たちも負けじと武器を構え、突っ込んできた。たちまち乱戦状態となった荒野の中に、ハヤルもいる。
不毛の大地の中心、真っ向からの衝突。しかも相手は軍隊などではない――いうなれば一般人の共同体だ。戦略も戦術も弄しようがなく、それは作戦というより純粋な心身のぶつかり合いであった。
戦争に不慣れな自分たちにはかえってありがたいかもしれない、と自嘲しつつ、ハヤルは戦場を駆ける。部下たちに忙しなく指示を飛ばしながら、自らも剣を抜いた。けばけばしい装飾が施された黒衣をまとった男が一人、飛び出してくる。彼は崩壊しかけのヒルカニア語を叫びながら、短剣を突き出してきた。言葉の中身はおそらく罵倒のたぐいであろう。内心で苦笑しつつ、表面上では冷静に、ハヤルは相手を見すえた。下から上へ、剣を鋭く振るって相手の武器を弾き飛ばす。
「ひとまず投降しろ。そうすれば命の保証はするし、手荒に扱うこともしない」
それはあくまで形式だ。
彼らの意志が変わることはないだろう。それでもハヤルが投降をすすめたのは、聖女の意向であるからだ。そして、彼の友人ならば、きっとそうするだろうと思ったからでもある。
案の定、男がハヤルの言葉に応じることはなかった。今度はものを言うこともせず飛びかかってくる。振りかぶられた拳を避けたハヤルは、同時に剣の向きを変えると、その腹で相手の
ものを言えぬ状態になった人を見下ろして、ハヤルはため息をつく。今回はたまたま上手くいったが、殺さず捕らえるというのはかなり難しい。すでに四方八方から傷つき、あるいは死に絶えた生物が発する生臭い臭気が漂ってきていた。
足音が近づいてくる。敵でないことは幸いすぐにわかった。相手は、いつものように彼を呼ぶ。
「隊長!」
「……ああ、ユタ、いいところに。こいつを後ろに連れていってくれ」
ハヤルを追いかけてきたユタは、ぎょっとしたふうに彼の足もとを見下ろした。しかし、すぐに納得した様子で男の体を担ぎ上げる。
敵一名を回収したユタについて、ハヤルも一度後ろに下がることにした。途上で、ユタが把握している範囲の騎士たちの状況を聞きながら、彼は自らのうっぷんと戦ってもいた。
今回、この地に乗り込んだ目的は二つだ。暴走した
「さっさと終わらせてくれよ、イゼット」
ハヤルがため息まじりに放った一言は、剣戟の音にかき消された。
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