第143話 不毛の大地のただ中で

「間違いないですね。大地の火アータシェ・ザマーンの方々です」


 歌の聞こえてきた方へ駆けだしたルーが、少ししてとんぼ返りしてくる。白い面にほんの少し不快の色を乗せた彼女は、ひそめた声でそう報告した。実質上の師弟は顔を見合わせ、それから揃ってため息をつく。


「前もそうだったけどよ。虫みたいにしつこい奴らだな。他人に迷惑かけてる分、虫より質が悪い」

「そうかもしれませんね。まあ、確実に来るだろうとは思ってましたけど……」


『浄化の月』の宿主を追い、天上人の『反逆者』を信奉する彼らのことだ。むしろ、ここに来ない方が不自然というものだろう。イゼットは、またひとつ大きなため息をこぼしてから、手にした槍の感触を確かめる。無駄な接触はしないよう気を付けるつもりだが、ひょっとしたらまた一戦交えることになるかもしれない。


 ルーは、静かに目つきを鋭くするイゼットを観察していたようだ。が、ふと思い出したように口を開く。


「あの人たち、また歌をうたってました。それから、しんの天のちしゃがどうこうって言ってましたね。どういう意味なんでしょう」

「『真の天の智者』……」


 どこかで聞いた言葉だ。イゼットは記憶をたどり、そして、初めて『反逆者』に襲われたときのことを思い出す。髪も肌も白い人々が現れたときも、彼らはそのようなことを叫んでいた。


「もしかして、『反逆者』もここに来る?」

「えっ」

「ほら。彼ら、前にもそう言っていたでしょう」


 言って、イゼットが以前のことを話すと、ルーも思い当たったらしい。太い眉を落ち着きなく動かした。


「そ、それはさすがに、まずい気がします……それに、なんでわざわざここに来るのかがわかりませんよ……」

「そうだね。ここの大きな『よどみ』は、何百年も前に払われている。彼らにとっては使い勝手の悪い土地のはずだ。また訪れて、どうするんだろう?」


 ここで呪物が壊されたのは、二百六十年ほど前だ。当時の話をしてくれたシャハーブたちの口からは、『反逆者』の一語は出てこなかった。ということは、当時彼らは介入してこなかったということになる。それが今になってこの地へ舞い戻ってきたのは、イゼットを追ってきた結果なのだろうか。それとも別の意図があるのだろうか。


 形容しがたい気味悪さを感じる。深刻に悩むイゼットとルーの横で、メフルザードが小さくため息をついた。


「うだうだ考えてたってしょうがねえだろ。とりあえず奥に行ってみるとしようや。おまえらの仕事は、どこでもできるわけじゃねえんだろ?」


 投げやりにも感じる一言。しかし、それはイゼットたちの背中を押す力があるものだった。二人は揃ってうなずいた。イゼットはそっと立ち上がって、ヘラールの綱を握る。この地のよどみや穢れと呼ばれる悪い気がどの程度のものかはわからないが、行けるところまでは彼らも連れていくことにした。現状と、古王国跡地の広さを考えると、置いていく方が危ないだろう。


「なるべく彼らに見つからないよう、気を付けて進もう。いずれ戦うことになるとしても、無駄な戦闘は避けたい」

「がってんです!」


 ルーが拳を胸に当てる。その横で、メフルザードがうなずいた。


 彼らは、静かに荒野を歩き出す。

 かつて山国があった大地は、彩りに乏しく代わり映えしなかった。細く高い風の音とよどんだ空気も相まって、自然とこちらが口を閉ざしてしまうような陰鬱さを醸している。


 その重苦しい空気を懸命に振り払おうとして、かはわからないが、ルーがことさらに明るく振る舞っているのが、イゼットにはなんとなくわかった。鼻歌をうたいながら――もちろん、「敵」に気取られぬように、だ――軽やかな足取りで砂を踏む。まるで踊っているかのようで、そのつま先が地面を蹴るたび、銀細工が澄んだ音を響かせた。


「今回はどこへ行けば『浄化の月』が使えるんですかね?」

「うーん……実は、俺もわからなくて困ってるんだよな。今回、目印になりそうなものが何もないし」


 ルーの率直な問いに、イゼットは眉を寄せる。


『浄化の月』をより効果的に使うためには、特によどみの濃い場所へ行かなければならない。だが、ここは全体的によどみが薄く、目的地の見当がつかないのだった。


 あてにできるものがあるとすれば――それは、過去の記録や情報だろうか。


「シャハーブさんがしてくれた話で……『夜の杖』が出てきたのって、どこでしたっけ?」

「確か、王宮だったよね。当時の国王が杖に執着して、暴走させてしまったんだ」

「なるほど。それで、王宮ってどのあたりにあったんでしょう」


 それが問題なのである。


 無邪気に首をかしげる相棒を視界の端に収めつつ、イゼットは頭を抱えた。


 山が吹き飛んだ後の荒野で、かつての町や建物の位置を把握するのは不可能に近い。どうしたものか、とうなる若者の耳に、低いささやきが流れ込んでくる。


「古王国の王都がどのへんにあったのか、おまえはなんか知らないのか」


 イゼットに目をやって、言ったのはメフルザードだ。唐突な恩人の一言に、若者は困惑を隠しきれない。


「ええと……わからなくは、ないですけど」

「この場合わかるといいのは、標高じゃなくて、方角、な」


 そう言い添えられて、イゼットははっと目を見開く。師匠の意図を察して、すばやく記憶を洗い出した。聖院時代、少しではあるが古王国の情報も頭に入れている。長らく触れてこなかったものなので忘れているのではないか、という不安もあったが、自分が思っていたよりもすんなりと、求めていた情報はよみがえってきた。


「王都があったのは……山の中腹付近、やや西側のはず」

「西か」


 メフルザードの目が動く。同時、ルーも体をそちら側へ向けた。とりあえずの目標が定まったからか、大きな瞳が爛々と輝いている。


「西! とりあえず行ってみましょう!」


 走り出したくてたまらない、というようなルーの言動に気おされるようにして、イゼットはうなずいた。「あの人たちに見つからないようにね」と一応釘を刺してから、体を弾ませる少女の後ろで歩き出す。


 薄暗い荒野での平和な道行は長続きしなかった。四半刻もせぬうちに、ルーが人影を発見したのである。彼女は鋭く警告を発し、後続の二人を立ち止まらせてくれたが、身を隠せそうな場所はどこにもない。結局、その人物となすすべなく遭遇することとなった。


 黒地にけばけばしい装飾が入った衣をまとった人物。体格からして男であろうその者は、一行を見つけると気色ばんで短剣を抜いた。


「やはり来たか、『月』の宿主!」


 流暢なヒルカニア語で叫んで、彼は迫ってくる。


 メフルザードが剣を抜いた。だが、彼が駆け出すより早く、イゼットが前に出た。槍を跳ね上げ、短剣を相手の腕ごと絡めとる。力を失った手からこぼれ落ちた短剣が、かたい地面に落ちると同時、イゼットはそれを踏んづけた。そのまま槍を一度ひいて、下部を持ち、思いっきり振る。肩から胸にかけてを殴られ、ついでに穂先で切りつけられた男は、鈍い声とともに崩れ落ちる。


 短い交錯の後、訪れたのは静寂だ。イゼットが槍を下ろして後ろへ下がるまでの間、誰も何も言わなかった。ややして、大きく息を吐いたメフルザードが、気絶した男の前にかがみこむ。


「気絶してるだけか。出血も大したことねえし、そのうち目ぇ覚ますだろ。その前に離れるぞ」


 経験豊富な男の言葉に、イゼットとルーは一も二もなくうなずいた。そして立ち上がったとき、メフルザードは険しかった目もとを少し緩める。


「しかしまあ、よく動くようになったもんだな」


 それは、イゼットに向けられた言葉だろう。当人は、陽の色の目を瞬いた。


「今やりあったら面白そうだな」

「勘弁してください。先客がいるんですよ」


 豪快に笑ったメフルザードに、イゼットは肩をすくめる。少しの間笑いあってから、三人は歩みを再開しようとした。が、そのとき――ルーがくっと顎を持ち上げた。

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