第138話 異端者と聖都

 曇天の下に佇む聖都シャラクは、いつも通り静かだった。聖女派と祭司長派の対立が本格化して以降、この街はほとんど修行者と巫覡シャマンしか出入りしない場所となった。元々その割合が多くはあったが、検問の強化などが行われた結果、ますます門が狭くなった、という具合である。


 宗教闘争以前のシャラクを知るシャハーブにいわせれば「元々薄暗かった街がさらに陰気になった」というところだ。


 灰色と白の建物群を見渡したシャハーブは、肩をすくめて視線を落とす。死んだように静まり返った街並みから、隣に立つ青年へと、視線を移した。神聖騎士団第三小隊の副隊長を務める若者は、静かな瞳を街並みのむこう、聖教本部へ向けている。感情が表へ出ることを抑えてはいるようだが、その横顔からは隠し切れぬ緊張と動揺、そして疲れがにじみ出ていた。


 途中までは第三小隊と共に行動していた二人だが、道程の半ばまで達する前に方針を変えることを余儀なくされる。シャハーブとユタの二人だけで、先行して聖都に向かうこととなったのだ。ハヤルが聖女の飛ばした鳥からの報告を受けて、あまり猶予がないと判断したらしい。


 急ぐ必要があるということで、シャハーブはここぞとばかりに八百年分の知識と経験を駆使した。つまり――ユタも知らないような裏道を使いまくったのである。そのほとんどは、とても道とは呼べないような場所――細い断崖沿いの道や、大岩だらけの山中など――だった。ユタが疲れているように見えるのは、ここ数日の強行軍のせいもあるのだろう。


 それでも彼は、シャハーブの視線に気づくと、しかつめらしく口を開いた。


「聖教本部に向かいましょう。まずはアイセル猊下げいかとお会いして、状況を説明しなければ」

「それはよいが、どうやってお会いするんだ? 俺のような一介の旅人が、聖女様に会わせていただけるとは到底思えないが」

「普段なら、そうですね」


 淡白に応じたユタは、しかしすぐにほほ笑んだ。


「大丈夫です。ここは僕にお任せください」


 シャハーブは、自分よりもうんと若い青年の言葉に、疑念を呈したりはしなかった。「任せろと言うのなら喜んでお任せします」とばかりに、ユタの後ろについて聖教本部方面に向かう。疑う理由がないのだ。


 元々、彼は聖教や聖都まわりには詳しくなかった。詳しい人に任せるのが一番良いことだと思ったし、ユタがシャハーブを陥れようとするわけもない。シャハーブを陥れたりしたら、困るのは彼らの方なのだから。


 そんな思考を腹のうちに抱えたシャハーブと、そういうふうに思われていることも恐らく承知しているであろうユタは、共に行く。普通に歩いて大礼拝堂の前まで来たところで、ユタがふいにつま先の向きを変えた。シャハーブも、特に動じることなく後に続く。大礼拝堂の横手へ入りこみ、曲がりくねった小路を抜ける。長い道のりを、文句のひとつもこぼさずに歩きつづけたシャハーブは、しかし、小路を抜けた先で眉を跳ね上げた。


 聖教本部の裏口にある、不自然な穴。おそらく隠し通路のたぐいだろう。王宮などに王族専用の抜け道があるのはある種の「お約束」であるが、聖教ですらそうなのかと、彼は少々苦い気分になる。それを今から自分が使うのだと思うと、皮肉っぽくもあった。


「ここを使いましょう。その方が、厄介な方々に見つかる可能性も低いですから」

「……なるほど。では、引き続き案内を頼む」

「お任せください」


 恭しさを装ってこうべを垂れた青年は、慣れた手つきで隠し通路の扉を開ける。ためらいを一分も見せない彼に続いて、シャハーブも小さな穴に滑りこんだ。


 息が詰まりそうな狭い通路を、ひたすらに歩く。「どんどん陰気になりそうだ」と心にもないことを声に出さず呟いて、シャハーブは面白味のない通路を観察していた。照明になるものは、一切ない。この通路の狭さを考えると、下手に蝋燭ろうそくなどは使わない方がいいだろう。それに、ここには巫覡シャマンがたくさんいる。本来、明かりには困らない、という想定なのだろう。


 シャハーブの思考が騒がしい一方で、ユタと彼の間に会話はない。足音だけが薄暗く反響し、繰り返しのような景色が流れる。


 無言の行軍は、四半刻もかからず終わった。当然のように、ユタが足を止める。その眼前に分厚い壁のようなものが立ちはだかっているのを、シャハーブはわずかな視界と空気の流れで知った。ユタがその「分厚いもの」に手をかけて、ずらす。かつてイゼットたちも通った通路を、こうしてシャハーブたちも辿った。


 細く差し込む光を頬に受けた青年が、旅人を振り返る。


「この通路は聖教本部の文書管理室に繋がっています」

「大丈夫なのか、そんな場所にいきなり出て?」

「問題ありませんよ。人のいない時間帯のはずですから」


 文書管理室に、いつ誰がいるか――その情報は、ハヤルがファルシード経由で得たものだ。当然、そんな事実をシャハーブは知る由もない。ひとまず副隊長殿の言葉をあてにして、通路の先へ行くことにする。


 通路から体をひねり出した先に広がっていたのは、書棚が壁じゅうを埋め尽くす、どこか既視感のある部屋だった。ユタの言う通り無人であるが、その外では人のさざめきと足音が行き交っているようである。シャハーブは窮屈な――それでも先ほどまでよりはましである――部屋を見渡して、軽く伸びをした。そうしているところへ、隠し通路を閉じたユタが追いついてくる。彼は、少し部屋をうかがった後、扉の方へ足を進めた。制服の裾がひるがえるその様は、シャハーブの古い記憶をかき起こす。


 男を救うため、騎士団を出奔した少女。男の故国の浄化という望みは、その命があるうちには果たされなかった。


 それを果たすため、今度は当代の聖女の従士があがいている。そう考えると、時代の巡りとはなんとも不思議なものだ。


「行きましょう、シャハーブ殿。アイセル猊下にはすでに話を通してありますので」


 シャハーブらしからぬ長い思考から彼の意識を引き上げたのは、「今」の騎士の声だ。いつの間にか閉じていた瞼を薄く開き、旅人は不敵な笑みを相貌に刻む。


「さて。いよいよ聖女様とご対面、というわけだな」


 その呟きを聞いたユタの顔が少しひきつったようだ。だが、シャハーブは気づかなかったふりをして、彼の後ろについた。


 文書管理室から聖女が待つという部屋までは、さほど距離はないようだった。だが、人の目に触れないようにしなければならないため、時間はかかる。幸いなことに、隠密行動はシャハーブの得意分野だ。緊張に全身をこわばらせるユタのかたわらで、ひとり泰然として、あるいは飄々として聖教本部の中を観察していた。


 そして、おそらく通常の倍近い時間をかけて二階へ至る。押し殺したような人の音が遠ざかり、冬の朝のような静寂があたりを支配した。ひときわ大きく、装飾のほどこされた扉の前に立つと、ユタは一度深呼吸する。そして、扉を叩いた。彼が四角四面な声で名乗ると、わずかな沈黙の後に声が返る。


「入ってください」


 若く、やわらかな娘の音。しかしその裏に、氷柱のような強い芯がある。ここ最近の、張り詰めた情勢の表れだろうか。


 ユタが一礼して扉を押し開く。シャハーブも、肩をすくめた後、頭の中を切り替える。――ここから先、しばらくは、「旅の男」として現代に溶け込まねばならない。


 扉の先に伸びる部屋は、思いのほかがらんとしていた。シャハーブには用途のわからぬ道具が転がっていたり、繊細なのヒルカニア絨毯が敷かれていたりするが、聖教最高指導者の部屋とは思えない。


 薄日が差す部屋の最奥に、聖女は立っていた。被きで顔の上半分を覆っているので、表情は見えない。だが――その目がわずかに細められたように、シャハーブには思えた。


 ユタが静かに端へと退く。同時、聖女の唇が動いた。


「ようこそいらっしゃいました、旅の方」


 諸々の感情を、薄氷に閉じ込めたような声。それを受け止めたシャハーブは、淡い微笑を浮かべて礼を取った。

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