第四章 月輪の槍

第142話 二百六十年越しの来訪

 砂塵が絶え間なく舞い上がり、視界を茶色く曇らせる。進めど進めど砂の幕は晴れることがない。まるで、来訪者を拒んでいるかのようだった。


 視界不良の道を、イゼットたちは淡々と進む。まともな旅人ならここらで引き返しているところだが、彼らは強行軍を決行するに至った。その最たる理由は「時間がない」という単純かつ明白なものだったが、ひとつにはイゼットとルーがいるから、というのもあった。


 視界が多少悪くても、クルク族の感覚を頼れば道を大きく誤るということはない。それでもどうしようもないときは、イゼットが精霊たちに道を問うようにしていた。

 砂煙が空を覆い隠す。あまりの濃さに、一行は砂塵がしのげる岩陰へといったん避難した。風化と侵食の結果だろうか、巨大な橋のようになっている奇岩の下で、三人は一度腰を落ち着ける。


 分厚い外套の砂を払ったメフルザードが、あからさまに舌打ちをこぼした。


「ひっでえな、こりゃあ。古王国跡地のまわりって、こんな気候だったか?」

「そんなことはなかったと思いますが……しばらく来ないうちに変わってしまったんでしょうか」


 男の悪態に、イゼットは肩をすくめる。さらにその隣で、クルク族の少女が首をかしげた。


「しばらくって言っても、長くて一年くらいのものですよね? そんな短期間で、気候って変わるものでしょうか」

「それもそうだよな……ちょっと不自然だ」


 イゼットは、顎に指を引っかけて、少し考えこむ。


 よくよく注意してみれば、どことなく空気がよどんでいるような気がする。もっとも、古王国跡地はかなり古い『よどみの大地』だ。その力が払いきれていない以上、よどみの残滓が漂っていてもなんら不思議ではない。けれども、イゼットはそれ以上の説明できない違和感を覚えてもいた。


「こりゃあ、しばらく晴れそうにねえなあ。こちとら悠長にしてらんねえってのに」

「精霊たちに道を聞きながら向かいましょうか」


 目陰をさしてぼやいたメフルザードに、イゼットはそう問うた。穏やかに提案してきた「弟子」を見て、どう思ったのか、男は気まずげに頭をかく。少しうなった後、「そうするか。頼むわ」とやや乱暴に呟いた。


 それを受けて、イゼットは感覚を開く。砂塵の幕を突き抜けて、目に見えない者たちのさざめきが届いた。精霊たちは四方八方を飛び回り、あるいは地表を転がりながら、手を振ったり叫んだりしている。陽気に踊りまわっていることの多い彼らには、珍しいことだった。


(あぶないよ)

(あぶないよ)

(むこうはとってもゆがんでいるよ)


 精霊たちは、必死に訴える。鼓膜と心の両方を強く揺さぶってくる警告を、イゼットは努めて静かに聞いていた。聞いたうえで、それでも道を教えてほしいと重ねてお願いする。精霊たちはやはり渋っていたが、イゼットが食い下がると不承不承道を教えてくれた。視覚とは別の「世界」に、古王国跡地までの人が通れそうな道筋が、するすると描き出される。


 イゼットは、精霊たちに礼を言い、彼らをなだめた。感覚を開いたまま、彼はルーとメフルザードに向き直る。


「精霊たちはだいぶためらってたけど、道は教えてもらえたよ」

「わ、よかったです! 埋もれちゃう前に行きましょう!」

「そうだな。少し砂煙も薄くなってきたみてえだし」


 メフルザードの言葉通り、舞い散る砂塵は少し薄くなっている。目をこらせばなんとか道と岩の判別がつきそう、という程度には。


 精霊が描く道筋は、出発してからもイゼットの頭の端にある。それに沿って、彼は二人を先導した。少し先も見通せない道の中で、転がる岩を避け、凹凸を知らせ、いつあいたのかわからない穴を飛び越える。


 精霊と現の世界を行き来しながら、イゼットは深く息を吐いた。じょじょに足もとがおぼつかなくなり、頭に靄がかかってくる。


 感覚を開きつづけるのは、身体に大きな負担がかかってしまう。現役の巫覡シャマンでも、長時間を見つめることは難しいとされていた。先ほどメフルザードが歯切れの悪い答え方をしたのも、そういうことを知っているからだったのだろう。


 その危険と思いを承知の上で、イゼットは精霊たちの世界に意識を通し続けた。今は時間がないのだ。目的地に着くまでの辛抱、と己に言い聞かせて、手綱を握りしめた。


 目的地にたどり着いたのは、それからどのくらい経ったときだろうか。二つの世界を行き来していたせいで、イゼットの時間の感覚は曖昧だった。彼が、到着した、とわかったのは、ひらけた場所に出たからだ。


 視界が広がると同時、砂塵もふわりと捌けていく。完全に晴れたとは言い難いが、これまでに比べればかなり見通しやすくなった。


 荒涼とした大地が、延々と続いている。果ては見えない。かつてはここに山があったのだから、当然だろう。


 大地はややくぼんでいるようだった。隕石が落ちるか、大規模な爆発があったかのような様相である。生命の気配はない。あるのは岩と、薄いよどみの名残だけだ。


「ここが……イェルセリア古王国、ですか」


 ルーが呆然と呟く。そのかたわらで、メフルザードがうなずいた。


 二人のやり取りを意識の端で拾いながら、イゼットはゆっくりと感覚を閉じていく。精霊たちをなだめ、礼を伝えてから。


 落ち着きのない精霊たちのささやきが遠ざかり、うら寂しい風の音が耳に届いた。乾いた空気と刺すような熱が肌を覆う、その不快感が、今は不思議と心地よい。


 イゼットは馬から下りてすぐ、大きく息を吐いてその場に座り込んだ。音で気づかれてしまったようで、二人分の視線が彼に集中する。ルーが、飛び跳ねるようにして駆けてきた。


「イゼット、平気ですか?」

「大丈夫。少し疲れたけど……」

「あんまり無茶しちゃだめですよ。これから『浄化』もあるんですから」


 唇をとがらせた少女に、イゼットはそうだね、とほほ笑みかけた。


「まあなんだ、ちょっと休めよ。その間、このあたりの見回りでもしておいてやる」

「ありがとうございます……。でも、見回りは大丈夫です。ここでは、あまり俺から離れない方がいいので」


 人間たちは、『よどみの大地』の中で『浄化の月』の宿主から離れてはいけない――ヤームルダマージュで、シャハーブが忠告してきたことを思い出す。ルーも同じだったのだろう。突然目覚めたように顔をこわばらせ、何度もうなずいてみせた。二人の反応を見てか、メフルザードも疑問を持ったふうでもなく「そうか」と呟いて、イゼットの隣に立つ。


 彼は、どこかいらだたしげに頭をかいた。


「呪物だの天上人アセマーニーだのと……少し見ない間にずいぶん愉快なことになってんな。話を聞いた今でも信じられねえよ」

「大丈夫ですよ。俺も全然実感は湧いてないです」


 メフルザードの反応は自然なものだ。むしろ、今まで精霊世界にすら縁のなかった人がこんな話をやすやすと受け入れられる方が不思議なのである。だから、イゼットも困ったように笑うだけで、それ以上のことは言わなかった。


「でも、イゼットはちょっと戦えるようになってきてるんですよ!」

「そう、そこだ。ある種の証拠があるっていうのが、また面倒なんだよ」


 両腕を慌ただしく振ったルーがそう言うと、メフルザードは顔をしかめる。ルーは怪訝そうに頭を傾け、口を開きかけた。男の言葉の意味を問おうとしたのかもしれない。だが、それを口に出す前に、彼女は弾かれたように振り返った。何もない荒野をにらみつけるその表情は、地上最強の狩猟民族のものだ。


「ルー?」

 イゼットが慎重に呼びかけたとき。少女の黒瞳に炎が灯る。


「イゼット、メフルザードさん。ボクたち以外にもお客さんがいるみたいです」


 その言葉が終わるより前に、風に乗って聞き覚えのある歌が流れてきた。

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