第137話 人間と天上人

 イゼットの声を聞いたからだろうか。乱入してきた男――メフルザードは、のんびりと振り向いて、頭をかいた。


「ど、どうしてここに……」


 疑問を口にしたのはイゼットだった。が、それは間違いなく、ルーも感じていたことだろう。少女は先ほどとは違う意味で、目を見開いて固まっていた。


 動揺している二人を見渡して、メフルザードが答える。


「仕事の帰りがけに妙な噂を聞いたんだよ。真っ白い人形みてえな人間があちこちに現れる、ってな。どんなもんかと思って、一番新しい目撃情報のあったここへ来てみた。そしたらおまえさん方がいたってわけさ」


 言うだけ言って、彼は二人に背を向ける。構えなおした長剣が、陽光を反射してまっすぐに光った。


「挨拶も細かい話も後だ。――おい、イゼット!」

「は、はい!」

「何をどうするんだ」


 問われて、イゼットは息をのむ。


 正面を見た。『反逆者』たちはまだ動かない。無感情で恐ろしい人たちだが、そのぶん不測の事態には弱いのだろうか。――だとすれば、今が好機だ。


 若者は手綱を握りしめ、相棒に目配せする。そして、師匠であり恩人である傭兵を、改めて見据えた。


「この人たちから逃げて、ヒルカニア古王国の跡地へ向かいます。正面衝突はなるべく避けてください」

「逃げる、か。つまり俺はこいつらの気を引けばいいんだな」

「はい。お願いします。ただし、警戒されすぎないようにしてください」


 詳しく説明している時間はない。だから、それだけを言う。メフルザードは、唇を引き結んだイゼットを振り返ると、不敵にほほ笑んだ。


「任された。攪乱かくらんは得意分野だ」


 言葉の終わりに、大きな足が大地を蹴る。傭兵が、人ならざる人めがけて駆け出した。


 太く強い一声を残して、メフルザードは白い一団の方へ疾駆する。かと思えば、そばの岩を蹴って体を大きく跳ね上げた。死角へ回り込もうという判断らしい。天上人アセマーニーには大して通用しなさそうだが、自分が傷つくのを避けつつ攪乱、という作戦のもとでは、ある程度意味のある行動だろう。


 傭兵は、そこから勢いよく『反逆者』に向かって剣を振り、彼らの気を引き始めた。変わらぬ師匠に心の中で感謝を述べつつ、イゼットは馬を駆る。ルーもすぐ後に続いた。


 乾いた大地をひたすらに駆ける。邪魔もなく、逃れられそうな気がしたのは、ほんの短い間だけだった。背後で数回白い光が瞬いて、直後、二人の進路に白い人が立ちふさがる。しかし、彼はすぐさま呪物の破壊を遂行しようとはしなかった。否、できなかったのだ。彼めがけて、大人の男の拳二つ分はある石が投げつけられてきたので。


 重い音を立てて飛来したそれを、彼は無表情で避けた。その間に、メフルザードが追いついてくる。


「おい、ありゃ一体なんだ。一瞬で場所移動したぞ」

「ええと……詳しく説明している余裕がないのですが、そういうことができる人たちみたいで」

「なんだそりゃ。どんな化物だ」


 メフルザードの悪態は、おそらく二人ともの胸の内を代弁したものだったろう。ふてくされた子どものように顔を歪めて相手をにらんでいた傭兵は、だがすぐに唇を笑みの形に変える。


「だが、おもしろい。相手になってやろうじゃねえか」


 長剣が光り、うなる。咆哮とともに飛びこんだメフルザードを、『反逆者』たちは冷たい瞳で見ていた。彼の剣戟を避け、押し返す様は鮮やかというよりも不気味だ。それでもメフルザードは止まらない。横薙ぎの一撃が、初めて一人の『反逆者』の体を捉えた。彼は傷ひとつ負わなかったが、視界の中にメフルザードを収めた。


 認識された。イゼットは、そのことに気づいて青ざめる。


『個体名不明の人間を敵と認定。警戒から排除へ移行』

「上等だ、相手になってやる。人間様の底力をなめんなよ!」


 どこから響いているのかも判然としない宣告。それに対して、メフルザードは吼えた。剣を構え、臨戦態勢の彼に、イゼットは思わず叫ぶ。


「だめです師匠せんせい! 危険すぎる――」

「うるせえクソガキ! いいから早く行け!」


 制止しようとしたつもりが、逆に叱声を叩きつけられる。ひるんだイゼットに、メフルザードはいつも通りの顔を向けた。


「おまえはこの先に用事があるんだろうが」


 頬をはたかれたような気がした。手綱を握る手に、力がこもる。そのとき、ヘラールが小さく鳴いた。まるで、騎手を励ますように。


 メフルザードは再び駆け出した。今度は『反逆者』たちも彼をしっかりと見ている。同時に、イゼットとルーも馬を走らせた。馬蹄の響きと剣のうなりが重なり合う。


 景色は、あっという間に後ろへ流れた。振り返りたい衝動をこらえて、イゼットは前を見据える。後ろで何が起きているのかはわからない。白い光と爆音は絶え間なく響くが、嫌な感じはしなかった。メフルザードは案外善戦しているのかもしれない。


『――排除する』


 そんな、希望的観測を打ち砕くような音。イゼットは、つま先から脳天までを悪寒が駆け上がるのを感じた。


 早くここを離れないと、大変なことになる。本能が警鐘を鳴らす。空が、真昼以上に明るくなった。ルーの悲鳴と、傭兵のものであろう驚愕の声が重なる。イゼットも、思わず空を仰いだ。


 青空は、一瞬で白光に覆われた。その中央でより強い何かが輝いているように見えるが、その正体など考えたくもない。


 バリバリと異様な音がする。空気が一気に熱くなった。馬たちが、強くいななく。

 間に合わない――イゼットが、そう思ったとき。


「そこまでだ」

 どこまでも平坦な、子どもの声が降ってきた。


 再び、空を仰ぐ。見覚えのある天上人アセマーニーが地上を睥睨している。彼はその視線を、おもに『反逆者』に向けているようだった。


 言葉もなく細い腕が掲げられる。すると、空を覆っていた白い光が急速に縮んでいった。まるで、彼の手に吸い込まれているようだ。光はぐんぐん小さくなり――最後には、雷の残滓のような火花を残して消えてしまった。


『反逆者』たちがざわつく。『地の呪物』破壊の任務についている同胞を前に、明らかな警戒を示していた。


 フーリは、彼らから目を離さないまま、声だけを人間たちに投げかける。


「遅くなった。今のうちに、行って」

「は、はい!」


 イゼットとルーは、声を合わせて応じると、再び馬たちに出発の合図を出す。彼らが駆け出したとき、フーリが付け足した一言をイゼットは背中で聞いた。


「もう一人の君もだ。急いで」



 全速力で駆けること、しばし。まとわりつく嫌な気配がなくなったところで、イゼットは馬を止めた。それに倣って、ルーたちも緩やかに停止する。


 どことなく、寂しい場所だった。草の一本も見当たらない大地に、大小様々な岩がごろごろと転がっている。地面が隆起したのだろうか、時折岩の柱のようなものが建っていて、そこなら身を隠せそうだ。もちろん、天上人相手にその程度のが通用するとは思っていない。だが、この際、精神的な安心というものも大事であるように思われた。


 そんなわけで、イゼットとルーは岩の柱が乱立する地帯で体を休めることに決める。下馬し、馬たちをねぎらったのち、自分たちは岩の柱にもたれかかった。乱れた呼吸を整える。その間、どちらも無言だった。


 張り詰めているのか緩んでいるのかよくわからない沈黙を破ったのも、二人ではない。


「よう。二人とも無事だな」


 イゼットの頭上から、温かな声が降ってくる。見る前からその正体がわかっていたイゼットは、溶けて消えそうな笑みを貼り付けて、緩慢に顔を上げた。


師匠せんせい――メフルザードさんも、無事でよかったです」


 言い直したのは、一瞬当人が顔をしかめたのを見たからだ。岩の柱のてっぺんに腰かけている彼は、「なんとかな」とため息まじりに呟いた。


「ったく。少し見ない間に、また妙な連中に気に入られたな」

「俺としても不本意ですよ」

「……ま、でも、生きてこっちに戻ってきたことは褒めてやるよ」


 首を鳴らしていた傭兵が、ふいにその動きを止めて呟いた一言。それは、若者の中に清水のように染み込んできた。


 思えば、彼と別れたのは聖都に入るより前のことだった。それ以降のことを思い出すと、苦々しいものとぬくもりとが、同じだけ胸を満たしてゆく。

 じんわりとこみ上げた熱を飲み下し、イゼットは苦笑した。


「色々ありましたが、なんとか――戻りました」

「おう。また後で、詳しい話聞かせろや」


 ――彼が「後で」と言ったのは、ここへ来る者の気配を察したからなのだろう。傭兵の言葉が切れると同時に、白い子どもがイゼットたちの前に現れた。驚きすぎて顔をひきつらせているメフルザードをよそに、イゼットとルーは体を起こす。


「フーリさん! 合流できてよかったです!」

「うん」


 安堵に頬を緩めたルーの言葉に、フーリは相変わらず淡白なうなずきを返す。苦く熱い風に白い髪をなびかせた彼は、いつもより少し険しい表情で遠くの空を仰ぎ見た。


「とりあえず、牽制はした。また君たちを追ってはくるだろうが、今すぐに危険が及ぶということはない」


 色のない瞳の奥に、イゼットたちの知らない光が走った。

「ただ……予測していたよりも、彼らの動きが活発化している。一応、シャハーブに知らせた方がよいのかも知れない」


 イゼットとルーは、顔を見合わせる。決して長くない無音の時間の中で、二人は互いの思考を薄々読み取っていた。フーリに向き直ったイゼットが、先に口を開く。


「なら、フーリさんはシャハーブさんの方へ向かってください。報告が済むまでの間くらいは、持たせられると思いますから」


 言うと、フーリはわずかに頭を傾ける。承諾しかねる、というよりも、純粋に不思議そうだ。そんな彼に対して、今度はルーが言葉を向ける。


「お二人にとっても大事なことですよね? なら、情報は共有しておいた方がいいと思います。シャハーブさんもボクたちより色々感じ取れるみたいですけど、でも、なんでもわかるわけではないはずです」

「……なるほど」


 短い沈黙の後、フーリは首肯した。硝子のような瞳の中に人間たちの顔を映す。


「確かに君たちの言う通りだ。僕は一度、聖都へ行く。すぐに戻ってこられると思うけれど、『反逆者』たちには気をつけて」

「はい」

「古王国跡地まではそうかからない。『よどみ』の濃度にも気を配って」


 付け足された言葉にイゼットがうなずくと、次の瞬間にはフーリの姿が消えていた。別れの挨拶もなしに去った〈使者ソルーシュ〉がいた場所を、しばし見つめる。同じ方を見つめていたルーと目を合わせたイゼットは、ふっと笑みをこぼした。


 顔を上げる。まずは、メフルザードに事情を説明しなければならなかった。

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