第31話 岩の王は奇禍を楽しむ

 駆けだしたルーを追っているうちに、イゼットも人の影に気がついた。あたりが暗いせいではっきりとは見えない。それでも、帽子をかぶっていることと、遊牧民風の衣服を着ていることはわかる。その人は、うずくまっているようだ。尋常でない場所に入りこんで、体調を崩したのだろうか。だとしたら放っておけない。


「大丈夫ですか!」


 イゼットは声を張る。その人は、すぐに気づいたようで、顔を上げた。青白い相貌にはだが、笑みが浮かんでいる。なんというか、危機感のない表情だ。


「おや、俺以外に人がいるなんて思わなかったなあ」

「え、えっと?」


 聞こえた声までふわふわしている。さすがのルーが速度を落とした。やがて、唖然とした顔で立ち止まる。そのころにはすでに、人はすぐ前にいた。

 イゼットより数歳年上の男の人だ。つばのある帽子を目深にかぶっていて、やはり遊牧民の衣装に似た服を着ている。珍しい装いの彼は、二人の視線を受けると笑みを深め、片手を軽く振った。


「旅人さん? このへん、空気悪いから近づかない方がいいよ」

「……それ、どっちかというと、俺たちのせりふです」


 嘆きに近い若者の言葉を、男は聞いていなかった。まったりとした表情で首をひねっている。イゼットは、頭を抱えたい衝動をこらえて彼に向き直った。


「あなたこそ、顔色が悪いですよ。ここから離れた方がいいと思います」

「あー、やっぱりそういうふうに見えるのか。なんか気分悪いと思ったんだよねえ」

「離れましょう! 今すぐ!」


 勢い込むイゼットの横で、ルーが深くうなずいた。男は相変わらずの様子で、顎に指をかけている。


「そうだね。調査もあらかた済んだし」


 調査とはいったいなんなのか。気になりはしたが、二人はあえて問い詰めない。のんびりとした男を連れて、来た道を戻りはじめた。


 もともとそれほど進んではいなかったので、ほどなくして荒野を出る。とたんに不快感が薄らいだ。ほっと息を吐いたイゼットは、男と少女を振り返った。


「ルー、大丈夫?」

「一気に楽になりました。イゼットはどうですか」

「俺も平気。……なんなんだろうね、ここ」


 妖雲渦巻く空を見る。当然、答えが返るはずもない。暗紫色の雲はやはり、荒野の上だけをぐるぐると回っている。時折弾ける雷光が、だんだん涙のように見えてきた。雨とも違う、雲の流す苦痛の涙。


 陰鬱な空気にのまれかけているのかもしれない。イゼットは、こめかみを拳で叩いて、よどんだ妄想を追い出した。

 彼がため息をついていると、謎の男性がふしぎそうに目を細めた。


「二人はここのこと、知らずに来たの?」

「はい。たまたま、通り道だった、というか……」


 まじめに答えてから、イゼットは目をむいた。

 この人は、今なんと言った?


「あなたは知ってて来たんですか!?」

「そうだよー」


 珍しく大声を出した若者に対し、男はのほほんとうなずく。それから、左手を胸に当てた。


「俺はこのあたりで、精霊とそれにかかわる土地について研究してるんだ。あそこにいたのもその一環」


 イゼットは一応納得する。調査の意味もわかった。それでも、どこかすっきりしない。

 向こう見ずな研究者は、彼の内心など知らず人懐こい表情を向ける。


「君たちは? 通り道って言ってたけど、どこに向かってるの?」

「……イェルセリアです」


 少し悩んでから、若者は答える。相手の黒い瞳が、少し小さくなった。


「へえ。修行者……ではないよね」

「違います」


 イゼットはきっぱり否定した。別の意味での『修行者』なら隣にいるが、彼が言っているのはむろんクルク族のことではない。聖教のことだ。

 男の両目がきらりと輝く。のぞいた好奇心はしかし、すぐに穏やかな表情の下へ隠れた。


「単にイェルセリアへ向かうなら、わざわざあそこを通らなくてもいいんだよ」

「別の道があるんですか?」


 ルーが表情を変えて、男の方へ身を乗り出した。顔が輝く、というのは、今の彼女のような有様をいうのだろう。男はうなずき、二人の馬がいる方を指さした。


「あちらへ進むと細い道がある。起伏はそんなにないけど、あまりに狭いから通る人は少ないね」


 なんと、別の道は意外と近くにあったのだ。イゼットとルーは顔を見合わせて笑う。それから、男の方を振り返った。若者が先んじて礼をとる。


「ありがとうございます」

「いえいえ。俺も助けてもらったしね。それと、方角一緒だから俺も行くよ」


 そう言ってから、男は風変わりな帽子をとった。黒い頭が見える。髪の毛は細くて癖が強いようで、野放図に跳ねて鳥の巣みたいになっていた。


「研究者のカヤハンだ。よろしく」

「イゼットと申します。こちらは、連れのルーです」

「よろしくお願いします!」


 ルーが元気にお辞儀をすると、カヤハンは「これはご丁寧に」と、楽しげにつぶやいた。



 ふしぎな男に案内されて、イゼットとルーは横道を往く。確かに狭いが、馬が通れる幅だったのは幸いだ。ここまで徒歩で来たというカヤハンの歩調に合わせて進む。途中、イゼットはふと思い立って、カヤハンにあることを尋ねた。


「先ほど、精霊についての研究とおっしゃってましたけど……あの変な場所は、精霊と関係があるんですか」

「それは、俺もわからないんだよー」


 カヤハンは薄く笑って、帽子のつばを下げた。


「でも、ああいう現象ってたいていが精霊がらみだろ? だから、調べればあんなことになってる原因もわかるかも、って思ったんだ」

「なるほど。それで、成果は――」

「残念ながら、ない。本当、なんであんな場所ができちゃったんだろうね」


 なにも得られなかったというのに、研究者の口調は穏やかだ。それどころか、この状況を楽しんでいるようにも見える。あるいは「未知だからこそ楽しい」のかもしれない。イゼットは、旧友の言葉を思い出して苦笑した。

 しかし、すぐ後、カヤハンの顔が真剣みを帯びる。


「ただ、気になるところはある」


 そう言いだした男を、イゼットとルーは驚いて見やった。視線に気づいているのか否か――男の態度は変わらない。

「二人は、イェルセリア古王国の伝説を知ってる?」


 唐突に投げ込まれた言葉を受け止めて、イゼットは目をみはる。それは彼にとって、幼い日の寝物語のような懐かしさを帯びていた。一方のルーは、眉根を寄せている。


「こおうこく……?」

「――今のイェルセリアの正式な名前は、イェルセリア新王国。その前身となった国が古王国なんだ。もとは、今のヒルカニア北部にあったそうだよ」


 イゼットは静かに助け舟を出した。そのときはまだほほ笑ましさがあったが、カヤハンの次の言葉で気持ちは一変した。


「そう。そのヒルカニア北部に、あそこと同じような荒野があるんだ」


 旅人たちは絶句する。


 薄氷のような沈黙の中、イゼットは槍をにぎる手に力を込めた。なぜだかわからないが、胸の中で薄暗いものがうごめいている。それは予感か。あるいは恐怖か。


「古王国が滅亡した原因って、わかってないだろ? もしかしたら、それがあの荒野ができた理由と関係してるのかもしれない。まあ、そういうのは俺の専門外なんだけどさ」


 イェルセリア古王国は、山国だった。ある夜に突然、その山ごと「何か」に吹き飛ばされて滅んだという。その「何か」がなんなのかが、いまだ判明していないのだ。それをほのめかす文書なども見つかっていない。王族や聖女の迅速な対応のおかげでかなりの数の民が生き残り、西へ逃れて新王国を建国したが、彼らも滅亡の原因まではわからなかったようだ。

 ただ――世に広まっている事柄だけが、すべてとも限らない。


「聖都に行けば、なにかわかるかも……」


 イゼットはかぶりを振り、浮かんだ考えを打ち消す。考えたところで、どうしようもないだろう。


「イゼット、なにか言いました?」

「いや、なんでもない」


 だから、ルーにも伝えない。いつかのように、微笑の裏にすべてを隠した若者は、前を向きなおす。


 そんなやり取りから半刻後、道が開けて遠くに家の影が見えた。

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